第四部 第199話 同じ答え
地面を蹴った瞬間、スマートマテリアルユニットが僕の動きに追従した。
脚部を覆う黒い素材が瞬時に形を変え、踏み込みの力を受け止める。
王城跡の石畳が流れるように後方へ消え、白い反応との距離が縮まっていく。
後方には、セリナたちがいる。
僕だけがSMUの機動力を使って先行した。
その先を歩く人々は、誰一人として走っていなかった。
兵士も、避難者も、荷物を抱えた男も、全員が同じ方向へ、ただ歩いている。
「リム、人数は?」
『現在、二十一名です』
「増えてる」
『はい』
さっきまで十三人だった。
僕が近づくわずかな間にも、さらに人数が増えている。
「全員が同じ方向へ行く理由は?」
『特定できていません』
リムの返答は早かった。
『対象となっている白色反応から、周辺へ広がる明確な物理的信号は検出できていません』
「魔力は?」
『アルセリア側で用いられている既知の魔力反応とも一致しません』
「だったら、何で?」
『不明です』
簡潔な答えだった。
けれど、分からないなら分からないまま確かめるしかない。
僕は速度を落とし、歩き続ける人々へ追いついた。
「止まって!」
声をかけると、先頭を歩いていた兵士が振り向いた。
見覚えのある顔だった。
王城跡周辺の警戒にあたっていた一人だ。
意識を失っている様子はなく、目の焦点も合っている。
「どこへ行くんだ?」
僕が尋ねると、兵士は少しだけ不思議そうな顔をした。
「向こうです」
「向こうって?」
兵士が進行方向を指す。
崩れた建物の向こう、白い反応が近づいてきている方向だった。
「何がある?」
「分かりません」
「分からないのに行くの?」
「はい」
返事には迷いがなかった。
「どうして?」
兵士は少し考えた。
けれど、その表情に困惑はない。
「行くべきだと、私が思ったからです」
「誰かに言われた?」
「いいえ」
「命令された?」
「いいえ」
「じゃあ、自分で?」
「はい」
話だけを聞けば、おかしいところはない。
自分で考え、自分で決めたと、そう言っている。
その時、背後から馬蹄の音が近づいてきた。
振り返る。
セリナが馬を止め、そのすぐ後ろからエリーナ、バルド、カイも続いてくる。
「アオト!」
セリナが馬から降り、僕のほうへ寄ってくる。
「状況は?」
「意識はあるし、話もできる。でも、全員の判断が同じところへ向かってる」
僕が答えると、セリナは自分のすぐ近くを歩いていた男へ声をかけた。
「あなたは、どこへ行くの?」
セリナの声に反応し、男が振り向く。
「向こうへ」
「理由は?」
「行ったほうがいいと思ったからです」
男はそう答えると、頭を少し下げて再び歩き出した。
数人に話しかけたが、ほとんどが同じ答えだった。
セリナの表情が変わる。
さらに後ろから歩いてきた女性を呼び止めた。
「あなたは?」
「向こうへ行きます」
「なぜ?」
「今は、そうしたほうがいいと感じました」
言葉は人によって少しずつ違う。
それが普通だ。
けれど、辿り着く答えはみな同じだった。
誰も自分が操られているとは思っていない。
嫌がってもいない。
むしろ、自分自身で正しい判断をしたと思っている。
西方貴族領で感じた違和感が、頭の中に蘇る。
人々の考えや行動が、同じ方向へ傾いていく。
異なる立場の者たちが、同じ結論だけを口にし始める。
あの時も、不自然なほど答えが一致していた。
「セリナ」
「ええ」
彼女も同じことを思い出しているようだった。
「似てる」
「でも、同じものかどうかはまだ分からないわ」
「うん」
その時、少し離れた場所で周囲を見ていたエリーナが顔を上げた。
「……変です」
セリナが振り返る。
「何が?」
エリーナは歩いていく人々を見る。
それから、風を確かめるように僅かに目を細めた。
「普通なら、もっとばらけるはずなんです」
「ばらける?」
「足音も、衣擦れも、風も」
エリーナは静かに答える。
「これだけ違う人が動いているのに、今は全部が同じ方向へ流れているように感じます」
僕は歩いていく人々を見た。
リムが数値として捉えたものを、エリーナは風の流れから違和感として感じ取っている。
『アオト』
リムが呼びかける。
『対象者の生命反応に大きな異常は確認できません』
「意識も?」
『通常の覚醒状態を維持しています』
「外部から身体を操られてる感じは?」
『少なくとも、筋肉や運動神経へ直接的な命令が送られている兆候はありません』
僕は歩き続けようとする兵士の前へ回り込んだ。
「少し待って」
「なぜですか?」
「この先に何があるか分からない」
「問題ありません」
「問題あるよ」
「ありません」
兵士は穏やかに答えた。
怒ってもいない。
焦ってもいない。
ただ、僕の言葉を必要のないものとして受け流している。
「危険かもしれない」
「それでも行きます」
「どうして?」
「行くべきだからです」
話が戻る。
理由を聞いているのに、答えそのものしか返ってこない。
僕は右腕を上げる。
可変刃を解除すると、代わりに黒い素材が細く伸びていった。
「リム」
『了解』
射出された複数のワイヤーが、左右の崩れた壁へ突き刺さる。
瞬時に張られた黒い線が、人々の進路を塞いだ。
攻撃ではない。
ただの障害物だ。
先頭の兵士が立ち止まる。
後ろを歩いていた者たちも続いて止まった。
これで全員が止まるなら。
そう思った直後だった。
兵士が、くるりと右へ向きを変えた。
「え?」
その後ろの者も右へ曲がる。
さらに後ろの人々も、まるで最初から決められていたように同じ方向へ進み始める。
「回り込むつもり?」
セリナが声を上げる。
僕はワイヤーを追加し、右側を塞ぐ。
今度は左へ向かう。
左を塞ぐ。
人々は再び止まり、数秒後には別の道を探し始めた。
一人が道を見つけると、他の者たちも同じ道を選ぶ。
「リム」
『はい』
「これ、本当に誰かが命令してない?」
『外部から個別の運動命令が送られている兆候はありません』
「じゃあ、何で全員同じ行動になるんだよ」
『判断そのものへ作用している可能性があります』
僕の足が止まる。
「判断?」
『断定はできません』
リムはそう前置きした。
『しかし、個々の対象者が異なる情報を持っているにもかかわらず、最終的な行動選択の一致率だけが異常に上昇しています』
「考えてないわけじゃない?」
『はい』
『むしろ、それぞれが思考した結果として、同一の結論へ到達しているように見えます』
その言葉に寒気がした。
停止させる者とは違う。
あれは、考える時間そのものを切り落とした。
今起きているのは、それとは違う。
考えている。
迷うこともできる。
理由もある。
それなのに、最後に選ぶ答えだけが揃っていく。
「アオト」
セリナの声が低くなる。
「来る」
僕も気づいた。
崩れた建物の向こうから、一人の白い人影が歩いてくる。
ゆっくりと、急ぐ様子もなく、逃げる様子もない。
白い衣。
白い髪。
これまでの二人と同じように、一見しただけでは戦うために来た者には見えなかった。
その姿が見えた瞬間、人々の足が止まる。
誰かが命じたわけではない。
全員が、自分から立ち止まった。
そして、同時に白い人影を見る。
二十を超える視線が、一つの場所へ集まった。
「あなたがやってるの?」
僕が尋ねる。
白いローブに身を包んだ人物は僕を見る。
表情は穏やかだった。
「何をでしょう」
「この人たちを」
僕は周囲を見る。
「操って、同じ方向へ動かしてる」
「動かしてはいません」
予想していたような答えだった。
「じゃあ、何をしてる?」
「彼らは自ら選んでいます」
「全員が?」
「はい」
「同じ答えを?」
「はい」
白い人影は、それが何の問題なのか分からないような様子で答える。
「そんな偶然あるわけないだろ」
「偶然など、あるのですか?」
僕は眉を寄せる。
「だったら、やっぱりあなたが」
「私は彼らへ命令していません」
静かな声が返ってくる。
「自ら考え、今の行動を選んだのは彼らです」
僕は言葉を止めた。
兵士も、男も、女性も、全員が自分で決めたと言っている。
白い人影は歩みを止めた。
「人は異なるものを見ます」
「……」
「異なるものを聞きます」
「それが普通だろ」
「そして、異なる答えを選びます」
「そうだよ」
「だから争います」
セリナが眉を寄せた。
「違う答えがあることと、争うことは同じではないわ」
白い人影が彼女を見る。
「違いがなければ、争いは生まれません」
「違いがなくなれば、人もいなくなるでしょう」
セリナの返答に、白い人影は僅かに首を傾けた。
「人は残ります」
「同じことしか選べなくなっても?」
「選べます」
「今の人たちみたいに?」
「はい」
その返答には、本当に矛盾を感じていないらしい。
僕は周囲を見る。
兵士たちは僕たちの会話を聞いている。
逃げもしない。
助けを求めもしない。
武器を構えもしない。
それぞれ違う顔。
違う年齢。
違う立場。
けれど、視線の向きだけが揃っている。
「この人たちに何をした?」
「異なる判断を捨てさせてはいません」
「じゃあ?」
「お互いがお互いを気遣い、理解しやすいように近づけただけです」
「近づける?」
「一人の迷いを、隣へ」
白い人影が言う。
「一人の判断を、さらに隣へ」
「……」
「互いに考えに触れていれば、離れていた答えはだんだんと近づいていきます」
僕は息を呑む。
「考えを共有させてるのか?」
「共有」
白い人影は、その言葉を確かめるように繰り返した。
「近い表現です」
『アオト』
リムの声が内側へ響く。
『警告』
視界の端に表示が出る。
自己境界維持機構。
外部干渉疑い。
僕は反射的に周囲を見る。
「僕にも来てる?」
『微弱ですが、認知判断傾向に外部由来と推定される偏りを検出しています』
「どんな?」
『周辺人物の行動を妥当と評価する傾向が上昇しています』
一瞬、意味が分からなかった。
その直後、僕は気づく。
確かに、さっきからこの人たちが同じ場所へ向かうことを、どこかで「そこまで危険ではないのでは」と考え始めていた。
まだ何も起きていない。
暴れてもいない。
武器を向けてもいない。
だったら、少しくらい歩かせてもいいんじゃないか。
そんな考えが、いつの間にか浮かんでいた。
「……これか」
僕は小さく呟いた。
『自己境界維持機構による警告を継続します』
「頼む」
セリナが僕を見る。
「どうしたの?」
「僕にも触れてきてる」
「何を?」
「みんなと同じ考えに寄せようとしてる」
セリナの表情が変わった。
僕はすぐに彼女を見る。
「セリナは大丈夫?」
「私は」
答えようとして、彼女が止まる。
「……待って」
視線が人々へ向く。
「私も、少し変かもしれないわね」
「何を考えてた?」
「この人たちを無理に止めなくてもいいんじゃないかって」
僕と同じだった。
セリナ自身も、それに気づいたらしい。
「理由は?」
「まだ危険な行動をしていないから」
「僕も同じ」
二人で顔を見合わせる。
白い人影は何も言わず、こちらを見ている。
「同じ理由まで揃うのか?」
『現時点では不明です』
リムが答える。
『ただし、セリナの判断内容を私は直接取得できません』
「分かってる」
僕は息を吐いた。
自分の考え。
相手の考え。
どこまでが自分で、どこからが触れられたものなのか。
侵食とは違う。
あれは、元からある迷いの一方を強くする。
これは、人と人の間にあるものへ触れている。
「人と人の間にある価値観や考えの差を、小さくしてる?」
白い人影が僕を見る。
初めて、僅かに表情が動いた。
「よく理解していますね」
「褒められても嬉しくないよ」
「なぜでしょう」
「自分で考えても、最後にみんな同じ答えになるなら」
僕は周囲を指した。
「それは本当に自分で選んだって言えるの?」
白い人影はしばらく僕を見ていた。
「あなたは、違う答えを選ぶことに価値があると?」
「違う答えそのものに価値があるとは言ってない」
僕は首を振る。
「同じ答えになることだってある」
「ならば」
「でも、それを最初から揃えるのは違う」
僕は自分の胸へ手を置いた。
装甲越しでも、その奥に自分がいることは分かる。
「考えて、迷って、それでも同じ答えを選ぶなら、それは僕たちの答えだ」
「結果は同じです」
「違うよ」
「何が?」
「そこまでどうやって決めたかが違う」
白い人影は黙った。
セリナが僕の隣へ並ぶ。
「結果だけが同じなら十分、という考え方なのね」
「争いは減ります」
「そうかもしれない」
セリナは否定しなかった。
「でも、あなたたちは平和にするためなら、人が何を考えるかまで揃えていいと思っている」
「揃えるのではありません」
白い人影が答える。
「近づけるのです」
「最後には同じ場所へ?」
「はい」
セリナは小さく息を吐いた。
「それを私たちは、揃えると言うのよ」
沈黙が落ちた。
その時、後ろで金属音が鳴った。
振り返る。
バルドが剣を抜いていた。
けれど、僕たちへ向けているわけではない。
歩き始めた兵士たちの前へ立ち、その進路を塞いでいる。
「止まれ!」
声が響く。
兵士たちは立ち止まった。
バルドがその中の一人を睨む。
「お前、持ち場はどうした」
「問題ありません」
「問題があるから聞いてるんだ」
「今は、こちらへ行くべきです」
「誰の命令だ」
「命令ではありません」
「なら持ち場へ戻れ、軍機違反だぞ」
兵士は黙った。
バルドの言葉を聞いている。
意味も理解している。
それでも。
「戻る必要はありません」
そう答えた。
バルドの顔から表情が消える。
「……お前、それは本気で言ってるのか?」
「はい」
周囲の兵士たちも、ほぼ同時に頷いた。
バルドが僕を見る。
その目だけで十分だった。
「アオト」
「分かってる」
僕は一歩前へ出た。
白い人影との距離を測る。
リムが即座に反応した。
『対象まで四十一・三メートル』
「周囲の人を巻き込まずに近づける?」
『経路を提示します』
視界に複数の線が浮かぶ。
その横でカイが剣の柄へ手をかけた。
「アオト」
「うん?」
「前は任せる。ただし、こいつらが動いたら俺とバルドで止める」
バルドが短く頷く。
「自分で選んだと言うなら、正気に戻ってからもう一度選ばせりゃいい」
「そういうことだ」
二人のさらに後ろで、エリーナが周囲へ視線を巡らせる。
「私は風を見ます。変化があれば知らせます」
「お願い」
セリナが答えた。
それぞれが、自分で役割を選んだ。
同じ相手を前にしていても、同じことをするわけではない。
白い人影は、そんな僕たちを静かに見つめている。
「戦うのですか?」
「この人たちを元に戻す」
「元から、おかしくなどありません」
「僕には、そうは見えない」
「彼らは自ら考え、歩き、今この場にいます」
「それでもだよ」
僕の意思に反応し、黒い素材が右腕へ集まり始めた。
可変刃が形を作る。
セリナも身構える。
バルドとカイは兵士たちの前へ立ち、エリーナは周囲の風へ意識を向けた。
白い人影は、その様子を見渡した。
「あなたたちは、同じ答えを選びました」
僕は一瞬だけ止まった。
白い人影の口元が、ほんの僅かに緩む。
「それを、あなたは否定するのですか?」
「しないよ」
僕は答えた。
「これは僕が選んだ」
「私もよ」
セリナが続ける。
バルドが鼻を鳴らした。
「俺もだ。だが、こいつに決めてもらった覚えはない」
カイも剣の柄を握ったまま答える。
「同じ場所に立ったからって、同じ考えになったわけじゃない」
エリーナも白い人影から目を逸らさなかった。
「私は、私がそうしたいからここにいます」
僕は小さく頷く。
「同じ答えでも、自分で選んだなら問題ない」
白い人影は僕たちを見比べた。
「理解できません」
「それは、こっちもだよ」
僕は刃を下段に構える。
「だから、聞く」
「何を?」
「あなたは誰?」
白い人影は少しだけ首を傾けた。
また同じ問いだというように。
「名前を聞いてる」
「必要ありません」
やはり。
「じゃあ、役割は?」
白い人影の周囲で、空気が僅かに揺れた。
後ろにいる人々が、同時にこちらを見る。
二十を超える視線。
二十を超える意識。
それらすべてが、少しずつ一つの方向へ寄っていく。
そして、白い人影は静かに答えた。
「私は」
その声に合わせるように、周囲の人々が一斉に足を止める。
「同調する者です」




