第四部 第131話 異議のある評議
慰霊碑から仮王宮へ戻る頃には、太陽はだいぶ西へ傾いていた。
夕暮れにはまだ早い。
けれど、街の光は少しずつ鈍くなり始めていた。
街のあちこちで起きた白い気配の干渉が、レグノル全体の空気を少しずつ重くしているように感じた。
仮王宮へ入ると、廊下の向こうからいくつもの声が聞こえてきた。
担当官に報告する伝令の声。
別の文官が上官に報告する声。
兵士が配置を確認し合う声。
そして、各区の代表たちが互いに話し合う声。
その声は、まだまとまっていなかった。
大きい声もある。
苛立った声もある。
疲れた声もある。
私はそれを聞いて、少しだけ安堵した。
ばらばらだ。
まだ、白い気配の影響はほとんど感じられなかった。
「臨時評議場は?」
アオトが近くの文官へ尋ねる。
文官は書類を抱えたまま、慌てて頭を下げた。
「すでに各区代表が集まっております」
「配給所、避難民名簿管理所、南側施療所からも担当者が来ています」
「ただ……」
文官は言いよどんだ。
カイが眉を寄せる。
「ただ、なんだ」
「意見が、急にまとまり始めています」
その言葉に、私は足を止めた。
まとまる。
普通なら、それは良いことのはずだった。
混乱していた王都で、代表者たちの意見がまとまる。
配給の方針が決まる。
避難民の振り分け先が決まる。
争いが減る。
けれど今は、その言葉がひどく不気味に聞こえた。
「早すぎる」
アオトが低く言った。
「この状況で、自然にまとまるわけがない」
文官の顔色が悪くなる。
「やはり、何か……」
「まだ断定はできない」
アオトは端末を取り出した。
「でも、確認する」
私は臨時評議場へと向かった。
仮王宮の大広間を使った、仮の会議場だ。
本来なら儀式や報告のために使う場所だったが、今は長机がいくつも並べられ、地図や名簿、配給表が広げられている。
壁には城下の区画図。
机の上には避難民の名簿。
各区画の配給量を記した表。
各施療所の患者数。
宿泊可能な建物の一覧。
それぞれが、王都を動かすために必要なものだった。
けれど、入った瞬間に分かった。
ここも、おかしい。
声はある。
会話もある。
人も多い。
なのに、熱量が薄い。
怒鳴り合いになっていないことが悪いわけではない。
でも、本来ならもっと葛藤があるはずだった。
自分の管理する区画を優先して助けたい者。
自分の家族を優先して助けてほしい者。
怪我人を先に診てほしい施療所関係者。
配給を公平に分けたい者。
物資が足りないと訴える区代表。
そういう様々な声がぶつかるはずだ。
それなのに、皆が不自然なくらい同じ結論へ向かっている。
「全区一律配分でよいでしょう」
一人の文官が、静かな声で言った。
「避難民の移動は名簿順」
「施療物資も、各区の人数比で均等に割り当てる」
「異議がなければ、このまま確定します」
その声は丁寧だった。
落ち着いていた。
だからこそ、背筋が冷たくなった。
各区の代表たちが、疲れた顔で頷いている。
「仕方ないな」
「公平なら文句は言えん」
「全員同じなら、争いにはならない」
「今は揉めないことが大事だ」
言葉だけなら間違っていない。
けれど、何かが抜けている。
私は机の上の配給表を見た。
北区。
東区。
西区。
南側避難区域。
外周集落。
施療所。
すべて同じような配分率で統一されている。
だが、その横にある施療所の報告書には、南側で発熱者が多いと書かれていた。
北区には、子ども連れの避難民が多い。
東区は、井戸の一部が使えなくなっている。
西区は、復旧作業の人手が不足している。
南側避難区域は、施療対象者が多い。
外周集落は、荷車の到着が遅れている。
どの場所も、状況は同じではない。
同じにしてはいけない。
「これは誰が作った案ですか」
私が聞くと、広間の視線が一斉にこちらへ向いた。
「セリナ様」
「セリナ様がお戻りになられた」
何人かが立ち上がろうとする。
私は手で制した。
「礼は不要です」
「今は座ったままで聞いてください」
文官が少しだけ頭を下げた。
「この案は、各担当者の意見を整理したものです」
「誰か一人の案ではありません」
アオトが端末を掲げる。
『臨時評議場内に低濃度白色干渉を確認』
『議事進行板、配給名簿、避難民名簿、採決用木札に連結反応』
『同調対象は個人ではなく、議決過程と推定』
「議決過程……」
私は小さく呟いた。
白い気配は、人一人を操るだけではなくなっている。
祈り。
休息。
施療。
弔い。
王家の名。
そして今度は、会議の話し合いそのもの。
王都が何を選ぶかという場に、入り込んできている。
「セリナ様」
一人の区代表が言った。
「均等に分けるのは悪いことではないはずです」
「誰かを特別扱いすれば、争いが起きます」
別の代表も頷く。
「皆が苦しいのです」
「なら、皆同じにするしかない」
その声は疲れていた。
本当に疲れていた。
この人たちは、白い気配に操られているだけではない。
争うことに疲れている。
誰かを優先する痛みに耐えられなくなっている。
だから、同じにするという答えにすがっている。
「……同じにすることは、いつも公平ではありません」
私が言うと、広間がわずかに揺れた。
文官の表情が止まる。
机の上の採決用木札が、かすかに白く光った。
「セリナ」
アオトが低く呼ぶ。
「反応が上がった」
「分かっています」
私は一歩前に出た。
「子どもが多い区と、成人の多い区では必要なものが違います」
「井戸が使える区と、使えない区でも違います」
「怪我人が多い場所と、そうでない場所でも違います」
「同じ量を配れば、誰も文句を言えないかもしれません」
「でも、それで助からない人が出るなら、それは公平ではありません」
誰かが息を呑んだ。
だが、すぐに別の声が重なる。
「ですが、優先順位をつければ不満が出ます」
「不満は出ます」
私は答えた。
「出て当然です」
広間がまた揺れた。
白い気配が、わずかに揺らめくのが分かった。
「不満を消すために、事情を消してはいけません」
「怒る人もいるでしょう」
「納得できない人もいるでしょう」
「それでも、何が必要なのかを一つずつ聞かなければいけません」
文官の声が滑らかに割り込んだ。
「混乱を避けるため、異議申し立ては後日受け付けます」
「今は統一案に従うのが最善です」
その言い方に、胸の奥へわだかまりが残る。
優しい。
丁寧。
正しい手続きのように聞こえる。
けれど、その奥に白い気配を感じる。
アオトの端末が青白く光る。
『議事進行者の音声に干渉反応』
『本人は核ではありません』
『議事進行板から言語誘導を受信』
「また通されてるだけか」
カイが前に出る。
「セリナ様、下がりますか」
「下がりません」
私は即答した。
「ここで下がれば、この案は通ります」
カイは短く息を吐いた。
「なら、守る」
「お願いします」
私は文官を見た。
「あなたの名前は?」
文官の目が揺れる。
「私、は……」
言葉が止まる。
視線が議事進行板へ向かいかける。
アオトが鋭く言った。
「板を見るな」
青白い光が走り、板の縁に白い筋が浮かび上がる。
文官はびくりと肩を震わせた。
「名前を」
私はもう一度言った。
「あなた自身の名前を教えてください」
「……ノルド、です」
「ノルド」
「あなたは、この案を本当に最善だと思っていますか」
「私は……」
ノルドは配給表を見た。
白い筋が、彼の指先から机の木目へ伸びている。
「争いを避けるには……」
「それは手段です」
私は言った。
「あなたが見ている人は誰ですか」
「数字ですか」
「それとも、名前のある民ですか」
ノルドの顔が歪んだ。
「名前……」
その瞬間、広間の空気が乱れた。
一人の施療係が机を叩く。
「南側に薬草を多く回してください」
「発熱者が増えています」
それに続いて、北区の代表も声を上げた。
「北区の荷車は昨日から止まっている」
「食料が先だ」
外周集落の代表が歯を食いしばる。
「うちには高齢者が多い」
「同じ量では足りない」
様々な声が堰を切られたように増える。
ぶつかる。
重なる。
汚いと言えば、汚い。
でも、生きている会議だった。
「静粛に」
ノルドが言いかけた。
だが、言葉が途中で止まる。
彼自身の顔に、戸惑いが戻っていた。
「……いや」
「待ってください」
ノルドは自分の額を押さえた。
「私は、何を急いで決めようとしていたんだ」
アオトが端末を見た。
『議事同調率、低下』
『ただし、採決用木札に反応集中』
「木札だ」
アオトが叫ぶ。
「採決を急がせる仕組みになってる」
机の中央に、採決用の木札が並べられていた。
賛成。
保留。
異議。
三種類の札。
けれど、異議の札だけが少ない。
賛成の札だけが、妙に手に取りやすい位置に置かれている。
些細なことだ。
でも、会議ではそれだけで流れが変わる。
白い気配は、そんな小さな傾きまで使っている。
「カイ」
アオトが言う。
「木札をばらせ」
「壊すのか」
「壊すな」
「並びを崩せ」
カイが机へ近づき、賛成札、保留札、異議札をまとめて混ぜた。
乱暴ではない。
しかし、綺麗な配置は消えた。
「おい」
一人の代表が眉を寄せる。
「それでは採決しづらい」
「しづらくていい」
カイが低く答えた。
「考えずに手が伸びるよりましだ」
その言葉に、私は頷いた。
「採決はまだしません」
広間が静かになる。
私は続けた。
「今日は、異議だけを出してください」
誰かが聞き返した。
「異議を?」
「はい」
私は、はっきりと言った。
「不満を言ってください」
「足りないものを言ってください」
「困っていることを隠さないでください」
「ただし、自分の区だけを通すためではなく、王都全体で何を見落としているかを出してください」
「まとめの会議は、明日以降で構いません」
「私も最初から参加して、皆の声に向き合います」
一人の老人代表が、恐る恐る手を上げた。
「それは、揉めろということですか」
「違います」
私は首を振る。
「揉めることを恐れて、考えることをやめないでほしいのです」
「異議は敵意ではありません」
「異議は、この王都を見落とさないための声です」
アオトが私の隣で小さく息を吐いた。
「いいな」
私は少しだけ目を向けた。
「何がですか」
「白い気配が一番嫌がりそうだ」
その言葉の通りだった。
議事進行板の白い筋が強く光る。
広間の奥で、鐘のような音が鳴った。
一度。
二度。
三度。
皆の声が、一瞬だけ揃いかける。
「全員のために」
「争わないために」
「一つの案を」
その声が広がりかけた瞬間、エリーナが杖を振った。
風が広間を横切る。
書類が舞う。
配給表の端がめくれる。
木札が机の上で転がる。
人々が反射的に手を伸ばし、視線が割れた。
「ごめんなさい!」
エリーナが叫ぶ。
「でも、結論を急いで揃わないでください!」
その必死な声に、何人かが目を覚ましたように瞬きをした。
リムから通信が入る。
『施療所側の患者名簿にも反応あり』
『名簿順に眠りの処置を進める指示が紛れ込んでいた』
『切断する』
アオトが顔をしかめる。
「こっちの避難民名簿と同期してる」
「名簿順って言葉で、配給も移動も施療も一本化する気か」
「そういうことね」
リムの声は冷たい。
『人を名前ではなく、順番に変える』
『白い気配らしいやり方』
私は机の上の避難民名簿を見た。
そこには、たくさんの名前があった。
けれど、白い気配に触れられれば、それはただの順番になる。
一番。
二番。
三番。
必要も、事情も、痛みも消えていく。
「それは、違います」
私は名簿に手を置いた。
白い冷たさが指先に触れた。
アオトがすぐに叫ぶ。
「セリナ、直接触るな」
「大丈夫です」
「大丈夫じゃない」
「でも、分かりました」
私は名簿から手を離した。
「これは、人を並べるためのものではありません」
「探すためのものです」
「見落とさないためのものです」
「順番にするためではなく、名前を呼び返すためのものです」
ノルドが震える手で名簿を見た。
「名前を、呼び返す……」
「はい」
私は頷いた。
「名簿の上では、皆が同じ文字に見えます」
「でも、その一つ一つに事情があります」
「だから、代表者の皆さん」
私は広間を見渡した。
「数字だけで話さないでください」
「名前を出せるなら、名前を出してください」
「名前を出せないなら、顔を思い出してください」
「それでも分からないなら、分からないと言ってください」
「分からないまま、一つに決めないでください」
沈黙。
そのあと、施療係が小さく言った。
「南側のミリィという子が、昨日から熱を出しています」
「薬草が足りません」
各区の代表が続いた。
「東区の井戸が枯れた場所に、老人が複数人残っている」
「北区は、子どもの避難民が多く食料が足りない」
「東区へ水の運搬を先に回すべきだ」
「西区は、復旧作業に人手が足りない」
外周集落の代表が、悔しそうに言う。
「うちは食料より先に、生活品が足りない」
「荷車も足りない」
別の女代表が、泣きそうな顔で手を上げた。
「迷子預かりに、名前を言えない子がいます」
「名簿に載っていないから、後回しにされていました」
「でも、あの子を先に見てほしい」
声が広がる。
揃ってはいない。
まとまってもいない。
でも、そこには選ぶための材料があった。
白い気配が嫌う、様々な事情があった。
アオトが端末を構える。
「今ならいける」
「マザーブレイン、議事進行板と採決札の上書き紋を分離」
『了解』
『名簿情報保護』
『配給表保護』
『白色干渉層のみ切断』
リムの声が重なる。
『施療所側、名簿同期を遮断』
『患者識別情報を保護』
『切断準備完了』
アオトが私を見る。
「セリナ」
「はい」
「最後にもう一声」
私は頷いた。
広間の代表たちを見た。
「異議を出してください」
「迷ってください」
「譲れないものを言ってください」
「そして、聞いてください」
息を吸う。
「この街は、一つの声だけでは守れません」
「違う声があるから、見落とさずに済みます」
「私たちは、同じになるために集まったのではありません」
「違うまま、共に生きるために集まっています」
その瞬間、青白い光が広間を走った。
議事進行板の縁に浮かんでいた白い筋が震える。
採決札に滲んでいた白い光が剥がれる。
名簿の端から、薄い霧のようなものが立ち上がった。
それは一瞬、人の声のようにざわめいた。
『争いは痛み』
『異議は乱れ』
『統一こそ安らぎ』
私は答えた。
「乱れていても、生きています」
「痛くても、選びます」
「安らぎのために、自分たちの声を捨てません」
光が弾けた。
鐘の音が途中で割れる。
議事進行板が鈍い音を立てて沈黙した。
採決札の白い筋が消える。
名簿の紙が、ただの紙に戻っていく。
『臨時評議場内の主要干渉を切断』
『施療所側名簿同期も遮断完了』
『共同体単位の同調形成、失敗』
マザーブレインの声が響いた。
広間に、どっと空気が戻った気がした。
誰かが椅子に座り込む。
誰かが額を押さえ、俯く。
ノルドは自分の手を見つめていた。
「私は……皆を早く黙らせようとしていた」
私は首を振った。
「あなた一人のせいではありません」
「でも、次からは黙らせる前に聞いてください」
ノルドは深く頭を下げた。
「はい、セリナ様」
カイが周囲を見渡す。
「これで終わりか」
「いや」
アオトは端末を見ていた。
その表情は晴れていない。
「また送信が出た」
私は胸の奥が冷えるのを感じた。
「内容は?」
アオトは数秒だけ黙った。
それから、復元された文を表示する。
『共同体合意、抵抗を確認』
『異議保持傾向、強』
『次段階、指導者権限への干渉を準備』
広間の空気が凍った。
指導者権限。
その言葉が、私の胸に重く落ちる。
レグノルの王女としての私。
仮王宮の命令系統。
兵の指揮。
復興の決定。
白い気配が次に狙うものが、はっきり見えた気がした。
「私ですか」
私が言うと、アオトはすぐには答えなかった。
カイが剣の柄に手を置く。
「セリナ様だけとは限らん」
「だが、最重要なのは間違いない」
リムの声が通信越しに響く。
『セリナ』
『今すぐ自分の命令権限を分散して』
「命令権限を?」
『ええ』
『あなた一人の判断に集めないで』
『白い気配は、一番強い声を利用しに来る』
私はゆっくりと息を吸った。
父の声が、また胸の奥で蘇る。
迷ってもよい。
選びなさい。
私は迷っている。
正しいのかは、今も分からない。
それでも、選ぶ。
「分かりました」
私は広間の皆を見た。
「明日から、復興配分と避難民対応の決定は、私一人の名では出しません」
ざわめきが起きる。
私は続けた。
「各区代表、施療係、兵、文官」
「そして私たちで最終確認します」
「王女の命令ではなく、皆で選んだ決定として出します」
「そのために、異議を残します」
「議事録に、反対意見も記録してください」
ノルドが目を見開いた。
「反対意見も、ですか」
「はい」
私は頷いた。
「消してはいけません」
「白い気配は、全員の意思を一つにしようとします」
「なら、私たちは違う声があったことを残します」
アオトが小さく笑った。
「白い気配が一番嫌がる記録だな」
「そうなら、残す価値があります」
私は答えた。
広間のざわめきは、まだ収まらない。
けれど、そこにはさっきとは違う熱があった。
困惑。
不安。
反発。
納得。
疲労。
その全部が混ざっている。
私はそれを見ながら、少しだけ息を吐いた。
街は、まだ一つにされていない。
まだ、選べる。
けれど、次は指導者の声が狙われる。
私自身の言葉が。
私自身の命令が。
白い気配に重ねられるかもしれない。
怖くないわけがない。
でも、もう分かっている。
一人で強い声になるほど、奪われやすくなる。
ならば、分ける。
任せる。
聞く。
異議を残す。
それもまた、王女としての選択なのだ。
仮王宮の窓の外で、夕暮れの風が鳴った。
白い気配はまだ見えない。
けれど、次の手はもうこちらへ伸びている。
私は机の上の名簿を見つめた。
そこには、たくさんの名前がある。
順番ではない。
数でもない。
一人一人の名だ。
「次は、私の声を守ります」
私は言った。
アオトが隣で頷く。
「ああ」
「今度は、奪われる前に備える」
広間の声は、まだばらばらだった。
そのばらばらさを守るために、私はもう一度、背筋を伸ばした。




