第三部 第103話 ファランシアでの再会
夜明け前。
セリナとヴォルコフは、ファランシアに辿り着いた。
久しぶりのファランシアは、静かだった。
旧文明の遺構に囲まれたその地は、
レグノルともテンレアとも違う“沈黙”を持っている。
風が吹く。
だが、その風すらどこか人工的だった。
石でもない。
金属でもない。
旧文明の壁面が、青白い光を鈍く返している。
ヴォルコフが馬を止め、短く息を吐く。
「……着いたか」
その横で、セリナは顔を上げた。
疲労はある。
だが、止まる気配はなかった。
「案内を」
出迎えた兵士が慌てて頭を下げる。
「はっ。ただちに」
二人は足早に内部へ入る。
足音が、広い通路に反響した。
レグノルの仮王宮とは違う。
ここには、人の営みの音がない。
代わりにあるのは、機械音に似た低い駆動音だけ。
その無機質な静けさが、逆にセリナの胸をざわつかせた。
「……ここに、アオトが」
小さく呟く。
兵士が振り返らずに答える。
「はい。療養区画に」
白い廊下を進む。
曲がる。
扉を越える。
いくつもの白い灯りが通路を切り取っていた。
やがて、一つの広い部屋へ辿り着く。
そこが、療養区画だった。
白い寝台。
薬品の匂い。
簡素だが清潔な空間。
そして――
その中央に、アオトは立っていた。
セリナの足が止まる。
「……アオト」
声が、わずかに揺れた。
アオトが振り返る。
すぐには答えない。
その顔には、まだ疲労が残っていた。
顔色は万全ではない。
右腕の義手には補助光が走り、足元には歩行訓練の跡。
完全回復には程遠い。
それでも――彼は立っていた。
「……セリナ」
短い声。
だが、その一言だけで張り詰めていたものが少しほどける。
セリナは一歩だけ近づく。
「無理をしているのですね」
「そっちも」
アオトはわずかに目を細めた。
「夜通し走ってきた顔してる」
その言葉に、セリナは息を吐いた。
妙な安心だった。
いつものアオトの声がそこにあったから。
だが――今は再会を喜んでいる場合ではない。
ヴォルコフが前へ出る。
「時間がありません」
空気が張り詰める。
アオトの表情が変わった。
「何があった?」
ヴォルコフは短く、漏れなく伝えた。
ヴァスティラ。
テーゼ海域。
七聖と黒魔王の戦闘。
攻撃が届かないこと。
アルディアスが黒魔王と断定したこと。
そして――
「七聖が、押されています」
沈黙。
アオトの表情が消える。
「……七聖が?」
驚きではない。
“計算の外”を見つけた時の声だった。
「はい」
ヴォルコフが頷く。
「理屈が通じません。
エミリオも、アルディアスも、届かなかった」
アオトはしばらく考えていた。
視線だけが、机の端末へ落ちる。
思考している。
それが分かる沈黙だった。
セリナが静かに口を開く。
「私たちの知る戦い方では、届かないのだと思います」
「だから、あなたに会いに来ました」
「私たちの知らない知識を持つあなたなら、何か分かるかもしれないと」
アオトはすぐには答えない。
ただ、義手を軽く握り直した。
かすかに金属音が鳴る。
「……無理だ」
低い声。
ヴォルコフが顔を上げる。
セリナの目も揺れる。
だが、その声は希望を潰すためではない。
現実を示すための声だった。
セリナが言う。
「それでも、何もしないわけにはいきません」
アオトが顔を上げる。
その瞳が、セリナを捉える。
「分かってる」
短く。
はっきりと。
「だから考えてる」
セリナは黙る。
彼は逃げていない。
できない理由を並べて終わるつもりでもない。
ただ――届く手段を探している。
その時だった。
扉が開く。
白衣の裾が静かに揺れる。
リムだった。
相変わらず表情は薄い。
だが、その目の奥だけが、以前よりも熱を帯びていた。
「考える時間は、もうないわ」
部屋の空気が変わる。
アオトが振り返る。
「リム」
リムはまっすぐセリナとヴォルコフを見る。
泥。
疲労。
焦り。
そして、その奥にある現実。
全部を見た上で、静かに告げる。
「その脅威を止めたいなら、ここでは足りない」
「ファランシアの設備でも、地表の端末でも届かない」
一拍。
「軌道プラットフォームへ行くしかない」
ヴォルコフが眉をひそめる。
セリナは言葉を失う。
だが、アオトだけは反応した。
「……上がる方法は?」
リムはわかっていると頷く。
「七聖が押されているのでしょう?」
「なら、もう“使うかどうか”の段階ではないわ」
静かな声。
だが、確信があった。
アオトが目を伏せる。
セリナは二人を見た。
知らない言葉。
知らない領域。
だが、分かることが一つだけある。
ここから先は、もう自分の知る戦場ではない。
それでも――踏み込まなければならない。
「……行くのですね」
セリナの声に、アオトが顔を上げる。
リムはわずかに目を細める。
誰も、否定しなかった。
夜明け前の光が、窓の外から差し込み始める。
薄い青。
世界が、色を変えようとしている。
だがその変化は、朝の訪れではない。
もっと別の何かだった。
アオトが、静かに言う。
「準備する」
その声はまだ弱っていた。
それでも――決意だけは、揺れていなかった。




