犬をたべるのは残酷なのだろうか
クロガネと向かい合った。
……と思った。
「待て」
クロガネが手を上げた。
「?」
「今日は戦わない」
「え?」
「お前はまだ弱い」
「……」
僕はちょっと傷ついた。
「でも、一か月も修行したよ?」
「だからこそだ」
クロガネは僕の牙を見る。
「お前は一か月で、いくつもの犬現を取り込んだ」
「うん」
「だが、それらを全く使いこなせていない」
「……」
図星だった。
火を出せるようになった。
足も速くなった。
牙も硬くなった。
でも――
いっぺんに使おうとすると、
すぐお腹が減る。
そしてお腹が減ると、
何も考えられなくなる。
「お腹すいた」
「ほらな」
「まだ何もしてないよ?」
「戦闘前から空腹なのがお前の問題だ」
熊おじが横から口を挟んだ。
「こいつは昔からそうだ」
「熊おじは黙ってて」
「なんでわしが怒られるんだ!」
クロガネがため息をついた。
「まず、お前は【餌】という犬現を勘違いしている」
「勘違い?」
「お前は『食べれば強くなる』と思っている」
「違うの?」
「半分だけ正しい」
クロガネは地面に枝で絵を描いた。
「お前が最初に覚えた能力を並べてみろ」
僕は考えた。
「白刃」
「牙の硬化」
「鉄腹」
「皮膚の硬化」
「疾走」
「脚の加速」
「嗅界」
「索敵能力」
「毛壁」
「防御」
「火山」
「発熱」
クロガネは頷いた。
「では聞く」
「はい」
「お前は一度の戦闘で、それを全部使う必要があるか?」
「……ない」
「そうだ」
クロガネは枝を折った。
「能力は武器だ」
「武器?」
「剣を十本持っているからといって、十本同時には振れない」
僕は自分の前足を見る。
「……」
「お前の問題は、武器を集めることに夢中になりすぎていることだ」
「でも、食べると手に入るから……」
「それが【餌】の罠だ」
クロガネは真剣な顔をした。
「食べれば食べるほど強くなる」
「うん」
「だから食べたくなる」
「うん」
「そして食べれば食べるほど――」
「お腹が減る」
「違う」
「違うの?」
「……まあ、それもそうだ」
クロガネは少し黙った。
「だが、本当の問題は『どの能力を食べるべきか』を考えなくなることだ」
僕は首を傾げた。
「食べられるなら食べたほうがいいんじゃない?」
「その考え方では、いつか負ける」
クロガネは森の奥を見た。
「お前より強い犬は、いくらでもいる」
「……」
「相手の能力を全部食べようとすれば、その間に攻撃される」
「じゃあどうするの?」
クロガネは僕を見た。
「必要なところだけ食え」
「必要なところ?」
「そうだ」
クロガネが手を叩く。
「今日から訓練を変える」
「何するの?」
「一匹の犬を倒す」
「今までと同じじゃん」
「違う」
クロガネは笑った。
「今回は、相手の犬現を一つしか食べてはいけない」
「一つだけ?」
「そうだ」
「全部食べちゃダメ?」
「ダメだ」
「ちょっとだけ?」
「ダメだ」
「味見は?」
「ダメだ」
「ペロッとするだけでも?」
「ダメだ」
「……」
僕はしょんぼりした。
「わかった」
「素直だな」
「だって食べていいときまで我慢したら、もっと美味しそうだから」
「そういうところだ」
⸻
最初の相手は、
小型のジャックラッセルテリアだった。
「犬現は【跳躍】」
その犬は僕の三倍以上の高さまで飛び上がった。
「高っ!」
着地。
ジャンプ。
着地。
ジャンプ。
速い。
「どうする?」
クロガネが聞く。
「食べる!」
「どこを?」
「……」
僕は犬を見る。
牙?
違う。
脚?
違う。
毛?
違う。
「……脚」
「なぜ?」
「跳ぶから」
「正解だ」
ジャックラッセルが飛んできた。
僕は待った。
待って。
待って。
ギリギリまで待つ。
そして――
「今!」
僕は横へ飛び、
着地した瞬間の前足に噛みついた。
ガブッ!
かわいそうだから足の皮ちょこっと
いただきもうす
【犬現【跳躍】を捕食しました】
身体の中に力が流れ込む。
僕はその場でジャンプした。
ドンッ!
「高い!」
いつもの三倍くらい飛んだ。
「やった!」
僕は空中で喜んだ。
そして――
落ちた。
ドスン!
「痛い」
クロガネが言った。
「着地を覚えろ」
「……はい」
⸻
次の相手は、
犬現【水泳】。
川の中では圧倒的に速い犬だった。
「どうする?」
「水泳を食べる」
「どこを?」
「……足?」
「違う」
僕は考えた。
水の中を進む。
身体全体を使う。
なら――
「肺?」
クロガネが頷いた。
「正解」
僕は泳いで追いかける。
相手が速い。
追いつけない。
そこで僕は一度、水面へ戻った。
そして息を大きく吸った。
「嗅界」
匂いを探る。
「こっち!」
水中へ潜る。
相手の進路を予測する。
そして――
ガブッ!
【犬現【水泳】を捕食しました】
僕の身体が水中で軽くなった。
「追いつける!」
今度は追いつけた。
そして勝った。
⸻
三匹目。
犬現【毛玉】。
毛が巨大化し、
丸い毛玉になって転がってくる。
「これはどうする?」
「……」
僕は考えた。
正面から噛んでも毛。
横から噛んでも毛。
後ろから噛んでも毛。
「毛を食べる?」
「正解」
「え?」
「本当に?」
「本当にだ」
僕は毛玉に飛び込んだ。
「いただきます!」
ガブッ!
【犬現【毛玉】を捕食しました】
僕の毛が――
ボンッ!
膨らんだ。
「……」
「……」
僕は巨大な毛玉になった。
タロが笑い始めた。
「コロマル……」
ジロも笑う。
「すごい丸い」
「笑うな!」
熊おじは腹を抱えて笑っていた。
「ははははは!」
「熊おじ!」
「すまん!」
全然すまない顔ではなかった。
⸻
修行は続いた。
【跳躍】
【水泳】
【毛玉】
【滑走】
【硬爪】
【遠吠】
少しずつ。
一つずつ。
僕は能力を集めた。
でも、以前とは違った。
むやみに全部を食べなくなった。
必要な能力だけを選ぶ。
そして、
組み合わせる。
跳躍で高く飛び、
疾走で加速し、
白刃で牙を硬くし、
嗅覚で敵の位置を探る。
一つ一つは大した能力じゃない。
でも――
組み合わせると強かった。
ある日。
僕は三匹の犬を同時に相手にしていた。
一匹目は【硬化】。
二匹目は【疾走】。
三匹目は【水弾】。
以前なら、
三匹を見た時点で逃げていた。
でも今は違う。
僕はまず、
一番速い犬を見る。
「疾走」
次に水弾。
「水弾は……遠距離」
そして硬化。
「最後に倒す」
僕は走った。
疾走。
水弾が飛んでくる。
避ける。
硬化犬が突っ込んでくる。
跳躍。
その頭を飛び越える。
着地。
振り返る。
「まず、お前」
疾走犬の足に噛みつく。
ガブッ!
【疾走を捕食】
僕の脚がさらに速くなる。
そのまま水弾犬へ。
「水弾!」
水が飛んでくる。
僕は横へ飛ぶ。
着地。
また飛ぶ。
距離を詰める。
ガブッ!
【水弾を捕食】
口から水が飛び出した。
「え?」
僕自身が一番驚いた。
「使える……」
最後に硬化犬。
正面から突っ込んでくる。
僕も突っ込む。
牙が光る。
「白刃!」
硬化した身体に噛みつく。
ガキン!
一度では無理。
二度。
三度。
そして――
ガブッ!
【硬化を捕食】
三匹が倒れた。
僕は息を切らしながら立っていた。
「……勝った」
クロガネが静かに頷いた。
「今のが戦いだ」
「戦い?」
「ただ強い能力を持っているだけでは勝てない」
クロガネは僕を見る。
「相手を見て、何を食べるか決める」
「そして――」
僕が続ける。
「食べた能力を使って、次の能力を食べる」
「そうだ」
「なんか……」
僕は少し笑った。
「パズルみたい」
クロガネが初めて、嬉しそうな顔をした。
「その感覚を忘れるな」
その日から、
僕は戦い方を覚え始めた。
そして一か月。
僕は犬カウンターを見た。
そこには――
名前 コロマル
種族 犬
犬現 【餌】
捕食能力
【牙強化】
【硬化】
【疾走】
【嗅界】
【毛壁】
【跳躍】
【水弾】
【発熱】
……
まだまだ増えている。
でも、
その一番下に、
以前はなかった項目があった。
【能力合成】
「……なんだこれ?」
クロガネが犬カウンターを見る。
そして、
初めて驚いた顔をした。
「それは……」
「知ってるの?」
「いや」
クロガネは首を振った。
「俺も知らない」
「じゃあ、何?」
クロガネは犬カウンターを見つめた。
「【餌】が成長したことで、新しい能力が生まれたんだ」
「能力合成……」
僕は試しに、
【疾走】と【跳躍】を選んだ。
犬カウンターが光る。
【合成可能】
【疾走】+【跳躍】
【新能力を生成しますか?】
僕はクロガネを見る。
「押していい?」
「待て」
「なんで?」
「何が生まれるかわからない」
「でも、やってみたい」
「危険かもしれない」
「……」
僕は少し考えた。
そして、
押した。
ピコン。
【新能力】
【空中散歩】
「…………」
熊おじが沈黙した。
タロも沈黙。
ジロも沈黙。
クロガネも沈黙。
僕は首を傾げた。
「すごい?」
熊おじが答えた。
「……たぶん」
「どういう能力?」
犬カウンターに説明が出た。
【空中散歩】
【空中を歩けます】
「…………」
クロガネが顔を伏せた。
「お前……」
「なに?」
「ものすごい能力を手に入れたのかもしれない」
「ほんと?」
「ああ」
クロガネが僕を見る。
「だが――」
少し間を置いて、
「お前らしい能力でもある」
僕は空中に一歩踏み出した。
ぽん。
足場がないのに、
僕の前足が空中に乗った。
「歩ける!」
もう一歩。
ぽん。
「すごい!」
三歩。
四歩。
僕は空中を歩いた。
タロが叫ぶ。
「コロマル、飛んでる!」
「違うよ!」
僕は得意げに言った。
「歩いてるんだよ!」
熊おじが呟いた。
「……成長したな」
僕は空中を歩きながら笑った。
一か月前。
僕には何もなかった。
【餌】なんて、
誰も欲しがらない犬現だった。
でも今は違う。
僕は少しずつ、
自分の力で強くなっている。
そして――
その日の夜。
森の外から、
大きな遠吠えが聞こえた。
ウォォォォォォォォン――。
全員が振り返った。
クロガネの顔から笑みが消えた。
「……来たか」
「何が?」
クロガネは答えなかった。
熊おじが立ち上がる。
「クロガネ」
「ああ」
「まさか――」
「そのまさかだ」
森の奥から、
何十匹もの犬の足音が聞こえてきた。
ドドドドドド――。
クロガネが僕を見る。
「コロマル」
「うん」
「修行は終わりだ」
僕は牙を見せた。
「敵?」
「ああ」
「強い?」
クロガネは答えた。
「今まで戦った相手とは、次元が違う」
僕は空中に一歩踏み出した。
そして、
笑った。
「じゃあ――」
お腹が鳴った。
ぐぅぅぅ。
「その前にご飯」
熊おじが叫んだ。
「お前はそればっかりか!!!」
僕は笑った。
「だって、戦うんだから」
僕は初めて、
自分から戦いを楽しみにしていた。




