訓練(1)
早朝。
開店準備を始める前に店の前を掃除していると、慌てた様子でシュトラントの母・エーデが走ってくる様子が見えた。
「おばさん、そんなに慌ててどうしたんだ?」
「ん、あぁヤヌアールちゃん。おはよう」
「おはようございます」
店の前で停止したエーデの手元には、黄色い布で包まれた箱があった。
「シュトラントの奴が弁当忘れて行きやがったんだ。届けてやるついでに軍の方にも顔を出してみようかと思ってね」
「そうだったのか……引き止めてすまない」
「いや……。あ、そうだ。ヤヌアールちゃんも来るかい?」
突然の提案に、ヤヌアールは手にしていた箒をぎゅっと握り締めて驚きを露わにする。
「い、行くって……軍の訓練場は魔王城の一角だろう!? 私なんかが事前の手続きも無く入れる筈……」
「私のツレって言えば大丈夫だろうよ。それに、アインヤールやイェナーだって城の関係者だ。拒まれる理由は特に無いさね」
多分だが、と付け足すように言ったエーデは、半開きになっていたシャッターを潜り抜け、店の奥で作業しているイェナーに声を掛けた。
「ってぇ事だ。ヤヌアールちゃん借りてくよ」
「はぁい。皆によろしく言っておいて〜」
しっかりと話を聞いていた上に、あっさりと許可してしまう母に抗議しつつも、ヤヌアールは引き摺られるようにしてエーデに腕を引かれ魔王城目指して歩き始める。
せめて正装に身を包んで赴きたかった、と若干後悔しつつももう遅い。観念するように、ヤヌアールは溜息をついた。
※※※※※
エーデの言った通り、ヤヌアールも大掛かりな手続き無く魔王城の敷地内へと入る事が出来た。
正門から兵の訓練場へ向かう際にも、沢山の使用人や役人達とすれ違う。
けれど一貫して、すれ違った者達は皆美しかった。
(あの執事中々男前だ……あそこのメイドはとっても可愛い……)
使用人とはいえ、高貴な身分の者に仕える立場。質の良さそうな衣服は勿論、華々しい顔立ちの者が多い印象だった。
反してヤヌアールはというと、雑に括り上げたポニーテールに、動きやすいシャツとミニスカート。そして深い緑色の生地に、黄文字で『花屋 イェナー』と刺繍されたエプロン。正しく平民、といえるような地味な装いだった。
エーデも似たような正しく平民、といえるような服装だが、元々軍に所属していた彼女を知る人は多く、その顔を見るなり頭を下げる人が沢山いる。
「ヤヌアールちゃん、着いたよ」
エーデに言われて視線を向けると、そこには五十人程の訓練兵と思わしき魔物達がいた。皆、指揮官の掛け声に合わせて素振りをしていたり、少し離れた場所では試合も行われているようだ。
煌びやかな城の雰囲気とは一転して、凛々しい声に厳しそうな訓練。ヤヌアールとしてはこちらの方が落ち着けそうだ。
「え、エーデ上官! 御無沙汰しております!」
エーデの姿に気が付いた指揮官が、背筋を伸ばして一礼する。それに対してエーデは肩を竦めながら諭した。
「上官は勘弁しておくれ……私はとっくに軍を辞めてんだから」
「あ、失礼致しました。そちらのお嬢様は」
視線を向けられ、ヤヌアールの背筋も伸びるのが分かった。
「ヤヌアールと言います」
「アインヤールとイェナーの娘だ。美人な子だろう」
「息子さんの口からよく名を聞いております」
「あの馬鹿息子……」
シュトラントがヤヌアールについて何か話したのだろうか。内容が気になるが、頭を抱えているエーデの方が気になってしまい、それ所ではなかった。
「息子の忘れ物を届けにも来たんだが……今大丈夫か?」
「はい。丁度、休憩時間ですから」
「私の時から時間が変わっていなくて良かったよ。それじゃあヤヌアールちゃん。これをシュトラントに届けてやってくれ」
はい、と黄色い布で包まれた箱を手渡されて、ヤヌアールは思わず声を上げてしまった。
「おばさんが渡すんじゃないのか!?」
「ここまで来てボケーッとして帰るのも嫌だろう。それをシュトラントに渡して、私が戻るまで見学でもさせてもらいな。私の方も少し時間が掛かりそうだからね」
「だ、だが……」
「それじゃあ頼んだよ」
そう言い残して、エーデは何処かへ向かって歩き始めてしまう。困ったように指揮官の男性に視線を向けると、彼は苦笑いを浮かべながら言った。
「シュトラントの元へ案内しましょう。付いておいで」
「よ、よろしくお願いします」
少しの緊張感を抱きながら、ヤヌアールは男性の後ろをついて行くのだった。




