炎と災厄の激突
王城を襲った一人の男によって、祝宴は一瞬にして血と恐怖の舞台へと変わった。
逃げ惑う人々。
倒れていく騎士たち。
そして、王族を守るために立ちはだかる一人の男――アイズン。
炎を操る騎士団長と、圧倒的な力を持つ謎の侵入者。
二人の間に言葉はほとんど必要なかった。
剣と拳。
炎と黒い力。
王城そのものを揺るがす激突が、今、始まる。
しかし――
これはまだ、戦いの序章に過ぎなかった。
ガブリエル王は声の限りに叫んだ。
「全員避難しろ! 王子と王女たちを守れ!」
その一言で、大広間は一瞬にして混乱に包まれた。
貴族たちは我先にと出口へ駆け出し、侍従たちは子どもたちを抱えて逃げ惑う。数十人の騎士たちは王の前に立ちはだかり、剣を構えた。
デンジは薄く笑う。
「命令が遅いな。」
その姿が掻き消えた。
――ブォンッ!
次の瞬間には、ガブリエルの目前。
振り上げられた拳が王の頭部へと迫る。
だが、その直前――
ドォォン!!
横合いから灼熱の爆炎が炸裂した。
デンジは軽く後方へ跳び退く。
そこには燃え盛る剣を構えたアイズンが立っていた。
「貴様を王に近づけはしない。」
デンジは初めて興味深そうに彼を見つめる。
「ようやく……。」
「まともに戦えそうな相手が現れたか。」
アイズンは剣を一振りする。
刃に絡みついた炎はさらに勢いを増し、深紅の業火へと姿を変えた。
腰を低く落とし、相手の足運びを鋭く見据える。
対するデンジは両腕をだらりと下げたまま。
まるで戦いなど退屈だと言わんばかりだった。
静寂が流れる。
一秒――
二秒――
そして。
ドォン!!
二人の姿が同時に消えた。
ギィィィン!!
アイズンの剣とデンジの拳が激突する。
衝撃で大広間全体が震え、大理石の床が二人の足元から砕け散った。
アイズンは全身の力で押し込む。
デンジは半歩下がっただけだった。
「悪くない力だ。」
そう呟く。
アイズンはそのまま身体を捻り、剣を大きく一回転させる。
ズバァッ!!
炎の斬撃が空気を裂き、デンジの首元へと走る。
デンジは首をわずかに傾けただけ。
炎は頬をかすめ、数本の黒髪を焼き払った。
直後。
彼の拳が一直線にアイズンの胸へ突き出される。
アイズンは咄嗟に左腕を差し出した。
ドガァン!!
拳は盾へ激突する。
凄まじい衝撃でアイズンは三メートルも吹き飛ばされ、靴底で床を削りながらようやく踏み止まった。
左腕を見下ろす。
盾は大きくひしゃげていた。
(……危険だ。)
そう思った瞬間だった。
デンジの姿が再び消える。
背後。
アイズンは即座に振り向く。
剣を振り下ろし、そのまま斬り上げる。
ギィン!!
再び拳が剣を受け止めた。
だが、その瞬間。
デンジの拳を包み込むように炎が燃え上がる。
「……?」
デンジが眉をひそめる。
アイズンは笑った。
「弾けろ。」
ドォォォォン!!
接触点から巨大な火球が炸裂した。
爆煙が一帯を覆い尽くす。
アイズンは素早く距離を取る。
止まらない。
魔力を剣へ集中させ、そのまま床へ突き立てた。
「火炎魔法――」
真紅の紋様が大理石の床を這うように広がっていく。
「紅蓮地獄。」
次の瞬間。
轟音とともに数十本もの火柱が一斉に噴き上がった。
一本一本が十メートルを超える巨大な業火。
広間全体が炎に飲み込まれる。
天井は崩れ落ち、岩片が雨のように降り注いだ。
息をするだけで肺が焼けるほどの熱。
誰もが固唾を呑む。
騎士の一人が震える声で呟いた。
「……終わった。」
その時だった。
炎の奥に、一つの影が現れる。
デンジはゆっくりと歩み出てきた。
服の一部がわずかに焼け焦げているだけだった。
肩についた灰を軽く払う。
「綺麗な魔法だ。」
顔を上げる。
「だが――」
姿が消えた。
「――弱い。」
アイズンの目が見開かれる。
「速い!」
振り向く。
だが遅かった。
ドゴォォン!!
強烈な蹴りが脇腹を直撃する。
アイズンの身体は吹き飛び、三本の大理石の柱を粉砕した。
それでも剣を地面へ突き立て、無理やり勢いを殺す。
血を吐き捨てる。
それでも笑った。
「肋骨は……折れていないか。」
剣を握り直す。
「よし。」
再び駆け出した。
今度は力任せではない。
足運びが変わる。
一歩ごとに軌道を変え、幻惑するような動き。
右から斬りかかったかと思えば消え、
次の瞬間には上空。
さらに背後へ回り込む。
斬撃が嵐のように降り注ぐ。
キィン!!
ガン!!
ザシュッ!!
ギィン!!
炎と鋼がぶつかる火花が広間を埋め尽くした。
剣速はあまりにも速く、ほとんどの者には目で追うことすらできない。
騎士たちの目には、赤と黒の軌跡が空中で交差しているようにしか映らなかった。
その時――
アイズンがついに隙を作る。
横薙ぎに見せかけた一撃。
しかし最後の瞬間、
刃を下へ流し、そのまま斜め上へ斬り上げた。
ズバァァッ!!
鋭い一閃がデンジの胸を切り裂く。
鮮血が宙を舞った。
デンジは戦闘開始以来初めて後方へ跳び退く。
胸の傷へ視線を落とし、
指先でそっとなぞる。
赤い血が一滴。
彼は微笑んだ。
「ようやく……。」
ゆっくりとアイズンを見据える。
「俺を傷つけたか。」
重苦しい沈黙が流れる。
そして――
その笑みは静かに消えた。
表情から一切の余裕が消え去る。
「なら――」
「次は、俺の番だ。」笑みがデンジの顔から消えた。
ゆっくりと腰を落とし、その目つきが戦いが始まって以来、初めて変わる。
「どうやら……お前を侮っていたようだ。」
胸を伝う血を親指で拭い、その赤い雫を一瞬見つめると、無造作に地面へ弾き落とした。
対するアイズンは荒い息をついていた。
額には汗が滲み、左腕は激しい衝突のせいで震えている。
それでも剣を握る手は少しも緩まない。
薄く笑みを浮かべる。
「……つまり、お前も血を流すんだな。」
デンジは静かに答えた。
「お前のおかげでな。」
静寂が流れる。
そして――
ドンッ!!
二人は同時に地を蹴った。
今度は姿を消さない。
目で追える限界を超える速度でぶつかり合う。
アイズンの横薙ぎ。
デンジは身を沈めてかわす。
アイズンの膝を狙った蹴り。
後方へ跳躍。
振り下ろされる剣。
デンジは手首に隠していた短剣を引き抜いた。
キィィィン!!
鋼と鋼が激しく火花を散らす。
デンジは剣を弾き飛ばし、その勢いのまま半身を回転させ、肘をアイズンの顔面へ叩き込む。
アイズンは肩で受け止めた。
ドッ!!
一歩後退する。
だが体勢を立て直すより早く、剣を身体に沿って回転させ、デンジの脇腹へ斬り込む。
デンジは後ろへ跳んだ。
しかし剣先はローブの裾を裂き、腰に浅い傷を刻んだ。
デンジは笑う。
「いいな。」
アイズンは息を切らしながら言う。
「お前は……ここを通させない。」
アイズンは左手を掲げた。
目の前に小さな魔法陣が幾重にも浮かび上がる。
「炎魔法――」
五つの火球が異なる速度で放たれた。
その軌道はデンジではない。
彼を取り囲むように散開する。
デンジは素早く視線を巡らせる。
「陽動か?」
アイズンは口角を上げた。
「――弾けろ。」
ドォン!! ドォン!! ドォン!!
まず三つの火球が炸裂する。
デンジは炎の隙間を縫うように跳び抜けた。
しかし残る二つが背後で同時に爆発した。
爆風が直撃する。
デンジの身体は数メートル前方へ吹き飛ばされた。
アイズンはその一瞬を逃さない。
剣身へ炎を集中させる。
刃は白く輝き、灼熱の光を放った。
「流星の炎ッ!!」
凄まじい速度で踏み込む。
一直線の刺突。
デンジは二本の短剣を交差させて受け止めた。
ガァァァン!!
衝撃が大広間を震わせる。
デンジの足は二メートルも後方へ滑り、床には深い亀裂が走った。
デンジはアイズンを見上げる。
「これが、お前の最強の一撃か?」
アイズンは笑った。
「……いや。」
次の瞬間――
アイズンの蹴りがデンジの胸を打ち抜く。
デンジの体勢が崩れる。
アイズンは半回転しながら剣を振り抜いた。
ザシュッ!!
刃がデンジの肩を深く切り裂く。
今度は鮮血が勢いよく飛び散った。
デンジは痛みに眉をひそめる。
だがそのままアイズンの手首を掴んだ。
「捕まえた。」
強烈な蹴りがアイズンの腹部を狙う。
アイズンは身体をひねった。
直撃は免れたものの、脇腹を蹴り飛ばされる。
それだけで――
数メートル吹き飛び、王族用の長机へ激突した。
机は粉々に砕け散る。
アイズンは苦しげに立ち上がった。
荒い呼吸。
口元から血が伝う。
一方のデンジは、血を流し続ける肩を押さえていた。
「久しく……」
「ここまで傷を負わされたことはなかった。」
短剣を床へ放り投げる。
そしてゆっくりと右手を掲げた。
濃密なマナが腕へと集まり始める。
空気が震えた。
アイズンはすぐにそれを察知する。
「魔法……!」
デンジは静かに笑う。
黒いマナが全身を包み込み、禍々しく渦を巻く。
アイズンは剣を握る力をさらに強めた。
戦いの本当の地獄は――今、始まろうとしていた。
大広間は、もはやかつての姿を残していなかった。
砕けた大理石。
崩れた柱。
燃え続ける炎。
そして、床に滴り落ちる二人の血。
アイズンは傷だらけになりながらも、剣を握り続けていた。
対するデンジもまた、肩から血を流している。
これまで余裕を崩さなかった男の表情から、ついに笑みが消えた。
濃密なマナが、彼の身体を包み込んでいく。
空気そのものが震え始める。
アイズンはその異様な力を前にしても、一歩も退かなかった。
「……来い。」
剣を構える。
デンジは静かに彼を見つめる。
そして――
王城を揺るがす、本当の死闘が始まろうとしていた。




