血に染まる祝宴
王都が祝福に包まれた日。
白と緑の旗が風に揺れ、王城には各地から貴族たちが集まっていた。
誰もが、この日を新たな王と王妃の誕生を祝う日だと信じていた。
だが――
華やかな祝宴の裏側で、運命はすでに牙を剥いていた。
祝福の声が響くその場所へ、一人の男が現れる。
そして、その瞬間から――
王国の歴史は、血に染まることになる。
――六日後。
ついに、その日がやって来た。
夜明けから王都は、ここ数年で最も華やかな賑わいに包まれていた。
白と緑の旗が街中を彩り、
道の両脇には色鮮やかな花々が飾られている。
人々は沿道に並び、王国各地から訪れる貴族たちの行列を見守っていた。
豪華な馬車が次々と王城へ入っていく。
王国騎士団は城内外のあらゆる場所へ配置され、
一瞬たりとも警戒を緩めてはいなかった。
◇ ◇ ◇
王城、大広間。
数十ものクリスタルシャンデリアが天井を照らし、
その光は磨き上げられた大理石の床へ美しく映り込んでいる。
巨大な柱には古代の紋様が刻まれ、
白いカーテンが夕風に静かに揺れていた。
王宮楽団が穏やかな旋律を奏で、
貴族たちは談笑を交わしながら式の始まりを待っている。
広間の一角では――
ササキがアイゼンの隣に立っていた。
近衛兵の正装に身を包み、
右手は自然と剣の柄へ添えられている。
アイゼンは前を見たまま、小さく口を開いた。
「よく聞け、ササキ。」
「はい。」
「今日は、ただの結婚式じゃない。」
ササキは彼を見る。
アイゼンは低い声で続けた。
「今日、この国の未来の王と王妃が決まる。」
「つまり、暗殺者や敵対組織にとっては絶好の機会ということだ。」
ササキの表情が引き締まる。
「……つまり。」
「目を離すな。」
「少しでも不審な動きがあれば見逃すな。」
ササキは胸へ手を当てた。
「了解しました。」
◇ ◇ ◇
やがて執事長が広間の中央へ進み出る。
杖を床へ打ち鳴らした。
コンッ――
一瞬で会場が静まり返る。
執事長は高らかに告げた。
「皆様――」
「王位継承者のお二人をご入場ください。」
巨大な扉がゆっくりと開いた。
最初に姿を現したのはティッシュ。
青い刺繍が施された純白の礼装をまとっている。
その隣には――
アイシャ。
裾を長く引く純白のドレス。
銀色のティアラが金色の髪を美しく彩っていた。
まるで一枚の絵画のような美しさだった。
その姿に、参列者全員が立ち上がる。
二人は静かに壇上へ歩みを進めた。
広間に響くのは、
大理石を踏む足音だけ。
参列者の中には、
十六歳の第三王女ニーナ。
水魔法の使い手。
その隣には、
十四歳の第四王子ユーミ。
王家で二人目となる風魔法の継承者。
さらに、
十歳の末姫フレイラは、
嬉しそうに目を輝かせながら式を見つめていた。
やがてアイシャとティッシュは祭壇へ辿り着く。
司祭が二人の前へ進み、
古びた魔法の巻物を掲げた。
厳かな声が響く。
「両名、前へ。」
巻物がゆっくり開く。
淡い青い光が溢れ出した。
「この契約へ、魔力の印を。」
ティッシュが先に手を伸ばす。
指先が巻物へ触れると、
青い紋章が浮かび上がった。
続いてアイシャ。
一瞬だけ躊躇する。
それでも静かに手を伸ばした。
触れた瞬間、
風を思わせる緑色の紋章が現れる。
巻物はひとりでに宙へ浮かび、
幾重もの光の輪が広間全体へ広がっていった。
司祭は穏やかに微笑む。
「王国の法のもとに。」
「ここに集う皆の証人のもとに。」
「両名を正式な夫婦として認めます。」
その瞬間、
大広間は盛大な拍手に包まれた。
国王ガブリエルが笑みを浮かべる。
「おめでとう。」
あちこちから祝福の声が響く。
だが――
その歓声の中で、
アイシャだけは、たった一人の姿を探していた。
そして見つける。
広間の端に立つササキ。
二人の視線が静かに重なる。
ササキは何も言わず、
ゆっくりと目を伏せた。
アイシャは小さく微笑む。
けれど、
その瞳には隠しきれない悲しみが宿っていた。
――その時。
ドォォォォォンッ!!
凄まじい轟音とともに、
正面の大扉が粉々に吹き飛んだ。
木片と鉄片が広間中へ飛び散る。
拍手が止まる。
静寂。
立ち込める土煙の中から、
一人の男がゆっくりと姿を現した。
足取りは静かだった。
しかし、その一歩一歩が災厄そのものを連れて来るようだった。
男はゆっくり顔を上げる。
冷たい笑みが浮かぶ。
デンジ。
まるで旧友を訪ねてきたかのように、
広間をゆっくり見渡した。
そして穏やかな口調で言う。
「ちょうどいい時間に来られたみたいだ。」
一度言葉を切る。
笑みがさらに深くなる。
「新しい王と王妃に――」
「祝いの言葉を伝えに来ただけさ。」場に静寂が満ちた。
音楽は止んだ。
誰もが笑みを凍りつかせる。
砕け散った門からは、なおも土煙が立ち上っていた。その中央にデンジが立っている。肩についた埃を軽く払い落とすその姿は、まるで王国でもっとも厳重に守られた大広間の門を破壊したばかりとは思えなかった。
一人の騎士が剣を抜き放ち、怒鳴る。
「貴様ッ! 何者だ!?」
デンジは興味なさそうに視線を向けた。
「俺が誰か、だって?」
皮肉な笑みを浮かべる。
「ただの通りすがりさ……祝いの言葉を伝えに来ただけだ。」
「この下郎がッ!!」
騎士は雄叫びを上げ、剣を頭上高く振りかぶって突進した。
「はあああっ!」
デンジは半歩だけ身を沈める。
剣は彼の頭上をかすめることすらなく通り過ぎた。
その瞬間――
デンジは右腕を持ち上げた。
ガシッ!
騎士の手首を強く掴む。
そのまま軽く身体を捻ると――
ドォン!!
騎士は大理石の床へ叩きつけられ、床面には無数の亀裂が走った。
息を整える間もなく――
デンジは足を振り上げる。
ドゴッ!!
強烈な蹴りが騎士の腹部へめり込み、鮮血を吐き出した。
剣が手から滑り落ちる。
デンジは身をかがめ、それを拾い上げた。
指先で一度くるりと回し――
微笑む。
「悪くない剣だ。」
その瞬間、三人の騎士が一斉に飛びかかった。
「奴を討て!!」
一人は右から。
一人は正面から。
そしてもう一人は背後へ回り込む。
だが次の瞬間――
デンジの姿が消えた。
騎士たちの目が見開かれる。
「どこへ――!?」
彼は最初の騎士の背後に立っていた。
剣を一閃。
ザシュッ!!
騎士の首が宙を舞う。
胴体が崩れ落ちるより早く、
デンジは振り返ることもなく剣を後ろへ突き出した。
ドスッ!!
刃は二人目の胸を完全に貫いた。
騎士は、自らの背中から突き出た剣先を呆然と見つめる。
そのまま力なく崩れ落ちた。
残る一人は槍を構え、絶叫する。
「死ねぇぇぇ!!」
デンジは剣を手放した。
槍が一直線に迫る。
しかし、その穂先が届く寸前――
彼は素手で槍を掴んだ。
勢いは完全に止まる。
ギリッ――
握る力が強まる。
パキ……パキッ!!
槍は真っ二つに砕け散った。
デンジは一歩踏み出す。
騎士の胸に手を添え――
「さようなら。」
ブシュッ!!
その手は鎧も肉も骨も一瞬で貫き、
背中から突き抜けた。
彼の手には、なお脈打つ心臓が握られていた。
静かに引き抜く。
騎士はその場に崩れ落ち、息絶えた。
その光景に、居合わせた者たちは恐怖のあまり後ずさる。
歴戦の騎士たちでさえ、顔を青ざめさせていた。
一人が震える声で呟く。
「化け物だ……」
「人間じゃない……」
そのとき――
王国の聖女が静かに前へ進み出た。
純白の長衣をまとい、黄金の光を放つ聖杖を手にしている。
彼女は目を閉じ、杖を天へ掲げた。
厳かな詠唱が響く。
「闇を浄化する天の光よ――」
「決して消えることなき正義の炎よ――」
「我が呼びかけに応え――」
「その輝きを地上へ示したまえ――」
「聖なる断罪の術――」
「天光の槍!」
大広間の上空に、眩い光が渦巻く。
やがてそれは、巨大な光の槍となって姿を現した。
凄まじい速度でデンジへ降り注ぐ。
だが彼は、ただ微笑んだだけだった。
ゆっくりと片手を上げる。
パシン。
それだけだった。
光の槍は彼の掌に触れた瞬間――
進行方向を完全に反転させる。
聖女の瞳が大きく見開かれた。
「そんな……!」
ドゴォォォォン!!
光の槍は騎士たちの隊列の中央で炸裂した。
無数の身体が吹き飛び、
石柱は粉々に砕け散る。
大広間は血と絶叫に包まれた。
聖女は膝をつく。
鼻と口から血が流れ落ちる。
呼吸は乱れ、
震える手で杖を構えた。
「来ないで……!」
魔法を放つ。
デンジは片手で弾き返した。
「来ないで!」
二発目。
防がれる。
「来ないで!」
三発目。
四発目。
五発目。
彼は一定の歩調で彼女へ近づいていく。
放たれる魔法は、その掌に触れた瞬間、すべて砕け散った。
魔法を放つたびに、彼女の残された魔力は急速に尽きていく。
やがて目からも血が流れ始めた。
デンジは彼女の前で立ち止まる。
聖女は恐怖に震え、
涙を浮かべて彼を見上げた。
「お願い……」
デンジはしばらく彼女を見つめ、
冷たく言い放つ。
「哀れだな。」
その瞬間、
彼女の手は力を失った。
杖が指の間から滑り落ちる。
瞳から光が消えた。
魔力を完全に使い果たした彼女は、
その場に座ったまま静かに息絶えた。
重苦しい沈黙が場を支配する。
まるで空気さえ動きを止めたかのようだった。
その瞬間――
その場にいた誰もが、一つの事実を理解する。
彼らの前に立つ敵は――
決して容易に打ち倒せる存在ではないのだ。
大広間には、もはや祝福の声はなかった。
床を染める血。
崩れ落ちた騎士たち。
砕け散った柱。
そして、誰も止めることのできない一人の男。
デンジは静かにその場に立っていた。
彼にとって、ここで起きたことは戦いですらなかった。
ただの――
一方的な虐殺だった。
そして誰も知らない。
この日、王城で流れた血が――
やがてゼフィリア王国そのものを覆い尽くす、巨大な悲劇の始まりに過ぎなかったことを。




