森の中の出会い
死の森を進むカイレンを待っていたのは、罠だけではなかった。
草に隠された穴。
身体を癒やす魔法植物。
そして、空から襲い来る巨大な鳥。
一歩先に何が待っているのかさえ分からない森の中で、カイレンは生き残るために慎重に進んでいた。
そんな彼の前に現れたのは、一人の少女だった。
番号で呼ばれていた少女――76。
彼女がカイレンを追っていた理由。
そして、彼女が失ったもの。
二人は森の中で、初めて互いの名前を知る。
少女の名は――ミラ。
番号ではなく、一人の人間として呼ばれることを望んでいた彼女にとって、その名前を呼ばれることは、忘れていた何かを取り戻す瞬間だった。
しかし――
二人が出会ったこの森には、まだ数え切れないほどの危険が潜んでいる。
そして、二人の前に待ち受ける試練は、これからさらに過酷になっていく。
――――――――――
草は高く伸びていた。
カイレンはそれを飛び越える。
ピョンッ!
そして着地。
その時、何かに気づいた。
足を止める。
地面を見る。
そこには、草に完全に隠された穴があった。
「……普通に歩いてたら、落ちてたな」
カイレンは慎重に走り始める。
そのすぐ後ろでは――
76も走っていた。
カイレンは彼女の気配に気づく。
「……俺についてきてる?」
速度を上げる。
76も速度を上げた。
「なんでついてくるんだ……?」
さらに走る。
数分後――
76の姿が見えなくなった。
カイレンは足を止める。
周囲を見渡す。
「……よし」
息を整える。
「撒いたな」
そして頭を掻く。
「そもそも、なんで俺を追ってきたんだ……?」
再び歩き始める。
しばらくすると、小さな植物が目に入った。
緑色の葉を持つ植物だった。
カイレンはそれを見る。
「腹減った……」
近づく。
「食べられるかな?」
摘み取る。
そして――
口に入れた。
……
一秒。
二秒。
カイレンの顔色が変わる。
「……」
そして――
「うげっ!」
その場で身体を折り、吐き出した。
「なんだこれ!?」
口元を拭う。
「このクソまずい味を、喉から追い出したい……!」
すると、少し違う植物が目に入った。
近づく。
「……もしかして、こっちは」
口に入れる。
そして――
「……?」
自分の手を見る。
突然、身体が軽くなった。
疲労が消える。
脚の痛みも、ほとんどなくなっていた。
「身体が……軽い」
植物を見る。
「これが治癒草か……」
カイレンはその形を頭に刻み込んだ。
そして、再び歩き始める。
頭上を――
巨大な影が通り過ぎた。
カイレンは空を見上げる。
巨大な鳥が何羽も、木々の間を飛んでいた。
カイレンは、厚く茂った葉の下を歩くことにした。
カサ……カサ……。
その時――
音がした。
カイレンが足を止める。
後ろを見る。
巨大な鳥が、まっすぐこちらへ突っ込んできていた。
大きく嘴を開く。
「ギャアアアア!」
カイレンは固まった。
「ま、待て!」
目を閉じる。
ズドン!
目を開ける。
そこには、一人の少女が立っていた。
76だった。
彼女は片手に剣を握り、鳥の攻撃を受け止めていた。
鳥は弾き飛ばされ、そのまま空へ逃げていく。
カイレンは地面に尻もちをついた。
76が手を差し出す。
「大丈夫?」
カイレンはその手を掴む。
「だ、大丈夫……」
立ち上がる。
そして彼女を見る。
「なんで俺を追ってきたんだ?」
「……ただの勘」
「勘?」
「あなたと一緒にいたほうが、ここを生きて抜けられる可能性が高いと思った」
剣を見る。
「私は……ここで死にたくない」
カイレンは頷いた。
「なるほど」
そして、少し笑う。
「追いかけてくるんじゃなくて、言ってくれればよかったのに」
76が止まる。
「……え?」
カイレン。
「怖かったんだよ」
彼女は驚いた顔をする。
「……そんなに簡単に受け入れてくれるとは思わなかった」
「まあ……」
「よかった」
カイレンは彼女の剣を見る。
「その剣、どこで手に入れた?」
「兵士が子供たちの対応に気を取られている隙に盗んだ」
「なるほどな」
そして尋ねる。
「名前は?」
「76」
「そういう意味じゃない」
彼女が彼を見る。
「……どういう意味?」
「本当の名前だよ」
沈黙が流れた。
彼女は言った。
「私には……もう、この番号が名前だって言われた」
カイレン。
「そんな奴らの言うこと、気にするな」
彼女は彼を見る。
「誰にだって、自分だけの名前がある」
「でも……誰も私の名前で呼んだことがない」
「……どういうことだ?」
彼女はうつむいた。
「私が生まれて、すぐの頃に家族が死んだ」
一度、言葉を止める。
「それから孤児院で育ったけど……誰も私の名前を呼ばなかった」
「みんな私のことを……『お前』とか……」
少し笑う。
しかし、その笑顔は悲しかった。
「もっと酷い言葉で呼ぶ人もいた」
カイレンは黙っていた。
そして、静かに言う。
「……辛かっただろうな」
彼女が顔を上げる。
「でも、気にするな」
「君は君だ」
「誰が何と呼ぼうが関係ない」
「本当の名前は……ずっと君の名前だ」
少女は後ろを向いた。
「……そうなんだ」
そして、小さな笑顔を浮かべる。
「ありがとう」
カイレン。
「どういたしまして」
そして、もう一度尋ねる。
「それで……名前を教えてくれるか?」
彼女は黙った。
「……」
「私……」
ゆっくりと息を吸う。
「私の名前は――」
そして、告げた。
「ミラ」
カイレンは笑った。
「ミラ?」
「いい名前だな」
ミラは慌てたように顔をそらす。
カイレン。
「今度はどうした?」
ミラは小さく笑った。
「もう、その話はいいから」
そして彼を見る。
「あなたは?」
「俺はカイレン」
ミラは微笑んだ。
「カイレン……」
「いい名前ね」
カイレンは固まった。
「……今、俺が言ったことをそのまま返したか!?」
ミラは笑った。
「ミラ」
その名前を口にした瞬間、少女はもう「76」ではなくなった。
誰かに与えられた番号ではない。
誰かに呼ばれることを許されなかった名前でもない。
それは、彼女自身の名前だった。
死の森という過酷な場所で出会った二人。
カイレンとミラ。
互いの名前を知ったことで、二人の間には小さな絆が生まれた。
しかし――
森は、そんな二人を待ってはくれない。
濃い霧の向こうには、まだ未知の魔物たちが潜んでいる。
そして、この森で生き残るためには――
誰かを信じることさえ、命懸けの選択になる。




