表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
146/309

138 危険な草原


 さらに下り続けた。


 もう一度粘体生物(スライム)が出て停止した以外は、ひたすら移動し続ける。


 太陽が西へ傾き、もうじき、白銀の峰の向こうに姿を消すだろう。


 休憩抜きでひたすら下山させられても、文句を言う者はほとんどいなくなった。

 このまま夜になってしまい、この濡れた山道で闇に包まれる方がよほど危険だと誰もが体でわかっている。


 ……人を殺せる生物が襲ってきたというのは十分に重大事件のはずなのだが。

 カルナリアは自分の感覚がわずか数日で大きく変化していることを実感した。

 誰も傷つかず片づいたのなら、それ以上気にする必要はないという『常識』が身についてきている。


 それよりも下った先に湖と草原、村――すなわち平地と建物があるというのが重要で、誰もが危険生物のことなどすぐ頭から追い払って、濡れて滑る山道をひたすら降り続けた。






 木々の向こうに、輝く湖面が同じくらいの目線で見えるようになってきた。


 汚泥の海とのきらめきの差に、カルナリアは感動する。


 この様子なら、あと少しで険しい山道は終わり、平地に踏みこめそう。


 降りてきた山を振り向いた。


 あれ以来、怖い気配は特に感じない。距離を空けてくれているのだろうか。


(ご主人さま…………)


 今夜は、まず間違いなく、フィンは側に来てくれない。


 モンリークを治した後、隣に座ってくれた時に身をもたせかけた、あれが今日最後の接触になってしまった。


 自分を支えてくれて、色々と美しい夢を見せてくれた。


 あの幸せな時間は、この先しばらく味わえない……。


 カルナリアは寂しく目を伏せた。






「おおっ!」


 客たちが声をあげた。


 ついに、木がなくなったのだ。


 広々とした草原。その向こうに湖面。いくつかの建物。

 そして煙も見えた。

 つまり、人がいる。


「客ども、集合!」


 だがそこへ降りる直前に、ゾルカンが声をあげた。


 休憩ではなく――説明と、警告だった。


「これから、下へ降り、あの湖の近くへ行くが!」


 自分たちがいるのは、草原という海に突き出た岬のような岩場の上である。ちょっと降りればもう平らな緑の地面。

 偵察隊が先に降りて、草の中を扇のように広がって進んでゆくのが見えた。豹獣人ギャオルに、犬獣人のガンダもいた。


「降りた先、この見える限りの平らな土の中には、血吸(チスイ)(アリ)どもが巣くっている。

 アリというが、普通のやつじゃねえ、素早く、硬く、鋭い歯を持っている。脚も強く、膝ぐらいの高さまで跳ねてくる。

 一滴でも、いいか、ほんの一滴、指の先を切っただけでも、人間の血が流れたら、すぐに地面から湧いてきて、群がってくるやつらだ。

 血を流したやつに群れでかじりついてきて、あっという間に骨にされる。骨の中まで食らい尽くされるぞ」


 言葉が染みこむと、客たちは顔色をなくして草原を見た。


「だから、絶対に、絶対にだ、()()()、血を流すな!

 流した場合、すぐそいつから離れろ! 親子でも主従でも容赦なく、だ!

 血吸蟻は、かぎつけるだけでなく、実際に人に食らいつくと、群れ全体が興奮して、出血したやつの近くにいるやつにも襲いかかってくるからな!」


「そ、そんなのがいるところで休むんですか!?」


「あそこに建物があるだろう。あいつらは水を渡ろうとしない。周囲に堀をめぐらしてあるのであそこは安全だ。岩の上にもあいつらは出ない。つまりここ。水の上、あの浮かんでるところも大丈夫だ」


 上から見えた、湖面にいくつも浮かんでいた平べったいものは、安全に休むための水上住居であるらしい。


「そしてもうひとつ――いいか、よく聞け。

 あそこには、人がいる。

 あちこちから、俺たちが運んでくるものを目当てに、集まってきてる。

 そいつらにとっては、客のお前らもまた、持ってきてくれた荷物にしか見えてねえ。

 話はつけてあるが、何やらかすかわかんねえのが人間ってやつだ。

 特に今回は特別だ。俺たちより客人の方が多いなんて、めったにあることじゃねえ。

 俺たちもできるだけ守るが、手が足りねえ。お前ら自身で、くれぐれも、用心してくれ。

 絶対に油断するな。

 持ってるものを見せびらかすな。

 金なんかよりも、ここじゃ刃物や道具が狙われやすい。よくある手口は、遠くから弓矢か何かで攻撃してきて、血を流させる。そして蟻に食いつくさせてから、残った金属類をいただくってやり方だ。使えそうなもの持ってると思われただけでやられかねない。

 思い当たるもの持ってるやつ、くれぐれも見せつけるな。できるだけ隠しておけ。話しかけてきて、何持ってるか聞き出そうとしてくるだろうが、絶対に漏らすな」


 戦慄のうなりがいくつもの口から漏れた。


「その(アリ)って、何が効きますか? やっちゃいけないやり方があったりしますか?」


 ファラが問うた。


「そうだな、火で(あぶ)れば死ぬことは死ぬ。だがそんときは大抵、肌に食いつかれてるからな。群がられた時は、水の方がいい。水袋の水ぶっかける程度じゃなく、あの湖に飛びこむぐらいのことしなきゃならねえが。

 他は――毒とか、油とか、何か効くのがあるのかもしれねえが、今まで試してみたやつはみんな、効果があるのかどうかわかる前に骨にされちまってて、結局のところ全然わかってねえ。試そうとはしないでくれよ」


「わかりました」


「オレからもいいか」


 レンカが手をあげた。


「人に攻撃された場合、反撃していいのか? 血はともかく、ここで人が人を殺すとどういうことになる?」


「どうもならん」


 ゾルカンは答えた。


「ここには、下界みたいな法律なんてもんはねえ。裁くやつなんかいねえ。やったもん勝ちだ。

 だが、やったせいで恨まれて、その後ずっと俺たちがつけ狙われるようになるのはごめんだ。だから場合によっては、やったやつを相手に引き渡すこともあり得る。その辺は考えて動いてくれ」


「わかった」


「お前、くれぐれも、血を流すなよ」


 前科ゆえに、レンカは厳重注意された。


「そ、そうだぞ、二度と、あのような真似をするでないぞ!」


 モンリークが便乗してわめいたが――。


「馬鹿が、馬鹿な真似しなければな。ここでなら、まだいいんだよな」


 レンカが鋭くにらむと、押し黙った。


「他にあるか? よし、じゃあ行くぞ。真っ平らに見えて、けっこうデコボコしてやがるから、足元に気をつけるんだぞ。

 それから、万が一に備えて、それぞれ離れて、距離を取って進め」


 誰かが蟻にたかられても被害が最小限ですむように、という意味なのは皆が理解して、重たいため息が漏れた。


 隊列が組み直され、亜馬はまたひとつにまとめられた。

 またがっているゴーチェとファラはその最後尾となる。


 今までと違い、女性班が、客たちの先頭とされた。

 亜馬と一緒に目を配れるから、ということのようだ。


 丸一日ぶりに、パストラとカルリト、アリタと顔を合わせた。

 みな、あのご主人さまのものであるカルナリアに対して、おびえていた。

 もうじき訪れる夜を思うと気が滅入る。


 できるだけ女性とわからないように、フードとマントをしっかりかぶり、それぞれの夫たちとも離れるよう言われた。男性と並ぶと体格で判別されやすいからと。

 ファラやエンフも、これまでのように見た瞬間に女性とわかる状態ではなくなった。


 案内人たちに確認してもらってから、移動再開。


 蟻の気配を感じるのか、亜馬たちが落ちつかなくなり、牛獣人たちが縄で強く引っぱりながら草原へ降りていく。


 それぞれが距離を開けた状態で、カルナリアも坂を下り、草を踏んだ。


 久しぶりの平地だ。


 足を受け止める地面はやわらかく、これまでひたすら山道を移動し続けた後では実に気持ちいい。


 一歩ごとに足にかかる負担もまったくない。

 体が軽く感じる。

 人がもっぱら平地に住み街を作る理由が体でわかってしまう。


 周囲は、空の色こそ変わりはじめているが、草が風にそよぎ、湖面はまだきらきらと輝いていて、のどかにすら感じる光景だ。


 つい腕を大きく広げて伸びをした。


 同じ広い空間でも、あの汚泥の上はなんとひどかったことか!


 ここは、生命に満ちている。


 足の下に恐ろしい虫がひそんでいるというが、それはともかく、たまらなく爽快だった。


 同じ気分であるらしく、少し離れた所にいるレンカも同じように腕を広げていた。


 目が合って、笑いかけると、不機嫌そうにぷいっと顔をそむけられた。


「これは、やばいっす……みんなには悪いけど、降りたくないっす……」


 しかし、亜馬にまたがるファラは、杖を握りしめて緊張していた。

 足が地面につかないように大きく折り曲げている。


「やっぱり、いるのか?」


()()()()


 グライルの生き物は魔力に寄ってくるというが、ファラは相手にそれを感じさせずに色々探知することができるのだろう。


「?」


 先を行く亜馬が変な上下動をした。


 ファラもいきなり揺られて「ぎゃん!」と叫ぶ。


 自分もそこへさしかかると、地面がへこんでいた。

 ほぼ円形に。

 大きめの寝台ぐらいの面積。(ふち)はほぼ垂直。

 足首程度の深さで、中には雨水がたまっていた。


 亜馬はともかく、人は迂回して進む。


石人(いしびと)の足跡だ。あちこちにある。転ぶんじゃないぞ」


 確かに、草原のあちこちに、そのような丸い跡があった。

 でこぼこが多いというのはこれのことだろう。

 水がたまっているものもあり、流れ出ているものもあり、草で隠れているものも多く、避けるのがけっこう大変だ。


 これが足跡だとすれば、石人というのは、かなり大きい。

 しかも重たく、硬い。


 こんな足跡を残すものが集団でやってきたのでは、確かに人の力ではどうすることもできなかっただろう。


「オーーーーーイ!」


 隊列の先頭の案内人が声を張り上げた。


 行く手の、村の方に人の姿がいくつも現れ、手を振ってきた。

 そちらからも声がした。


「止まれ」


 ゾルカンの指示で、みな停止する。


 こちらの人数がかなり多いので、村に入るにしても、場所の割り当てを先に決めなければならないようだ。


 そして――それを待っている間の今は、狙われやすいということはカルナリアでもすぐわかった。


 案内人たちが強く警戒し、周囲へ鋭く目をはしらせている。


「ガァァァァッ!」


 豹獣人のギャオルの声、いや吼え声がした。


 草の中を、まさに豹のように突っ走ってゆく。


「うわああああっ!」


 草の中に伏せていたらしい男が二人、飛び上がって、村の方へ逃げていった。

 服装は粗末だった。


「下見だね、ありゃ。荷物、人数、特に女がいるかどうか」


 エンフが不快そうに鼻を鳴らした。


「あれが、前におっしゃっていた、その……ろくでなしさんたちなのですか?」


「いや。村であたしらを待ってるやつらだね。あれでも真っ当な連中の方さ。それなりに何かを集めたり掘り出したりしてて、あたしらと取引するからね。ろくでなしどもは、そういうのもなしで、一方的に襲ってくる」


「…………」


「真っ当といっても、連中にとっちゃ、あたしらが来るのは女と触れる貴重な機会だからね。舞い上がってああいう真似をするやつはよく出るんだよ」


 その後、少し考えてから、エンフは言った。


「お嬢ちゃんや他のみんなも、いいかい、ここにいる間に()()()()を見るかもしれないけど、騒いだり、言いふらしちゃいけないよ」


 よくわからなかったが、うなずいておいた。




久しぶりの平地。ようやく到着したのどかな景色。だがこれまでのどんな場所より危険。これからその上で一夜を過ごすことになるが、何が起きるのか。次回、第139話「湖畔の村」。暴力表現少しあり。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ