139 湖畔の村
80万文字到達。原稿用紙2000枚。我ながらよく書いてきたものです。でもまだまだ続きます。
待たされている間に、空の色が夕方のそれに変わってきた。
赤みを帯びた空の下、ようやく村へ入る許可が出る。
村は、ゾルカンが言っていた通り、湖の水を引きこんだ堀で囲まれていた。
幅はそれほどではなく、跳躍力のある者なら飛び越えるのは難しくない。だが蟻よけにはこれで十分なのだろう。
入り口にあたるところは、浅く、広くなっていて、底には白い石の板が敷き詰められていた。
川ではないので水はほとんど動いていない。
「アリがついてねえか、よく確かめて、洗い落としてから入るんだ」
白いのは、黒い粒である蟻がよく見えるようにだろう。
まず案内人たちが入り、洗い、それから総出で亜馬たちに群がり、水の中でその脚回りをよく確かめる。
「いたぞ!」
二匹ほど、ついていたようだ。
水に浮いた粒を、木のへらのようなものですくいとる。
「客人ども、よく見ておけ。こいつだ」
回されてきた。
黒くて小さな虫だ。蟻とは言われているが確かにかなり違っていて、丸っこい胴体をして、後ろ脚がやたらと長く、水から逃れようとしてかしきりに動いている。よく跳ねそうだ。
無数のこれにたかられ、食われると思うと、血の気が引く。
客たちはみな、待っている間に自分の足まわりをよく確かめた。
亜馬たちが入ると、いよいよ客たちの番。
「できるだけ、声を出さないように。女の声ってだけでやつらを刺激するからね」
女性班。
カルナリアも水中に靴を差しいれた。
幸い、自分にも他の者たちにも、ついてはいなかった。
だがその間、ずっと、視線を感じた。
村の中から、かなりの興味を持って見られている。
姿を現している者が二十人ほど。
いくつかある家の中にも気配がある。
そのほとんどが、こちらを見てきていた。
「四人もいるぜ……」
「たまんねえ……」
声が聞こえた。あからさまに指さし数えている者がいた。エンフ、ファラ、パストラ、アリタで四人。トニアはどこにどういう姿でいるのか相変わらずわからない。
「小さいの三人、ありゃどっちだ?」
「女かなあ。女であってくれねえかなあ」
怖気がはしり、そちらに顔を向けないように気をつけた。
フィンがとにかく自分の姿を隠す気持ちが痛いほどにわかった。
「こっちだ」
男の案内人が招いた。
女班とは言わず、エンフも声を出さず、濡れた足跡を作りつつ村に入っていった。
石造りの家が建っていたところを、一度壊され、残った土台や壁を利用してまた屋根をかけた、きちんとしている部分と適当な部分がおかしな具合に組み合わさった「家」が、十軒ほどあるという「村」だった。
大きな建物は見当たらない。
前のものを再利用したのとは別に、すべて木造の建物がいくつかある。
湖面に張り出している丸木の小屋もあった。
桟橋があり、その向こうには、丸木を組み合わせた筏の上に天幕を張ったような、水上住居がいくつもあった。
「お前たちはここ。できるだけ外に出るな」
女性班は、最も奥まった「家」に入れられた。
今回、この隊が使える「家」は三軒だという。
大半の客は水上住居。
門番を兼ねて、案内人たちはほとんどが路上に天幕を張ってそこで過ごすことになるそうだ。
「何だと! この私に、平民どもと同じ場所で寝ろと言うのか! 病人というなら私もだぞ!」
モンリークが怒鳴っていた。
どうやら、自分は家に案内され寝室を与えられるものと、無条件で思っていたようである。
「あいつだけ、アリに食わせてやれねえかな」
レンカが言ったが、向こうもこちらをそう思っているだろう。
「家」の中はとにかく暗く、小さな火が灯された。
普段は誰かが住んでいるものを、今日だけ明け渡したという雰囲気で、生活感があった。
恐らく住人は三人。
寝台や椅子の数からそう推測できた。
居間、ベッドだけの寝室、狭い物置があるだけだ。
床は一応板敷きになってはいるが、お世辞にも清潔とは言えない。
草を詰めた寝台をはじめどこもかしこも男くさい。
湖のそば、しかも先ほどまで雨が降っていたということで、板窓を開け風を入れても、全体的に湿気ていて、饐えたにおいが立ちこめている。
「ま、このくらいは、いいよね……他の人たちには秘密でお願いしますね」
ファラが魔法を使い、屋内に乾いた温風を循環させた。香料を使いいい匂いも漂わせた。
寝台は念入りに乾燥させた。
文句を言う者などいるはずもない。
「ありがたいねえ」
しみじみとエンフが言った。
「こっちも、横になって眠れるだけでもありがたいっすよー」
みな、村へ入る際に水に漬けた靴を脱ぎ、それぞれ足を拭いた。
「左端のは親子、右のは、狭くなって悪いけど、小さいのふたりと、アリタ。真ん中はファラ、あんたがひとりで使っていい。あんたにはしっかり休んでもらわないとならないからね。あたしは門番を兼ねて、扉の前の床で寝る」
ベッド割りはそのようにされたが。
「オレは、途中から起きるんで、床でいい」
「あの、私も…………」
レンカに続いて、カルナリアも言った。
「その…………いつ、ご主人さまがいらっしゃるか、わからないので……すぐお出迎えできるように……」
微妙な空気になった。
「カルス」のご主人様。すなわちそれは、あの恐怖の具現、正体不明のぼろぼろ。
「やだよ。こわいよ。でてけよ」
子供のカルリトが率直に言い、母親のパストラが慌てて口をふさいだ。
カルナリアではなくレンカがそれに、眉を寄せて威嚇した。
「やれやれ。でもまあ、気持ちはわかる。
じゃあ子供二人が床ってのは悪いけど、そういうことで、アリタ、あんたもひとりで寝ていい」
「すみません……」
アリタが謝った。
久しぶりにこの儚げな人妻の声を聞いた。
「ここは連中の家だ。見ての通り、あちこち隙間もある。さすがに押し入っては来ないだろうが、のぞかれたり、手を入れられたりするかもしれないから、くれぐれも気をつけること」
「はい」
「この後、メシと、体を拭う水を配る。遅くなっちまったから今日はもう無理だけど、明日、出る前に、湖で体を洗えるから、それまで我慢しな」
全身を洗えるということで、女性たちは目を輝かせた。
「……今回は、あのぼろのおかげで、肉がたんまりある。だから強く出られるのはほんとありがたいよ」
軽く漏らしたエンフの言葉に、カルナリアは食いついた。
「どういうことですか?」
「旅の間の食い物を、全部持っていくのはちときつい。途中で獲ったり、こういうとこの連中が貯めてるものを分けてもらうのもよくある話さ。
で、向こうも、当然ながら、高く売りつけようとする。
ここで価値があるのは、刃物や工具、そして女だ。
連中は女を買いたがる。
ここに住まわせろってことじゃないにしても、一晩、相手させろってね。
食い物と、体との取引さ。
その点、今回は、こちらが食い物多めに持ってるから、下手に出る必要がないってわけ」
「…………あの……食べ物が、足りなかった場合は……」
「誰かに、ちょっといやな思いをしてもらわなきゃならなくなってた。もちろんまずあたしだけどね」
みな不快感を示した。
カルナリアももう理解できており、わかっていないのは子供のカルリトだけだ。
「ご主人さま、たくさんのお肉をありがとうございます」
カルナリアはみなに聞こえるように言った。
嫌味に聞こえようとも構わない。
ここにいる全員の命を救ったのに、屋根の下で眠ることもできず、怖がられ嫌われて山中にひとりでいるフィンのことを思うと、そのくらいは言って、功績を認識させてやらないと気がすまなかった。
案内人たちの打ち合わせがあるということで、食事の手配も兼ねて、エンフが外へ出ていった。
扉にはしっかり閂をかけて、エンフ以外の者の声では絶対に開けないようにと念押しされる。
外はもう陽が落ちて、暗くなっていた。
湖の魚か、幾度か大きめの水音がした。
「…………」
屋内は重苦しい沈黙に包まれる。
カルナリアをどう扱っていいのか、一般女性たちはわからないようで、ちょっとでも動くたびにびくっとされる。
「……そんじゃ、今のうちにやっときますか。みなさん、魔物よけ出してください。強化しておきます。あと、それほどはできませんけど、疲れを癒やしますんで、足出してくださいな」
ファラが明るく言い出した。
恐怖そのもののフィンと違い、ファラは、キレて大破壊を引き起こしたといってもその瞬間を見られたわけでもなく、一般女性たちは死の泥海を遠くから見ただけなので、にこにこして利益を与えれば、簡単に警戒心を解くことができた。
「パストラさん、どうですか、ここまでは」
ファラは相手の足を揉みほぐしてから、杖を向けて癒しの魔法をかけてゆく。
「ああ、効くねえ…………聞いてたよりずっとひどいねえ。まさか、こんな怖い目に何度も遭わされるとは思ってなかったよ。あれこれうるさく言われるし、けだものには襲われるし、雨の中にずっと立たされるし、あんな怖いのも出てくるし!」
「ですよね~」
その『怖いの』の原因を作ったメガネ魔導師は、他人事のように相手に合わせた。
「君は、どっか痛いとこない?」
母親を癒すと、ファラは子供のカルリトに向いた。
カルリトは、母親より大きなものに興味津々の様子で、足を揉むため前かがみになりよく見えているファラの谷間を、あからさまにのぞきこんでいたが――。
「つかれたし、雨、もうやだ。服、濡れて、きもちわるい。歩くの、やだ。あいつみたいに、僕も、あれに乗りたい」
露骨にカルナリアを見やってわがままを言い立てた。
それが許され、誰もとがめない立場でここまで育ってきたのだろう。
「それはだめだねえ。男の子は、がんばらないと」
「あいつばっかりずるいよ! 僕だってあれに乗りたいよ!」
「じゃあ、乗れるようにがんばるんだね。痛いところはないね? じゃあアリタさん――」
「なあ、お前!」
カルリトは、ファラの腕をつかんで引き止めた。
「お前、便利だし、美人だから、うちではたらけよ! な、いいだろ? あいつにばっかりかまってないで、僕の面倒も見てくれよ!」
――モンリークを治した後の争奪戦で、自分の素性を暴露した者がけっこういる。
このパストラ、カルリト母子の夫、ライネリオもそのひとり。
バルカニアの、かなり有力な商会の会頭だ。
いずれは跡取りになる息子に取引相手であるカラントを見せておこうと、妻も連れてのんびりと旅行していた時に、反乱が発生し、帰れなくなってしまった。
何としてもバルカニアへ戻らないと、会頭の座が危ういらしい。彼が死んだということにして乗っ取りをかけて来るだろう肉親がいるようだ。
それに対抗するためにも、有力な魔導師をぜひとも雇いたいとの話だった。
女性班で一緒に寝起きする利点を生かして、パストラはファラに何度か話しかけ、今の主「ライズ」にどういう条件で雇われているのか、よそへ移るつもりはないかなど、聞き出そうとしてきていた。
だが。
「……ガキ。ひとにものを頼む時の口のきき方、勉強しな」
いきなり冷たい目つきになると、ファラはカルリトの顔面を鷲づかみにし、指をこめかみに食いこませた。
「ぎゃーーーっ!」
「うるせえぞ。そんな言い方で他人が何かしてくれるとでも思ってんのか、クソガキ?」
ファラが手を離し、カルリトがさらに泣き叫ぼうとした瞬間。
忍びよっていたレンカが、背後から口をふさぎ、何かをやった。
「ぐぅぅぅぅぅぅ!」
腹に何か突き刺したように見えてカルナリアの血の気が引いたが。
どうやら、服の上から指を突きこんだだけのようだった。
しかしそれはものすごい痛みをカルリトに与えたようで――。
レンカが離れ、舌打ちして唾液に汚れた手をカルリトの服で拭うと。
カルリトは、泣き声すらあげられなくなって、びくびくしながらその場にへたりこんだ。
股間に染みがあらわれはじめた。
パストラが悲鳴をあげて抱きかかえる。
「なんか舐められてるみたいだけどさあ、あたしら、案内してもらうお金の代わりに戦いも引き受けてて――人も殺せるんだよ?」
ファラが、レンカに負けぬ剣呑な顔つきで言った。
「ひぃぃ! や、やめて! 近寄らないで!」
「くっせえから、洗うぐらいはしてやるよ」
カルリトの股間に杖を向けると、水の球が出現して、蛇のようにくねりながらそこへ押し寄せていった。
容赦なくじょばじょばと水音を立てて洗浄する。
「乾かすのは自分でやりな」
抱きしめるパストラと、ひ、ひ、ひとしゃくりあげ始めたカルリトをそれきり無視して、ファラはアリタの前にかがみこんだ。
「ひっ……!」
おびえる人妻に、ファラはころりと切り替えた甘い笑みを向ける。
「だーいじょうぶ。無礼をされたら無礼で返す。それだけ。がんばってる人には、ファラちゃんは、優しいおねーさんですよ?」
メガネの下の目は、言葉通りに、とても優しい笑みになっていた。
……この女性は何者なんだろうと、カルナリアはあらためて不思議に思った。
フィンがまったく顔を見せてくれないのでわからないのと対称的に、このファラは、ふざけたところも真面目なところも、怒ったところも上司にへこへこしているところも、貴族への怨みを口にする冷酷な顔すら見ているのだが、どれが素の顔、素の態度なのかがまったくわからないのだった……。
ようやく一夜を過ごせる場所に。そして披露された鬼上司直伝のアイアンクロー。めちゃくちゃ痛い。ちなみにこの容赦なさ、態度の豹変にはちゃんと理由はあります。甘い対応をしてはならないから。甘い対応をして舐められるとどうなるかは――この後、カルナリアが思い知ることに。次回、第140話「夜に見たもの」。性的表現あり。




