136 悪い冗談
「ご主人さま…………フィンさま…………」
ぼそっと言ってみても、出現してくれない。
カルナリアは寂しい気持ちで、温かい野菜スープを少しずつ口に運んだ。
優しい甘みが身に染みる。
相変わらず肉は口にする気が起きないが、体は疲れきっていて、滋養を求めていたところにエンフがこれを持ってきてくれた。
他の者は、遠巻きにして、誰も近づいてこない。
自分に深い恩義を感じているはずのモンリークの従者たちも、こわごわと見てくるばかりだ。
これが当分は続くのだろう。
「困ったもんだねえ。あんた自身が怖いもんまき散らしてるわけじゃないのに、臆病なやつらばっかりだ」
「大丈夫です、ひとりでも……」
「そうも言ってられないよ。移動中はロバんとこだからいいけどさ、寝る時にはうちの班のとこに来なくちゃいけないだろ。あたしは、ずっとあんたについていてやるわけにはいかないからね」
「…………」
「話し相手なら………………私が…………するよ……?」
いきなり、岩の向こうから声がした。
その間延びした話し方ですぐわかった。
「トニアさん!?」
「どうしたんだい」
「寝てたら…………すごく嫌な夢見て…………起きちゃって…………眠れないし…………その子は、別に……怖くないから…………途中までなら、話し相手と、守るの……やるよ?」
「そうかい。じゃあまかせるよ。すまないね」
エンフは礼を言うと、他の女性客たちの方へ向かっていった。
その後から、ゆっくりと、女性が現れ、カルナリアと背中合わせになるような場所に位置取った。
まるでエンフと同じ場所に現れてはいけないような。
それに顔も、できるだけ見られないようにしているような。
けっこう美人なのにもったいないな、とカルナリアはちらりと思う。
もちろん彼女には彼女の事情や考えがあるのだろうから、何も言わない。
そもそも自分のご主人さまが、顔を見せるだけで他人を魅了してしまい何かと狙われるからめんどくさいと徹底的に顔を隠している人物なわけで。
「お手数おかけします、トニアさん」
「別に…………いいよ……それより…………よくわかんないんだけど…………何が……起きたの……?」
「はい、それはですね!」
カルナリアは勢いこんで『真実』を伝えた。
重症者を治したことで、貴族たちに目をつけられたファラが、多分キレたのだろう、魔力を暴走させ死の魔法をぶちまけて、怖かったのはそのせいで、危うく全員死んでしまうところを、ご主人さまがファラごと外へ飛び出して助けてくれて、今は山の半分ほどが削れて、みんなを助けてくれたご主人さまが、ファラの魔法を防いだ影響で怖いものになってしまっている! ご主人さまは何一つ悪くない、悪いのはファラで、ご主人さまを怖がるのは間違っている!
「なるほど…………」
話を聞き終えたトニアは、ん~、と可愛らしくうめいた。
「疑問、いくつか………………いい?」
「ええ、どうぞ」
「ファラって人は…………寝てるとこも…………起きてるとこも……見てるから……魔法も…………すごいって、わかるけど……」
わかるのか。
魔導師の素質があるのかも。
「それを、一瞬で、遠くまで飛ばして、ものすごい爆発くらって、生き残った、あのご主人さまって………………何者?」
「私にもよくわからない、困った人なのです」
しばらく離れていると言われてしまった寂しさもあって、色々とフィンのおかしなところを語って聞かせた。
「意味…………わかんない…………」
「私もなんです。変な人です」
「でも……………………大好き、なのね……」
「!」
一瞬で顔が火を噴いた。
「静かに……騒がないでね……うるさいの、きらい」
「は、はい…………」
「大丈夫。おかしなことじゃない……そんなの……見れば……すぐ、わかったから………………最初の、朝から、もう…………」
「あう」
「それより……」
トニアが動いた。
体を動かして、カルナリアの背後から、横合いに来る。
整った横顔が見えて――その首を取り巻く、首輪が見えた。
幅広い、しっかりしたもの。
トニアも、カルナリアの粗末な首輪を見ていた。
「あなたは……………………本当に………………奴隷なの?」
「…………」
露骨に動揺は見せなかった、はずだ。
この女性はカラント人で、カラントの奴隷階級――本物の奴隷。
グライルに逃げこむか何かで、案内人たちの仲間になったのだろう。
彼女の首輪を見た時から、その質問をされることは想定していた。
「よく言われますけど、そうです。奴隷の親から生まれたので、どうしてなったのかは知りませんけど」
「そうなんだ……」
納得してもらえたようで一安心。
「……それは…………幸せ…………よかったね……」
「幸せ、ですか?」
「うん。ずっとそうなら…………いい。…………そうじゃないところから……落ちるのは……つらい……」
「その…………じゃあ、トニアさんは……?」
ラーバイの、貴族令嬢だったのが奴隷に落とされたオティリーのことを思い出しつつ訊ねる。
次の瞬間、衝撃的な言葉を耳にした。
「私は……………………王族、だったから…………」
「!?」
すごい顔をしてしまったような気がする。
ものすごい気配を発してしまったような。
「おっ……王族っ……!?」
「レイマール様の……………………隠し子…………」
「!!!!」
思わず、二兄レイマールの面影を探して、凝視してしまった。
言われてみれば、似ているところがあるような。
レイマールは、王位継承を混乱させてはならないと、正妻を持たず、しかし無数の女性と浮き名を流していることで有名な王子。
隠し子は、どれだけいてもおかしくない。
王族だというのなら、魔法探知の能力があっても不思議は……年齢も、レイマールは今年で三十二歳、成人前の十代前半でひそかに生ませていれば、ありえない話ではない……!
もし本当なら、この女性は、年上だが自分の姪、今やごくわずかとなったカラント王国の王族、第二位貴族!
「…………と、言われて、育てられて……店に出たら……捕まって……ウソだってわかって……王族詐称で、犯罪者……奴隷落ち……」
「…………………………」
カルナリアの脳裏に、あの歓楽街ラーバイの、老女マノンの言葉がよみがえった。
(有名な美人の名前はどこもかしこも使うもんさ。あの頃は、あたしだって第一王女って名乗って客とったもんだよ)
レイマールの隠し子だと言っても通りそうな美少女を、そのように教育して、店に出したのだろう。
ラーバイを知った身としては、十分にあり得る話だと思った。
「びっくりした?」
「あっ、はいっ、それはっ! もうっ! ひどいですっ!」
「ふふっ。今の、あなたの顔、面白かった…………カラントの人には、時々、話して、びっくりさせるの…………引っかかった。ありがと」
「えっ、はいっ、やられました!」
カルナリアは平民か奴隷らしい言い回しを使って、ことさらに明るい声をあげたが。
「……王族が、そんなに、気になるの……?」
探るように言われてしまった。
トニアの目に、鋭いものがあらわれているような。
「いえっ、驚いただけでっ……」
「そう………………まあ……私たちは…………下界とは……何の関係もないから…………あなたや、ご主人様が、普通じゃなくても、気にしない……」
「…………」
「びっくりした、あなたの顔、面白くて、可愛い………………好き」
笑ったトニアの顔立ちがきわめて美しく、胸が弾んだ。
確かにこれは、王族と言っても通用しそうだった。
「ど、どういたしましてっ……!」
「…………そろそろ、動くみたい……だよ?」
言われて振り向けば、ゾルカンと獣人たちが雨の向こうを見やり、休んでいた案内人たちが、亜馬に荷物を積み直したり、客たちをまとめ始めているのが見えた。
雨がもうじき上がるのかもしれない。
「それじゃ……私は……見られないようにするから……また、後で、ね…………」
「はい。ありがとうございました」
トニアはそのまま、岩陰へ消えていった。
美貌ゆえに、客の男たちにおかしな気を起こさせないように、存在を知らせずひそかに番をする役目についているのかもしれない。
「よーし、よく聞けー」
客たちを集めて、ゾルカンが語った。
「色々あったが、俺たちは今んとこみんな無事だ。
正直言って、今まで何度も客を連れ歩いたが、この人数で、ここまでひとりも脱落してねえってのは、本当に初めてだ」
うなるような、恐れるような音が客たちから漏れた。
まだ二日目でその評価とは、グライルとはどれほど過酷だというのか。
「で、もうじき雨が上がる。上がったら、ここを出て、少しだけ登ったら、今度は下りになる。下りは、滑るからとにかく危ねえ。絶対に急ぐな。絶対に、だ」
ゾルカンは怖い顔で客たちを見回した。
「怪我しても、あの姉ちゃんは治してくんねえぞ。見ただろう、疲れきってて、無理だ。今度こそ置き去りにすることになる。だからな、遅くなるのは構わねえ、怪我だけは、絶対に、すんな」
また客たちの間から何とも言えないうなりが漏れた。
「今日の野営地に着くまで、午後に一度休憩をいれるつもりだったが、雨や色々で、その余裕がなくなった。このあと、動き出したら、野営地につくまで一切休憩はねえ。その覚悟をしておけ。
途中で持ってるもん口に入れるのは構わねえが、そのために止まって、荷物を下ろし、その間まわりを警戒してやることはできねえ。動き出す前に、使いそうだと思うものはすぐ取り出せるようにしておけ」
客たちの何人かが、もぞもぞと動き出した。
「移動の順番が、今までと変わる。
このロバどもを、分散させて、お前らの間を歩かせる。
雨あがりだと、粘獣が出やすい。
木の上から落ちてきたり、踏んだ途端に足にへばりついてきたりしてくるやつだ。くっつかれたら肌や肉を溶かされる。服の隙間にも入ってくる。頭包まれたらおしまいだ。取り除くには火を押しつけるしかねえ。大やけどするぞ。
ロバどもは、そいつらには敏感だ。だからよく注意しとけ。何もなければ静かに歩き続けるが、止まったり、変な動きをしたら、必ず何かがいると思って、下手に動かず、じっとして俺たちを呼べ」
ひととおりの通達が終わると、ゾルカンは、いきなり言った。
「後ろを向くなよ!」
つい、振り向いてしまった者が何人か出た。
命令違反ということで、その者たちが集められ、また何度か教えを受けた。
カルナリアには想像がついた。
後ろからついてくるであろう、恐怖そのものの存在を、意識させないようにするための指示……その練習だと……。
「すまない…………本当にすまない!」
モンリークの従者、足を痛めたゴーチェが、同僚たちに持ち上げられ、亜馬にまたがった。
乗馬の心得はあるようで、手綱を持つ手つきは落ちついている。
さすがに人がまたがったものをカルナリアが引く許可は出ず、案内人のひとりがついた。
また仲間を心配して、オラースという従者も共に歩くことになった。
「しかし…………その…………君の、ご主人様は……?」
「あの方は、みなさまを助けるために、その身で呪いを引き受けられたのですよ! 恐ろしいのはわかりますが、蔑んだり、罵ったりするのは、ぜったいに許しませんからね!」
カルナリアは腹の底から熱気を噴き上がらせつつ、念押しした。
「あ、ああ、わかった、わかったから……大丈夫だ、わかってる、大丈夫……」
しかし、その視線の先では。
後ろに置かれたくないと、他のバルカニア貴族や大商人たちと同じく、客の中では最前列に出た、モンリークの後ろ姿がある。
病み上がりの主のため、筆頭従者のアルバンがついている。
「あ、あれを、近づけるでないぞ! 我らに、あのような、おぞましきものを……!」
その無用に大きな声は、隊列後ろ側になったこちらにまでよく響いてきた。
「誰のために、ご主人さまが、私たちが、あんなにがんばったと……!」
「ご主人様というあの人は、何者なんだ?」
ゴーチェとオラースが、カルナリアの爆発を防ごうというかのように、訊ねて当然のことを聞いてきた。
「それは……」
「フィン・シャンドレンっていう、人斬りっすよ」
ファラとレンカが現れた。
ファラは亜馬にまたがっている。
貴重な癒し手ゆえに、許可されたようだ。
本当は彼女こそが恐怖の根源なのだと、ほとんどの者には理解されていないので、周囲の態度はきわめて丁重だ。
それもまたカルナリアにはきわめて腹立たしい。
「あの方から離れていいのですか?」
「これからしばらくはお前が一番危ないから、ついていろってさ」
「そういうことっすー。ほとんど空っぽっすけど、まあ少しは使えるんで、がんばるっすよー」
主を救ってくれた魔導師はともかく、主を刺殺しかけた子供の同行に、ゴーチェとオラースは顔を引きつらせた。
聞かされた人斬りという言葉にもおののいた。
だがやはり、タランドン市で有名になった、ということは知らないようだった。
その話が伝えられる前にモンリークは飛び出したのだろう。
「行くぞ!」
雨が上がった。
たちこめていた靄が消え、視界が広がる。
斜めの陽光が筋となって降り注いでくる。
――光の射しこむ先に、何一つもののない、空虚な、いや死の空間がはっきり現れて、一行のほとんどの者が言葉にならない恐怖のうめきを漏らした。
隊列が動き出す寸前に、それにえぐられた山の上方が音を立てて崩れて、恐怖の声はさらに強まった。
客も案内人も、みな背後にいる「犯人」を恐れ、少しでも早くこの場を離れようとして前へ詰めかけ、ゾルカンが何度も制止の怒鳴り声を張り上げた。
やや混乱した中、カルナリアたちも動き出す。
最後に後方を振り返った。
――獣人バウワウ、ほか案内人が三人、焚き火の側を動かず、後に残るのがわかった。
大きく変化した後の地形を確認し、新しい道を見つける役目だろう。
案内人たちは、自分たちをバルカニアへ送り届けた後、また新しい客や荷物を携えてこちらへ戻ってくるのだから、その時のため。
しかし――そのバウワウが、いきなり鋭く飛び出し、ほとんど伏せるように身を低くした。警戒の姿勢。
「あ…………!」
よくないもの、恐ろしいものが後ろの方で動いたということが、カルナリアにもはっきり感じ取れてしまった。
(ご主人さま…………申し訳ありません!)
カルナリアは鳥肌を立てつつも耐えたが。
勘のいい者たちが、さらに前へ詰めかけ、後ろにいる「あれ」から遠ざかろうと騒ぎになった。
謎の女性、トニア。彼女は果たしてフィンのことをどこまでわかってくれたのだろう。
ゾルカンの言葉通り「色々あった」岩屋根の下から、ようやく出発。次回、第137話「下り道」。山の向こうで目にするものは何か。




