135 後遺症
「うわあああああっ!」
「ひぃぃぃぃっ!」
つい先ほどの凄まじい恐怖がよみがえり、人々がパニックに陥る。
「落ちつけ! 動くな!」
ゾルカンの罵声。
案内人たちも、指示に従うことを教えこまれた客たちも、どうにか踏みとどまって、岩屋根の下から飛び出し転げ落ちていくような者は出ずにすんだ。
みなを落ちつかせたゾルカンは、恐怖をまきちらすぼろ布に声をかける。
「ぼろ………………あんただな?」
「私だ。影響が残ってしまったようだ」
そのやりとりは――。
ゾルカンからすれば、あんたは他の誰かが入れ替わったわけではないフィン本人かと訊ねただけであり、フィンはそれに簡潔に答え、この恐怖感の原因をこれも端的に告げただけなのだが。
何も知らない者たちにとっては。
「あ……あいつのせいか………………あいつが原因なんだな!」
そのように聞こえてしまうものだった。
『お前がこの事変の原因だな?』『そうだ』…………と。
「あっ! 違います! ご主人さまは、あの怖いのを、止めてくださったのです!」
まずい流れを察してカルナリアは叫んだが。
説得力がなかった。
獣人たちの強い警戒も、逆の裏づけとなってしまった。
あのぼろぼろこそが、恐怖の原因。
あのものすごい恐ろしさをもたらしたもの。
メガネ美女は、重傷者を治したばかりだというのにあんなものすごいものに立ち向かい消耗し尽くした、みなを守ろうとしてくれた守護者。
そうとしか認識されない。
「たっ、頼むっ、あれを近づけるな! 追い払え!」
モンリークをはじめ、客の大半が案内人たちに懇願し、その陰に隠れようと群れ動いた。
案内人の、戦闘担当者たちも血の気を失いつつ武器をかまえた。
これはいけない、せめて自分だけでもフィンの元に――とカルナリアは近づこうとしたが。
「う……!?」
反射的に。
本能的に。
恐怖に身がすくみ、足が動かなくなってしまった。
こわい…………!
先ほどまでは、勢いもあったし自分たちしか人がいなかったために気づかなかったのだが。
こうして大勢の人間が群れている、いわば普通の場所に戻ってみると。
今のフィンが漂わせている気配は、通常の世にあっていいものではなかった。
いのちを奪う者。
必ず、いのちを奪うもの。
ぼろ布の円錐は、今や、おぞましく恐ろしい、そういう存在だとしか感じられない。
「だ、大丈夫です、ご主人さま……私は、お側に……!」
カルナリアは凍りつく体を必死に動かし、恐怖に耐え、全力で笑顔を作って、一歩一歩、大事なひとに近づいていった。
歯が鳴る、怖い、体が凍る。
しかし人である所以の理性でねじ伏せる。
ねじ伏せねばならない。
あれほどの範囲が死に絶える魔法をぶちまけたおっぱいアホメガネを、自分を犠牲にする覚悟で遠ざけてくれて。
浄化の水にたっぷり浸ってもなおこれほど濃厚に影響が残ってしまう、ものすごくひどいものを、このひとはその身に引き受けたのだ。
自分や他の者たちを守るために。
それなら、自分は、何としても側へ行かなければならない。
私だけでも、近くへ。
かたわらへ。
あなたの隣に。
………………だが。
「くっ! うっ! うううっ……!」
カルナリアの足は止まってしまった。
それ以上前に出なくなってしまった。
あと一歩でも前に出たら、全力で殴られ、刺され、斬られ、殺される。その確信が体を縛る。歯が鳴る。涙がこぼれる。
「…………無理をするな。しばらく、離れていることにする」
悲しい宣告がなされた。
「荷物」
「あっ、はいっ!」
カルナリアは身をひるがえして、他の者に触れられないよう獣人たちに近いところに置いておいた、自分とフィンの荷物のところへ駆けて――。
フィンから離れると恐怖も薄れることを、体感してしまった。
離れていい口実を与えられて安堵したことも自覚し、さらに自責が強まった。
いくつもの魔法具の存在を感じるフィンの荷物をかかえて、再び接近。
「ぐ…………!」
やはり、尋常ではない戦慄が芽生え、足が震え、体もどうしようもなく強ばってしまう。
(大丈夫、このひとは、大丈夫なのです……だから、近づいても、いいのです!)
……どれほど理性で言い聞かせても、あるところで、どうやっても先へ進めなくなってしまった。
「申し訳ありませんっ…………ごめんなさいっ……!」
そこに荷物だけを置いて、泣きながら後ずさる。
「お前のせいではない。気にするな。しばらく、見てはいるが、守ってやれない。気をつけてくれ」
優しい声で言われてから、カルナリアが下がった分だけフィンが進んできて、荷物を取り、すぐに後退し、雨の中に出ていって、消えてしまった。
それと共に、場に満ちていた恐怖もなくなって――
カルナリア以外の誰もが、あれこそが今回の根本原因と思いこんだ顔になっていた。
「ちがうんです…………!」
フィンが離れたせいか、バウワウや、落ちた荷物を持った案内人たちが戻ってきた。
バウワウが、雨の奥を振り向いて濡れた鼻をうごめかせて。
「おいたわしや」
渋い声で、ひとことだけ言った。
※
「やっちゃったっす…………」
「四回目ですね。今回は、事故に見せかける必要がないことだけはありがたいですが――私たちも危うかったのですよ。
生き延びられたのも、『板』が無事だったのも、私たちが憎まれずにすんだのも、何もかも『剣』のおかげです。そのことはよくおぼえておきなさい。
私たちはあの者に助けられ、今なお助けられ続けている。我々の仲間を何人も討った者に。
一方であなたは空っぽになり、私たちを守ることができなくなり、あの者の慈悲により生かしておいてもらえているだけの身。それが現状、そうなってしまったことを認識しなさい」
「くっ…………ぐ…………うう…………はい……………………クソッ! 死神退散! 本当の意味で! 本物が人の世に出てくるな! クソが!」
「落ちつきなさい。優雅に振る舞った方が利益が多いと教えたでしょう。幸いにしてあなたのことは、あの死神からみなを守った聖女と見られています。ならばそれを最大限に利用するのです。そのためにも上品にふるまうように努めなさい」
「はぁ、はぁ…………はいっす……」
「……それにしても、今回は、どうしてですか?」
「わかんないっす。このクソ貴族どもクソうぜぇ~、どうやって血を流さないで殺してやろうかな、焼くか、凍らせるか、アレを石にしてやるかってことは色々考えてたし、ムカついてたのも自覚はしてたし、手ぇ出してきたら一気にやっちゃおうと思ってたのは事実っすけど……第四位の身分証あるんでやった後でそいつ見せつけてと……カルちゃんが腕の中にいたんで、絶対に暴発させないようにしてたのに……気がついたら………………すんませんっす……」
「困ったものですね。その原因を見つけ、矯正しない限り、いつまで経ってもあなたから目を離せず、ひとり立ちさせ、私から離れたところで働かせることができないではないですか」
「はいっす…………ごめんなさいっす……」
「まあ、起きたことはもういいでしょう。結果的に、みな無事で、我々が小者に絡まれることはなくなり、『剣』は恐怖と憎悪を向けられ、『四女』から離れることになり、しかも居場所も容易に特定できるようになったのですから。
いいことずくめだと思いますが――グレン、その点については、いかがですか? 今回のことで、あなたから見て、どう変わりましたか?」
「より、悪い状態になりました」
「おや」
「居場所がわかるようになったのはその通りですが、わかるだけで、手をつけられないのは相変わらずです。むしろ、あの力を宿した分、いっそう厄介な存在になりました。
これは推測ですが、いまあの者を殺した場合、ファラ様の魔力と同じように、あの力が一気に吹き出し――あたり一帯、もちろん我々を含めて全てが死滅するか、あるいはつながりのある者に流れこんでくると思われます。防ぐ方法はありません」
「『死神の剣』っすからね……死の魔法との相性最高っす。防いだって言ってたけど、積極的に吸いとって、力増したかもしれないっす……」
「つながりなら、私たちは、もう濃厚にできていますからね。最優先で襲いかかってくるでしょう。恐ろしいことです」
「すんませんっす……」
「『剣』の怒りをかわぬよう、『四女』に手を出せないことも相変わらずですが……『四女』は、これからは、あの恐怖をもたらした者の従者ということで、貴族のみならず普通の者たちからも憎悪を向けられる可能性が高くなりました。
今後は、ほとんど全ての者を警戒対象としなければなりません。女子供、案内人たちまで含めてです。
ゾルカンとて、隊全体の雰囲気が悪くなるようなら、何らかの処置を考えかねません」
「そうですね……今、『四女』を恐れず、守ってくれそうなのは……エンフという者、犬の獣人たちぐらいでしょうか。
仕方ありませんね。『流星』を見られたのもありますし、これからは、我々はただの商人ではないということを匂わせ、その仲間だということで、手を出しづらくさせましょう。
『剣』についても、本当のことを少々漏らして、あれは東方で有名な人斬りだ、『四女』を大事にしないとあの人斬りが来るぞ、と広めてゆきましょう」
「よろしくお願いいたします」
「ファラ。『剣』はいつまであの状態ですか?」
「私の知らない力があれば別っすけど、一般的な死の魔法の影響だったら、一日か二日ぐらいで薄まると思うっす。そのくらいで、まあ普通の殺し屋程度……目の前に現れたら、あ、死ぬなって覚悟するくらいになって、遠くからでもわかるあんなヤバいものじゃなくなるっす。三日目ならもう完全に問題なく、今までどおりの、普通に人殺せるやつってぐらいに戻るはずっす」
「ではその間、『四女』にはレンカをつけ続けておきたいですが――具合はどうですか?」
「悪化してるっす。あの年で、初めてで、あんなに連続じゃ、中毒になるのも仕方ないっす。カルちゃんと仲良くなってきてるのもあって、何かあったら今度こそ相手を真っ二つにするっすね」
「ではファラ。あなたもあちらについて、何かあったらできるだけかばい、治してやりなさい。また『板』に手を出すことは厳禁しますよ。それが今回の件についての、あなたへの罰です」
「はぁい…………あれ、やっぱ王族で、すごい魔力持ちっすよ。手伝わせたら、すんげえ楽ができたっす。目覚められたら、これから先、色々まずいんじゃないかって思うんすけど……何かしないでいいんすか?」
「それをどうにかする、面倒な仕事も、あなたへの罰です。私は知っての通り、魔法関連の素質はまったくない身ですから、それについてはファラ、あなたに頼るしかないのです。すべてあなたの判断にまかせます。どのようなものでも、結果を受け入れますよ」
「……ずるいっす、本当に、こういう時だけ……頼るなんて……本当にずるいっす……」
「グレン。面倒をかけますが、『剣』を探り、仕掛けるのは中断して、当面は私の護衛や客たちへの工作をお願いします」
「わかりました」
「あと、事前に集めた情報と、私の勘ですが……今回の件で、このグライル自体が反応しそうな気がします。『剣』との戦い以前に、我々が生き残ることを最優先にしてください。みな、いいですね」
「はっ」
他人が起こしたトラブルの解決に奔走した人が「自分のミスだからあんなに働いてるんだな」と思われ、実際にミスった人がきつく叱られてると「あんなに怒られるなんて可哀想」と同情されるのは、まあ、うん、よくあること……残念ながら。
かくしてまたフィンとは離ればなれに。次回、第136話「悪い冗談」。




