116 色仕掛け
歩き出して最初のうちは、強く緊張していた。
背後のセルイたちが変な真似をしてこないか。
襲ってこないか。
だが、それで足元がおろそかになると、山道ではまずいので、そちらにも集中し――。
杖を使うまでもない、割となだらかな森の中を黙々と歩き続けるうちに、徐々に緊張は薄れていった。
もちろん、油断はしないつもりだが……。
「……大きな木ですね……」
巨木の合間を、人間たちは這い進んでいた。
人体よりずっと太い根を無数に張り巡らせ、なまじな建物よりよほど巨大な幹を天へ伸ばし、張りだした無数の枝と上空にびっしり生えた葉っぱのせいで、空はほとんど見えず、曇り空の下にいるようだ。
人が住まず、木を切って利用することもないので、ひたすら育ち、巨大になっていったらしい。
太い根がいたるところに盛り上がって視界をさえぎる、迷路のような場所だったが、案内人たちは道を知り尽くしていて、移動に難儀することはほとんどなかった。
盛り上がった木の根のトンネルを抜ける時は、面白くすら感じた。
「この辺は、まだグライルの端っこで、色々薄いからね。魔獣も、そんなにヤバいやつは住んでない」
エンフが相手してくれた。
「薄い、ですか?」
「魔力っていうのかい、あたしにはよくわかんないんだけど、魔物が好きな場所、よく出る場所があってね。グライルの、真ん中、高いとこに行けば行くほど濃いそうだよ」
地面の下の、魔力の大いなる流れ――それがグライルを通っているのか、あるいはグライル自体が流れの上に盛り上がったものなのか。
「このでっかい木も、それほど魔力吸い上げてない、下界のと変わんない木にすぎないからね。魔物にとってはあんまりいいものじゃないみたい。おかげで、この辺は割と安全だ」
エンフが言った次の瞬間に、遠くで、獣の吠え声がした。
威嚇するような、それなりに怖い響き。
「あ、安全なんですか?」
「この辺のは、槍を刺せば通るし、死ぬからね。対応できるだけ簡単なもんさ。カルス、あんたは、獣に出くわしたことはないのかい?」
「前に、熊に……追いかけられました」
「なるほどね。怖かったろう。でもね、あの程度は、グライルじゃザコなのさ」
「雑魚!?」
「肉は厚いし爪は鋭いけど、槍が刺さる、囲めば殺せる。それならここじゃザコだよ」
「……ここの魔物は、どれほどなのですか!?」
「そうだねえ……一番上は、グライルのヌシ。数十年に一度ぐらいだけど、出てきたら何もかも終わる、災厄の大蛇、グンダルフォルム」
「…………!!」
その名は、博物誌で見たことはあった。
グライルをはじめ、世界中の巨大山脈ごとに一匹ずつ棲息しているらしい、究極の魔獣。
「あたしが生まれてからはまだ出てきたことないけどね……どんな所でも切り開いて住みつく人間が、このグライルには住みつけていないのは、結局のところグンダルフォルムのせいさ。
他の手強い魔獣をどうにかして、何とか追い払い住処を構えても、そいつが出てきたら、全部潰されておしまい。勝てるかどうかという相手じゃない、隠れて見逃してもらえるかどうかしかない存在らしい。
刃は通らない。槍は刺さらない。魔法は効かない。それどころか魔力持つ者を優先して狙ってくる。知恵もあって、一度痛い目にあったら、すぐそれに対処してくるんだとか。
あたしの生まれる前だけど、カラントとバルカニアが手を組んで、何万人も兵隊出して討伐しようとしたけど、あっさり全滅したそうだ。本当にただの一人も生きて戻らなかった。
手がつけられないというか、手をつけようと考えるだけ無駄ってやつ。それがここの頂点」
「………………」
そのエピソードなら多分、エンフよりも自分の方が詳しく知っている。
怖い話、ひどい話などに興味を持った時に、その記録に触れて、恐ろしさに震えた。
カラントが兵士一万二千、バルカニアが八千を出した、グライル制覇を目指す、大蛇討伐隊。
結果は、全滅。
本当の意味での全滅。消滅。生存者なし。
連絡が途絶えたことで探しに行った者たちが、惨状を目にして、何人も発狂した。
二万人が、ことごとく、大地にめりこみ、押し潰されていたという。
恐らく、堅牢なウロコを持つ巨大蛇が、体を転がしたのだろうと。
ごろごろと、木々や岩と一緒に、まとめて。何度も。
その結果、二万人がぺしゃんこに。
最初のそれで生き残った者も、執拗に、入念に、叩き潰された。
動く者がなくなるまで叩かれ続けた上で、無数の遺体をまとめて食われた。
剣や鎧などの残骸が、糞と一緒に巨大な山になっていたとも。
記録を読んだカルナリアは恐ろしさに震え、次の朝、乳母にして筆頭侍女のマリエに怒られる醜態をさらしたことは今でもおぼえている。
「ま、あれが出てきたら、あたしらもどうしようもないんで、とにかく隠れるしかないってことになってるけど――そこまでいかなくても、出くわしたら最後ってのは色々いる」
エンフはいくつか、聞くだけでもおぞましい生態の魔獣について、教えてくれた。
安全な場所で聞くなら面白いと思うだけだっただろうが、今踏みしめているまさにこの土地にそれがいて、この先それが本当に襲ってくると思うと、恐怖の質がまったく違う。
剥製の熊の大きさと猛々しさを怖がった後で、本物に出くわした――あれよりもっとひどいのだろう。
自分たちが、本当に恐ろしい場所に突入してゆくのだと、背筋が寒くなった。
「ん?」
エンフが上を向いた。
「ホオォォォォォォォォォォォォ!」
どこかで聞いた――いや、とても大事なところで聞いた、甲高い、おぞましい吠え声が、真上から聞こえてきた!
「吠え猿だよ」
エンフは平然と見上げた。
大樹のはるか上の方で、何かが動いた。
「ずっと上の方に住みついてるサルどもさ。基本的にはおとなしい。でもやっぱりサルはサル、油断してたらスルスル降りてきて食い物狙ってくる。まあ大抵は弓で落としてやるけどね。やつらもそれを学んでるから、ああして、人間が来たぞって警告の声あげたわけ」
「はあ……」
「自分たちのねぐらの木の下に人が来たら、ああいう声をあげる。今のはあたしたちに反応してだから大丈夫。でも他のところから聞こえてきたら、あたしたちじゃない別なやつがいるってことで――」
「ホオォォォォォォォォ!」
まるでエンフの言葉がきっかけになったかのように、別な木の上で声がした。
案内人たちが周囲を警戒し始めた。
エンフも顔を引き締め、すぐ腰の鉈を抜けるようにする。
背後のセルイたちも警戒したのがわかった。従卒二人がそれぞれ左右を向いている。
「?」
妙な感覚をおぼえた。
魔力。
それが、なぜか、上の方から。
見上げ――すぐハッと気づいて、顔をおろしたが……。
後方のファラが、メガネの向こうから、はっきりとカルナリアの動作を見ていた。
ファラはカルナリアがある程度の魔力を感知できることを知っている。
だが、この隊の他の者に知られるのはよくない。
モンリークや、バルカニアの貴族が、魔力を持った奴隷ならばよこせ、売れと言ってくるかもしれないのだ。
失敗を反省して、その後もさらに同じような感覚をおぼえもしたが、見ることはしないように気をつけた。
(でも、何でしょう。誰なのでしょう。魔導師がこちらを狙っているか――もしかしたら、ご主人さまかも?)
――特に誰かが現れることもなく、さらに吠え声が聞こえることもなく、隊列は進み続けた。
「薬草採りでもいたのかね」
「他の人――ゾルカンさんが言っていた、その、悪い人たち以外に、人はどのくらいいるのですか?」
くそったれ、というのは下品すぎてカルナリアは口にしかねた。
「全部でどれくらいかは、あたしたちも知らないよ。でもまあ、入ってきてる人間は、ある程度はいる。薬草採り、金銀宝石を探す山師、特別な獲物を狙う猟師……大体、一日に一度くらいは会うかな。あたしたちは、そういう連中とものを売り買いすることもやってるから、大抵は向こうからやってくるね」
「そういう人たちと、悪い人たちって、どうやって見分けるんですか?」
「悪いこと考えてないやつは、まず遠くから声をかけてくるもんだよ。それから姿を見せて、名乗って、近づいていいかと聞いてくる。
だから、いきなり姿を見せるのは、どんなに親しげでも、あるいは苦しんでても、まず悪いやつと思いな。特にあたしら女の前にいきなりってのは、絶対に悪いやつだから」
周囲の、他の女性たちも聞いていて、うなずいた。
その後は特に何が起きることもなく、巨木の森を抜けた。
空が見えるようになり、自分たちがある山の中腹近くにいることがわかった。
山を登るわけではなく、山肌を横に移動してゆく。
ちょっとした峠になっているところで、東、つまり後方に視界が開けており、あとにしてきた場所を一望できた。
抜けてきた巨木の森の、さらに向こうに、山襞と――平地が見えた。
カラント王国。
人の世界。
恐らく自分の目で見るのはこれが最後。
次に見ることができるとすれば、レイマールに会えた後。
その時は、ひとりなのか、フィンと一緒なのか……。
「おお、さらば我が祖国よ!」
モンリークが、従者たちも並べさせて、一斉に白い布を振った。
「我は、勲功第一等として、栄誉と共に帰国するであろう! その時まで、待っているがよいぞみなの者!」
勝手に感激して叫び――案内人に引き倒された。
「やめろ」
手の布を奪い取られる。
後方へ、自分たちの居場所を知らせているのと同じ行為。
とがめられるのは当然だった。
「今だけは許す。だが次はない」
班長の者だけではなく、戦闘担当者も近づいてきて、囲んでいた。
本当に次は、警告抜きで矢が飛ぶか、棒が振るわれるのだろう。
「わ、わかった……!」
モンリークと同じ班の、バルカニア貴族が、露骨に甲高い声で嘲笑った。
(勲功? 何を目論んでいるのでしょう?)
タランドン一族の者が、身分を隠すでもなく、堂々とバルカニアへ向かおうとするというのはどういう目的か。
タランドン侯爵の意を汲んでの、バルカニア王宮への、非公式の使者か。
いや、それなら、第五位程度の者ではなく、もっと身分の高いものを差し向けるだろう。あのモンリークに外交交渉ができるとはとても思えない。
レイマールに会う目的――いや、タランドン侯爵は、こんな裏ルートを使って一族の者を送りこむ必要はない。グラルダン城塞から使者を出せばいいだけだ。
バルカニアに知られずに――それなら、もっとまともな人物を送るはず。
それもこっそりと。
ガルディスの懐刀であるセルイが、本当の立場も名前も隠してこの一行に加わっているように。
モンリークもまた謎の存在だが――あの様子だと、そのうち勝手に自分からしゃべってくれそうだった。
山襞を縫って、じわりじわりと高度をあげてゆき……。
太陽が最も高くなった頃合いで、休憩となった。
「ふう……」
正直、ありがたかった。
だんだんときつくなってきて、気がつけばひたすら左右に握る杖を突きながら歩くばかりで、エンフとおしゃべりする余裕もなくなってきていた。
見晴らしのいい、わりと広い草原で、あちこちに可憐な花が咲いている。
飲める水が湧いており、みなたっぷり飲んで、水筒や袋に詰めていった。
「どうだい、調子は?」
エンフが、女性班の者たちに声をかけ、体調を確認して回る。
足を痛めた者はいなかったが、あの儚げな人妻のアリタが、やや疲労が濃かった。
エンフ自身はまったく疲れた様子がない。さすがはここを往復して生きている者だ。
「…………そういえば、バルカニアまで、どのくらいかかるのですか?」
聞くのをすっかり忘れていて、訊ねてみた。
「そうだねえ、天気や魔物にもよるけど、うまく行って、十五日ぐらいだね。色々うまくいかなくて、その三倍かかったこともあったよ」
それを耳にした女性たちが、ため息をついた。
カルナリアも。
「おーい! ランコールのギムとゴードだ! 行っていいか?」
遠くから声がして、手を振りながら男がふたり現れた。
草原の向こう側にいて、両手をあげて、全身を見せている。
「おーー!」
ゾルカンの声が飛んで、男たちは近づいてきた。
「ああいうもんさ」
まともな相手の近づき方を学べた。
「塩、肉、穀物、金属の道具。人が生きてくには色々必要だからね」
あの男たちは逆に、薬草や茸、あるいは石など、下界で売れるものを交換に出してくるらしい。
「あれは通りすがりだけど、野営地には、集まってくる。こっちへ来る時使ったから、戻ってくるのを待ち受けてる。
女を買おうとするやつもいる。こっちも売ることがある。それ専用の奴隷を注文されて、売ったりもする」
「え……」
「そりゃ、人間だからね。もちろんめちゃくちゃ高いけど。でも今回は、あんたら客が多いんで、そういうのはなし。なんで危ない。気をつけるんだよ」
「は、はい……」
確かに、近づいてきた二人は、こちらの方をちらちら見ていた。
気をつけなければ。
気をつけるといえば、セルイたち……。
もちろん居場所は常に確認している。うかつに近づかせない、あるいは近づかないように。
(ご主人さまは、どこに……)
朝からずっと姿を見ていない。ひそかについてきてくれているだろうことは疑っていないが、さすがに気になる。
「エンフ。ちょっといいか」
ゾルカンがやってきた。
さすがに彼は、右肩を確認しなくても大丈夫。
「…………わかった。仕方ないね。何とかするよ」
何の話か、エンフとそろってこっちを見ると――。
「カルス。来な」
ゾルカンに連れられ、女性班から離れ、客たちからも離れた。
「あの…………何のご用件でしょう……」
エンフの話を聞いた直後なので、女性班の中では最も身分の低い自分に、何かいかがわしいことでもさせようというのではないかと警戒する。
「心配すんな、お前さんに何かをやらせるわけじゃない」
ゾルカンは、客には話しかけない案内人たちが守っている、亜馬の群れのところへカルナリアを連れていった。
荷を乗せていない亜馬数頭、そのうちの一頭の背に厚手の布が置かれ、手綱がつけられている。
「これからは、こいつに乗っていけ」
「……え?」
「私が買った」
いきなりフィンの声がして、姿を見つけた。
胸をなで下ろし、笑顔になり、しかし色々面白くない感情も浮かんでくる。
朝、逃げられたことも思い出す。
「正確には、使わせてもらう権利を買った、ということだが」
カルナリアの内心には気づかない様子で――わかっていて無視しているのかもしれないが――フィンは言う。
「あいつらの近くにいるのはよくないからな」
確かにセルイたちがすぐ後ろにいるのは落ちつかない……が!
「よろしいのですか? 私だけ? これ、案内人さんたちにとって、とても大事なものなのでは?」
「それだけのことをした」
「な、何を」
「色仕掛け」
カルナリアは凍りついた。
旅は始まった。まだ序盤であり、割と安全。だがカルナリアが黙々と歩いている間に、フィンは何やら動いていた。一体何をしたのか。カルナリアの詰問が始まる……か? 次回、第117話「魔獣との初遭遇」。タイトルで内容と今後の展開もネタバレしてしまっているのはご勘弁を。




