113 完全降参
「…………お話なら、ここでうかがいます」
カルナリアは急いで焚き火の側に寄った。
明るく照らされ、自分の姿が遠くからでも見える場所。
フィンがどこへ行ってしまったのかはわからないが、暗がりに引きこまれることだけは絶対に避けなければ。
手にしている食器も、何かあればぶつけてやる。
「うん、じゃあ、ここでいいよ」
ファラは、少なくとも悪意は感じとれない顔をしていた。
この女性の、悪意丸出しの顔は前に見ているので、判別できる。
案内人が提供してくれた山行のための杖、ただの木の棒にすぎないそれとはまったく違う、精緻な加工が施された長い魔導師用の杖を持っており、それを体の前に立てて、これ以上は近づきませんという意思表示もしてくれた。
もっとも、魔導師の杖は魔法を発動しやすくするための道具なので、この状態は決して安全とはいえないが。
「何のご用件でしょう。私とあなたたちがお話しすることは何もないはずです」
「いやあ、それが、ひとつだけあって」
ファラが杖を傾け、今にもぐいっと迫ってきそうな気配を発して、カルナリアは喉を意識しつつ火の向こうへ逃げこむ準備をした。
「………………ごめんなさいっ! もうしません!」
いきなり、深々と頭を下げられた。
「……はい?」
「それを伝えたかったの。そこに、あれがあるのはわかってるけど、手出しもしません。欲しがりません。見たいけど。もんのすっごく見たいけど! …………我慢します。狙いません。あきらめます」
「………………」
カルナリアは目を白黒させた。
意味がわからない。
ガルディス配下のファラが、『王の冠』をあきらめる!?
「どういうことか………………聞かせてもらえますか?」
「どうもこうも、もう無理だから! あれ、あの人、カルちゃんのご主人様が、怖すぎ! 絶対無理!」
「ご主人さまが? 怖い?」
「ああそうか、目隠しされてて、あのざまじゃ、見てないのか……とにかくまあ、私たち全員、降参、降服、あきらめ、ごめん、つまりはそういうこと!」
目隠しとあの様ということは、タランドン城のバルコニーか。
やはり、フィンがあそこで何かやったのか。
ラーバイの用心棒たちがギリアを倒したという話だったが……現実的にそうだろうとカルナリアも納得したことだったのだが……事実は違うのか?
「で、私たちは完全降参、あきらめるし何もしないで、そちらには一切関わらないから、ご主人様の方もこっちに何もしないでくれるようお願いして! 私がいま一番危険でご主人様の殺す名簿最上位だろうから、直接本人に言っても無理そうすぎて、カルちゃんから! ね、ね、ね!?」
「…………よくわかりません。そもそも、あなたたちを信頼できません」
「今、ご主人様、いないでしょ? 私たちが何かやって、引き離してるわけじゃないの。食べ終わったら、スッと闇にまぎれちゃったの。こっちを監視してて、何かやったら、すぐずんばらりんするつもりなのは間違いないの!」
ずんばらりん、とはどういう意味かまったくわからないが、聞ける勢いではない。
「あれガチのマジでやる気全開なの! 怖すぎるの! 探知魔法使ったらきっとその瞬間真後ろにいるの! カルちゃんにしたことも、何から何まで、全部謝るから、謝ってもう何も悪いことしないと誓うから、許してくれるよう、カルちゃんからお願いして!」
カルちゃんにしたこと、たとえば……と、ファラはいきなり、指を一本立てた。
それを、自分の胸へ持っていく。
ついカルナリアの目はそれを追い――。
指がつついた、ファラの胸の頂だろう場所。
そこに見入った直後から、ふくらみそのものが、ゆったり、左右に揺れ始めた。
ほんのわずかだが、揺らされて、つい見てしまい、服の中にあるだろうそれを想像してしまい、揺れを目で追わずにはいられず……。
右に、左に、胸が揺れて……。
「こうやってぇ、見ているとぉ……ふかぁく……いい気持ちに……」
この声音や語りかけにはおぼえがあった。
これを続けられると、頭の中の、普通と違うところに声が入りこんできて、言われた通りになってしまう。
揺らされるものを見つめてその声を浴び続けているだけで、とても心地良く、何も考えなくていい、赤子のような幸福感に包みこまれ…………体が重たくなり、沈んでいくような……まぶたもゆるんで、重たくなって、閉じそうに……。
「はいっ!」
パン、と手を叩かれた。
「おしまい! これは、もう完全におしまい! カルちゃんは、同じようにされても、もう今みたいにはならない!」
「え…………」
目を、大きくパチパチした。
なんだか、好きでもなんでもないこの相手に言われたことが、ものすごく腑に落ちた感じがする。
「……と、この前ので、カルちゃんに影響残ってたから、ここで解除しときたかったんだ。…………ふぅ、まだ生きてる。ギリギリで許してもらえたみたい。今のもかなりヤバかったと思う。鬼上司んとこ戻った途端にサイコロ肉、ありえた。最悪。せめておっぱい揉みながら死にたい」
おっぱいというところ以外、何の話をしているのかカルナリアには一切わからなかった。
「じゃあそーゆーことで、手打ち、ぜひとも、お願いしまーっす! ほんとに、もう、何も、しないからっ! ぜひに! それじゃ!」
ファラは言うだけ言うと逃げ去ってゆき……。
焚き火の側で困惑するカルナリアだけが残された。
(何だったのでしょう?)
降参するから許してほしいと言われても、意味が全然わからない。
そもそもフィンはファラのことは知らないはず。
カルナリアの知る限り接点はなく、先ほどが初対面のはずだが。
(意味はわかりませんが、ご主人さまに口利きをしてほしいのなら……どうしてここにいるのか、バルカニアへ赴いて何をするつもりなのか、聞き出すことができたかもしれませんね。それを訊ねさせないために一方的にしゃべって逃げたのでしょうけど)
また、フィンの姿が見当たらないのは、何かが起きているのではなく、本人の意志で隠れているだけらしいというのは朗報だった。
(きっと、洗い物や片付けが終わり、寝床の準備ができたら、姿を見せてくださるでしょう)
そう考えれば、むしろ影から守ってもらえている安心感に気持ちが落ちついた。
――と思った次の瞬間、目の前にレンカがいた。
「ひ!!」
完全に硬直した。
フードをかぶった、自分より小さな姿。
しかしそのマントの中には恐ろしい剣が――その威力はこれ以上なく知っている――すでに自分は必殺の間合いに入ってしまっており、次の瞬間に首を斬られて『王の冠』を奪われても不思議はない……!
「…………何もしないよ」
おびえるカルナリアに、レンカは空の両手を開いて見せてくれた。
「さき越されたけど、こっちの用事もファラと同じ。
何もしない。降参する。あのひとに謝りたい。
謝って…………その…………また…………」
フードの下から、レンカの、美少年とも美少女ともつかない整った顔がのぞき――。
カルナリアは、そこに、恋の色を見た。
(!!!!!!)
このレンカが。
どちらの性別、どちらの感情かはわからない、両方かもしれないが、とにかく、ご主人さまに。
恋を。
ということは、こいつも、見たのだ。
中身を。
顔を。
たぶらかされてしまったのだ。
どこまで罪深いのだ、あのご主人さまは。
「どうしても、忘れられなくて………………あのひとに、また……………………殺してほしい」
「……?」
カルナリアは、肩につくほど大きく首をかしげた。
「それだけっ! じゃっ!」
夜目にも真っ赤になったとわかる顔色になると、レンカは身をひるがえして逃げていった。
「………………」
後には、首を傾けたままのカルナリアだけが残された。
ギ、ギ、ギと、きしむ音を立てながら首が元に戻ってゆく。
ファラもわからなかったが、レンカは、もっとわからない。
色によれば、恋をしたのは間違いないが。
殺してほしいとはどういう意味か。
何かの比喩か。
自分の知らない、そのような表現で示される何かがあるのか。それこそまぐわいのことを「一発やる」と言うように。
頭の中の何かが固まったまま、カクカクした動きで、エンフが女性を集めている天幕のところへ行き、自分の荷物を置かせてもらって。
いつの間にかフィンの荷物もあったので、湿気よけの薄布、厚手のマント、上掛けの毛布と広げて、二人分の寝床をしつらえた。
「エンフだ。あたしがあんたらの面倒を見る」
と、彼女はこちらでもあらためて名乗った。
天幕内の「客」は、カルナリア以外に、三人。
あの親子の、母親と、子供。
母がパストラ、子はカルリトという名だそうだ。カルリトは男の子、十歳。
もうひとり女性がいた。一緒に来た中にはいなかったが、他の隊に連れられてきたそうだ。
「アリタです。夫のシーロと共に来ています」
線の細い、儚げな女性。
年齢は少し上だが、すぐ上の姉、第三王女アリアーノを思い出す雰囲気だった。
「このカルスと、そのご主人さまってのがいる。あと、今夜は仲間うちでまとまって寝るけど、この先は一緒になるかもしれないのが他に二人。つまり合計で七人。それが、あたしともうひとりで面倒見ることになる全員だ」
「案内人さんが、もうひとりいらっしゃるのですか?」
カルナリアは訊ねた。
「ああ。トニアってのが。今は寝てる。深夜に起きてきて見張りを交替するためにね。あんたのご主人さま、ぼろさんか、あの人にも夜番をお願いすることになるよ」
「はい」
「いいかい、あんたたち。どうしても女ってのは狙われる。お互いにかばいあって、ちょっと休む時でも気をつけるように。
これから先に出るかもしれないろくでなしどもは、女なんて全然いないところで暮らしてるから、においかぎつける力はとんでもないし、執念もものすごい。できるだけ守りはするが、つかまったら最後だと思っといてくれ。犯られるならまだましな方でね、食われちまったこともあったんだ。犯りながら、噛みついて、切り刻んでね…………」
「ひぃっ!?」
女たちが声をあげた。
「また、同じ『客』にも気をつけるように。今はまだいいが、きついところにさしかかり、疲れてくると、変なことになっちまうやつが毎回何人かは出る。同情したくなっても、中に入れたり、それぞれが寝てる場所を教えたりしちゃだめだからね。外から手を入れてくるやつけっこういるから」
脅しもあるのだろうが、怖いことをエンフは次々と語っていってから、寝る支度をさせた。
「明日から、毎日ずっと山ん中歩くことになる。とにかく体を休めて、体力を回復させること。倒れたとしても運んでやる余裕はないからね」
これからの過酷さに恐れおののく女性たちは、ほとんど口をきかずに、すぐ横になった。
親子とアリタが奥側に横並び。
カルナリア、フィン、エンフ自身が入り口近く。
「カルス。ぼろは?」
「はい、そろそろ……」
寝床の支度がととのったならば――。
「来ました」
ぼろぼろが、するりと、天幕内に入りこんできた。
みな、明らかに見えていない。
いや、風の動きで察したか、エンフだけはぎょっとして身構え、腰の鉈に手をかけた。
「ご主人さま、お帰りなさい」
エンフを安心させるためにカルナリアは言った。
「こちらでお休みください」
「ん」
フィンが声を発し、それで見えるようになったのか、他の女性たちが驚きの声をあげた。
「どうですか?」
初めて自分がしつらえた寝床を披露した。
ギーに教わったことをきちんと頭に入れて、自分でも二日連続で地べたに寝てみてコツを発見し、できるだけ快適に眠れるようにした寝床。フィンと自分の身長差もきちんと考慮してある。
「いい出来だ。楽ができてありがたい」
ほめられて、たまらなく舞い上がり――。
ぼろ布をしっかりつかんだ。
「では、ご主人さま。ちょっとおうかがいしたいことが。あの子について。妙なことを言われまして。ええとても妙な。何があったのか、何をしたのか。どういう真似をしたのか。お話を。ぜひとも。細かく。じっくりと」
笑顔のまま、詰め寄ってゆく。
「夜の、最初の警備は、私が引き受けよう」
持ち上げられ、くるりとひっくり返されてから、寝床に横たえられ、つかもうとした手がすり抜けて、ぼろ布は天幕内から消えてしまった。
(おのれフィン・シャンドレン。女の、人間の敵)
まだ笑顔が固まったまま、そう思った。
カルナリアの知らない所で色々なことが起きている。それがじわじわ明らかに。なお予想外の再会によって色々暴露されてしまいそうでフィンはかなり焦っているぞ。次回、第114話「第一日、朝」。
「殺す名簿」にデスノートとルビを振るかどうか迷いましたが、世界観壊れるのでやめておきました。




