114 第一日、朝
戻ってきたらあらためて詰め寄ってやろうと思っていたのだが、他の女性たちが早々に寝入ってしまったので、カルナリアもいつの間にか眠ってしまっていた。
目覚めると、隣にぼろぼろが横たわっていた。
反対側にエンフも寝ており、大人女性二人にはさまれる形。
ちょっといい感じ、と思いはしたが――。
「…………」
横になったまま、じりじりと、ぼろ布に近づき、つまみ、つかんで――今度は逃がさない……。
「朝か……」
寝ぼけた声が中からして。
腕が出てきた。
そこにいるのが当然、とばかりにカルナリアの頭に触れ、背中に降りてきて、撫でさすってきて。
「あ…………」
脇腹まで撫でられてから、赤子をあやすように、ぽん、ぽんと背中を叩いてきた。
幸せが広がってしまい、力がゆるむ。
「起きねば……」
そこを、するりと、逃げられた。
ぼろ布が起き上がり、普段よりもかなり俊敏に、外へ。
「あっ、お待ちを!」
エンフや、他の女性たちを起こしてしまったようだったが、とにかく後を追ってカルナリアも外に出た。
日の出寸前で、東側の空の色が変わっている。
「わあ…………!」
あるものに目を射られ、ついカルナリアはぼろ布から目を離してしまった。
純白。
まだ自分たちのいるこの場所には届いていない朝日が、上空に射しこんで――その反対側、西側、明るい緑色の山襞の上、ずっと向こう、はるか彼方の、天空に。
白銀の、鋭角の、輝きが……いくつも。
山だ。
これから向かう先にそびえる、高峰。
溶けることのない雪と氷をまとった、神々の住まい。
ずっと遠くにあるはずなのに、ここから見えるというのは……近づくとどれほどの高さだというのか。
(あの足元を抜けて、向こう側へ…………)
自分たちの行く先を思って、カルナリアは畏怖の思いに包まれた。
「雪の……あるところには……登らない……安心して」
ぼそっと、声をかけられた。
天幕入り口のところに、女性が座っていた。
案内人の服装。後ろで束ねた髪。つややかな肌。王宮にいてもおかしくないようなかなりの美形、いや素晴らしい美貌。胸は控え目。
そして………………首輪。
エンフの話からすると――この女性が、もう一人の女性案内人、トニアか。
首輪をしているということは、カラントでは、奴隷。
バルカニアでは違うが、そちらにも奴隷という階級が存在することには変わりない。
――驚くほどの才能持ちだった。
文でも武でも何でも高い水準でこなせる、いわば才媛。しかも悪い色がない。
さらに、かなり多い魔力まで感じた。魔導師の素質があるのか。奴隷なのに。
だとすると、『王の冠』に気づかれるかも……!?
相手も、こちらの首輪をじっと見てきた。
だが、昨夜のファラのような狂態を示す気配はない。
そもそも気がついてすらいないのではないか。
「……トニアさんですか。エンフさんから聞きました。おはようございます。カルスといいます」
緊張しつつ挨拶した。
「…………おはよう、カルス…………いい心がけ……」
間延びする口調で挨拶を返され、ほめられた。
挨拶をほめられたのだと思ったのだが……。
「移動する時は、必ず、今みたいに、誰かに、声をかけてからにすること……それをしないと、さらわれても、気づいてもらうまで、時間がかかる……手遅れに……」
「わっ、わかりましたっ!」
殺伐とした話だった。
「それで…………何の用?」
「はい、ご主人さまを追いかけたいのですが……今出てきたはずの、ぼろぼろの布をかぶった変な人です。どちらへ行ったかわかりませんか?」
「…………ああ……あの人は……何をしても……いいと……いうことになってるから…………それに、布が、目よけなので……わからない……」
目よけ。認識阻害効果のことだろう。
「すみませんでした。ありがとうございます」
首輪および中のものについては最後まで何も言われず、胸をなで下ろす。
あらためて、目をこらしてフィンを探した。
トニアはじめ案内人たちを頼りにできない以上、自分の感覚だけが頼り。見回して探す。
しかしあちこちに天幕があり木があり、動いている人もいる。
その陰に隠れられたらどうしようもない。
おのれと歯噛みしつつも、あきらめた。
「あの、顔を洗いたいのですが、どこですればよいでしょう」
「川の、先を赤く塗った棒が、立てられてるとこ……より、上流側……」
示された先の川岸に、確かにそういう棒が一本立てられていた。
すでに動き出している案内人たちが、その上流で桶に水を汲み、あるいは顔や手を洗っている。
棒より下流側では、亜馬に水を飲ませていたり、ごみを流したりしていた。
男ばかりだ。
「私ひとりで、あそこに行って、大丈夫ですか?」
「……エンフと、一緒に、みんなで行って……私は、少し、寝る…………あふ」
小さなあくびと共に、トニアは立ち去っていった。
代わりにエンフが出てきた。
「朝から元気だねえ。おはよう、カルス」
「おはようございます。トニアさんにも挨拶できました」
「そりゃよかった。あいつとまともに話す機会ってなかなかないからね。みんなが寝てる間の番するために、みんなが起きてる間はほとんど寝てるやつだからねえ。
これから出発まで少し寝て、移動して次の野営地についたらすぐ眠って、夜中に起きて、朝まで見張りをやってくれる。客の中には、一度もあいつの姿見ないままだったのもいるくらいさ」
「はあ……」
「あたし一人でずっと夜の番するのは無理だからねえ。助かってるんだよ。ちなみにかなりの凄腕。手ぇ出そうとしてきた男を何人も返り討ちにしてる」
やはり、あの才能の輝きは正しかった。
もちろんこのエンフも、実にいい色をしている。昨夜はフィンにもすぐ気づいた。優秀だ。
トニアもエンフも、そうでなければ、大グライルを越える者たちの一員であることなどできないのだろう。
「ああ、凄腕といえば、あんたのご主人さま、あの人はとんでもないね」
「何かご覧になったのですか!?」
実力を見る機会があったのだろうか。それとも。
「変わってるけど、あれは、すごいね。色々なの見てきてるから、一緒にいるだけでわかるよ。あの人がいてくれるなら、これから先はかなり楽になる」
「もしかして…………お顔、見せてもらったりは……?」
「いや」
深く安堵した。
「本人が見せようとしないものを、見るつもりはないよ。ダンのやつが見たらしくって、すごい美人だって言ってたってのは聞いたけどね」
ダン。あの「面接」でフィンの顔を見せられた案内人だろう。途中で声もかけてきた。
とりあえずカルナリアは、彼への評価を低いものにした。
「ゆっくり休めたかい」
「はい」
「がんばりなよ。疲れてくると、どうしても他人へのあたりがきつくなる。あんたみたいな小さいのは、鬱憤晴らしに狙われやすい。気をつけるんだよ」
「はいっ!」
その後、起きてきた女性たちと子供を引き連れて、エンフは川へ移動した。
確かに、女性たちには周囲の視線が向けられがちで、警戒しなければならないと思い知った。
王宮で姫の自分に向けられる視線とはまるで違う。
生々しい欲望を感じる。男たちの目が張りついてくるようだ。
自分で自分を守れる力がないのだから、しっかり危機感を抱き続けなければ。
男たちを追いやり遠ざけてから、エンフの指示でみな顔を洗った。
ひとりひとり、体調の確認、足が痛んでいたりしないかどうか、装備の不具合なども確認された。
「いいかい、我慢なんかするんじゃないよ。隠して、ひどくなってからだと、どうにもできないことの方が多いからね。こっから先は、自分で歩けなくなったやつを助ける余裕なんてなくなる。邪魔だとわかればあたしたちの判断で処分したりもする」
「私たちは、客でしょう!?」
母親、パストラだったか、彼女が声を荒げたが、エンフは表情を動かしもしなかった。
「グライルってのはそういう所だよ。
客だから、あたしたちもできるだけのことはする。でも限界がある。あたしたちだってどれだけ死ぬかわからないんだ。これまでも沢山死んできた。
あんたらは、そういう所を通ってでもバルカニアへ、ってのを選んだんだよ。
自分で決めた以上は、自分の信じる神に祈り、自分でできる限りのことをしながら行くしかないんだよ」
パストラは鼻白み、子供のカルリトが不穏な空気を感じたか落ちつかなくきょろきょろした。
「おーい、客人たち、集まってくれー!」
ゾルカンの声が響き渡った。
朝の光の中で、この野営地の全体がおおむね見渡せて、人の数も見当がついた。
よく使うところなのだろう、煉瓦を積んだ調理台や丸木を組んだ仮小屋のようなものがいくつかあった。
家、と言えるほどのものがないのは――グライルは人を拒む、と聞くその一環だろうか。定住するには危険すぎると。
脚の短い、しかし頑丈な亜馬が二十頭ほど。いっぱいに荷物を積んだのと、わずかだけのと、何も積んでいないのがいる。交替させながら進むのだろう。
案内人は、あちこちに散らばっていて、合計で三十人くらいだろうか。
これも、大きな荷物を背負った者、ほとんど何も持っていない者、武器を持った者と色々だ。周囲の警戒や戦闘を担当する者と、荷物運びの者と、役割分担がなされているのだろう。
天幕を解体し背負えるようにまとめたり、朝食だろうパンやハムを切っている者たちもいる。
女性はエンフだけで、トニアの姿は見つからなかった。
獣人は、あのバウワウ以外にも、数人いた。
犬系でバウワウよりも猛々しい頭部をした者がいる。もうひとりガンダという者がいると言っていた、それだろう。
猫、あるいは豹系で、荷物は背負っておらず槍を手にしている者。見るからに俊敏そうで、偵察、哨戒、戦闘担当なのは間違いない。
亜馬よりもさらに大きな荷物を背負う準備をしている、のっそり動く、巨体の、牛系獣人が二人いた。頭の左右に大きな角が生えていた。
「客」は――五人ごとに指を一本折るやり方で急いで数えてみると、自分を含めて四十八人いた。
ただしフィンは見当たらないし、セルイたちは見つけたが、あの目立たない男、七人のうちの一人がいるのかどうかがわからない。
――名前がわからないのでとりあえず「名無し」としておいた。
いかにも自分は大物だとばかりに仁王立ちし、三人の従者たちに囲まれて、目立っているモンリーク・タランドン。
カラントの貴族らしい者は他にはいなかった。
ただ、姿勢や振る舞い、従者を連れているところから、バルカニアの貴族ではないかと推測できる者が二人ほどいた。
「おはよう、客人の諸君!」
ゾルカンは、少なくとも顔と表情は上機嫌だった。
「ここがグライルだ。グライルのほんの入り口だ。
あらためて自己紹介する。俺たちはこの大グライルの案内人、恐ろしいものの目を逃れつつ、足元をちょろちょろ這い回って、何とか生き延びてる、山ねずみだ。俺はそいつらの頭をやってるゾルカンってもんだ。
そしてお前たちは、その山ねずみに頼って何とかグライルを通り抜けたいと願う、身の程知らずの、尻尾の先のごみくずだ」
「おいっ!」
モンリークはじめ、何人かが憤然と声をあげたが、ゾルカンはもちろんまったく動じない。
「これから俺たちもお前たちも、グライルの顎の中へ入っていく」
ゾルカンは髭面をめぐらして、西方に輝く白銀の高峰を示した。
初めて気がついた者がいたようで、いくつか感嘆の声があがった。
「グライルは、人間ごときまったく相手にしていない。下界でどんな身分があろうと、どれほど金を持っていようと、どんな強い思いを抱いていようと、どんな理由で通ろうとしているのであっても、男でも女でも、一切関係なく命を奪ってくる。
グライルの前に人は完全に平等だ。
だが、俺たちとお前たちは、平等ではない。
俺たちがここでは貴族だ。俺たちの言うことは絶対だ。俺たちの言うことには必ず従ってもらう」
昨日も言われたことだが、こう念押しするということは、本当に重要で、必要なことなのだろう。
「俺たちはグライルで生き延びるやり方を知っている。お前たちは知らない。生きてグライルを越えたいのなら、俺たちの言うとおりにしろ。従えないやつは、どうなっても知らん。俺たちの邪魔になるようなら客人でも排除する」
「ふざけるな! どれだけ払ったと!」
案の定、モンリークが怒鳴ったが――。
ゾルカンがあごで合図した。
豹頭の獣人と、棒を持った屈強な案内人も数人、向かっていった。
「な、何をする! 無礼者! 寄るな化け物! 私に手をかけるとどうなるか!」
「どうなるんだ?」
少しくぐもった、獣人の楽しそうな声がした。
剣に手をかけた従者三人が、案内人たちにあっという間に制圧され、武器を奪われ地面に引き倒されて。
モンリークは、うつ伏せにされ、尻を突き上げたかたちにされた。
「ぶっ、ぶれいっ、無礼者っ! 誰か助けろ! 私は貴族だぞ! タランドン一族の!」
「人間の、男の肉は、まずいんだが……他になけりゃ、それでもいい」
豹の獣人は、まず太い骨つき肉を仲間からもらうと。
鋭い牙がずらりと並んだ口を大きく開けて。
肉を簡単に食いちぎった。
一口でごっそり肉がえぐられる。
その上で、軽くモンリークの尻を叩いた。
「ひぃぃぃっ! やめろ! やめろぉぉぉぉ!」
「俺たちの言うことを聞くな?」
「わ、わかった、きく、きくからっ! 離せっ、離してくれっ!」
蒼白になり汗まみれになったモンリークが、解放された。
その目の前で、獣人はさらに肉を食いちぎり、人の頭部ほどもある肉塊をあっという間に平らげ、骨も音を立てて噛み砕いた。
最後に牙を見せつけて笑うと、離れていく。
「…………化け物め……汚らわしい……」
ぼつりと言うと、モンリークはへたりこみ、同じくらいに蒼白になっている従者たちに支えられた。
明らかに見せしめのそれにより、客たちの顔つきが変わった。
「……これから先、お前たちは、俺たちの指示に、必ず従ってもらう。どんなことでも、だ」
あらためてゾルカンが念押しした。
事故を起こさないために、現場の人間の指示には従いましょう。この簡単な鉄則を、理解できない者は現実にもよくいる。これまでの常識が通用しない世界の旅がいよいよ本格的に始まる。次回、第115話「注意事項」。




