103 深まる謎
「ふふっ、わかるか、まあそうだよなあ」
カルナリアがもがくと、オーバンの腕の力が強められた。
その際に、引き締まった肉体の中で魔力が動くのを感じた。
魔導師の素質を持った者の動かし方ではない。
妙な――としかカルナリアには言えないが――魔力のかたまりのようなものがうごめいた。
「だがな、名前を言ってもあんたにゃわかんねえよ。こっちが一方的に知ってるだけだからな、フィン・シャンドレン」
「…………精神操作魔法…………いや、憑依、か?」
「ご明察。この国じゃ呪法って言うんだがね。それを使ってる。中に入って動かしてるだけだから、こいつを切り刻んだとしても、俺は何ともねえよ。残念だな」
オーバンは――オーバンの口を借りている誰かは言い、カルナリアは驚いた。
貴族というものは、数千人、数万人の運命を容易に左右できる立場だ。
そういう者が、他人の意のままにされては大変だ。
だから精神操作魔法への対策は、常に、念入りに行っているはずではなかったのか。
「昨日の者たちのひとり……ではないな」
「へえ、同じこと考えてたやつらがいたのかい。まあそうだろうな。あんたのその剣見たら、誰だってこうするよ。俺も、あの時見てからというもの、もう欲しくて欲しくてたまんなくって、どうにかならないか探ってた。そしたら、どうやらこいつのところらしいって伝わってきてな……」
恐らくそちらも操られているのだろう少女を抑えているマルガが、小さくうめいた。
「もちろん普通なら、お貴族様に、呪法はほとんど通じねえ。だがな、例外はあって――ものすごく強力なやつで守りを突破するか…………もうひとつは、わかるかい、お嬢ちゃん?」
ぴたぴたとカルナリアの頬に刃をあてながら、「オーバン」はねっとり言ってきた。
「じっ…………自分から、望んだとき…………ですか!?」
「おお、大正解! よくわかったねえ。やっぱ、剣聖の宝物だけあって、頭いいんだなあ」
「たからもの!?」
「あれだけのことやって助けた相手だ、宝そのものだろ。こうして捕まえれば、剣聖さまもまったく手出しできなくなるくらい大事にしてる。ふへへ」
フィンからは、冷え冷えとした殺気が吹きつけ続けている。
しかし動かない。
自分が人質にされているせいで動けないのか。
「城と同じさ。外から強引に攻めるか、内側から開かせるか。こいつは、城門を自分から開いたんだ」
「どうして!?」
思わずカルナリアは叫ぶ。オーバンの人柄にはそんなものは感じなかったのに。
「どうしてって、そりゃ、『あの時の剣聖さま』見りゃ、男なら誰でも、な。
こいつは、惚れちまったのさ。
そして、また会いたいと心から願った。
だから俺は簡単に入りこむことができた。
まあ、そうなるように仕向けたんだが、そこは俺の腕がいいってことで」
「……口調は下劣だが、中身は、貴族だな。城の者と見た。オーバンに近づきそういう話を持ちかけることができる立場。城勤め――侯爵側近の魔導師か」
フィンが低い声で言った。
確かに、それならオーバンに接触するのも、油断させるのもたやすいだろう。
「しまった、話しすぎたか。しかしまあ、つい自慢したくなる気持ちはわかるだろ?」
「目的は」
「だから、あんたと、その剣だって。見たい。調べたい。欲しい。それの持ち主であるあんたもきっと普通じゃないだろう。だから調べたい。欲しい。俺のものにしたい」
「断る」
フィンが言うと、カルナリアの首に巻きついているオーバンの太い腕に、力がこもり、首がきしんだ。
「ぐえ……」
「あんたの腕前は一番近いとこで見てる。俺本人だったら怖くてこんなことできやしない。だがこれは俺の体じゃない。この体は自分の意志じゃないもので動いてる。
だから、あの時の女と同じようにしたところで、体が動かなくなる前に、お嬢ちゃんのこの首をへし折ることはたやすい」
「…………」
(あの時の女と同じように?)
疑問を抱いたが、今はそれどころではない。
(何か、何か、今の私にできることは!?)
捕らえられ、おびえているだけなら、自分はただのお荷物だ。
そういうものではなくなるために頑張ろうと誓ったばかりではないか。
逃れるための手段、フィンが自分を助けられるような動き、反撃、何か、なにか……!
「あぐっ!」
自分を捕らえる腕に噛みついた。
思いきり噛み、顔を振りたくって、布地ごと肉を噛みちぎってやろうとした。
「んー、痛いなあ。でもまあ、この体がちょっと痛がってるというのがわかるだけで、俺自身は何ともないんだよねえ」
オーバンの中の者は、全然相手にせず、嘲弄してきた。
「そのちっちゃなお口じゃ、肉に歯形つけるのが精一杯、血まで出せたらがんばったねー、というところだ。まあせいぜいがんばってくれ。歯が折れたりあごが外れないように気をつけろよ」
「ぐうっ……!」
口の中いっぱいに布地と硬い腕肉を感じつつも、カルナリアは悔しさにうめいた。
あの猫背の男が連れていた大型犬の牙が自分にあれば、この肉を裂き骨まで砕いてやれるのに!
「はい、それもだめ♪」
いきなり全身を横に振られた。
血の臭いが広がる。
仲間を押さえていたマルガが、刃物を持ち――カルナリアを捕らえる太い腕に、突き立てていた。
いや、オーバンの体が、マルガの突進を、その腕で受け止めたのだった。
カルナリアの目の前で、短剣を刺された腕から血があふれ出る。
怖気が走る。血の臭いに吐き気をおぼえる。
「やるねえ。いい動きだ。
でもいいのか? 第四位、男爵様を、お前は刺したんだぞ?
俺がこいつから離れても、貴族を刺したお前が、この後どうなるか……。
ああそうか、つい防いでしまったが、腹の、まずいところに刺してもらった方がもっと面白くなってたのか。失敗したな」
「うっ……!」
マルガはたじろぎ、歯噛みしつつも、動けなくなった。
貴族に手を出せないという意識にとらわれた。
そのこともカルナリアにははっきりとわかってしまった。
あのレンカのような感覚でいれば、遠慮なくオーバンを切り刻んで自分を助けてくれただろうに。
いや、それを望むのも間違っている。それは違う。オーバンを殺すのを前提にするなどとは。
「!」
オーバンは、マルガを容赦なくぶん殴った。
マルガは吹っ飛び――受け身は取りすぐに起き上がったが、鼻血を流して、よろめいている。
「やめなさいっ!」
「うるさいぞ、奴隷の分際で――おっと」
オーバンがすぐに、カルナリアの体をフィンへ向けて盾にした。
「おい、起きろ。俺と剣聖さまの間に立て」
マルガに押さえられていた少女が、言われてすぐに身を起こす。
その顔に一切の表情はない。目もうつろ。明らかに操られている。
床を踏み、言われた通りの場所に立った。
フィンが剣を振るったならば、必ずその子のどこかが切り裂かれてしまう。障害物になって突きも届かない。
「そこの二人!」
オーバンは今度は、事態に反応できず立ちすくんでいる残りの少女二人に強い声を飛ばした。
「第四位貴族、オーバン・ファスタル・ファス・タランドンが命じる! その女を押さえて、三人とも、剣聖さまの後ろの窓際に立て!」
貴族の威風に飲まれて、二人はマルガを引き起こし、両腕をそれぞれ押さえて、後方へ引き下がってしまった。
これでもうマルガも助けてくれない。
「さあ、このルナが大事ならば、剣を渡してもらおう。
その子に渡せ――ああ、待て、その前に」
オーバンの口がニヤリとして言った。
「着ているものを全部脱げ」
言われるなり、少女が、身につけているものを脱ぎ始めた。
やはりそこに一切の感情の動きは見えない。
恥じらうことも、同僚の目を気にすることもなく、黙々と、さっさと、上から下まですべて脱いで、裸足で床に立つ。
『若魚』――『稚魚』たちの中で優秀な者、近いうちに客を取るように育成されている少女、その中でも自分を王女と見抜いたオティリーが当面の側仕えとして選んだ者。
すなわち、すばらしく魅力的な体をしている。
後ろ姿だけでも、肌はなめらかで、腰はよくくびれ、尻の肉づきもいい。
オーバンの口がむふっと下品な笑いを漏らした。
いやらしい……とカルナリアは『犯人』を軽蔑したが。
単に操った少女をもてあそんで楽しみたいというだけが狙いではなさそうだった。
「普通の剣ではないからな。どういう防御、どういう呪いが施されているかわかったもんじゃない。素っ裸なら、影響がすぐわかるってもんだ」
自慢げに、目論見を口にする。
持ち主ではない者が触れると害を及ぼすというものは、衣服に施す防御魔法ではおなじみだ。
かつての自分の衣服もそういうものだったし、フィンの服にもそれが施されていたことは、あのずぶ濡れの一夜でよく知っている。
武器にも、そういう魔法をかけておく騎士は時々いる。
フィンの剣にもその手の効果があるのではないかという危惧は、当然のものだった――が、やり方が実に悪辣だ。
「では……フィン・シャンドレン。お前の剣を、その子に渡せ。余計な真似をすれば、このお嬢ちゃんが無事じゃすまない。ああそうだ、首を折るだけじゃ簡単でつまらないし、おあつらえむきにここに血もたっぷりある、この子にも呪法を――」
オーバンの腕に魔力がはしり、カルナリアの目の前で流れ出ている血液が、生き物のように持ち上がり、触手のようにひとくねりしたかと思うと、カルナリアの額に触れてきた。
「いやああっ!」
生温かく、ぬめっとした感触。
おぞましさに総毛立つ。
相手の魔力が流れこんできて――。
次の瞬間、オーバンいやその中の者が、激しく動揺した。
「な、なんだ!? こいつは!?」
(あっ! まずいです!)
ファラが言っていた。自分の体には、王宮魔導師たちが守りの魔法を施していると。魔力を感知できるカルナリアでも気づけないほど微細かつ精密な守りが、と。
そして――。
「なんだ、これは!? 一体!?」
首輪の中にはもちろん、この国で最大最強の魔力を放つ至宝、『王の冠』が!
それに気づかれた!
(まずいまずいまずいまずいっ! どうにかしないと!)
だが相手の驚きは、隙でもあった。
「アイラ!」
フィンが叫び、動いた。
閃光。音。
動いたと思った次の瞬間にはもう違う場所にいた。
カルナリアに見えたのは、動き終えたフィンの姿だけ。
全裸の少女の脇を抜け、斜め前方へ大きく踏み出し。
そこから、長剣を、抜き放ちきった姿勢。
低い姿勢のフィン、いっぱいに伸ばされた腕、その手に握られた長剣。
鞘ごと。
粗い布をまきつけられたそれが、カルナリアの頭上、オーバンの頭部に届いていた。
風斬り音はした。
だが打撃音はしなかった。
寸止めか。
いや、触れさせはしていた。
(!!!!!!!!)
その瞬間、カルナリアの全身を、とてつもないものが貫いた。
悪寒、怖気、戦慄――そういう言葉で表現される、次の瞬間にいやなことが起きるという予感の、数十倍数百倍も強烈な、いや根本的に格が違うものが。
カルナリアの頭が真っ白になり。
「グエッ!」
オーバンが濁った悲鳴をあげ。
その体が硬直し。
カルナリアの額にくっついていた血の触手も弾け飛んで霧となり。
カルナリアの首に巻きついている腕にとてつもない力がこもりそのまま骨がへし折られ…………
…………ることはなく、逆に腕の拘束が外れた。
オーバンの腕の筋肉は力が入ったままなのに。
それ以上の力と、技によって、制圧されていた。
「しゃがみなさい!」
きれいな女性の声で言われて、反射的に体が動いた。
腰を落とした。体重も利用して下へ。オーバンの腕の隙間を頭がすり抜ける。しりもち。
オーバンのたくましい長身が、浮いて、回転して、投げられた。
床が揺れた。
たくましい長身の上に、それ以上にたくましい体が乗り、その動きを完全に封じていた。
あの、女戦士――医師の助手だった。
「アイラ、よくやった」
フィンの声に続いて、闇がカルナリアにかぶさってきた。
ぼろ布だ。
優しく抱き起こされる。
「無事だな」
フィンの肉声が、闇の中の、すぐそこで響いた。
「は…………はいっ…………」
返事してから、歯の根が合わなくなって、フィンの体にしがみつき、胸に顔を埋めて震え続けた。
「よかった」
その背中を温かい手が撫でてくれた。
「…………すまないっ!」
先ほどの男が、汗の染みを床に作り、平伏した。
カルナリアは寝台に寝かせられている。
そのかたわらにフィンが腰を下ろし、額を撫でてくれている。
その前の床である。
「まさか、あの方が! それに情報も漏れていた! 腕利きが大勢やられたせいとはいえ、大恩人を危険にさらして、お詫びのしようがない!」
「まあ…………幸い、こちらは無事ですんだのだから、怒りはしないが…………あの者たちはどうなった」
「オーバン様は、心身すべてを念入りに調べなければならない。それができる者を手配している。……城で、魔導師がひとり、突然死んだという話だ。それもひどい有様で。犯人だろう。その周辺を洗い、今後このようなことがないようにする。
あの女の子は、ちょっと操られただけで、問題ない」
「それならいい。関係者の処分も不要だ。こちらからの要望としては――中途半端になってしまった分、昼の食事を豪勢にしてくれ。手のこんだものではなくていい、量を多めに」
「それはいいが…………そんなことだけでいいのか?」
「欲しいものはすでに要求してあるし、それ以上をもらっても持ち運びに苦労するだけだ。まあ、今後の便宜をはかってもらうことはお願いしたいし、直接あの子を助けてくれたアイラや、助けようとして怪我をしたマルガにはたっぷり報いてやってほしいが」
「わかった。その通りにする。剣聖どの。あなたが剣聖と呼ばれている理由も、本当によくわかった。すまなかった」
「では終わりだ。片付けはまかせる。この子も休ませる」
散乱したものが片づけられ、室内から人がいなくなると、フィンは寝台に上がってきた。
カルナリアはすぐしがみついていく。
受け止められ、背中をさすられた。
ようやく恐怖が薄れて、ものを考えられるようになってきた。
それまでずっと、震え続けていたのだ。
「まったく、めんどくさい…………こうなるから、男の前で顔を出すのはいやなんだ……」
「なっ、何がっ…………何が起きたのですか…………!?」
「魔導師としては腕が良かったのだろうが、戦いについては素人だったな。あの子を立たせたり、脱がせたり、余計な時間をかけ、しかも女の子の裸に見とれて、背後からアイラが忍び寄ってきていたことに気づいていなかった。後ろの子たちには見えていたから、本職の戦士だったら、その目の動きで気づいていただろうに。
それで、アイラに、合図と共にオーバンの腕を押さえてもらった。本人が言っていた通り、気絶したとしてもお前の首を折ることはできたからな。さすがにあの腕を力でこじあけるのは私にもできないことで、助かったよ。
ああ、アイラが来ていたのは、昨日できなかった分、今日、お前を診療するためで――」
「それはっ、はいっ、でも、それじゃなく…………その前の……あの、怖いのはっ……!?」
「ああ………………呪い返しだ」
「のろい……がえし……」
「前に、呪われた時に、私の護りの中にお前を入れたのはおぼえているか」
「はい……」
忘れるわけがない。
あの荒れ地での、殺気、死の確信、恐怖。
「あれが発動したんだ。
他人の中に入りこみ体を乗っ取るほどの強い精神魔法、すなわち呪いだ。
その呪いを、お前にも及ぼそうとした結果、お前に呪いがかけられたと判断し、呪い返しが飛んでいったんだ。
ただ、お前とつながりを作られてしまっていたので、お前にも影響が及んでしまった。石を投げた時の、横に吹く風のような、わずかなものではあるが」
「わずか…………?」
それだけで、あれほどの恐怖を感じたというのなら。
石そのものをぶつけられたことになる犯人はどうなったのだろう。
いや、先ほどの男は、城で魔導師がひとり、ひどい有様で死んだと言っていた。
すぐに伝わってくるとは、よほどの死に様だったのだろう。
そんなことのできる呪法具をフィンは持っており、駆使しているということになる。
まず間違いなく、あの剣がそうなのだろう。
……だが、間近で見たばかりか、手をぶつけたこともあるのに、一切魔力を感じなかったものが、そんな機能を持っているというのもおかしな話だ。
(死神の剣…………と、街では語られていましたね…………名前だけでも恐ろしいのですが、宣伝をかねて仰々しい名前をつけることはよくありますし……)
そして、初めて、本当にフィンが剣を振るうところを見た。
すさまじい身のこなし、抜き打ちの速さ、正確さ。
高位貴族でありかくまってくれた恩人でもあるオーバンを殺さない、傷つけない、完璧な寸止め。
自分も斬られる側にいたカルナリアには、何一つ見えなかった。
弧を描いた光と、全てが終わった後の風だけを感じた。
あれが鞘ではなく刃だったら、オーバンが戦士であったとしても、何もできずに首をはねられていたのかもしれない。
(このひとは…………本当に…………いったい、何者…………?)
前に気にしたときからさらに長い時間を一緒に過ごし、さらに色々なことを知ったのに、それ以上に謎が増えてゆく。
それなのに、警戒することも、疑うこともできず。
「お前も、噛みついて、よくがんばった」
こうして、抱きとめて、体をさすってくれる、これがたまらなく気持ちよく、安心できて。
どこまでもずぶずぶと甘えてしまいそうになる自分が、腹立たしく、情けない。
それがわかっているのになお、まだしばらく、この優しい抱擁から逃れることができそうになかった。
フィンが顔をあらわにするとこういうことになる。そして今やカルナリアこそがフィンの最大の弱点、狙い目と知られてしまった。これからはフィン以上にカルナリアが狙われることは確実だ。どうすればいい。次回、第104話「お別れ」。




