97.
婚約式用の蝶のドレスは、本当に素敵だった。
生地も技術も国一番のものだから着心地も良い。
「ふわぁ…す、ごい……」
髪型もアップにまとめあげられ、メイクも軽く手直しされ今は全身鏡で見せてもらっている。
「…ほぼ、大丈夫なようですね〜。あとは仕上げて〜…」
とミカエル女史は自分の仕事に没頭しているが
「…はい〜、ではあちらも準備が出来たようなので〜……」
となにやら耳打ちをうけたミカエル女史に手を引かれ付いて行くと
─衣装を着替えたヴィンセントがいた。
私は驚き目を瞬きながら見ると、彼もまた婚約式の衣装を誂えていたようで純白のスーツを着こなしている。
よく見ると、彼の右胸に私と同じデザインの蝶のモチーフが付いていて、そこから私のドレスとは逆巻きの螺旋状に蝶の刺繍…つまり対になるようなデザインなのだ。
「──どう、だろうか?狙いすぎか…?」と少し顔を赤くしながら苦笑している。
私は…動けなかった。
…人って感動しすぎると本当に、身体が動かないのだなと頭の隅で考える。
「………マリア?」
動かない私に心配そうな顔のヴィンセント。
瞬間、ぶわっと視界が滲んだ。
「うっ…ふぇ……」
ボタボタと大粒の涙が次々と溢れ、止まらない。
ドレスは汚さないようにと手で拭うが間に合わない。
侍女さんたちが慌ててタオルを渡してくれたので受け取り、ヴィンセントがソファへと座らせてくれる。
私はタオルに顔を埋めて泣いた。その間、ヴィンセントは背中を擦ったり肩を擦ったりしながらただ黙って落ち着くのを待っていてくれた。
ようやく涙も止まり、ひどい顔だとは思うがタオルから顔を上げる。
「……大丈夫か?」
「……うん。ごめんなさい…」
「…他の人は君が落ち着くまで別室に行ってもらった。」
2人きりだから大丈夫、とヴィンセントが微笑むのに頷き
「…わ、たし……前のとき…『そろそろ結婚しようか』って、あちらのご両親にも会ってたの……」
とぽつぽつと話しだす。
ヴィンセントは私の頭を撫でながら黙って聞いている。
「だけど…あんな事になってしまって……」
生命が終わってしまって、当たり前だが花嫁衣裳など着ることは叶わなかった。
それが今世では、愛しい人と揃いの衣装を着ているのだ。
「ふぇ…」とまた涙が零れる。
『涙腺が壊れる』なんて表現があるけど本当ね、と心の中で独りごちる。
と、ギュッとヴィンセントが抱きしめてくれる。
「──俺が、幸せにする。必ず…2人分、幸せに、する。」
「"2人"…?」
「前世の君と、今の君…その…前世分は、おこがましいかもしれないが……」
と彼は眉尻を下げている。
ああ、この人は、私の全てを認め受け入れてくれるのだな…とまた涙が溢れる。
「ふ…ぅぇ……ヴィニー…ヴィンセント、愛してる……大好き…」
と私はまたタオルに顔を埋める。
「結婚式でもないのにコレとか…結婚式どうなることやら……今から怖い。」
「…逆に冷静になれるかもしれないぞ?」
ようやく落ち着き、ミカエル女史と侍女さんたちを呼び戻し元通りにしてもらい、今はお母様たちのいる庭へ戻っている途中だ。
王族関係者しか入れない後宮の外廊を歩き、おしゃべりをしながら戻っているのだが─
「…?」
「……どうした?」
私はふと足を止める。
すごく嫌な感覚が背筋を這う。
言いようのない、喩えようのない、恐怖──。
私はぶるぶると震えだし自分で自分を抱きしめる。
─なん、だろう…?
嫌な汗が背中を流れる。
─周囲の音が、聴こえない。
「マリアッ」
「ッ……ヴィ、ニー……」
私は目を瞬き愛しい人の顔をゆるゆると視界に入れる。
だがそこにあったのはハイライトのない、死んだ魚のような目をした彼の顔──。
ゾッ…、とし慌てて目を瞑る。
と、耳に音が急に戻ってくる。
風の吹く音、木々のざわめき、鳥の声──。
それで、ようやく目を開き恐る恐るヴィンセントの顔を見るとそこには心配そうな、怪訝そうないつもの、彼の顔……。
そこで私は大きく息を吸い、大きく息を吐いた。
──白昼夢…?そんなの、初めてだわ……
心臓がドッドッドッとすごい音を立てている。
「……マリア…」
と優しく、だが力強く抱きしめてくれるヴィンセント。
私もぎゅうっと抱きしめ返す。…彼の、存在を確かめるように。
手の指先が、氷水に浸けたみたいに冷たい。
ヴィンセントがそれに気付き手を握って暖めてくれた。
「……大丈夫、か…?なにがあった…?」
「……白昼夢…? 私にもよくわからない…」
とゆっくり、ついさっき起きたことを話していく。
「…なん、だろうな……」
「本当に……」
と2人でしっかりと抱き合いながら、お母様たちの待つ庭へと急ぐ。
──思えば、これもまた『虫の知らせ』だったのだ─
婚約式は1週間後で、ヴィンセントは今日から侯爵家を出て王宮に戻る予定なのだが"さっきの件"で私が彼から離れることが出来ず私がそのまま残ることになった。
お母様にはすごく心配されたが、"アシュクロフ"だった頃もよく『離れない』ということがあったので彼の側がいいなら、と了承してくれた。
「ごめんなさい、お母様…」
「まあ…仕方がないわ。貴方たちは、本当に深い信頼関係で結ばれているのね。」
と穏やかに笑っている。
「…じゃあ、メアリー。娘を…マリアをよろしくね。」
「ええ、大丈夫よアイリーン。王家が、私たちがしっかり守るわ。」
そうして、ではまたねとお母様は帰っていった。




