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Walk Hand in Hand  作者: 阿瀬 ままれ
第四章 得体の知れない生物
22/66

 船底にぴたりと張り付くと、クレスとあかねは、鉤縄を伝って甲板まで先に登っていった。ラースは、セラを支えるのに必死で縄を登ることができなかったため、クレスとあかねに鉤縄を引っ張ってもらうことで、上へと上がった。

 遅れて甲板に辿り着くと、ラースはある程度回復した様子のセラを背中から降ろし、次に敵を警戒して辺りを見回した。船は、馬車が十台乗ってもまだ余裕があるほどの広さだった。船体の中心に白帆を支える大きなマストが立っており、後方には屋根の(かさ)上げされた船尾楼が設けられている。他にも色んな所を隈なく見渡したが、犯人と思わしき姿は甲板に見当たらなかった。


「敵、ここにはいないのかな?」


 あかねが呟くと、クレスは船尾楼に目を向けながら言った。


「犯人は、船内にいると考えて間違いないだろう。舵もあの船尾楼の中か、あるいはその屋根の上にあるのが一般的だからね。きっと犯人も、そこから遠く離れるようなことはしていないはずだよ」

「なら、やることは明確だな。早いとこ船の中に突っ込もうぜ」


 ラースの呼びかけに対し、クレス達は返事と共にうなずいた。


 波で船体が揺れる中、ラース達は犯人に感付かれないよう、できるだけ足音を立てずに船楼へと近付いた。

 時間をかけて扉の前に来ると、船楼の中から何者かの話し声が聞こえてきた。すぐに押し入ろうとラースは思ったが、これは犯人しか知り得ない情報を探るチャンスだと考え直し、扉に近付いて聞き耳を立てた。クレス達も同じ考えだったのか、ラースの隣に立って耳をそばだてた。

 中からは、男二人の声が聞こえてきた。一人はいかにも傲慢そうな声の男で、もう一人の男はその手下なのか、へりくだった話し方をしていた。傲慢な男の高笑いや手下の返事などは聞こえてきたのだが、会話の内容が何なのか、その肝心な部分がなかなか聞き取れなかった。


「くそっ。奴ら、大分離れた所で話してやがるな……」


 聞こえそうで聞こえないもどかしい状態が続き、ラースは思わず舌打ちをこぼした。


「私も、『試験は成功した』という言葉くらいしか聞こえませんでした……。それ以上は……」


 セラも扉から耳を放し、肩を落として言った。「俺もそれは聞こえたんだよな」とラースがうなずいた。


「皆、どうする? もう突入してしまうかい?」


 クレスの問いを聞き、ラースとセラは返答に迷ってしまった。このまま粘っても望むような結果を得られないのは目に見えていたが、犯人がバルドロス帝国の人間かもしれないとなると、このまたとない機会を簡単に逃すようなことはしたくなかった。もしかすると、セラの秘密やあかねの仲間のことについて、少しでも情報を得ることができるかもしれないというのに。

 ラース達が悩んでいる一方で、あかねはクレスの言葉すら耳に入っておらず、今もなお犯人の会話に耳を傾けていた。決して、会話がはっきりと聞こえていたからというわけではない。ただ、犯人の一人である手下の男の声に、あかねはどことなく聞き覚えがあった。


「この声……。お姉ちゃんを連れ去った、あの騎士の声と同じ……?」


 もっと近くで聞こうとしたあかねだったが、犯人の会話に夢中になるあまり、先程取り出した鉤縄がウエストポーチからはみ出てしまっていることに気付かなかった。あかねが無意識に足を動かした途端、その反動で鉤縄がウエストポーチからぽろりとこぼれ、ドスンと大きな音を立てて床に落ちた。


「誰だ!」


 中にいる手下の男が叫んだ。もう、いくら耳を澄ましても犯人達の会話は聞こえてこなかった。ラース、セラ、クレスの三人は、あかねをじろりと責めるように睨み付けた。


「わ、悪かったって……そんな目で見ないでよ」


 顔中汗まみれになって謝るあかねに対し、ラースは大きくため息をついて言った。


「別にいいさ。ちょうど俺らも突っ込もうと考えていたところだ」

「だから、あまり気に病まないでください。あかね」


 ラースとセラのフォローに、あかねは気恥ずかしさで頬を赤く染めた。


「じゃあ、行くよ。一、二の、三!」


 合図と同時に扉を勢いよく開き、クレスは船楼の中に先立って突入した。ラース達も顔を見合わせてうなずき、クレスの後に続いた。


「アルテリア帝国騎士団三番隊隊長、クレス・オルディオだ! 殺人未遂罪の容疑で……」


 犯人に向かって叫んだつもりだったが、思わずクレスの口が止まった。船尾楼の中は、すでに(もぬけ)の殻となっていた――否、よく見てみると、奥の方に下へと通じる階段がある。目を凝らすと、先程まで話していたであろう二人が、駆け足で階段を下っている最中だった。


「逃がすかよ!」


 ラースが叫び、すぐに犯人の後を追おうと走り出したとき、階段の方から何者かの声が聞こえてきた。それは、傲慢そうな男のものでも、手下の男のものでもない、第三者の声だった。ぶつぶつと何かを呟き終えたかと思うと、次の瞬間、階段から刃物のように尖った氷柱(つらら)が三本、矢のように放たれ、ラース達に襲いかかった。

 不意の出来事に驚きながらも、クレスとあかねは間一髪で横に跳び、氷柱を避けた。足がすくんでいるセラの方にも氷柱が向かってきたが、ラースがセラを押し倒して庇ったおかげで、辛うじて直撃は免れた。氷柱の矢は床や壁に深々と突き刺さり、やがてガシャンと音を立てて砕け散った。


「まさか、あの二人以外にも敵がいたとはね」


 ラース達がよろよろと立ち上がる中、クレスが素早く体勢を立て直し、腰に付いている剣の柄に左手を添えて、クレスは言った。


「早く出てくるんだ。元より、お前達もそのつもりで、僕達を足止めするつもりで、ここにいるんだろう?」


 「言われなくても」と言わんばかりに、敵はすぐに階段から姿を見せた。予想外なことに、階段から現れた敵は二人だった。

 一人は背がセラと同じくらいの小柄な男で、フード付きの真っ黒なローブを着ている。両目が影で隠れるほどにフードを深く被っていて、何とも暗い印象だ。

 もう一人は、小柄な男とは対照的に屈強な男で、図体はラースより一回りも二回りも大きい。腕は枕木二本をくっつけたかのように太く、胸も薄着のタンクトップから筋がくっきりと表れるほど、はち切れんばかりに溢れている。

 表情を露わにしないフードの男と、太々しい顔をする大男の二人を目にし、ラースは思わず口をあんぐりと開けた。……この二人、三日前に手下を連れてリバームルを襲撃したあの連中ではないか。


「ここまで早く見つけられるとは思ってなかったぜ……ガキ」


 大男の方も覚えていたらしく、ラースの姿を目にするなり、大男はにやりと不敵な笑みを浮かべた。


「ラースさん、あの人達のこと知っているんですか?」


 セラの問いに対し、ラースは大男を睨み付けたまま言った。


「俺がリバームルを離れる前、大勢の手下を引き連れて街を襲ってきた連中だよ。名前は確か……」

「……バーゴ、だろう?」


 ラースが答える前に、クレスが先に言い当ててみせた。


「何で、兄貴が知っているんだ?」


 ラースが目を丸くすると、クレスは大男に目を向けたまま説明した。


「数か月前にも、アルテリア帝国の城下町で暴動を起こしていたんだ。ラースのときと同じで、大勢の仲間と共に、やりたい放題やっていた。すぐに僕達アルテリア帝国騎士団が包囲して、一味を捕らえる手前のところまで追い詰めたんだけど……」

「失敗したんだ。アンタも結構鈍臭いところあるんだね」


 意地悪な笑みを浮かべてからかうあかねに対し、クレスは怒るようなことはせず、その時のことを振り返りながら怪訝な顔をして言った。


「そう……捕らえる寸前のところで、バーゴ一味は突然姿を消したんだ。物体をテレポートさせる高度な魔法でね。バーゴ達のような荒くれ者がそんな魔法を使えるはずないのに……」


 クレスはあごに指を当てる仕草をして、考えに耽り始めた。バーゴ一味を包囲するとき、バーゴ達は魔法による抵抗は一切してこなかったため、テレポートの魔法は第三者によるものである可能性が高いとクレスは踏んでいた。しかし、その魔法を扱えるほどの人間がなぜバーゴ一味に加担したのか、謎は残ったままだった。


「おいテメエ! この俺様を荒くれ者呼ばわりしやがったな?」


 バーゴの怒鳴り声で、クレスは我に返った。どうやら、クレスとあかねの会話を盗み聞きしていたらしい。


「ありのままを言っただけだろ? バカと呼ばれないだけありがたく思うんだな」


 臆することなく挑発するラースに対し、バーゴはふんと大きく鼻を鳴らして笑った。


「俺様を怒らせた野郎は皆殺しにする……。ガキ、テメエはこの俺様に二度も恥をかかせた」


 バーゴが思い返すかのように顔を上げ、言葉を続けた。


「魔法か何かで吹っ飛ばされてから……気付いたときには、俺はバルドロス城の庭園に転がっていた。間もなくしてバルドロス帝国の騎士団長と出くわしたが、話を聞けば、バルドロス帝国はラースって野郎を捜しているそうじゃねえか。すぐにでもぶっ潰したいと考えた俺は、バルドロスの騎士団長と手を組むことにした。そうすれば、テメエをぶち殺す機会が早く巡って来ると思ってな……」


 バーゴが怒りを募らせ、唸り声を上げながら両腕に力を込めた。額だけでなく腕にも、何本もの太い血管が浮き彫りになった。


「ただぶち殺すだけじゃ足りねえ。八つ裂きにして……粉々にして……徹底的に痛めつけねえと収まらねえ! この俺様を怒らせたことを後悔させてやるぜ、クソガキ……!」


 バーゴの激しい剣幕にたじろぎながら、震えた声でセラは言った。


「先程の二人を追うには、もうこの人達を何とかするしか……」


 怯えるセラとは対照的に、ラースは面倒くさそうにため息をつきながら言った。


「どこまでも懲りねえ奴だ……。こんな所でまた出くわすことになるとは」

「それより、アイツさっき、『バルドロスの騎士団長と手を組んだ』って言ってた」


 あかねの言葉に、クレスもこくりとうなずいて言った。


「そうだね。あの犬の複製に、バルドロス帝国が何らかの関与をしていることは確実だ。もしかすると、今回の事件はセラさんやあかねさんの件に関係していることなのかも……。逃げた犯人を捕らえれば、仲間のニンジャの居場所を聞き出せるかもしれないね」


 バーゴ達に敵意の目を向けながら、あかねも力強くうなずいた。


「さっさと片づけよう。こんな奴、俺一人で十分だ」


 ラースが自身の剣を抜き、バーゴに剣先を向けながら言った。


「そこまで執念深く追ってくるなんざ、ご苦労なこった。最初にお前がリバームルで暴れていたとき、俺一人相手に何もできずにやられたのを忘れたのか? まだ痛い目見ねえと分からねえようだな?」


 バーゴは口の端を上げながら、また鼻を鳴らした。


「そう何度もやられる俺様じゃねえ。今度はテメエが痛い目を見る番だ……。その減らず口がいつまで持つか、楽しみで仕方がねえぜ」


 バーゴは隣に立っているフードの男に向かって叫んだ。


「おい! さっさと俺様にあれを唱えやがれ!」

「……いいんですかい?」


 フードの男はすぐ命令に応じず、バーゴに口答えした。どこか、乗り気でない様子だ。


「この俺様に文句でもあんのか? テメエ」


 バーゴは憤慨し、より大きな声量で怒鳴った。


「さっさと呪文を唱えろ! テメエもぶち殺されてえのか?」

「……分かりやしたよ」


 フードの男は目を逸らし、小さくため息をついた後、バーゴに右手を向けて呪文を唱えた。

 フードの男の右手から黒い火のような光が灯り、バーゴの体に放たれた。途端、ラース達の目の前で、バーゴの体がギチギチと大きな音を立てて膨れ上がっていった。両手はタンバリンのように広く、腕は棍棒のように重く、頭は盛り上がった胸囲で見えなくなるほどに……。


「待たせたな、ガキ」


 そう言ったときには、バーゴの体は天井を突き破りかねないほど、恐ろしく巨大になっていた。おとぎ話に出てくるトロルがこの世界に現れたらきっとこういう感じなのだろうと、ラースは今のバーゴを見て想像した。バーゴが相撲取りのように四股を踏むと、床一面は地割れのようにひび割れ、反動で船体が大きく揺れた。


「……ただの見せかけってわけじゃなさそうだな」


 揺れる船体に足を取られながら、ラースは言った。


「すぐに確かめさせてやるぜ」


 バーゴがにいっと屈託のない笑みを浮かべる――次の瞬間、バーゴが数メートルほどの間合いを一気に踏み込み、ラースの頭上に拳のハンマーを振り下ろしてきた。ラースは反射的に危険を察知して後方に跳び、直撃を免れたものの、それでも反応が遅すぎたのか、拳で床を貫いた反動で大きく吹き飛ばされた。ラースは船尾楼の扉を突き抜けて転がり、マストに背中をしたたかに打ち付けた。

 バーゴが拳を引き抜こうとしている隙に、セラとあかねがバーゴ達のもとから離れ、ラースに駆け寄った。


「ラースさん、このまま……!」


 恐怖で涙目になりながらも、セラがラースを静止し、その体にそっと両手を添えた。ぽうっと温かな光が発されると、ラースの体はセラが作り出した光で満たされ、再び動けるようになるほどに回復した。


「サンキュー、セラ。……お前も心配しに来てくれたわけか? あかね」


 立ち上がりながらラースが訊くと、あかねはべえと舌を突き出して言った。


「むしろ派手に吹き飛ばされていい気味でしたよーだ」


 途端、船尾楼の方からバーンと大きな轟音が聞こえてきた。見てみると、床から腕を引き抜いたバーゴが、強化された自身の肉体に酔い、船尾楼の壁をラリアットで粉砕しているところだった。

 そういえば兄貴はどこにいるんだろうと思い、ラースがクレスの姿を目で追うと、クレスは再び剣の柄に左手を添え、バーゴの目の前に立ち塞がっていた。「お前らはここで待ってろ」とセラ達に告げ、ラースはすぐにクレスのいる方へ駆け寄った。


「兄貴、俺も一緒に戦う! コイツは協力して倒さねーと危険だ!」


 そう呼びかけるも、クレスは背を向けたまま右手を広げ、ラースを静止した。


「大丈夫だ、ラース。この男は僕に任せてくれないか」


 クレスの言葉に、ラースは首を振った。


「兄貴が俺より何倍も強いのは十分分かっている。でも、今のコイツを相手にしたら、ただで済む保証はない! 一人よりも二人で戦った方が確実だ!」

「ラース」


 今度はクレスが首を振り、言った。


「僕は、自分とラースの実力に大きな差があると思ったことは一度もない。ただ、真正面から向かって攻め立てるラースの剣技だと、こういうタイプの相手には力で強引に押されてしまう可能性が高い……」


 クレスはするりと白銀の剣を抜き、剣を握る左手を後ろに持っていって構えた。


「ラースの攻め立てる剣技に対して、僕は相手の攻撃をいなす剣技だ。こういう愚直な相手にはよく噛み合う。僕を信じて、そこで見ていてほしい」


 クレスの話を聞き、ラースは少年時代にチャンバラごっこをしていたときのことを思い出した。

 ――そういえばあの時、自分が何度も攻撃を仕掛けていたのに対して、兄は自ら攻めるようなことはしていなかった。自分の攻撃を捌いて、大振りになったところを的確に差す……それが兄の勝利パターンだった。いつも同じ負け方をしていたのは、昔の自分が今のバーゴと同じように、ひたすら攻めることしか頭になかったからなんだなと、ラースは当時のことを振り返る。


「……やっぱり俺、兄貴には敵わねーや」


 ラースは苦笑いして言った。


「少なくともガキの頃の俺は、自分がどんな戦い方をするのか、兄貴がどんな戦い方をするのかなんて、全然考えたことなかったからな」

「そんなことはないよ、ラース」


 クレスは振り向いて微笑んだ。


「こういう話を聞いても、すぐに理解できない人が大半だ。それに、あの時の僕とラースは、その辺りの差くらいしかなかったということだよ。もしまた戦ったら、次こそどうなるか分からない」

「サンキュー。……頼むぞ、兄貴」


 顔を綻ばせて言うラースに対し、クレスも微笑みながらこくりとうなずいた。ラースが剣をしまって離れるのを見届けた後、クレスは険しい顔つきに戻り、バーゴを睨み付けた。


「何だ? ガキの方は尻尾巻いて逃げやがったか?」


 まだ壁壊しに夢中になっていたのか、辺りに散らばった木材の破片を手に取り、握り潰しながら、バーゴは言った。


「まあいい。テメエもテメエで癪に触るからな、順序が逆になっただけの話だ……。まずは見せしめとして、テメエの手足を引きちぎってやるぜ」


 へらへらと嘲笑うバーゴに対し、クレスは落ち着き払った様子で言った。


「そんなに無防備な状態でいいのか?」

「……何?」


 バーゴは眉をひそめた。二人の距離は十メートルほどあり、戦闘ができるような間合いではない。にも拘わらず、クレスはバーゴを目でしっかりと捉え、続けて口を開いた。


「射程範囲だ」


 白銀の剣がゆっくりと持ち上がり、目にも止まらぬ速さで振り抜かれる。


「ぐおおおおおおっ!」


 次の瞬間、バーゴの体にクレスの鋭い一突きが襲いかかった。衝撃波がバーゴの胸の中心にヒットし、今度はバーゴが吹き飛ばされる番だった。

 クレスの攻撃がバーゴの強化された肉体を貫くようなことはなかったものの、それでもバーゴの度肝を抜かせるには十分な一撃だった。今がチャンスとばかりにクレスが走り出し、バーゴとの離れた間合いを一気に詰めていく。


「……小癪な真似しやがって!」


 バーゴが雄叫びを上げながら、すぐに立ち上がってクレスを迎え撃った。クレスの踏み込みに合わせるように、バーゴが鉄球のような拳を振り回す。その判断も、クレスにとっては予想通りのものだった。

 走り出して攻撃的な姿勢を見せたのはフェイク――すぐに足を止めて、クレスは後方に跳んで避けつつ、コンパクトな一振りでバーゴの左腕を斬りつけた。


「待ちやがれ!」


 だがこの一撃も、バーゴの強靭な肉体に跳ね返されてしまう。全く怯むことなく、バーゴは飛びかかってクレスの体を掴もうとした。しかし、クレスの着地の方がわずかに早く、バーゴの巨大な両手で挟み込まれる直前に、クレスはバーゴの上を軽やかに跳び越えた。

 クレスが上空で縦に回転しながら急降下していく。バーゴが振り返る間もなく、その背面をすくい上げるように斬り、クレスは船の上に着地した。


「こざかしい野郎だ……!」


 バーゴは苛立ちを募らせながら、何ともない様子で振り向いた。ラース達はクレスの華麗な剣技にただただ呆然とするばかりだったが、今の重い一撃でも、バーゴにはまるで通用しないようだった。


「……ここまで硬くなっているとはね」


 さすがのクレスも動揺したのか、ふうと一息ついて呟いた。加勢しなければとラースは考えたが、すぐにクレスの言葉を思い出し、思い止まった――何より、兄を信じなければ。


「ちょこまかと逃げてんじゃねえ!」


 バーゴが叫び、再びクレスに向かって突撃した。それに対して、クレスは決して退くようなことはせず、ジグザグに跳びながらバーゴの攻撃を難なくかわしていった。

 クレスはバーゴの体に傷を負わせることで苦戦していたものの、攻撃を避けること自体は造作もないようだった。一撃さえ当たれば倒せるのに、攻撃をひらりひらりと何度もかわされてしまい、バーゴにとって面白くない展開が続く。


「くそっ……チクショー……何で当たらねえんだ……!」


 バーゴが息切れして攻撃を止めたところで、クレスはようやく後方に跳び、距離を取った。剣を片手で回して握り直し、クレスはバーゴに言う。


「君は、牡牛と同じだ」

「……あ?」

「己の(つの)を、その強さを知らしめたくて、相手に向かっていく。愚直なまでに、真っ直ぐにね」


 クレスの言葉に、バーゴの怒りは頂点まで上り詰めた。


「なめたことを言ってんじゃねーぞぉ!」


 バーゴが再び襲いかかる。クレスは動じることなく、剣を構えて迎え撃つ。牡牛のように突進するバーゴに対し、クレスは自らを川の流れに例えた。


「水は、石に真正面からぶつかりはしない。――遮る物を受け、そして流す!」


 バーゴがクレスの顔面に目がけて、巨大な右足を振り上げる──その直前、クレスは両手で剣を握り、その先端をバーゴの足に添えた。

 バーゴの一撃を、直接受け止めるようなことはしない。剣先で振り上げられた足をなぞり、確かな感覚を残して振り切り、牡牛の突進をするりと通り抜ける。

 バーゴが足を振り切ったときには、二人は互いに背中を向けた状態で立っていた。バーゴの一撃がクレスに当たることはなく、逆にバーゴの右足には、クレスの鋭い爪痕が残っていた。


「ぐっ……!」


 トロルのように巨大な怪物が、とうとう崩れ落ちた。右のふくらはぎから血が流れ、バーゴは激痛のあまり床に手をついた。


「く……クレスさん、凄いです……!」


 巨大な相手を無傷で倒してしまったクレスに、セラ達は圧倒された。


「もう立つことはままならないはずだよ」


 ひゅんと剣を一振りし、クレスはバーゴに顔だけを向けて言った。


「右のアキレス腱を断裂した。傷が治るまで大人しくしていることだ。その巨大な体を支えるとなれば尚更だよ」

「く……そ……っ!」


 床に這いつくばりながら、バーゴは怒りに震えた。こちらは魔法で体を強化しているのに対し、相手は強化を何も行っていない。それにも拘らず、勝負に負けてこのような無様な姿を晒してしまうなど、決してあってはならないことだ。


「ゼブラぁぁっ! 早く俺様に回復の呪文を唱えろ!」


 途端、離れた所で見ていたフードの男に向かって、バーゴが叫んだ。まだ抵抗するつもりなのかと、そのしつこさにラースは舌打ちをこぼす。


「早くしろ! 死にてえかぁ!」


 バーゴが再び叫ぶ。フードの男は返事することなく、右手をゆっくりとバーゴに向けた。


「そうだ、早く呪文を……」


 そう呟いたが、バーゴの口が思わず止まってしまう。バーゴのみならず、クレスも、遠くで見ていたラース達も、ゼブラと呼ばれた男を見て凍り付いた。

 フードからちらりと見えた、軽蔑の眼差し。にたりとおぞましい笑みを浮かべるその顔は、情の欠片もない、裏切りの顔だ。


「お前、何を……?」


 バーゴが焦りの表情になって問うも、ゼブラはその言葉を耳に入れることなく、呪文を唱えた。

 ゼブラの右手が闇の色に染まり、槍のように鋭く長い氷柱が放たれる。氷柱の槍は大きく弧を描き、バーゴの体を背中から刺し貫いた。バーゴが血反吐を吐いて倒れた後も、ゼブラは依然として含み笑いを浮かべたままだった。

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