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Walk Hand in Hand  作者: 阿瀬 ままれ
第四章 得体の知れない生物
21/66

一※

 馬車での移動はとても快適だった。馬が運んでくれるので歩く必要がないし、じりじりとした日差しに苛まれることもない。何より、馬が小走りするだけで、自分達の駆け足と同じかそれ以上の速度を出せてしまうことが、ラースはとても新鮮に思えた。白馬の小気味よいスキップに揺れながら、ラース達を乗せた馬車は青空の下を駆けていった。

 馬車の小窓から顔を出して、ラースは再び外の景色を眺める。目を凝らしてじっと行き先を見つめてみるが、目的地のカダルナ港はなかなか見えてこなかった。

 いくら馬車のスピードが速いとはいえ、やはりカダルナ港に行き着くまでそれなりの時間がかかるらしい。そのことを悟り、ラースは小窓から顔を引っ込めた。すると、セラとクレスの和気藹々とした会話が耳に入り、ラースは二人に注目した。


「クレスさんは、どうして騎士になろうと思ったんですか?」


 ラースの実兄ということもあるからか、セラはクレスにとても関心がある様子だった。目を輝かせながら尋ねるセラに対し、クレスは大人びた風に答えた。


「やっぱり、十五年前の出来事が大きなきっかけかな。僕にできることで世界に貢献したいというのもあるけど、なぜ十五年前に戦争が起こったのか、その理由が知りたくて」


 「そうなんですね」とセラがうなずくと、今度はラースに顔を向けて質問した。


「ラースさんは、騎士になろうって思わなかったんですか?」

「あぁ……俺はそんなことは考えなかったな」


 後頭部を指で掻きながら、ラースは言った。


「俺が騎士になっても性に合わねえだろうし。剣の腕だって、兄貴に比べれば全然大したことねえから」

「ご謙遜を」


 クレスは軽く笑って言った。


「そうですよ! 一昨日だって、私がバルドロス帝国の騎士達にさらわれそうになったところを助けてくれたじゃないですか!」


 セラもラースの実力を強く主張したが、ラースは首を振って言った。


「俺はな、セラ。ガキの頃、毎日のようにチャンバラで兄貴に勝負を挑んでいたんだ。数にして五千は軽く超える。けど、それでも俺は、兄貴に一回も勝たせてもらえなかった。いくらがむしゃらに攻めても、兄貴の剣に軽くあしらわれてしまってな。結局、いつも隙を一振りで突かれて負けちまってた」

「えっ……!」


 セラは驚愕した。ネムヘブルでラースが騎士達を圧倒したのを目の当たりにしていただけに、ラースが剣の勝負で何度も負かされたという事実は、セラにとってとても衝撃的だった。


「あの時も言ったけど、僕はラースとそこまで実力差はないと思っているよ。それに、それはもう昔の話じゃないか。昔がそうだったからって、今も同じだと決まったわけじゃないだろう?」


 クレスが励ますように言うも、ラースは「どうだか」と自虐的に言葉を返した。


「……何か、ラースってあたしと似ているね」


 傍から会話を見ていたあかねが、突然ラースに向かって言った。いつもは何かと気に食わないラースでも、今回に限っては同情できた。ラースとクレスを見ていると、自分と姉の関係に近いものを感じたのだ。

 だが、労いのつもりで言った言葉もラースには気付いてもらえず、それどころか、ラースはより一層落ち込みながら呟いた。


「俺ってそこまで落ちぶれているのかよ……」


 あかねは怒りで顔を真っ赤にしながら、ラースの頬を両手でつねった。


「ふざっけんなよ! お前に同情してやってるんだろ? いくらなんでもあたしのこと見下しすぎだろ!」

「いででででで! すまん、悪かった! さすがに言いすぎたって!」


 あかねがラースの頬を引きちぎりそうな勢いだったので、慌ててセラとクレスが二人がかりで制止し、席に座らせて落ち着かせた。


「似てるって……お前の仲間にも、俺の兄貴のような奴がいたのか?」


 涙目で頬をさすりながら訊くラースに対し、あかねはつんとそっぽを向いて答えた。


「そうだよ。セラならすぐに分かると思うんだけど」

「あかねのお姉さん、ですね?」


 セラの言葉に、あかねはこくりとうなずいた。


「うん。お姉ちゃんは強くて、綺麗で、かっこよくて、優しくて」


 あかねは、視線を落としながら言葉を続けた。


「……だから、お姉ちゃんと比べたらって、いつも思っちゃうんだ。あんなに凄い人があたしのお姉ちゃんで嬉しいんだけど、それ以上に惨めな気持ちになって……。だから、あたしがみんなを助けられるかどうか、本当は不安でさ」


 あかねの話を聞き、ラースもまた、あかねは確かに自分と似ているところがあると感じた。誰よりも優れた人物が身近にいると、自分の存在がどうしても霞んでしまい、価値を見出せずに自信を失ってしまうのだ。


「元気を出してください、あかね」


 落ち込んだ様子のあかねを見かね、セラはあかねの手を優しく取って言った。


「何も一番になる必要なんてないですよ。それに、ラースさんの気持ちを分かってあげられるような、優しいところがあるじゃないですか。あかねにはあかねのよさがあると私は思います」

「セラ……」


 あかねは呆然としていたが、やがてセラに力強くうなずいた。


「……ありがとう、セラ。変に落ち込んでても仕方ないね。あたし、お姉ちゃん以外に、セラみたいにもなりたいって思ってるよ」

「いえ、私にはほとんど取り柄がありませんから」


 照れ笑いしながら、セラは言った。


「だから、料理とか、これからいろんな取り柄を作っていきたいなって思うんです。一緒に頑張りましょ、あかね。私も頑張りますから」

「もちろん!」


 あかねの快い返事に、セラは嬉しそうに微笑んだ。あかねも歯を見せて笑顔を返したが、ふと、ラース達の怪訝そうな目に気付き、あかねの笑みはみるみる失せていった。


「いやぁ、昨夜から仲良くなってたのは知っていたけど」

「こうして間近に見るとやっぱり衝撃的だね……ラース」


 二人に驚嘆されてあかねはきまりが悪くなり、今度は恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら、「いちいちじろじろ見るな!」と、暴れて二人を追い払った。


「ラースもあかねさんを見習いなよ。昔僕に負けただなんて、今もなお引きずるようなことじゃないだろう?」


 話を変えて、鼻でため息をつきながらクレスは言ったが、ラースは首を縦には振らなかった。


「そうだな、落ち込むのはもう止める。けど俺は、まだ兄貴に挑むつもりでいるぜ? 兄貴の言う通り、もしかすると今なら兄貴に勝てるかもしれねえからな」


 そう言って闘志を燃やすラースだったが、ウェッジが脅すように口を挟んだ。


「失礼ながら、私はそうとは思わないのです。三番隊隊長であるクレス殿は、当然ながら、実力もアルテリア帝国騎士団の三本指に入るのであります! 何せクレス殿は、『天津之太刀(あまつのたち)』の剣技を扱える数少ない剣士! 『天津之太刀』を会得している者は、クレス殿以外に騎士団長しかおられないのです!」


 ウェッジの言葉を聞き、ラースは湧き上がった闘志が不安に埋もれていくのを感じた。子供の頃から強かったクレスが、騎士団に入ってさらに強力な剣技を身に付けたとなれば、まさに鬼に金棒ではないか。


「結局、自信なくしちゃってるじゃん」


 ラースの青ざめた顔を見て、あかねは意地悪そうな笑みを浮かべて言った。


「うっ……うるせーな!」


 図星を差されて動揺するラースに、あかねとクレスはどっと笑った。セラもあかね達に釣られて、クスクスと口を手で押さえて笑った。

 笑いすぎで苦しくなり、あかねはひいひいと息を整えていたが、ふと、自分が彼ら──人間達と何気なく会話をしていることに気付き、あかねの表情から笑みが失せていった。自分達ニンジャが人間達と関わるようなことはないと、ついこの間まで考えていただけに、今の状況を改めて見ると、あかねは何とも複雑な気分になった。


 ──あかね。私ね、人間達の全てが悪い奴だとは思わないの。今は難しくても、いつかは人間達と分かり合える日が来るって、私は信じているわ。


 途端、姉が昔自分に言っていた言葉が、あかねの脳裏をよぎった。そして、その時に「あたしは信用できないし、そもそも仲良くしようと思わない」と言葉を返して、姉を落ち込ませてしまったことを、あかねは同時に思い出した。姉の考えで唯一共感できなかったことだが、それでも姉が本気で人間を信じようとしていたことが、あかねは不思議で仕方なかった。

 だが、今こうして人間達と話していると、そんな姉の言うことも分からなくはない気がした。一人は不愉快だが、少なくともこの場にいる人間達は、十五年前の利己心しかない連中とは違う。この人間達は、自分の言うことを信じた上で協力してくれているのだ。


「あたしも、もっと人間達を信頼しないとな……」


 セラにも聞こえないような声量で、あかねは自分に言い聞かせるように呟いた。もしかすると、これを機に姉の望みを叶えてあげることもできるかもしれないと、あかねは思った。


「皆様、前をご覧くださいであります!」


 馬車を運転していたビックスが叫んだ。ラースとセラが小窓から顔を出すと、遠くに港町があるのが見え、二人は歓喜の声を上げた。


「もうすぐカダルナ港に到着であります!」


 再びビックスが叫んだ。時間にして、一時間ほどしか経たなかっただろうか──。歩いて行けば数時間はかかりそうな距離をすぐに移動できてしまい、ラースは改めて馬車の速さに感心した。すでにこの道を通ったことのあるあかねも、「え。もう着いちゃったの?」と驚きを隠せずにいた。


「いちいち説明することでもないと思うけど、カダルナ港は、イーストとの船路が結ばれる唯一の港町だ」


 ラース達が小窓から顔を戻したところで、クレスは三人に話し始めた。


「だから当然、旅客船以外にも貿易船が通る。船が港に着いていたとしても、すぐに出発できるわけじゃないのは理解してほしい。まずは僕が六人分の予約を取るから、次の旅客船が来るまでは、悪いけど港町で待ってもらうことになるよ。いいかい?」

「分かりました!」


 セラは大きく返事し、ラースも無言ながらこくりとうなずいた。いいも何も、そこまで丁寧に説明してもらったとなれば断れるはずがない。


 カダルナ港の前に着いたところで、ビックスはパシンと手綱を引き、白馬の足を止めた。クレスは一足先に馬車を降り、ラース達を外に誘導した。遅れてウェッジも後部から飛び降り、クレスに敬礼して「異常はありませんなのです!」と報告した。


「じゃあ、僕はこれから旅客船の予約を取りに行ってくる。ラース達は僕についてきて。ビックスとウェッジは、馬車を一旦馬小屋に預けてきてくれないか」

「了解であります!」


 クレスの指示に、ビックスとウェッジは敬礼をしながら返事した。セラも二人に混じって、クレスに敬礼した。


「いつの間にか、俺らのリーダーにもなっちまってるな」


 クックッと笑いながら、ラースはクレスに言った。きまりが悪そうな顔をして、クレスが「からかわないでくれよ」と言葉を返した途端、港の方から異様な声が響いてきた。


「うわぁーっ! た、助けてくれぇ!」


 それは男性の悲鳴だった。その男性のみならず、港町からは女性や子供など、多くの悲鳴や叫び声が飛び交っていた。

 初めてカダルナ港に来たラースでも、この状況が普段通りのものでないことを理解した。何か、まずいことが起こっている──。


「ラース! ビックス、ウェッジ!」


 クレスが叫んだ。ラース達は返事するまでもなくうなずいた。そして、馬車をその場に残し、クレスに続いてカダルナ港へ駆け足で入っていった。


「ま、待ってください!」


 セラ達も、慌ててラース達の後を追った。




 ラースが港町に入ると、中心は大きな広場となっており、それを囲うようにいくつかの建物が並んでいた。

 よく見ると、広場には二、三匹の犬がいた。血迷った目で猛獣のように吠えながら、数匹の犬は逃げ遅れていた男一人を追いかけ回していた。


「あいつら……!」


 状況を理解していないまま、ラースは無我夢中に走り出した。

 逃げ遅れた男性が転び、一匹の犬が男の上にまたがる。そして鋭利な牙を剥き出し、男の首に被りつこうとした寸前──ラースの飛び込みながらの蹴りを受け、その犬はもんどりうって地面を転がった。


 ラースが庇うようにして男の前に立つ。犬達が威嚇しながら次にラースを囲むと、それに対抗するかのように、クレス達がラースに加勢した。遅れてきたセラが、危うく噛まれるところだった男性に「大丈夫ですか?」と声をかけ、あかねと協力して起き上がらせた。

 ──他に、逃げ遅れた人はいないか。周りを見渡してそのことを知ると、ラースは犬達に対し身構えながら、男に言った。


「アンタは早く逃げろ! ここにいると巻き添えを食らうぞ!」


 しかし、男は震えながらも首を振った。


「待ってくれ! 俺以外にも、逃げ遅れた人がいるんだ……あそこに!」


 そう言って、男は酒場の看板が立てられた建物の隣にある、一棟の倉庫を指差した。


「あれは……酒樽の貯蔵庫ですか?」


 クレスが問うと、男はこくりとうなずき、唾を飲み込んで言った。


「あそこに、酒場の人が入っていくのを見たんだ。そして、しばらくすると大きな悲鳴が聞こえて……。何だろうと思ってたら、あそこからこの化け物が出てきて、みんな大パニックさ。みんなは避難できたけど、酒場の人だけあそこからずっと出てこないから心配で……」

「なるほどな」


 ラースが、突進してきた一匹の犬を蹴り飛ばしながら言った。


「その人も俺らが助けに行く! だから、アンタはセラ達と一緒に、早くここを離れろ!」


 男がうなずこうとしたとき、視線の先の光景を見て、男は色を失った。貯蔵庫の中から、別の犬達がぞろぞろと現れたのだ。二十、三十もの犬達が、ぽたぽたと涎や血を垂らしながら、群れをなしてじりじりとラース達に詰め寄った。


「逃げろ! 早く!」


 危険を察し、ラースはいち早くセラ達に指示した。男やあかねは逃げようと向きを変えたが、セラはすぐに動こうとしなかった。貯蔵庫から出てきた犬達の口に、血がべっとりと付着しているのを目にしたからだ。

 もしかすると、中にいる人は傷を負っているかもしれない──。そう思うと、簡単に逃げるようなことはできなかった。


「ラースさん! 私、貯蔵庫の中を見てきます!」


 セラが決然たる顔で言った。予想外の言葉にラースは目を丸くし、すぐに首を振った。


「駄目だ、危険すぎる! 中に別の化け物がいたらどうする? お前一人でどうにかなるような相手じゃないのは分かるだろ!」

「それでも、行かせてほしいんです!」


 ラースが止めても、セラの意志が揺らぐことはなかった。


「お願いです、行かせてください! 誰かが危険な目に遭っているのに、私一人だけ逃げるようなことはしたくないんです!」


 ラースはすぐに言葉を返そうとしたが、セラの本気の目を見て、とうとう反論することができなくなってしまった。


「セラ! アンタが行くって言うなら、あたしも行く。誰か一人でもそばにいた方が、心強いでしょ?」


 セラに刺激されてか、あかねが逃げるのを止めてセラに言った。「ありがとうございます」と、セラは頭を下げて礼を言った。


「なら、決まりだな」


 ラースは自身の黒刀を抜きながら叫んだ。


「俺が群れに突っ込んで道を作る! セラ達は俺のすぐ後を追え! 兄貴はセラ達の後ろのカバーを! ビックスとウェッジは、逃げ遅れた人の避難を手伝ってやってくれ!」


 皆に指示するや否や、ラースは雄叫びを上げながら、犬達の群れに勇猛果敢に突進した。セラ達も駆け足で、ラースの後に続いた。


「やっぱり、こういうときだとラースの方が頼もしいな」


 一瞬だけ笑みを浮かべ、クレスも白銀の剣を抜いて走り出した。


 犬達が一斉に、先陣を切るラースに襲いかかる。しかしラースは臆することなく、飛びかかってきた犬達の牙を刀身で受けつつ、殴り、蹴り、背中を掴んで放り、強引に突破していった。セラの背中に噛みつこうとしてきた犬も、クレスが一匹たりとも見逃さず、剣で弾いて突き放した。


「急げ!」


 貯蔵庫に辿り着いたところで、ラースは入口の扉をぐいと開けた。セラが飛び込もうとしたところに、一匹の犬がまた飛びついてきたが、ラースはそれを蹴り払い、犬の群れに目掛けて叩き付けた。群れが怯んだ一瞬の隙に、ラースはセラ達を貯蔵庫の中に入れ、押し込むように背中で扉を閉めた。


「あとは、この犬達をどうやって倒すかだね」


 ふうと一息ついて、クレスは怒りの形相で詰め寄る犬達を眺めながら言った。「だな」と、ラースは苦笑いしながら返事を返した。


「ラース殿! 逃げ遅れていた者を避難させたのです!」


 遅れてビックスとウェッジが戻り、剣を抜きながら犬達の背後に立った。途端、犬達の不可解な様子に気付き、ビックスは息を呑んだ。


「こやつら……攻撃が効いていないでありますか?」


 ラース達の打撃をまともに受けたにもかかわらず、犬達は何ともないと言わんばかりにむくりと起き上がり、またラース達に威嚇し始めていた。


「どうする、兄貴?」


 横目で尋ねるラースに対し、クレスも犬達から目を離すことなく答えた。


「足を狙うんだ、ラース。不思議だけど、この犬達は痛みをまるで感じないらしい。ならば、動けなくさせるまでだよ」

「分かった!」


 犬達が再び襲いかかってきたのを皮切りに、ラースは剣を手で一回転して持ち直し、走り出した。

 四方八方から、犬達がラースに飛びかかる。囲まれることだけは避けなければと、ラースは足を止めることなく攻撃を捌いていった。犬達が愚直に突っ込むことしか考えなかったため、ラースは回避にそこまで苦労しなかった。

 ひらりひらりと蝶のように舞い、隙あらば鋭い一閃を足の付け根に浴びせる──。カウンターをもらった犬達はどさりと横に倒れ、ラースを睨み付けて大きく吠えながら、じたばたとその場で暴れていた。


 七、八匹ほど切りつけたところで、ラースは息を整えながら、ビックスとウェッジのいる方にちらと目を向けた。ビックスは犬三匹に囲まれ、倒すのに手こずっているようだった。二匹を同時に相手していても、残る一匹が死角を狙ってくるので、ビックスはそれに気を取られて受け身になってしまっていた。

 ウェッジが機転を利かせ、ビックスの死角を狙う犬を斬って援護するも、そうなると今度はウェッジの方が隙を晒すことになる。ウェッジが気付いたときには、他の犬が目の前まで距離を詰め、凶暴な牙を向けて飛びかかってきていた。


「うわっ──!」


 恐怖でウェッジが目をつむったその瞬間、近くまで来たラースが瞬時に剣を振り上げ、足を斬って犬を宙に浮かせた。浮いた犬の背中をむんずと掴むと、ラースは次に、ビックスを囲う犬達に目掛けて放り投げた。ラースの投げた犬は他二匹に直撃し、遠くまで突き放された。


「お前ら、足を絶対に止めるな。足を止めたら数の差ですぐに追いつめられるぞ。こいつらと同じ土俵に立とうとするな」


 他の犬達に対し身構えながら、ラースは二人に言った。


「了解であります!」


 ビックスを囲っていた残り一匹の足を斬りながら、ビックスは叫んで返事した。「あぁ、こんなにも頼もしい方だったなんて!」と、ウェッジはラースにも尊敬の目を向けていた。


「兄貴──」


 ビックスとウェッジを助けたところで、ラースはふとクレスのことが気になり、振り向いた。見てみると、クレスの方にも五匹ばかりの犬が一斉に突撃していた。

 加勢をするべきか……とラースは一瞬悩んだが、すぐにそれを止めた。──兄貴の心配なんざ、余計なお世話でしかない。自嘲するかのように鼻で笑いながら、ラースはクレスから目を離して走り出した。


「そうだ、ラース……僕のことを心配する必要はない」


 ラースの視線に気付いていたクレスが、今にも噛みつこうとしてくる犬達を目で捉えながら呟いた。

 大勢の犬が眼前に迫ってきても、クレスは決して動じない。ゆらりと剣を持ち上げ、クレスは滑らかに、しなやかに、滞りなく剣を払い──犬達の群れをするりと通り抜けた。クレスの太刀筋は、立ちはだかった相手に余さず爪跡を残し、再起を不能とさせた。




 * * *




 飛び込みながら貯蔵庫の中に入り、セラ達は板張りの床に強く体を打ち付けた。

 服を埃まみれにしながら起き上がり、辺りを見渡すと、貯蔵庫の中は酒樽やワイン瓶で埋め尽くされていた。犬達が外に出る途中で暴れたからなのか、いくつかの樽や瓶は粉々に割れ、破片や中に入っていた酒が辺りに散らばっていた。ごくりと生唾を飲み、セラ達は恐るおそる奥の方へ足を踏み入れた。


 あかねが小刀を抜いて先に進み、セラも酒樽の破片を拾って木刀代わりにし、あかねの後をついていった。きょろきょろとあちこちに目を配り──不意打ちで噛みつかれでもしたらひとたまりもない──そんなことを思いながら、二人はいつ襲われても応戦できるよう身構えた。

 ふと、足元に違和感を覚え、あかねは足を止めた。少し片足を持ち上げると、べっとりとしたものがサンダル越しについてきた。気味の悪い感触だった。何だろうと思いあかねが足元に目を向けると、黒ずみかかった鮮血が、桶で(すく)って流したかのように、辺り一面に飛び散っていた。

 息を呑みながら、二人は鮮血の痕を目で辿る。そして──。


「そ、そんな……!」


 セラは悲鳴を上げた。奥の壁に男の死骸が凭れ掛かっている──。否、息はわずかにあるようだったが、それでも無事であるとはとても言えなかった。首は何十もの牙で貫かれた痕があり、横腹は抉れ、右足に至っては付け根から千切れてあらぬ方向を向いている。切迫した表情で、二人は男のもとに駆け寄った。


「た……すけ……て……。誰……か……」


 今にも途絶えてしまいそうな意識を辛うじて保ちながら、男は声を振り絞って救いを求めた。ヒューヒューと、吐き出した空気が血を押し出し、首の穴から衣服に滴り落ちた。


「こんなの……助けられるはずがないじゃん……!」


 男の凄惨たる有様を目の当たりにし、あかねは苦痛の表情で顔を背けた。その横で、セラはその場にしゃがみ込んで顔を覆い、大粒の涙をこぼした。その涙は恐怖から来るものでなく、深い悲しみから来るものだった。


 何故、大勢の犬達がカダルナに現れ、見境なく人々を襲い始めたのだろう。何故、この人は傷つかなければならなかったのだろう。殺されなければならなかったのだろう。──何故? 多くの理解できない疑問が、セラの頭の中で溢れ出た。

 もう、この人は助からないのだろうか──そんな疑問が頭に浮かんだとき、セラはその可能性を頑なに否定した。強く反発した。そして、立ち向かった。──私は、この人を助けたい。


「うわああああああっ!」


 救い出したい。何としてでも。セラの強い想いが胸の中から湧き上がり、そして強い光となった。貯蔵庫の中を埋め尽くすほどの眩い光が、悪しき惨状を打ち祓い、瀕死の男の体を優しく包み込んだ。

 少しして、温かな光は徐々に萎んでいき、光が完全に消えてなくなると、セラは疲弊のあまり、ふっと力が抜けてその場に崩れ落ちた。

 セラが床に膝をついても、衣服が血で濡れることはなかった。隣にいたあかねが瞑っていた目を開くと、辺りに飛び散っていた血は一滴残らずなくなり、男の抉れていた体も元通りに癒えてしまっていた。


「これ……全部セラがやったの? 信じられない……」


 セラの能力を初めて目の当たりにし、あかねは驚きのあまり呆然とした。


「だい、じょうぶ……ですか? 怪我は……ありま、せんか?」


 息を切らしながら、セラは男に尋ねた。男は信じられない様子で体を動かしてみたが、特に異常は見当たらない。むしろセラの方が無事でないように思えるほどだった。

 命を救われたことを知ると、男は歓喜のあまり涙しながら、立ち上がってセラに深々と頭を下げて礼を言った。


「ありがとう……本当にありがとう……! 君は、私の命の恩人だ……!」


 男が感謝する一方で、あかねはセラの体を起こしながらも、たった今起こった出来事に動揺を隠せずにいた。……酒場の男は、あと数分で息絶えてしまうかもしれないほどに絶望的な状態だった。助かる見込みは皆無に等しかった。そんな男の傷を、セラは全て治してしまったのである。

 あれほどの治癒は、ニンジャにはおろか、人間にだってなしえることではないだろう。──そう、まるで人間じゃない……。恐怖の感情すら抱くあかねだったが、セラの様子を見て、その感情も薄れていった。男の感謝の言葉を聞き、セラは疲れ果てながらも安堵の表情を浮かべて、こう呟くのだ。


「よかった……。私、人を助けることが……できたんですね」




 * * *




 外ではラース達が、まだ犬の群れと対峙していた。四人の奮闘により、犬の群れはあと七、八匹まで数を減らしていた。ラースの助言により戦い方が慣れてきたのか、ビックスとウェッジは強気になって前線に立ち、残りの敵に向かって突撃していった。


 その後ろで、クレスは酒場の貯蔵庫の方を、蒼白な顔で見つめていた。クレスもまた、セラの能力を初めて目にしたが、貯蔵庫を覆うほどの強大すぎる光に、思わず息を呑んだ。

 隣にいるラースも、セラの強力な治癒を見るのは初めてだったが、クレスほど驚きはしなかった。バルドロス帝国が力ずくで手に入れようとするほどの力なのだから、むしろ強大でなければ吊り合わないはずだと考えていたからだ。


「兄貴……あれがセラの持つ不思議な力なんだ」


 戸惑っているクレスに向かって、ラースは言った。


「傷を癒すセラの能力……。きっと、中にいた酒場の人が深手を負っていて、その人をセラが助け出したんだろう。セラの能力は魔力でなく、セラ自身の想いに比例して強くなる。そして、呪文を唱える必要がない……。人外の力だってことは、兄貴も今のを見て分かるだろ?」


 クレスは目を瞑り、落ち着きを取り戻して口を開いた。


「セラさんの強大な力……。バルドロス帝国が十五年前と同じ野望を抱いていて、その計画のためにセラさんの力を利用しようとしているのならば、確かにこれまでの辻褄が合う。そしてこの犬達も、もしかするとバルドロス帝国が企んでいる計画に関係しているのかもしれない」

「この犬が、か?」

「その可能性は高いよ、ラース。戦っていて気が付かなかったかい?」


 途端、クレスが前を向いて剣を構えた。遅れてラースが前方を見ると、一匹の犬が、急にビックスとウェッジから矛先を変え、ラース達に襲いかかってきていた。


「隊長! そちらに敵が……」


 ビックスの警告に対し、クレスは無言のままうなずいた。そして、牙を剥き出して飛びかかる犬の足を──クレスは斬らなかった。剣を上げ、脳天から尻尾の先まで一気に振り切り、犬の体を真っ二つに叩き割ってしまった。


「なっ……兄貴?」


 突然の行動に動揺するラースだったが、すぐにクレスの言う違和感に気付いた。犬の切り裂かれた断面から、血が一切吹き出さなかったのだ。ゴトリと重い音を立てて落ちた犬の亡骸に注目すると、体内には臓器が入っておらず、白い粘土のようなもので埋め尽くされていた。


「これは犬なんかじゃない……。犬に姿形がよく似ている、得体の知れない別の何かだよ」


 犬の亡骸がブクブクと泡を立てて蒸発し、跡形もなく消える様子を眺めながら、クレスは険しい顔付きで言った。


「姿形がよく似た別の何か……か」


 気味の悪い光景に青ざめながら、ラースは口を開いた。


「だとするなら、こいつは一体何だ? これも、バルドロス帝国が造り出したものだって言うのか?」


 クレスは首を振った。


「これらが何なのかは、僕にも分かり得ないことだ。だけど、これほどまでに酷似した複製を量産する技術と、その技術を利用して港町を襲撃する行動力を考えると、犯人は自然と絞れてくるよ。ここまで大胆に事件を起こせるのは、犯行の痕跡を全て消せる自信があるから……。僕の予想だけど、バルドロス帝国は事件を起こした後、自国の騎士に調査をさせて、事件を証拠ごと揉み消すつもりだったはずだ」


 ラースは苦笑いしながら鼻でため息をついた。


「なるほどな。そうなると、こうして俺らが先に現れたことで、その最悪な事態は避けられたわけだ」

「そうだね。そしてこれは、この騒動を引き起こした犯人を見つけ出すチャンスでもある。……奴らがどうやってこのコピーを持ち出したのか、それさえ分かればいいんだけど」


 クレスが思考を巡らせていると、突然、貯蔵庫の方から大きな呼び声が聞こえてきた。二人が振り向くと、酒場の男とあかねが、疲弊しているセラの肩を持ちながら、こちらにやって来ていた。


「君達が、この女の子達の仲間かい? この子のおかげで、私の命は救われたんだ……。君達がここに来てくれたからこそだ。本当にありがとう」


 男の礼を聞き、ラース達はセラに目を向けた。セラの足はカクカクと震えていて、二人の支えがなければ到底立っていられそうにない状態だった。ラースが心配する一方で、クレスは「ラースの言う通りだったんだ」と、セラの力を改めて認識した。


「あ、そうだ……。なぁ、アンタ!」


 ふとクレスが言ったことを思い出し、ラースは男に尋ねた。


「あの犬はどうやってここに来たのか、教えてくれないか? 貯蔵庫からいきなり現れたって、他の人が言っていたんだ」


 ラースの言葉を聞いて、男もまた、思い出したかのように声を上げた。


「そうだ……あの犬達は急に現れたんだ! 酒樽の中から……」

「酒樽、だと?」


 目を丸くするラースに対し、男はうなずいて言葉を続けた。


「うちの酒は、大半がイーストの行商人から取り寄せているものなんだ。あの犬が入っていた酒樽もその一つだった。思えば、今日ここに来た行商人は見慣れない顔の男だった……。『いつも来る人は病気で寝込んでしまっているんだ』ってその男が言っていたから、その時は疑うことはしなかったんだが……」

「その行商人は、今どこに?」


 クレスが切迫した様子で尋ねた。


「あの船だ!」


 そう叫んで、男は港町の奥を指差した。桟橋の船着場に、一隻の帆船が停まっている。カダルナで大惨事が起こっているにも拘らず、大きく帆を張って今にも出航しようとしている。


「あの野郎……!」


 あの帆船の中に犯人がいると確信し、ラースは眉間にしわを寄せて憤りを顕にした。


「隊長! 我々はここに残って、残りの犬達を足止めするのです! この場は我々に任せてほしいのです!」


 戦闘を続けながら叫ぶウェッジに対し、クレスは大きくうなずいて言った。


「頼むよ、二人共! 僕達はあの船を追う! 犬達を倒したら、すぐに僕らの後を追ってくれ!」

「了解であります!」

「了解なのです!」


 ビックスとウェッジの返事を聞くと、クレスはラース達に「早く追いかけよう」と呼びかけた。


「ちょっと待って!」


 ラースとクレスが走り出そうとした途端、急にあかねが二人を呼び止めた。何だと思って振り向くと、疲れ果てた様子のセラが視野に入り、ラースはあかねが呼び止めた理由を理解した。

 今の状態だと、セラも一緒に船を追いかけることは難しいだろう。かといって、セラ一人をカダルナに置いていくわけにもいかない──。少し悩んだ末、ラースは剣をしまいながら、セラに近付いて言った。


「セラ、お前は俺の背中に乗れ」

「え……?」


 セラは動揺を隠せない様子だ。


「そ、そんな……。ラースさんに、迷惑は、かけられないです」


 慌てて遠慮するセラに対し、ラースは鼻でため息をついて言った。


「俺としては、お前一人をここに置いておく方が不安なんだよ。なに、お前一人を運ぶことくらいどうってことねーさ。だから気にしないで乗れ」


 ラースはセラの前に立ち、背を向けてしゃがみ込んで促した。セラもうつむいて少し悩んだが、やがて意を決したように顔を上げ、あかねと男の手から離れた。


「セラ、ほんとにいいの? キツイなら無理しなくてもいいのに」


 あかねが心配するのに対し、セラは首を振った。


「大丈夫、です。私も、できるなら、ラースさん達と……一緒に行きたいんです」


 そう言って、セラはラースの首に手を回し、凭れかかるようにして乗った。

 ラースがセラの足を持って抱え、立ち上がると、改めてクレス達に「急ごう」と言った。クレスは剣をしまいながら、返事の代わりにうなずいた。あかねはセラの身を案じ、しぶしぶ「分かったよ」と言葉を返した。


「気を付けるんだよ! 相手はきっと相当危険だろうから……」


 男の忠告に対し「分かってるって」とうなずくと、ラースはクレス達と一緒に、逃げていく船に向かって走り出した。




 船着場に辿り着き、目の前まで近付いてみると、船はすでに動き始めていた。乗船するための足場は外されている。クレスとあかねが戸惑う一方で、ラースは必死に考えを巡らせた。

 ──何か、他に方法はないか。まだ遠く離れているわけじゃない。船に乗り込む方法がきっとあるはずだ。

 しばらく考えた末、ラースは閃いて顔を上げた。そして、船が港から離れてしまう前にと、急いであかねに言った。


「あかね! お前、確かロープみたいなもの持っていたよな?」

「え……それって、もしかしてこれのこと?」


 そう言って、あかねはポーチから鉤縄を取り出した。ノアールの森の中で、あかねがラースから逃げるために使っていたものである。あかねがラースの意図を理解したのと同時に、ラースは甲板の柵を指差して言った。


「それをあそこに引っ掛けろ! ロープを伝って上に登るんだ! 急げ!」

「うるさいな! いちいち命令すんな!」


 ラースに悪たれながら、あかねは鉤縄を柵に目掛けて放った。潜伏や忍術が下手なあかねも、道具の扱いはかなり長けているらしい──。あかねの放った鉤は、見事に柵の間を通り、引っ掛かった。


「悪い、セラ。少し手を放すぞ。ちょっとだけ我慢してくれよな」


 ロープに掴まる前に、ラースはセラに目を向けて謝った。


「いえ。こちらこそ……気を遣わせてしまってごめんなさい」


 息を切らしながらも、セラは首を振って言った。


「わっ! ちょっと待って……」


 途端、あかねが小さな悲鳴を上げた。船が港から離れ出し、鉤縄を持つあかねの体を強く引っ張ったのだ。

 こちらが「待って」と言ったところで、向こうがすんなりと待ってくれるはずもない。急いで縄を手に取り、クレスはラース達に向かって叫んだ。


「飛び込むぞ!」


 遅れて縄を掴みながら、ラースはこくりとうなずいた。あかねの合図で、一同は地面から足を離し、飛び降りた。

 鉤縄は大きく弧を描き、ラース達を船へと導いていく。絶対に犯人を捕まえてやるという、彼らの熱意と共に。

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