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素晴ラシキ世界鉄道【本編:巡礼本線】-La Mirinda Mondo Fervojo-   作者: 葦原龍矢
第八章 救世主(サルヴァドーロ)
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第八景 銀の道線

「……さて、次はこっちだな」


 気を取り直し、ジーモンと無線を繋ぐ。一回の呼び出し音で、ジーモンが出る。


「兄貴か? 列車中探し回ったが、どこにも爆弾なんて見つからねえ。もう一度探してみるつもりだ。終着まではまだ時間があるからな」


 ジーモン、と無線機越しに名前を呼ばれて、ジーモンは立ち止まり、顔を上げる。


「これから、銀の道線への乗り入れを実行する。ゴドー輸送指令からも許可を得た。乗客には、若干強い揺れが来るが、脱線は絶対させない旨、強くアナウンスしてくれ。以上だ」


「ちょ、ちょっと待て兄貴。銀の道線? あっちは直流区間だろう、そんなことしたら……」


「同じ説明、二度もさせるなよな、ジーモン」


「いや、俺は一回しか言っていないんだが……」


「とにかく、後は俺に任せろ。お前は乗客を頼む」


 受話器越しのジーモンの声が暫く途絶えたが、やがて威勢の良い彼の声が響いた。


「了解だ。無茶していい時とそうじゃねえ時があるが、兄貴、今は思い切って無茶しろ!」


「ダンコン」


受話器を置くと、サルヴァドーロは背中を背もたれに預けた。ずっと列車の速度は一定だった。何気なく、ブレーキレバーを引いてみる。デジタルの速度計は最小の値すら動かさない。遠隔操作とは本当のことだったようだ。思わず、身体が震えた。


「……すまない。こんなことに巻き込んでしまって」


「あれ? もしかして私お荷物だったりする?」バルバラは眉をひそめた。


「そういうお姫様扱いは他の女の子なら喜ぶかもしれないけれど、男勝りのお姉さんには効き目なしだからね」


「この状況でまだそんなことが言えるのか。恐ろしい肝っ玉だな」


「どういたしまして」


 バルバラはいたずらっぽい笑みを浮かべた。サルヴァドーロの顔も自然と綻んだ。


「……ありがとうな。来てくれて」


「あたしだけにデレちゃうとジーモンちゃんが妬いちゃうわよ? 今は集中が大事よ」


 バルバラはサルヴァドーロの肩を軽く叩き、そのまま手を肩の上に載せた。サルヴァドーロは背筋を伸ばし、前方を見た。アストルガは三分以内に通過予定だ。この速度で分岐器を通過できるかは、正直なところ、自信がない。バルバラたちの落ちてきた天井からは、列車の起こす強い風の音が聞こえる。バルバラに受話器を持たせ、再び輸送指令と繋がせる。


「こちらも準備完了です。何とか分岐器の操作はこっちでもできそうです」


「本当ですか? それは良かった」


「しかし、私のいる輸送指令所で分岐器を操作できるのは、アストルガが最後です。それから先は、別の指令所の管轄になります。恐らく、既に相手側、具体的にはスチーブンソン側の手に落ちているでしょうが」


「分かりました」バルバラを見上げる。「バルバラ、防護無線の発報を頼む」


「了解しました、運転士!」前もってサルヴァドーロから受けた指示に従い、バルバラは手際よく防護装置を起動させた。運転室中に、甲高い警報音が鳴り響く。


 前方に、青い屋根の美しい司教邸が見えてくる。アストルガ駅が肉眼でも確認できるほどに近づいてくる。


「輸送指令」


「任せてください」レバーを操作する音が電話越しに聞こえる。「アストルガ駅下り本線、二番線と、銀の道線下り線、七番線を開通します」


「掴まっていろ」サルヴァドーロは自分の肩を指差した。バルバラは頷く。

アストルガ駅が駆けるように迫ってくる。列車は滑るように駅に進入する。ホームにはいくつかの列車が止まっている。銀の道線の下り列車も七番線に止まっているが、まだ出発時間ではないようだった。


「来るぞ」


 バルバラはその言葉に、ぎゅっとサルヴァドーロの肩を掴む。列車はアストルガ駅を快走する。列車がホームの先を通り過ぎた直後、床に激しい揺れが襲った。列車は左右に大きく振れながら本線を離れ、左方面に分岐する。別の線路を暫く走ったあと、さらに左隣の線路へと移動していく。サルヴァドーロは必死になってブレーキバーを掴んだ。レールにぶつかる車輪が、高い悲鳴を上げる。列車全体が大きくうねるのが、車両の繋ぎ目の軋む音で分かった。頭上で何かが裂けるような音がした。しかしそれには気にも止めずサルヴァドーロはしっかりと前を見据えた。前方に死電区間の標識が現れる。間髪を入れずにマスコンを操作してノッチオフを行った。列車の照明が消える。死電区間は五十メートルもない。急いでパンタグラフを折畳もうとしたとき、サルヴァドーロは自分のミスに気づいた。


「そうか……電源を切ったからパンタグラフを動かすこと自体……」


 電源の通っていない状態でパンタグラフを落としたことがない。頭の中が真っ白になった。


「私に任せて!」 


 バルバラはサルヴァドーロの肩から手を離すと、床に落ちていた銃を拾って、穴のあいた天井へと駆け上がり、顔を出した。中間の列車に唯一立っているパンタグラフが、先ほどの激しい揺れで架線から外れて、大きく上に伸びきっている。それが架線を横から擦り切るように架線に絡んでおり、パンタグラフの先端からは火が噴いていた。


 バルバラは片手で身体を支えながら銃を構えると、パンタグラフに狙いを定めて弾丸を撃った。弾丸は目標を外れ架線柱に当たり大きな音を立てた。もう一発。見事に命中したが、パンタグラフはしぶとく車両の屋根にしがみついている。


「もう直ぐ死電区間が終わる!」


「分かっているからあんたは黙ってなさい!」


 バルバラはもう一発打つ。手の震えが照準を狂わせる。火花は架線に移り、パンタグラフが傷をつけてきた架線は火を噴き引き裂かれ、架線全体が大きくたわみ始めた。バルバラの頭上を通っていた二つの架線が大きく枝分かれしていく。死電区間が終わりを告げる合図だ。バルバラは神経を集中させて、思い切って引き金を引いた。乾いた音が鳴り、炎を上げるパンタグラフが空を舞い、架線柱にぶつかった。架線柱に火が移り、架線柱が大きな火花を散らして燃え始めた。バルバラの手が震え、身体から力が抜けた。


「バルバラ、飛び降りろ! トンネルだ!」


 足元からの叫び声に、バルバラは急いで後ろを振り返る。コンクリート製のトンネルの縁が、目前にまで迫っていた。殆ど反射的に、バルバラは運転室の床へ飛び降りた。暗がりに包まれていた列車が、唐突に闇に襲われる。


 サルヴァドーロは、半ば放心状態のバルバラの肩にそっと手を置いた。大きく上下していた肩が、徐々に静かになる。


「……お前の機転に救われたな」


 暗闇の中で、サルヴァドーロは静かにバルバラを自分の胸に抱き寄せた。


「全く、絶対大丈夫じゃないと実行できないなんて、よくもまあ臆面もなく言えたものよね」ようやく我に返り、彼の腕の中でふと尋ねる。「……それで、この列車、これからどうなるの?」


「もう電源から外れて、自走できないただの客車になっているから、後は列車が減速して停車するのを待つだけだ」


「輸送指令とジーモンには?」


「これから連絡する。……って言っても、ジーモンとの連絡手段は途絶えたし、トンネルの中じゃ携帯の電波も立たないだろうからな。少し待つしか……」


 突然、目の前がくらむような強い光で溢れた。列車はトンネルを出て、再び緑の農園を走り始めた。目が明かりに慣れてきた時だ。前方を見たバルバラが悲鳴を上げた。


「ちょっと、前に列車止まっているわよ!」


 弾かれたようにサルヴァドーロは立ち上がり、窓の外を見やる。確かに前方の橋の向こうにある駅舎に、列車の姿が見える。この列車と同じ線路だ。駅舎に待避線はない。


「このままだと衝突するわよ! 本当にまだブレーキ効かないの?」


「効いたとしても、電気が通っていないから、このブレーキは使えない。でも、遠隔操作から解放されていれば、手動ブレーキが効くはずだ」

サルヴァドーロは警笛を鳴らすと、急いで天井のレバーに手を伸ばし、全体重を掛けて引き下ろした。大きな摩擦音が外から響いた。バルバラの身体が運転台へと投げ出されそうになったのを、サルヴァドーロは空いた左手で、力ずくで抱きかかえた。列車の速度は中々下がらない。目の前を通過する信号は、停止を示している。その信号の横を駆け抜け、列車はまだ止まらない。駅が目の前に見えてきた。前方の信号が変わらないのか、一向に列車が動こうとしない。もう、列車の最後尾が、目の前にまで迫ってきている。


「頼む、止まってくれ…………!」


 その時だ。


 サルヴァドーロの眼前に、白馬に乗った騎士が現れた。騎士は列車の前に立ちはだかると、運転室の方へと突進してきた。白馬が前足を流線型の列車の先頭部に載せて踏みとどまろうとする。後ろ足は列車のスピードでじりじりと背後へ押しやられていく。だが、不思議なことに、列車の速度が目に見えて遅くなってきた。騎士と目が合う。サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂で見た聖像と同じ、穏やかな眼差し。列車は緩やかに線路を走り、前方の列車の直前で、すんでのところで停車した。顔を上げると、先ほどの白い騎士の姿は、既になかった。


 腕の中にいたバルバラに目を落とす。バルバラも、奇異の目で窓の外に釘付けになっていた。さり気なく、サルヴァドーロが耳元で尋ねる。


「さっきの……お前も、見えたのか?」


「あんたも? 白馬に乗った騎士のこと?」


 バルバラの返事に、サルヴァドーロも目を皿にした。「だったらさっきの騎士は、本当に――」


 不意に、大きな音を立てて運転室の扉が開いた。


「兄貴、大丈夫か!」


 ジーモンは床に落とした制帽を改めてかぶり直し、ブレーキバーにぶらさがり抱き合う二人の姿を見つけて、思わず固まった。「……どさくさまぎれて何しているんだよ、兄貴……」


「え? …………うわああっ!」


 二人は我に返り、慌てて身体を離し、床に飛び降りた。ジーモンは二人の行動が気になったが、それよりも前方の窓に差し迫った先行列車の最後尾に言葉を失った。


「兄貴……よく止めたな。九死に一生を得た感じだ」


「本当にその通りだな」


「ひどい揺れで、お客さんも相当怖がっていたよ。俺も正直脱輪するかと思ったくらいだ」


「ちなみにお前、何て車内アナウンスしたんだ?」


 ジーモンはふと胸の前で十字を切って見せて、目配せをした。


「『神のご加護を祈りましょう』……ってな」

 サルヴァドーロとバルバラは、顔を見合わせ、納得したように顔を綻ばせた。


「それより、輸送指令に早く連絡した方が良いぜ。こっちの状況がどうなっているか知りたくて、気を揉んでいるに違いねえ」


「そうだな」サルヴァドーロは受話器を取った。


「あの直後、銀の道線の列車に緊急連絡をしたのですが、全ての列車に連絡が届いた訳ではなかったようです。こちらからマツォヨーゼフォ運転士に何度も連絡を試みたのですが、電波の関係で繋がらず、心配していたところです」電話越しの輸送指令の声は、安堵に満ちていた。


「ゴドー輸送指令。輸送指令が分岐器を動かしてくださったおかげで、何とか本線から支線に入線することができました。迅速に対応してくださり、本当にありがとうございます」


「私にお礼されても困りますよ。全ては運転士とその仲間の方の迅速な対応のおかげです」


「相手側、列車が急に本線から消えたのを見て、今頃大慌てでしょうね」


「そうでしょうね。早く戻ってきてください。事件はまだ終わったわけではありませんから」


「分かりました。取りあえずこの列車から降りて……」


「ちょっと待ってください」すかさず輸送指令が止めた。「結局、爆弾は見つかったのですか?」


 サルヴァドーロはジーモンを見て手で合図を送る。「……見つからなかったみたいですが」


「私見で恐縮なのですが、先ほど申し上げましたように、速度を落としてする何かをした際に、爆発する可能性があるのかもしれません」


「例えば……駅に停車、とかでしたよね? 駅なら今、先頭車だけ到着していますが……」


「……まあ、私の取り越し苦労なら構わないのですが、念のため、扉を開ける前に一度確認してください」

受話器を戻す。ジーモンがサルヴァドーロの顔を覗く。


「何だって?」


「爆弾が仕掛けられている可能性はまだ残っている。速度を落としてする何かをした際に、爆発する可能性があるかもしれない。扉を開ける前に一度確認した方が良い、ということだ」


「そう言ってもなあ」ジーモンは困ったように頭の後ろを掻いた。「乗客皆にお願いして、車内中をくまなく探し回たんだ。もう一回探すってことになると一体いつまで時間が……」


「ちょっと待った!」


 今まで黙っていたバルバラが、二人の間でいきなり手を上げた。


「何か考えでもあるのか、お前?」


「ゴドー輸送指令の言葉って、『扉を開ける前に車内を確認しろ』って意味じゃなくて、そのまま、『扉を開ける前に確認しろ』ってことじゃない?」


「何だそれ?」ジーモンは眉間に皺を寄せる。「とんちか何かか?」


 サルヴァドーロは何か思い当たる節があった。


「扉を開けないで乗客を脱出させよう。最後尾との繋ぎ目から出られるはずだ」


「あ、兄貴。一つ俺たちがぶち抜いた扉もあるから、それも使えるぞ」


 サルヴァドーロは防護無線をもう一度発報すると、三人は運転室を出て、不安げな表情の乗客を列車の外に連れ出した。安全が確保されたことを伝えられて、ようやく乗客たちの顔に安堵が浮かんだ。乗客たちは前に停車していた列車に移り、遠回りでパリに戻ることになった。

サルヴァドーロは二人を呼んで、車内に戻った。


「これだ」車掌室に入ったサルヴァドーロは、壁際のボタンを指差した。


「車掌スイッチだって?」ジーモンは瞠目した。サルヴァドーロの予想した通り、スイッチの形が少し歪んでおり、中からボタンの代わりに爆弾の導火線が出てきた。


「つまり、列車は停車して扉の開閉を行うと、爆破する仕組みになっていたのか。恐ろしいな」


「列車がパリからノンストップだったのも、これで説明がつくわね」


 バルバラは浮かない顔をするサルヴァドーロに顔を向けた。


「どうしたの? 何か腑に落ちないことでも?」


 バルバラの顔を見て、サルヴァドーロは小さく溜息をつき、唸った。


「いや。……どうして、ゴドー輸送指令は、そのことを知っていたんだろうって思ってさ」


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