第七景 アストルガ駅へ
運転するサルヴァドーロの眼を、いきなり誰かの手が覆った。サルヴァドーロは思わず手を掴んだ。すると、熱湯にでも触れたかのように手が離れた。
「どうしたの、この手……」
「何でもねえ。血は止まった」
握られた手に痛みが走り、思わず顔をしかめて手を引っ込める。手の主を見上げて、目を疑う。
「バルバラ……何でここに?」
「飛び移ってきた。ジーモンと一緒に」
バルバラはそう言うと、サルヴァドーロの首に両腕を回し、彼をぎゅっと抱きしめた。
「良かった。本当に無事で良かった……」
「無事ではねえけどな」ガラスのなくなった窓を指差す。バルバラは急に真顔に戻って。
「そう、あたしもそれ思った。何この窓? 何この血?」
「兄貴! 言われた通り、最後はちゃんとついて来てやったぜ!」
大きな足音を立てて、ジーモンが運転室にやって来た。
「さっきの銃声は? げっ、窓がねえ? なっ、何で床に血糊? ていうか兄貴手、大丈夫か?」
バルバラと全く同じ反応に、聞いていた二人は顔を合わせて思わず笑った。
「それより兄貴、大変だ。エセ鉄道員の奴ら、列車の連結切って逃げやがった」
「何だって?」
「最後尾の列車の連結を切ったんだ。血を流したピラトーを連れて」
サルヴァドーロは舌打ちをした。
「でも、そういうことなら、私たち、助かったってことだよね?」
「そうじゃねえ」サルヴァドーロは首を横に振った。「この列車に爆弾を仕掛けたらしい。百キロ以下で走行すると、爆発するそうだ」
「爆弾だって? あいつら、やることが汚すぎる!」
ジーモンの言葉に、サルヴァドーロは真面目な顔で言い返した。
「ジーモン、すまないが……ピラトーを悪く言うのは、やめてくれないか」
「ん? おう……」ジーモンはきょとんとした。「……悪かった」
「でも……犯人は、列車の速度が百キロ以上になってから爆弾を設置したってことよね?」
「確かに……」サルヴァドーロは頷いた。「なら、外には設置できないはずだ」
「兄貴、爆弾探しは俺に任せてくれないか?」
「分かった。だが、くれぐれも無茶するなよ」
ジーモンは笑顔で敬礼をすると、元来た通路を駆け足で戻っていった。
「その間に、俺たちはどうするか」サルヴァドーロは運転台に向き直る。
「そうだ。輸送指令に連絡しないと。あたしたちをここに導いたのも、ゴドー輸送指令なの」
「ゴドー輸送指令が?」サルヴァドーロは驚いてバルバラを見上げた。
「……確かに、輸送指令に事の顛末を報告するのが先決だな」
サルヴァドーロは受話器を取る。呼び出し音は途絶えたが、向こうの声が聞き取りにくい。
「輸送指令。輸送指令? ゴドー輸送指令、こちら『ペレグリーノ三一五号』の……」
「聞こえていますよ」優しい声が聞こえた。「ご指名頂いた、輸送指令のゴドーです」
「輸送指令、今私の列車は……」
「大丈夫です。運転士が私に連絡してきてくださったおかげで、現状は大体理解できました。ご無事で何よりです」
サルヴァドーロの腕の間から顔を突き出して聴いていたバルバラは、しびれを切らして受話器を奪い取った。
「バルバラ・ファンデビルド=ディエス・インブレヒツ、勇んでミッション続行中です。あのでっかい車掌は今、車内で乗客と一緒に爆弾を探しているところです」
「お前、余計なことを……」サルヴァドーロはバルバラを睨みつける。
「爆弾ですか? 犯行グループ側がそう言ってきたのですか?」
「……はい。何でも、一定以下の速度で運転すると、爆発するらしくて。ちなみに、犯行グループは先ほど、列車の最後尾を切り離して脱出しました」
「ああ、推理小説でよく見るあれですか。現実の世界でそれを実行しようとするなんて、犯行グループも洒落たことをしてくれますねぇ」
「あの、こちらはそんなことを言える状況ではないんですけれど……」
「分かっていますよ。最悪な状況下ほど、楽観的に考えることが大事です」ゴドー輸送指令は笑った。「確かに犯行グループの主張を切り捨てるわけにはいきませんが、私見を申し上げますと、爆弾が設置されていたとしても、速度の低下が爆破の原因ではないと思います。先ほども一度、緊急列車停止装置の作動で大幅に速度が低下したときがあったそうですね。でも、その時には爆破はしなかった。犯行グループがその時点から脱出までに爆弾を設置したとするなら、動力機に設置することなどできないでしょう」
「私たちも、同じ考えです」
「つまり、犯行グループがそう言って脅してきたのは、列車が何かのために速度を低下させることを避けたかったからではないでしょうか。例えば、駅に停車するとか」
「……結局、停車できないことには変わりないじゃありませんか」
「その通りです。犯行グループは、運転士に列車の速度を落とさないように警告して、サンティアゴ駅の車止めを突き破り、列車が大事故を起こすこと期待しているのでしょう。犯行グループは、当初、『かがみぐさ』に対する世界鉄道側の暴虐を列挙し、抗議のために自爆するつもりだったのかもしれません。ただ、マツォヨーゼフォ運転士という好都合な人物が現れたので、自分たちは密かに逃げおおせ、運転士に列車と運命を共にさせることにしたのでしょう」
「まさか……」
「でも、それに気づいた今は、別に列車を停車させても良いんじゃありませんか?」
バルバラの言葉を待っていたかのように、ゴドー輸送指令は続けた。
「運転士。一つ伺いますが、その列車……本当に、速度を落とせますか?」
「どう言う意味ですか、輸送指令?」
「実際にやって頂くと分かりますが、どうやら巡礼本線内の全ての列車は現在、遠隔操作を通じた無人運転モードに切り替わっているようです」
「遠隔操作……無人運転ですか?」
「無人運転モードは、元々世界鉄道内で研究はされていたのですが、今はまだ試行段階です。犯行グループ側と輸送指令所が手を組んで、運転士が犯行グループのまやかしに気づく前に、遠隔操作のできる範囲に列車を入らせ、運転を制御されないようにしたのでしょう」
サルヴァドーロとバルバラは顔を見合わせた。
「輸送指令さん、輸送指令さんは、その無人何とかっていうのを解除できないんですか?」
「申し訳ありませんが、私も存在を耳にしたことがあるだけで……」
「何てこと……」バルバラは青ざめた。
「運転士。今、ドラグロワール総社長をはじめ世界鉄道中の従業員が、皆さんの救援のために動き出しています。恐らく、遠隔操作を実行している輸送指令所が私たちの側に落ちるのも、そう遅いことはないと思います。ですから希望を捨てず……」
「ただ待てと? そんな当てもないことに、輸送指令は千人以上の乗客の命を捧げられるんですか?」サルヴァドーロの口調が思わず強くなる。「俺は運転士です。そんなあやふやなことに軽々しく乗客の命を委ねることはできません。絶対大丈夫じゃないと、実行できません」
「……残念ながら、おっしゃる通りです」輸送指令は口籠った。
バルバラが、ふと顔を上げた。
「ねえ……。仮に遠隔操作の対象が巡礼本線の列車に限られているんだったら、巡礼本線以外の路線にこの列車を移動させれば良いんじゃないの?」
「馬鹿言うな」サルヴァドーロは刺々しく唸る。「巡礼本線から分かれる支線は、本線と違って直流電流が流れているんだ。だから乗り入れなんて……」
サルヴァドーロは話すのを止めた。突然、頭の中にアイデアが浮かんだのだ。
「輸送指令。俺の考えを聴いて頂けませんか?」
「もちろんです」
「バルバラ。サンティアゴへの巡礼路には、巡礼本線の走る『フランス人の道』以外にもあるってこと、知っているよな?」きょとんとするバルバラに向かって尋ねる。
「……もちろん。『北の道』、『ポルトガルの道』、それから『銀の道』よ」
「その『銀の道』は、アストルガで『フランス人の道』に合流する。世界鉄道もそれに倣って、アストルガから『銀の道線』っていう支線が出ている。そこに、この列車を移動させるんだ」
「でもそれって……あたしと同じこと言っていない?」
「ゴドー輸送指令。分岐器の切り替えはできそうですか?」
「ええ……恐らくは」輸送指令の声に珍しく動揺がにじみ出ている。「しかし、先ほどまさに運転士が指摘したように、巡礼本線は交流電流、銀の道線は直流電流を採用しています。ペレグリーノ号の車両は交流区間のみを走れるもので、直流電流を走ることはできません」
「もちろん承知の上です」語気を強めてサルヴァドーロは言った。「交流の電車がそのまま直流区間に突っ込めば、架線が焼け焦げ、床下の機器類が爆発する。大惨事になることは分かっています。でも、確かアストルガ駅の先、支線内に死電区間があるはずです。そこに入って……」
「ノッチオフをして、パンタグラフを下ろす!」
「……その通りだ」バルバラが自分の言葉を代弁したことに、驚いた表情を見せながら。
「運転士の計画は分かりました。それで、惰性運転をして列車を停車させるという考えですね」
「はい。遠隔操作をしている側も鉄道員なら、まさか運転士がそんな馬鹿な真似をするとは思わないでしょう。ということは逆に、支線への分岐は、相手側の盲点になっているはずです」
「なるほど。若干難易度の高い課題ですが、アストルガ通過まで時間のない今の状況からして、賭けてみる価値はあるでしょう。……運転士、念のため防護無線で攪乱をお願いします。無人運転はハプニングに弱い。想定外の事故が起こったと思わせれば、少しの時間は稼げます」
「了解です。輸送指令も、分岐器の操作、宜しくお願いします」
「分かりました。それからマツォヨーゼフォ運転士」
「何でしょうか」
「無事に戻って来られたら、運転士にお伝えしたいことがあります。……今申し上げると、業務に支障をきたすでしょうから、今は申し上げません」
「……分かりました」
「取りあえず、一度ここで切りましょうか。また連絡します。ジス」
「……了解しました。ジス」
受話器から音声が途絶えた。サルヴァドーロは少しの間、眉をひそめて受話器を見ていた。




