第五景 巡礼本線
サルヴァドーロは流し目でピラトーを見た。そして、気づかれないように、ブレーキバーに置いた左手をそっと手前に引こうとした。不意に銃声が運転室に鳴り響いた。窓が悲鳴を上げて粉々に割れた。サルヴァドーロの背中が思わず強ばる。
「この列車には、爆弾が仕掛けられている。百キロ以下で運転すると炸裂する仕組みだ。人質を殺されたくなければ、下衆な真似はするなよ」
「人質は……乗客は、何人いる」
「ざっと千二百人くらいだろう。全席完売の超満員だ」
「……『かがみぐさ』なんだな?」
「もちろん」
「どうして、お前は、仲間を殺そうとするんだ」
「無駄死にじゃない。奴らは必要な犠牲だ」
ピラトーは淡々とした口調で言った。
「『クォー・ワディース』とは、『貴方はどこへ行く?』という意味だ。その次にこんなくだりがある。『貴方が再び私の民を裏切るなら、私はもう一度十字架にかけられにローマへ行こう』」
サルヴァドーロは黙って聴いていた。
「俺はこの鉄道に失望した。世界を平和で繋ぐなんてあやふやな理想を並べ立てて、俺たちには外の世界へ導く扉を開きやしない。俺たちがいくら叫んでも、奴らは俺たちを人間扱いしてくれやしない。だから俺たちは、十字架の描かれたこの列車に乗客を載せ、犠牲を捧げる。そうでもしないと、俺たちの訴えの必死さに気づかない。世界鉄道は馬鹿ばかりなんだよ」
「俺はともかく、乗客を巻き添えにすることはできない。俺の運転士としての信条に反する」
「お前の信条なんかどうでもいい。犠牲は大きければ大きいほど、センセーショナルに人の胸に刻むんだ。誰が死ぬかなんてどうでもいい。大事なのは、何人死んだかだ」
「理解ができねえ……」ブレーキバーを握るサルヴァドーロの手が震えた。
「お前は、昔はそんな奴じゃなかったはずだ。自分の目的を達成するために、仲間を見殺しにするなんてことはしなかった。だからこそ、俺の身代わりを買って出たんじゃなかったのか?」
「勘違いするな、マクジョゼフ。俺はお前を助けようとしたんじゃない。外に出る口実が欲しかっただけだ。ドジなお前に感謝しているぜ。外の世界を存分に味わい、そして気付いた。この鉄道は、外から攻撃しない限り、潰すことはできないってことを」
「お前は……世界鉄道を壊す気なのか?」
「俺たちの不遇の根本原因は、この世界鉄道の存在だ。これさえなければ、俺たちはフランス人だったかもしれない。イギリス人だったかもしれない。有刺鉄線さえなければ、俺たちは惨めな思い一つすることなく、何の憂いもなくはしゃぎ回ることだってできたんだ」
「そうじゃねえ!」
突然、サルヴァドーロは立ち上がり、ピラトーに掴みかかった。不意を打たれたピラトーは床へ倒され、咄嗟に引き金を引いた。何発もの銃声が耳をつんざき、天井の一部が二人の上に落ちてきた。天井に大きな穴が空く。サルヴァドーロはピラトーに馬乗りになり、手首を固く握り締めた。銃口が火を吹き、運転室の扉を弾が打ち抜く。
「俺たちには、世界鉄道が必要なんだ。世界鉄道は、俺たちの生みの親で、俺たちの家なんだ。この鉄道がなくなれば、俺たちには帰る場所がなくなるんだ!」
「その台詞を、鉄道警察の奴らに殴られている子供たちの前で言えるのか?
惨めだったガキの頃の俺たちの前で、自信持って語れるのか?」
ピラトーはサルヴァドーロに銃口を向けて怒鳴る。サルヴァドーロは歯を食いしばって銃身を床に押し付けた。
「お前も、本当は分かっているはずだ。『かがみぐさ』が本当に望んでいるのは、世界鉄道との対立でもなく、新しい故郷でもない。『世界鉄道』にとどまり、育ち、暮らしてきたことを、受け入れて欲しい。世界鉄道が俺たちの故郷だってことを、認めて欲しい。それだけだ。違うか?」
「笑止千万!」
ピラトーは足を思い切り起こして、サルヴァドーロの身体を投げ飛ばした。サルヴァドーロはよろけ、ガラスが飛び散り突風が吹き寄せる窓枠の縁に手をぶつけ、そこに残っていた窓ガラスの破片で手を切った。鋭い叫び声を上げる。
「お前と違って、俺は外の世界の風に当たった。辛く厳しい風に当たって、理想に惑わされた幼い心なんて、吹き飛んでしまった。お前みたいな現実感のない男が、英雄気取りの台詞を並べ立てる資格など、どこにもない」
撃つぞ。ピラトーはサルヴァドーロの胸に銃口を向けて短く言った。サルヴァドーロは顔を歪めて自分の手を押さえながら、振り絞るように声を出した。
「『クォー・ワディース』に続くくだりが、聖書では十字架にかけられることだったとしても、お前はきっと、別の言葉を期待していたはずだ。どこにも行くな、ここにとどまれと制止してくれる言葉を。それか、あとから追いかける、一緒に行こうと提案する言葉を」
「その減らず口は終わりだ」ピラトーはサルヴァドーロの声をかき消した。
「裏切り者には死を」
銃声が運転室に轟いた。




