第三景 ブルゴス駅 通過
「起きろ」
背中を強く蹴られて、サルヴァドーロは目を覚ました。背中でくくられた手首の縄が解かれる。警察に立ち上がらされる。運転台が手許にある。銃口を頭に向けられたまま、座席に腰をかける。低い天井。冷たいホーム。外には見覚えのある光景が広がっていた。列車の窓はハーフミラーなので、外から中の様子を見ることは殆どできない。
「新パリ駅……」サルヴァドーロは呟いた。
「これから命令する通りに、列車を運転しろ。目的地はサンティアゴ・デ・コンポステーラだ」
銃口を向けた男が言った。サルヴァドーロは前方を見たまま、毅然として言った。
「お前の命令に従ったところで、信号や時刻表通りに動かなければ、この列車は衝突事故でも起こして、お前も俺も死ぬだけだ。俺はパイロットじゃねえ。決められた線路を走るしかない鉄道の運転士にそんな命令をするのは、お門違いじゃねえのか」
「お前、自分の置かれた立場が分かってほざいているのか?」男は下劣な笑いを浮かべた。
「生憎巡礼本線は全線、我々に味方したスチーブンソン側の支配下に置かれている。運行も、こちらの思い通りにすることができるってわけよ」
「大掛かりな乗っ取り方だな。お前……『クォー・ワディース』の一員か?」
「出発しろ」
銃口で男がサルヴァドーロの頭を叩いた。乗降完了を示す赤いランプは、最初から点いていた。サルヴァドーロは黙ってマスコンを引く。列車は警笛を鳴らして出発した。
列車はパリ郊外へと抜けていく。その間も、男はずっとサルヴァドーロの後頭部に冷たい銃口を当てていた。サルヴァドーロは、この列車に乗客がいるかどうかを知りたかった。鉄道警察に扮したテロリストが何人この列車に潜んでいるかも知りたかった。だが、話を切り出すタイミングが掴めない。信号はいつまでも青のままだった。止まるべき駅を次々に通過していく。サン・ジャン・ピエ・ド・ポル駅を通過し、ピレネートンネルに入る。目の前が暗くなる。窓に映し出された男の顔の傷を見て、思わず声を漏らした。
「……久しぶりだな、マクジョゼフ」
「……やっぱり、お前か。パオロ・ピラトー……」
「お前と再会したのは、あの時以来か。お前はもう忘れちまったかもしれないが、お前がへまをしたときのことだ」
「覚えている。あの時できたのが……その傷だった」
列車は長いピレネートンネルを抜け、スペインに入る。
「更生施設から、どうやって抜け出したんだ?」
「馬鹿にするな。誰が更生施設なんかに行くものか」
「……逃げ出したのか?」
「護送中にな。かくして俺はめでたく外の世界に出て、パリの街で暮らすことができたんだ」
「なら、どうしてお前は今、こんなことをしているんだ?」
「『クォー・ワディース』のリーダーだからだ」
「『クォー・ワディース』は、逮捕されたんじゃなかったのか?」
「あれはアンティペーター・ポストの流したデマだ。実際には俺たちは、スチーブンソン側と手を組み、今日この日のために準備をしてきたのさ」
耳元で、折り畳まれた紙を開く音がした。ピラトーの低い声が再び運転室に響く。
「我々は、世界鉄道内にて駅上生活を営む無国籍者、いわゆる『かがみぐさ』出身者から成るテロ組織『クォー・ワディース』である。これまで世界鉄道によって幾度となく繰り返されてきた、人間の尊厳を踏みにじる暴虐、特に人身売買に対して、我々は正義の名の下に立ち上がることをここに宣言する」
サルヴァドーロは慎重に顔を上げた。銃口が後頭部に当たり、それ以上は動けなかった。
「……何だ、それは……?」
「俺たちの犯行声明文だ。今日十一時からの取締役会に提出され、アンティペーター・ポストから独占報道される予定だ。国際社会は人権の抑圧には敏感だからな。このハイジャックが予期できなかったこと、並びに人身売買という人権問題をひた隠しにしていた事実が分かれば、ドラグロワール派は、これ以上世界鉄道を率いることはできないだろうな」
ピラトーはせせら笑った。
「まさか……自作自演か? スチーブンソン派と組んで、就職支援だと騙して『かがみぐさ』を売りさばく。その人身売買の現実を知り義憤を感じた『クォー・ワディース』の奴らが、世界鉄道に抗議する。国際世論はテロ組織側に共感を覚え、世界鉄道の評判は地に落ちる」
ピラトーは、サルヴァドーロの頭を銃口でこつりと叩く。低い笑い声が頭上から聞こえる。
「要求は……何だ?」
「要求? そんなものはない。俺は世界鉄道から何一つ受け取りたくはないんだ」
「どうしてスチーブンソン派なんかと手を組んだ? 俺たちの敵は、あいつらじゃねえか」
「俺たちはイデオロギーで敵味方を区別はしない。利益が揃えば手を組む。奴らには実行に必要な力がある。俺たちには実行する意志がある。そして両者には世界鉄道への敵意がある」
「目を覚ませ。血も涙もないのはあいつらの方だ。このハイジャックが成功し、スチーブンソン派が世界鉄道を掌握すれば、お前たちは真っ先に片付けられてしまう」
「それはありえない。仮に俺たちを一掃する気なら、こんな事件を起こして国際世論をかき乱すこともないだろう。自分で自分の首を絞めるようなことは、スチーブンソンはしない」
遠方に見えた大聖堂が飛ぶような勢いで近づいてくる。列車は高速のまま、ブルゴス駅を通過する。




