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素晴ラシキ世界鉄道【本編:巡礼本線】-La Mirinda Mondo Fervojo-   作者: 葦原龍矢
第七章 祝賀会(さいごのばんさん)
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第七景 ジュディの接吻

 四人は駅ビルを出るまで、黙って歩いた。誰もが、この雰囲気を変えたいとは思っていたが、誰にも適切な言葉が思い浮かばなかった。


「それじゃ……私、こっちだから」


 結局、ジュディが当たり障りのない言葉で話を切り開いた。


「じゃあ、見送るよ」サルヴァドーロは答えた。他の二人も頷き、後に続く。


「兄貴」真剣な顔でジーモンが言った。「あいつにも時間が必要なんだ。そう直ぐに受け入れられることはできなくて当たり前だと思うぜ。頭と心の整理も必要だし」


「分かっている」


「因みに、俺は、どんなことがあっても兄貴の味方だ。いつでも助けを求めろよな」


「そうだな」サルヴァドーロは短く言って、電光掲示板の表示を見た。


「お前は、どんなことがあっても、必ず最後はついて来てくれる。そう信じている」


「それって……信頼されているのか? 俺は最初から兄貴について行くからよ。な?」


「分かっているって。全く、そんな歯が浮くような言葉、よく面と向かって言えるよな、お前」


 はぐらかされたような気がして、ジーモンは口を尖らせる。


 夜空の映し出された鏡に、黄色い光が反射する。近郊列車が音を立ててホームに入ってくる。


「あのさ……」今まで黙ってホームに立っていたジュディが、不意にサルヴァドーロを祈るような目で見つめた。彼にしか聞こえない声で尋ねる。「私のことは、疑ってないよね?」


 サルヴァドーロは、じっとジュディを見つめた。頷きもせず、首を振ることもせず、ただ見つめていた。ジュディの目が揺れ、唇が乾くのが分かった。


「じゃあな、気をつけて帰れよ」ジーモンがジュディの前で両手を開いたが、ジュディはハグをせずに握手で済ませた。バルバラにもお休みと言って手を握った。


「お休み、サルヴァドーロ」


 ジュディはサルヴァドーロの前に構えると、すっと肩に腕を回し、頬にキスをした。


「今日は祝ってくれて、ありがとうな」


 サルヴァドーロが耳元で優しく囁く。ジュディの喉がつかえる。言葉より先に涙が溢れてきそうになった。急いで肩から手を離し、目を細めて笑った。笑窪が悲しげに頬に浮かぶ。


「じゃあ、私、行くね」


 それ以上何も言わずに、ボタンを押して扉を開けた。手を振るジーモンたちに短く手を振り返して、ジュディは足早に別の車両へと移動した。扉が閉まり、列車は出発する。サルヴァドーロは手を振らず、黙ってテールライトを睨んでいた。


 ジュディは空いていた椅子に腰を掛けた。ハンカチで溢れ落ちた涙を拭いていると、目の前に座った男の顔の傷に気付いた。


「お役目ご苦労だったな。報酬は明日、送る」


「……」ジュディはハンカチを手に握り、闇を映す窓に赤い目を向けた。


「お前が口づけした男……あの男が、ジャック・ロックなんだな?」

ジュディは俯いたまま頷く。紺色のスカートに、涙がぽつりとこぼれ落ちた。




 バルバラが売店で水を買うと言ったので、サルヴァドーロはついて行くことにした。酔いの回ったジーモンは、先に部屋で休むと言い、ホームを後にした。


 サルヴァドーロはバルバラと二人で歩いた。


「さっきの話、すごく良かったと思う」


「どれが?」


「ビストロでの話。あんた、ちゃんと自分のことを、勇気出して言えるようになった。初めて会った時よりも、今の方が、表情がずっと晴れやかだもん」


「そうか」


「ジーモンの言うとおり、ジョヴァンニのことは待ってあげた方が良いわね。ま、あの子も意固地よねぇ。あんたの背景知らなかったとしても、その背景があってあんたは作られている。そのあんたと友達になったわけなんだから、別に受け入れられないこともないと思うけど」


 二人は売店の前に着いた。サルヴァドーロは手洗いに行くと言って、暫くその場を離れた。売店からペットボトルを買って出ると、バルバラは壁に持たれて彼を待った。今夜は駅上で夜を明かす人は見えなかった。暇つぶしに携帯を取り出すと、ポケットから一緒に切符が出て、足元に落ちた。バルバラが拾おうとすると、目の前に別の手が現れて、先に切符を手に取った。


「ちょっと……」バルバラは文句を言いかけて、口をつぐんだ。目の前にいたのは、鉄道警察の集団だった。身体が思わず強ばる。


「マドリード・バラハス国際空港第一ターミナル発、第二ターミナル行き……」切符を拾い上げた警官が読み上げ、フランス語で尋ねた。「どうしてこんな切符を持っている」


「え? ごめん、今何て?」バルバラはオランダ語でとぼけて、その場を切り抜けようとした。だが警官は目の前で切符の束を破くと、周りにいた警官に命令して、バルバラを拘束した。バルバラは思わず叫び声を上げた。


「ちょっと、何するの、ねえ!」エスペラントで必死に叫ぶ。だが、警官は力を緩めない。バルバラの足はホームの上を引きずられていく。


「こいつは『かがみぐさ』だ。すぐに連れて行け!」


「ちょっと待って、あたし違うから!」


 その時、バルバラは、鉄道警察の身体の隙間からサルヴァドーロを見つけた。サルヴァドーロはバルバラの声を聞きつけ駆け出すと、警官に掴みかかった。


「そいつを離せ! そいつは『かがみぐさ』じゃねえ!」


 警官は不意を突かれてバランスを崩した。輪が崩れたところで、サルヴァドーロが中に飛び込もうとするのを、起き上がった警官が脚を捕まえて彼を倒した。サルヴァドーロは呻き声を上げた。


 警官が私服のサルヴァドーロを摘み上げると、ポケットから財布が落ちてきた。警官は財布を拾い上げ、その中にあったIDカードに目を留めた。


「サルヴァドール・マクジョゼフ……。やはりお前が、一昨日、特急車内で暴れた男か。暴れた上に堂々と表彰式に出てくるとは、中々の度胸だな」


「違うわよ! そのIDは偽物! その人は関係ないから!」


 バルバラの高い叫び声を無視して、警官は懐中電灯を照らし、淡々とカードの写真とサルヴァドーロの顔とを見比べる。


「……間違いない。こいつはサルヴァドール・マクジョゼフだ」


 バルバラは舌打ちをして、何かを求めるようにサルヴァドーロを見た。彼は無言で警官を静かに見据えていた。


「俺を連れて行っても良い。だが、こいつは関係ない。人違いだ」


「嘘、嘘! あたしは『かがみぐさ』! この人の代わりにあたしを連れて行ってよ!」


「お前、黙れ!」バルバラを見ずに小さく呟く。


「何よあんた! 大人しく警察の言いなりになっているんじゃないわよ!」


「両方とも連れて行け!」


 警官が叫んだ。警官たちは二人を乱暴に引きずると、黒い電気機関車の牽引する客車の中へと放り込んだ。そこで二人は別々の警官に見張られることになった。列車が重たい車輪を動かして発車する。客車の中には窓がなく、明かりも灯されていない。近くに誰がいるのか、自分がどこを走っているのか、何も分からない。線路の継ぎ目を通る時のガタゴトという音だけが、床下の方からおどろおどろしく響いてくる。それ以外に自分に届く情報はなかった。


 列車は十五分ほど走った後、突然速度を落として停車した。列車の扉が開く。


「外へ出ろ」


 警官の鋭い声とともに、サルヴァドーロとバルバラは外へ連れ出された。

 サルヴァドーロは空を見上げた。良く晴れた夜空だった。電灯のほの明るい光に照らされて、異様な建築物のように並ぶ列車の姿が周囲に浮かび上がった。線路の数が多い。サルヴァドーロは場所が分かった。ルテティア第一車両基地だった。


 二人は線路の間を歩かされ、離れた場所にあった別の車両へ辿り着いた。闇の中に、赤いヤコブの十字架が浮かび上がる。ペレグリーノ号に違いなかった。不意に、車両の扉が音を立てて開いた。警官は顎をしゃくった。二人の腕を掴んでいた警官が二人の背中を強く叩き、二人を列車の中へ押し込んだ。


 サングラスをかけた鉄道警察の中から、一人の男が二人の前に歩み出た。顔には切り傷の痕が生々しく刻まれていた。サルヴァドーロは暗闇で目を凝らし、冷静な口調で男に告げた。


「お前が欲しいのは俺だよな……? だったら、こいつは解放してくれ」


「ちょっと、何余計なこと言うのよ! 警察の扱いに慣れているあたしに任せなさいよ!」


「本当に、この女は『かがみぐさ』ではないとするなら、証拠はどこにある」


「服を脱がせて左肩を見れば良いだろうが」


「あんた!」バルバラの顔が青ざめた。


「良いだろう」傷痕の男は他の警官に合図をする。すぐに三、四人の警官が輪の中から前に出て、バルバラの腕を乱暴に掴むと、手荒に袖を捲りあげた。バルバラは悲鳴を上げて警官を怒鳴り散らして、腕を隠そうとする。ようやく露になったバルバラの白い肩には傷一つなかった。


「……確かに理解した。女を解放し、男を連行する」


 警官は言葉を失ったバルバラの両脇をぐいと抱えると、彼女を無理やり立ち上がらせ、扉を開き、線路の上にバルバラを落とした。バルバラは思わず叫び声を上げた。


「お願いだから、あたしもあいつと一緒に連行して!」


 枕木に強く打ちつけた腰の痛みも忘れて、バルバラは車両に跳びつき、硬く閉ざされた扉を強く叩いた。暗闇の中、警官たちの姿も、サルヴァドーロの顔も見えない。先頭車の方で大きな警笛が鳴る。バルバラの足元で車輪が音を立てた。思わずバルバラは飛び退いた。


「サルヴァドーロ!」


 バルバラが大きな声で自分の名前を呼んでいるのは見れば分かった。だが、厚い窓のせいで、彼女が声を枯らして叫んでも、中にいるサルヴァドーロには聞こえない。自分の姿も、外にいる彼女からは見えないだろう。必死に列車を追いかける姿がどんどん後方へ遠ざかっていく。ついに彼女は、走るのを諦め、線路の間に崩れ落ちた。


 サルヴァドーロは警官に命令されて立ち上がった。先頭車に来ると、座るよう命令される。


 運転室の扉が開く。運転室の助手席に座っていた男が、サルヴァドーロの前にしゃがみこんだ。葉巻の臭いがする。サルヴァドーロは煙に巻かれて思わず咳き込んだ。


「おっと、失敬。車内は火気厳禁だったかな」


 電灯の明かりが斜めに差込み、フィリップの顔に嘲笑に満ちた影を落とす。フィリップはサルヴァドーロの左肩に葉巻の先を押し付けた。叫び声を上げようとするサルヴァドーロの口を、警官が力づくで押さえつけた。彼のシャツに黒い穴が空き、中から社章の刺青がくっきりと顔を出した。フィリップはサルヴァドーロの顎を掴み、自分の方へと向けて語りかけた。


「私とは、初対面、と言うことで良いのかな」


「……」歯の奥を食いしばって、フィリップを睨み上げる。


「一つ訊く。お前はジャック・ロックの生まれ変わりか? それともこの世を彷徨う奴の亡霊か?」


「……誰の話をしている」


「……知らないふりか。それとも本当に知らないのか。なら教えてやろう」葉巻を口に咥え直す。「ジャック・ロックは、俺がマリアンヌ・ドラグロワールから奪った男であり、フィリップ・スチーブンソンから理想を奪った男だ」


 サルヴァドーロの脳裏に、マリアンヌの持っていた黄金の鍵が浮かんだ。サルヴァドーロの中に散らばっていた数々の点が、一つの線で結ばれた。


「もう一度訊く。お前は、ジャック・ロックなのか?」

サルヴァドーロはフィリップを睨みつけて、毅然として答えた。


「俺が何を話したところで、お前は何も信じないだろう」


 フィリップは葉巻をくゆらす。口元が緩み、笑みが浮かぶのを、サルヴァドーロはじっと見つめていた。突然、フィリップはサルヴァドーロの胸ぐらを掴むと、彼を仰向けに押し倒し、革靴のかかとを彼の腹へ振り落とした。サルヴァドーロは鈍い呻き声を上げ、咳き込んだ。口の中に鉄の味が充満し、粘り気のある血を吐き出した。


 フィリップは立ち上がる。扉が静かに開く。


「あの女の聖地で、血の色の十字架にかけられて来い」


 近くに立ち、サルヴァドーロを見張っていた警察に告げる。


「ピラトーのところへ連れて行け。ここから先は、あいつの管轄だ」


 革靴の固い音が響き、扉の閉まる音が聞こえた。それから先は、聴覚が鈍くなり、目の前が白んできて、何も知覚できなくなった。サルヴァドーロは気を失った。


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