第三景 サルヴァドーロの戸惑
優良運転士の表彰が名前順に始まる。マリアンヌは受賞者に賞状を与え握手するたびに、彼らの顔を感づかれない程度に凝視した。しかし、胸に迫る印象を与える人物は、まだ自分の前に現れなかった。
その名前を司会が読み上げるまでは。
「マクジョゼフ、サルヴァドール」
マリアンヌは自分の手許にある賞状の名前に釘付けになった。そして怖々と、まるで夢から覚めるのを恐れるかのように、近づいて来た男に向かってゆっくりと顔を上げた。
淡い金髪にコバルトブルーの瞳。澄んだ瞳には純粋さが浮かんでいるが、時に斜に構えたような色を見せることもある。ジャック・ロックその人だった。自分に聖ヤコブの巡礼路を語ってくれたときの、あの若さに満ちあふれたジャックが、そこにいた。
サルヴァドーロはマリアンヌに近づいたとき、後ろに控えたスチーブンソン兄弟の顔色の変化に気付いた。ハロルドは目を皿にして驚きを隠さず、フィリップは問い質すようにサルヴァドーロを睨みつけていた。もう、昨日の出来事は、上まで漏れているのかもしれない。彼は思わず顔を伏せた。そして、相変わらずの無愛想な顔で、差し出された賞状に手を添えた。
賞状を受け取った際、ふとサルヴァドーロは顔を上げて、初めて総社長の顔を正面から見た。テレビではなく直に見るドラグロワール総社長の姿。想像していたよりも背が高く、噂以上に気品に溢れ、そしてどこかに寂しげな影が差していた。意外なことに、総社長の顔にも驚きの顔が浮かんでいた。まるで、昔の旧友に突然雑踏の中で出くわしたときのように。
ただ、ハロルドと違ったのは、その顔が喜びの笑みに変わったことだった。総社長の瞳に涙が光るのを、サルヴァドーロは垣間見た。時間にして十秒もなかったが、サルヴァドーロにはもっと長く見つめ合っていたように感じた。どこかしら懐かしさを感じた。
サルヴァドーロは我に返り、踵を返す。突如、背中で大きな音がした。振り返ると、総社長が幹部席の方に倒れていたのだ。
一瞬にして、広間は騒然とした空気に包まれた。脇からボディガードが駆け寄り、取締役たちもおろおろと立ち上がって野次馬を成した。サルヴァドーロは演台の後ろに回り、総社長の身体を起こそうとした。しかし一歩早く、別の手が総社長の身体を抱きかかえた。
「しっかりしろ!」
ハロルドは青くなって、マリアンヌの身体を揺さぶった。思わず立ちすくむサルヴァドーロの視線が、総社長の胸に落ちた。サルヴァドーロが目を見開く。ハロルドに抱きかかえられた総社長の胸には、自分がジーモンに預けたものと同じ型の金の鍵が載っていた。
サルヴァドーロはハロルドに顔を向けた。ハロルドも自分を見ていた。まるで、自分が見ているものの目を疑っている表情だった。
「君は、まさか……ジャッキーなのかい?」
サルヴァドーロは問いの意味が分からなかったが、何かが胸の奥で疼いていた。サルヴァドーロはマリアンヌの腕に触れたかった。しかしその時、ハロルドの腕の中で、マリアンヌは意識を取り戻した。ハロルドは心配そうに妻を見る。
「大丈夫かい、ママ……?」
総社長は頭を押さえて、頷いた。そして顔を上げて、再びサルヴァドーロの存在を認めた。
朝露のようにぽつりとこぼれ落ちた彼女の呟きが、サルヴァドーロの耳に届いた。
「……会えてよかった、サルヴァドール……」
サルヴァドーロは、総社長の笑顔の意味を探るように、暫く彼女の前で立ち尽くしていた。やがて室内に秩序が戻り、サルヴァドーロは案内人に肩を叩かれた。我に返り、サルヴァドーロはすごすごと自分の座席へと戻っていった。表彰式が終わるまでの間、彼の中で総社長の言葉がうずを巻くように回っていた。




