第三景 主よ何処にか行き給う
それから今日の日まで、マリアンヌがテオドーロを見ることはなかった。マリアンヌは恨みに似た感情をテオドーロに抱いていた。しかし、再度彼の穏やかな表情を見ると、その感情も音もなく消えていってしまった。
「今まで、貴女に心労を重ねさせてしまったこと、心からお詫び申し上げます」
「彼には、いつ会えるのですか?」詫びの言葉よりもそれが知りたかった。
「近日中に。具体的には、優良鉄道員の表彰式の際に」
マリアンヌは耳を疑った。「……どういうことですか?」
「申し上げた通りでございます」
「彼は……世界鉄道で働いているのですか?」
テオドーロは目で頷いた。
「だったらどうして、もっと早くそれを教えてくださらなかったのですか?」
感情を抑えることができない。
「時機が来るのを待っていたのです」
「時機……?」
「今、世界鉄道は、表向きには嵐を避け、平穏に航海を続けているかのように見えます。しかしそれは、次に来る大波に飲まれる前の、ほんのわずかな平和でしかないのです」
「……何をおっしゃっているのですか?」
「聡明な貴女なら、言わずとも気づいているはずです」
テオドーロの瞳を見て、はっと目を見開く。
「ですが……スチーブンソン派は、ブリュッセルの件で対立姿勢を改めたはず」
「でも、貴女はそうだとは考えていないようですね」
マリアンヌは静かに俯く。
「ことによると彼らは、もう動き始めているかもしれません」
「テオドーロ様、貴方は何か、その件についてご存知で……?」
「今はこれ以上、申し上げることはできません。ただ、救世主が現れると、必ずその到来を危惧し、引いては彼を手にかけようとする人物が出てくることが世の常とだけ。私が申し上げられるのは、ここまでです」
テオドーロは立ち上がった。マリアンヌは思わず顔を上げる。
「テオドーロ様、もう一つ、ご相談したいことがございます。テロ事件の主犯である『クォー・ワディース』はご存知でしょうか?」
「ええ」
「私は、あれは名前ではなく、彼らのメッセージなのではないかと思っているのです」
「なるほど。ご高説を拝聴しても宜しいでしょうか?」
「聖者の方にお話するのは恐縮ですが、あの言葉は、使徒シモン・ペテロがイエスに向かって問うたものです。『主よ、何処にか行き給う』と」
「そうですね」
「そして主はこう答えました。『汝、我が民を見捨てなば、我、ローマに行きて、今一度十字架にかからん』」
マリアンヌは静かに続ける。
「汝とは世界鉄道、我が民とは『かがみぐさ』のこと。ローマはかつての帝国の首都であり、それは欧州連合の首都であるブリュッセル、十字架にかかるは……刑罰に処せられること、あるいは自己犠牲。可能性としては自爆テロ。最初私は、我々が『かがみぐさ』に対して強硬策を取り続けるなら、再びブリュッセルでテロを起こすという、脅し文句と捉えていました。ですから、『クォー・ワディース』が『かがみぐさ』であることを公表せず、宥和政策を取ることにしたのです。ただ、私の解釈が、それで正しかったのか、今でも腑に落ちません」
テオドーロは息をつき、壁に掛けたマントを手に取った。
「私はあくまで部外者ですが、所見を開陳してもよろしいのであれば、一言だけ」
「お願いします」
「貴女の引用は、外伝に基づいていらっしゃる。福音書にも同じ台詞が出てきますが、場面と主の返事は異なります。それに沿えば、彼らの名前の別に解釈できるかもしれませんね。それに……仮に貴女の解釈が正しいとしても、貴女にとっての『ローマ』は、本当にブリュッセルなのでしょうか?」
テオドーロは静かな笑みを浮かべた。マリアンヌは何かを思いついたように目を見開いた。
「話を戻しますが、重要なのは表彰式です。それでは、引き続き素敵な夜を」




