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素晴ラシキ世界鉄道【本編:巡礼本線】-La Mirinda Mondo Fervojo-   作者: 葦原龍矢
第五章 死電区間(デッドセクション)
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第二景 歓喜の丘

 サンティアゴの旧市街をあとにし、二人は郊外にある「歓喜の丘」へ向かった。この丘で、巡礼者は初めて眼下に大聖堂の姿を認め、今までの苦労に思いを馳せ、喜びの声を上げる。巡礼者像の近くの草むらに二人は腰掛けた。


 土の上に座るのは、サルヴァドーロにとっては初めてのことだった。柔らかく温かな土の感触に、自然と心も緩やかになっていく。信号も時刻表もなく、流れるままに流れていく、雲と時。二人はサンティアゴの町を見下ろし、暫く何も言わず眺めていた。


「あたし、スペイン、好きよ」静かにバラバラが言った。「地方ごとに表情が違うし、世界中の人にも愛されているし。あたしみたいな根無し草にも、きっと落ち着ける町があると思う」


「お前は根無し草なんかじゃねえよ。お前は色々な国に住んだことがあるし、国籍だって持っている。世界中に帰る場所がある」


「どうだろう」バラバラは力なく笑う。「『かがみぐさ』ってさ、色々な場所を当てもなく彷徨う浮草のことでしょう? なら、それはあたしのことよ。あんたは違う。あんたには根を下ろした場所がある。それを故郷として、世間とあんたが認めていないだけ」


 サルヴァドーロは黙って、世界鉄道の駅のある方角に目を向けた。


「ねえ」


 バルバラが口を開く。ん、とサルヴァドーロが反応する。


「あんたの出自のこと……もう少し聞いてもいい?」


 サルヴァドーロは黙っていた。肯定の合図だった。


「どうして世界鉄道で働くことができたの?」


「エスペラントで読み書きができた。それが俺を救った」


「でも、就職なんてそれだけじゃできないでしょう?」


「昔、パリ中央駅の隅で、同じくらいの歳の奴と一緒に暮らしていた。リーダーはパオロっていう、切れ者がやっていた。俺はマクジョゼフのハンバーガーを盗む役だったから、仲間内では『マクジョゼフ』って呼ばれていたんだ」


「だからあんた、苗字が『マクジョゼフ』なのね」


「『マツォヨーゼフォ』だ」


 サルヴァドーロは気を取り直して話を続けた。


「あるとき、俺が盗むのを失敗して、鉄道警察に捕まりかけたことがあった。他の仲間は一目散に逃げてしまった。俺も逆の立場ならそうしていたと思う。でも、パオロはわざわざ警察のところに来て、俺は『かがみぐさ』じゃない、自分が唆したんだって叫んで、連行されてしまった。警察に捕まれば何が待ち受けているか、俺たちはよく知っていただけに、仲間を庇うパオロの行為が、俺には理解できなかったんだ」


「因みに……警察に捕まると、どうなるの?」


「世界鉄道の運営している更生施設に送られる。路線から離れた隔離施設で、どこにあるかも公表されていない。俺たちの間では地獄のように恐れられていたんだ」


 サルヴァドーロは続けた。


「一方の俺は、不憫に思った駅員に駅員室へ連れて行かれた。俺は、外国語として学んだ奴らよりエスペラントができたから、事務を手伝うことになった。その仕事がうまくいって、そのまま正社員として世界鉄道に雇われることになったんだ。素性は誰にも明かさなかったけどな」


「パオロと、他の仲間たちは、どうなったの?」


「消息不明だ」サルヴァドーロは溜息をついた。


「俺の一件以来、仲間は列車に乗ってどこか別の駅へ散らばってしまったらしい。パオロのことをそれから見たことは一度もない。でも、俺、たとえ奴らに会えたとしても、合わせる顔がねえよ。俺一人、仲間の犠牲を踏み台にして、今のこの生活を手に入れてしまったから。だから俺、誰よりもしっかり働こうって思った」


「かがみぐさ」って括りで見られたくなかった。酒に溺れたり遊び呆けたりして、かつての仲間や、「かがみぐさ」に偏見のある人々に見られて、彼らの反感を買うことを避けたかった。


 草むらに肘をついて寝そべっていたバルバラが、不意にクスリと笑った。


「何がおかしいんだよ?」


「『かがみぐさ』だと見られたくないあまり、『かがみぐさ』であることを人一倍意識しちゃっているのね、あんた」


 バルバラに指摘されて、サルヴァドーロは思わず口籠った。


「ちなみに、下の名前の方は、あんたが自分で付けたの?」


「いや」彼は即答した。「俺が物心ついた頃には、俺はもうそうやって呼ばれていた。おぼろげな記憶だけれど、俺、最初は誰かと一緒にどこかで暮らしていた気がするんだ。その人が血の繋がった『親』なのかどうかは、分からねえけど」


 サルヴァドーロは尻をはたきながら立ち上がった。


「そろそろ行くか。運転士が列車に遅れれば、笑い事じゃ済まないからな」


 伸びをした彼の目に、十六連の列車が目に留まった。


「どうしたの?」バルバラは彼の視線の向いた方を見つめて尋ねる。


「あの列車」サルヴァドーロは言った。「ペレグリーノ号なのに、サンティアゴよりもさらに西へ向かっている」


「どれ?」バルバラは手を目の上に翳して目を凝らす。「待避線か何かなんじゃないの?」


「分からねえ。でも、あんな列車の動き、見たことがない」


「取りあえず、駅に戻ろうよ。何か分かるかもしれないし」


 サンティアゴ・デ・コンポステーラ駅に再び潜り込み、仮眠室で服を着替えると、サルヴァドーロは駅員に謎の列車について尋ねた。


「それは、フィニステレ行きの列車ですよ」駅員は何食わぬ顔で答えた。


「フィニステレ?」


 フィニステレは、巡礼地の一つにもなっている、大西洋を臨むイベリア半島最西端の岬だ。


「フィニステレは、普通列車だけが行くものと思っていたんですが……」


「巡礼客の増加の影響で、特急列車の一部がフィニステレに行くようになったんですよ」


 サルヴァドーロは腑に落ちなかったが、自分の担当列車が電光掲示板に既に表示されていたので、気を取り直してホームへ向かった。


 銀色の特急列車の横を、サルヴァドーロはバルバラと並んで歩く。バルバラは客車に乗り込もうとしたが、彼はバルバラを呼んで、列車の先頭車両まで彼女を連れてきた。


「乗れよ」サルヴァドーロが運転室の扉を指差して言った。


「え?」バルバラは驚きたじろいだ。「あんた、さすがにそれは、まずいんじゃない?」


「良いから乗れって、早く」彼は髪を掻いた。「堂々とすりゃ、目立たねえんだろう?」


 サルヴァドーロの言葉に、バルバラはいたずらっぽく笑い、背筋を伸ばして堂々と運転室の中に入った。


「これがマスコン。車で言うアクセルのことだ。んで、左のこっちがブレーキ」

 扉を閉めると、サルヴァドーロは運転台をバルバラに見せた。


「すごーい。これ、全部一人で操作しているんだよね?」


「触るな」急いでバルバラの手を押さえる。「運転士一人の両手に、千人以上の命が掛かっている。ミスは許されねえんだ」


「孤独なのね、運転士って」バルバラは助手席に座りながら、狭い運転室を見回した。


「ねえ、あたしに『出発進行!』ってやらせてくれない?」


「別に構わねえけど」


「やった! じゃあ、タイミング来たら教えてね!」


 構内アナウンスが、開け放した窓の外から聞こえる。


「そろそろだな」彼は言った。「乗降完了を示すこのランプが消えて、信号が『進行』、要するに青色に変わったら、合図をしてくれ、ファンデビルド=ディエス・インブレヒツ運転助手」


「了解であります、マツォヨーゼフォ運転士!」バルバラはふざけ半分に敬礼してみせた。


 車掌の鳴らす笛の音。運転台の横の壁にランプが点灯する。信号が青になる。バルバラは背筋を伸ばし、ハンチングを整えると、人差し指を真っ直ぐ線路の先へ向けて、元気よく叫んだ。


「ペレグリーノ七二五号、パリへ向けて出発進行!」


「上出来だ」サルヴァドーロはそう呟き、マスコンを引く。ゆっくりと車体が前に動き出す。バルバラは興奮して前方の窓に見入った。それを見て、窓に映るサルヴァドーロの顔も綻んだ。


 列車を運転する道すがら、列車が通り過ぎる町々の由来や名所をバルバラが丁寧に語って聞かせる。サルヴァドーロはその度に、見慣れた景色が一段と鮮やかに目に映るのが分かった。


 アストルガ駅を出発して暫く経ってから、バルバラが口を開いた。


「ブルゴス駅で初めて会った時、どうして私を助けようと思ったの?」


「運転中の人間にあまり話しかけんな」


「さっきからずっと話しているくせに、何よその下手なはぐらかし方は」


 バルバラに問い詰められて、サルヴァドーロは弁解するようにぼそりと言った。


「俺は、困っている奴を見ても知らん顔で見殺しにする奴だって、言われたことがあるんだ」


「へえ。それ言った人、相当自分に自信があるか、ただの熱血馬鹿ね」


「ジーモンは良い奴だ。確かに自信家で馬鹿な傾向はあるけど」


「その人、ジーモンって言うんだ。同僚? その人結構人を見る目あるわね」


「どっちだよ」サルヴァドーロは舌打ちをする。「あいつは、相棒みたいな気の置けない奴だ。でも正直、どこまであいつに俺を出して良いのか、悩むことがある」


 バルバラは神妙な顔をして尋ねた。「……もしかして、話していないの?」


「話したのは、お前が初めてだ」


「どうして? 仲良いなら、話しちゃえば良いのに」


「だからこそ、こういう話題で関係が切れると嫌なんだよ」


「なるほど。あたしは知り合ったばかりだから別に切れてもショックは小さい、ってことか」


「そうじゃない」サルヴァドーロの語気が強くなる。


「じゃあ、何?」


「お前は、俺と似ているから」彼は呟いた。「俺と似ているけど、俺よりプラス思考だし、俺と同じ目線でものを見ながら、俺の気づかないものを見つけて教えてくれそうだったから」


「それって、褒めているの?」


「毀誉褒貶の問題じゃなくて、俺の率直な気持ちだ」


 前方の速度標識を見て、サルヴァドーロがマスコンを引き、速度を上げる。線路の横を走る細い一本道に、リュックを抱えサンティアゴへ向かう巡礼者の姿が見えた。


「ありがとうな、外に連れ出してくれて」


「何よ、藪から棒に。そんなの、感謝されることじゃないわよ」


「レールの上だと、自分がどこに行くのかはっきりと分かる。でも、外の世界には線路はない。自分で道を選んで進まなければならねえけれど、慣れてない俺は、きっと迷う」


「つまり、あんたの居場所は、世界鉄道ってこと?」


 サルヴァドーロが頷く。


「良かったじゃない」


 バルバラの言葉が寂しく響いたのが、気になった。


「お前も帰る場所が見つかって良かったな」


「何言っているの。私はまだよ。スペインが受け入れてくれるか、正直自信ないし……」


 初めて聞いたかもしれない、バルバラの弱気な言葉だ。もしかしたら、いつもの飄々とした感じではなく、こっちの方が彼女の素なのかもしれない。


「居場所は自分でを見つけるものだって、あれだけ偉そうに言っていたくせにな」


「意気込みと現実はまた違うのよ」


「でも、今のお前があるのは、色んなところに住んで回ったからなんだろう? 多様性こそがお前らしいところなんだ。一つに居場所が定まらなくても、お前はそのままで自分を誇れるさ」


 列車は駅を通過していく。バルバラは直ぐには返事をしなかった。


「……国土回復戦争の時に、勝利の神様みたいに崇められた人、誰だか知っている?」


「……シドだったっけ?」


「あぁ、エル・シド知っているんだ? でも違いまーす」


「……馬鹿ジーモン」


「正解は聖ヤコブ。白い馬に乗った騎士の姿をしているの。『ムーア人殺しの聖ヤコブ』って、物騒な名前だけれど」バルバラは言った。「彼はスペインのアメリカ征服を正当化するためにも利用されたの。大聖堂にいた優しい彼の像だけが彼の姿じゃないのよ」


「そうなのか」


「あんた本当に、物、知らなさすぎ。これ常識よ? それで本当に巡礼本線の運転士?」


「じゃあお前はさ、電流の直流と交流の違いって分かるか? 間違えて直流列車が交流の路線を走ると、大事故になるんだぞ?」サルヴァドーロはムキになる。


「ごめん、まずそのエスペラントの単語が分からない」


「……それ以前の問題か」


「でも、どうしてわざわざ二つの電流を両方とも使うの?」


「お互い一長一短があるからだ。直流電流の場合は、列車の本数が多くて、列車に変電装置を付けるとコストが馬鹿にならないときに使う。逆の場合が交流。ただ、高速列車が通る路線は、本数が多くても交流だ。高速列車は電気を多く消費するから、比較的安い交流を使うんだ」


「でも、交流路線から直流路線に電車を直通させたいときってあるんじゃない? そんなときは、どうするの?」


「そういう時は、交直両用の車両を使う。それで、交流と直流の変わり目に、全く電流の通らない区間を設けるんだ。運転士はそこで、電流の流れに合わせるようにスイッチを切り替える」


「電流の流れていない区間なんてあるんだ。その時電車はどうやって運転するの?」


「惰性で運転する。ノッチオフって奴だ。絶対に停車しちゃいけない。電流の流れていない区間、俺たちは死電区間(デッドセクション)と呼ぶが、そこでは車内の電気も空調も消える。全部オフになるんだ」


「死電区間ねぇ」


「ちなみに、交流区間の巡礼本線にも、死電区間はある。電圧の異なる区間に移動する際も、同じように、ノッチオフをするために電流の流れていない区間が設置される。そろそろその地点だから、見ておけよ」


「死電区間は惰性で動くってことは、要するに運転士は何も操作しないってことよね?」


「そうだけど、操作しねえのはほんの短い時間だけどな。電気を戻さねえといけねえから」


 列車はいつまでも一直線のレールが伸びる、緑の平原地帯を走っている。ふと前方で、二つの架線が、X字型になるように交差しているのが見えた。列車は滑るようにその区間へと近づいていく。


「来るぞ」


 サルヴァドーロは頃合いを見計らって、慣れた手つきでマスコンを動かした。運転台が、突然暗くなる。エアコンも音を立てて停止するのが聞こえた。


「ほら、驚いたろ……」


 サルヴァドーロが胸を張って、バルバラの方へ振り向いた時だった。


 バルバラの小さく柔らかい唇が、サルヴァドーロの唇に触れた。


 列車は死電区間を、高速を保ったまま惰性で駆け抜けていく。サルヴァドーロの手は身体に染み込んだタイミングでマスコンを操作した。電気が再び運転台に灯る。サルヴァドーロは手を運転台から離し、ゆっくりとバルバラの肩へ回した。


 突然、けたたましい警報ブザーが運転室に鳴り響いた。二人は驚いて顔を離す。列車のスピードが突然、放物線を描くように落ち始めた。バランスを崩してバルバラは正面の窓に身体をぶつけ、悲鳴を上げた。


「しまった!」サルヴァドーロは思わずバルバラの身体を突き放し、運転台の上に手を慌ただしく走らせた。リセットボタンを押し、マスコンを握る。警報ブザーは鳴り止み、列車はしばらくして再び加速を始めた。運転室には、何事もなかったかのように落ち着きが戻る。


「何……今の?」バラバラは頭を抑えながら、言葉を絞り出すように尋ねた。


「緊急列車停止装置だ。一分以上、マスコンやブレーキを操作しなかったら、運転士に異常が起きたと判断されて急ブレーキが掛かる仕組みだ」


「そんな装置、あるんだ」


「ていうかなあ、お前!」前方から目を離さずに、声だけ荒げる。「いきなり危ねえだろうが!」


「だってあんた、そんな仕組みのこと話さなかったじゃん!」


「そりゃ、お前がいきなりあんなことやるとは思わなかったからだ!」


「だって、運転台を操作しなくても列車が動くって、あんたが言ったから……」


「全く……何するか本当に分からない奴だな」

 窓ガラスに反射する二人の顔は真っ赤だった。


「もう二度と運転台には乗せねえからな」


「一回で充分よ」聞こえよがしにぼそりと呟く。「一回あれば、充分……」

次第に心の動揺も静かになっていく。


「……俺も、思わず突き飛ばして、すまない」


「……あたしも、ごめん」


 沈黙が流れる。


「あのさ。もし機械が作動しなかったら……あたしともう少し、ああしていたかった?」


 サルヴァドーロはブレーキに手を掛ける。緩やかに列車は速度を落としていく。


「……さあな」ぶっきらぼうに呟きながらも、耳は正直に赤く染まっていた。


「……ばーか」


 列車がレオン駅に停車すると、二人は運転室を降りて、次の列車でパリへ向かった。「私服の運転助手」を名乗るバルバラを、引き継ぎ相手の運転士は不思議そうに眺めていた。


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