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第二景 ブルゴス駅再び

 サルヴァドーロは、その日最後の担当を終え、ブルゴスで列車を引き継いだ。辺りはすっかり夜になり、闇の中に大聖堂のいかめしい尖塔が浮かび上がっていた。

 

 腕時計に目を落とす。パリに帰ろうと思えば帰れる時間だ。だが、パリに行くのは何となく気が引けた。人気の少ないホームを歩き、仮眠室へ向かうことにした。

 

 ふと、前方のベンチに二人の鉄道警察を見つけた。二人の防弾チョッキの間に人影が見える。サルヴァドーロは足を止めて、来た道を戻ろうと考えた。その時、脳裏に、口論したときのジーモンの言葉が浮かんだ。小さく舌打ちをすると、黙って鉄道警察に近づいていった。

 

 鉄道警察は、ベンチに座っている青いハンチングの人間に職務質問をかけているようだった。


「くっそ、ラチが明かねえ!」一人が頭を抱えて呟いた。「こいつ、俺が懇切丁寧に英語で喋ってやっているのに、きょとんとした顔をしやがって」


「だからこっちが何したって言うの? はっきり言いなよ、全く!」短い茶髪は威勢良く啖呵を切る。その声の高さで、サルヴァドーロはようやくその人物が女性であることに気づいた。


「こいつ今何語で喋った?」一人の警官が同僚に尋ねる。同僚は首を傾げる。


「あのさ……フランス語で『キセル』って何て言うか知っていたりする?」


「んなもん、別な表現でいくらでも言い換えられるだろう?」警官は苛々して女性を睨んだ。「なあ、お客さん、お客さんは切符を間違えて買ったんじゃありませんか?」


「ワタシ、ポルトガルゴ、ワーカリマセン」


 小馬鹿にしたようなジェスチャーを交えて、カタコトの英語で話す。警官は目を丸くした。


「おい聞いたか? こいつ、俺の喋った言葉がポルトガル語だってこと、分かったぞ?」


「あ、しまった」


 警官の言葉に、女性の顔から余裕が消える。警官は警棒を女性の顔につきつけて脅した。


「お客さん、お遊びはここまでだ。良い加減、口、割りな。お客さん、今までどこ行ってきた?」


「お前こんなところで何しているんだよ?」


 突然後ろから聞こえたエスペラントに、警官は思わず振り向いた。サルヴァドーロは女性を指差して、警官に尋ねた。「こいつ、何かしたんですか?」


「乗務員さん?」警官は驚いて振り向く。「……いやね、このお客さん、乗車区間オーバーして列車を乗り回して来たみたいなんですよ。ほら」


 警官は彼に、折れ曲がった切符を渡す。印字がかすれて読みにくい。


「……マドリード・バラハス国際空港第一ターミナル駅発、第二ターミナル行き……」


「距離にして一キロもありません。これを使って、スペイン中を世界鉄道で旅して回っていたんですよ」


「してないもん!」女性が叫んだ。警官は驚いて振り向く。


「お客さん、エスペラントも喋れるのか?」


「???」女性はわざとらしくきょとんとしてみせる。


「そうですか」サルヴァドーロは切符を警官に返した。「こいつがご迷惑をお掛けしたみたいで、すみません。俺がこいつの超過料金分、払いますから」


 警官の額から青筋が消え、驚いたようにサルヴァドーロを見た。


「……ちょ、ちょっと、どうして乗務員さんが謝るんですか?」


「こいつ、俺の親戚なんです」


「……は?」警官の目が点になる。


「外国から俺に会いに来るって連絡があったので、適当に切符買って取りあえずこの駅に来いって言ったんですよ。ほら、世界鉄道には家族割引がありますし、後から俺が金を払うこともできると思いまして」


 決して上手な嘘ではない。警官はサルヴァドーロを眉間に皺を寄せて睨め回した。サルヴァドーロは全く動じずに、警官をじっと見据える。とうとう、警官の方が折れた。


「……全く。頼みますよ」警官は溜息をついた。「自分の家族に世界鉄道員がいるって主張して不正乗車しようとする輩が跡を絶たないんですよ。不正乗車常習犯が『かがみぐさ』になって居座ることだってあるんですから」


「それでは、そのご家族の方のこと、宜しくお願いします」もう一人の警官が丁寧に言った。


 鉄道警察が、声の届かないところまで去るのを見届けて、サルヴァドーロと女性は同時に向き直った。


「お前なあ!」声が揃う。


「ん……じゃあ先、喋れよ。レディファーストで」


「何であたしの邪魔するのよ? 勝手に割り込んできて、下手な嘘ついて人を助けたつもり?」


「お前さ、人助けした男に感謝こそすれ、なじることはねえだろ?」


「はぁ? 何その恩着せがましい態度。すっげぇムカつくんですけど? あんたが来なくても、あんな警察あたし一人でやり込めたのに。今までだってそうして来たんだから」


「……ということは、やっぱりお前、キセル、していたのか?」


「そうよ。何か悪い?」


「いや、悪いだろ」


「何よ、じゃああたしを警察に差し出すつもり?」


「……やかましいな」髪をかきむしる。「分かった。次からは気をつけろよな。俺、もう行くから」


 彼は肩をすくめると、あくびをして歩き出した。


「あれ? 肩透かし?」


 女性の柔らかい頬が膨らむ。彼が振り向くと、女性は彼の隣を歩いていた。


「しつこい奴だな」サルヴァドーロはうんざりした顔で女性を見上げた。


「あたしね、人に借りを作るのは嫌なの。だからあんたに借りを返させて」


「うるさいなあ。俺は早く寝たいんだよ」


「……何それあんた、ちょっと話飛躍しすぎじゃない? ていうか本当何様?」女性は慌てた。


「は? 俺、何か言ったか?」


「……ばーか」女性のグレーの円らな瞳が、サルヴァドーロを睨みつけた。


「お前、本当にマドリードからブルゴスまで来たのか?」


「直接じゃないわよ。マドリードからまずグラナダの宮殿を見に行って、それからドン・キホーテの風車に突進しに行って、サグラダ・ファミリアによじ登って。その他色んなところを旅して回って、これから北スペインに旅行しようと思っていたところ。さっきの切符、あれ、回数券だから、いつ乗っても問題ないのよ」


「でも、どのみち改札抜けなきゃいけないだろう? どうしているんだ?」


「見くびらないでよね」女性は自慢げに胸を叩いた。「ある時は急に気分が悪くなって救急車で運ばれたり、またある時は色香で駅員を惑わしたり。どうしようもないときは俊足と脚力で強行突破。警備の手薄な郊外の駅で降りたりもしたなあ。この鉄道って、案外警備が脆弱なのよ。たまに有刺鉄線に引っかかりそうになってヒヤヒヤするけど。あれ、非人道的よね。ていうか、鉄道に改札口なんてものがあること自体、非常識なのよ。改札口なんて世界標準じゃないわ」


「……お前、そういう話題はもう少し気まずそうに話せねえか?」


「あ、ちなみに、さっきあんたが言っていた『家族割引』って何? それ、あたしも今度使ってみようかな」


「ダメだ。さっき警察が言っていただろう? 悪用する奴が多いって」


「そんなの捕まるドジな奴が悪いのよ。私は絶対捕まらないから大丈夫」


「お前みたいな奴がいるから、真面目に生きている奴はとばっちりを受けるんだ」


 若干サルヴァドーロは語気を強めて言った。警官の口から出た「かがみぐさ」の話が頭をよぎった。女性は、はしゃぐのをやめて、不思議そうにサルヴァドーロの顔を覗いた。


「……怒った?」


「別に」


「怒った!」女性の大きな目は面白がるように輝く。


「怒らねえよ、こんなことで」サルヴァドーロは眉をひそめた。「そんなことより、お前、この先どうするんだ? ホテルは取ってなさそうだし……」


「良いよ、そこら辺で寝る」


「……あっさり言うけどな、お前。こんなこところで寝ていたら、それこそ男に襲われるぞ?」


「大丈夫だよ。あたし、ほら、ご覧の通りボーイッシュな格好しているし」


「……ったく。何なら、俺のところに泊まりに来いよ。ちょうど空きのベッドがあるからさ」


「ちょっと……」女性の目が泳ぐ。「初対面の女の子を行きなり自室へ誘うってどんな神経?」


「思考回路がおかしいのはお前の方だろうが。こんなところに若い女を一人にしていけるかよ」

 制帽を脱ぎ、苛々して髪をかくサルヴァドーロを見て、女性の瞳が揺れた。


「……今のセリフ、ちょっとだけ惚れたかも」


「そりゃどうも、おめでたい頭だな。こっち来い。切符買ってやるから」


「良いよ、切符なんて。検札来たらトイレにこもれば良い話だし」


「良いから来い!」サルヴァドーロが怒鳴った。女性は飛び跳ねながら彼の後を追いかける。


「そう言えば、あんた、何て名前?」


「サルヴァドーロ・マツォヨーゼフォ。お前は?」


「バルバラ・ジャクリーン・ファンデビルド=ディエス・インブレヒツ」


「変な名前だな」


「あら失礼。あんたのも負けず劣らずってとこね」


 バルバラは柔らかい唇を引いて、白く澄んだ歯を見せた。「それで、どこまで行くの?」


「パリ」


「パリッ?」バルバラはぎょっと目を丸くした。「いくら何でも遠くない、それ?」


「何なら置いて行ってやっても良いんだぞ?」


「……分かったわよ。だからちょっと、サルヴァちゃん、待って!」


 早足で歩くサルヴァドーロの後を、背の高いバルバラが小走りで追いかけた。


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