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素晴ラシキ世界鉄道【本編:巡礼本線】-La Mirinda Mondo Fervojo-   作者: 葦原龍矢
第三章 想い人(ジャック・ロック)
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第三景 ストラスブール世界鉄道大学

 マリアンヌは駆け足で自室に入った。エトワール宮の執務室のように、質素で小綺麗な部屋だった。古びてくすんだ椅子に腰をかけると、マリアンヌは息を整えて、慎重に、時間をかけて封を切った。

 

 中から、一枚の便箋が出てきた。マリアンヌの目が揺れた。

 

 手紙は、流れるように美しい字体で、スペイン語で次のように書かれていた。


「聖なる母 マリアンヌ殿 『彼』についてお話ししたい。 ヤコブの弟子 テオドーロ」


 その後には、日時と待ち合わせの場所などが、短く連なっていた。


 マリアンヌはこの手紙を何度も何度も読み返した。そして、徐ろに立ち上がると、洋服ダンスの中の小さなケースの鍵を開けた。中から、色が褪せ、すっかり丸みを帯びてしまった杖と、ほこりだらけのホタテ貝が出てきた。マリアンヌはその二つを手に取ると、机の上に置き、放心したように虚空を眺めながら、腰を下ろした。暫くマリアンヌは、瞳を閉じて、追憶にふけった。マリアンヌの脳裏に、二十五年前の大学時代の光景がありありと浮かび上がった。




 当時マリアンヌは、ストラスブールにある世界鉄道大学の工学部で学業に励んでいた。授業が終わると彼女はしばしば無人運転技術の研究棟に顔を出していた。そこで実験をしている、イギリス人のジャック・ロックという男に会うためだった。

実験室の扉をマリアンヌが開ける。大きな部屋には大量のモニター画面と、コンピュータが並んでいる。部屋には暗幕が下ろされており、壁には列車の走行位置を示すパネルが設置されていた。中にいた淡い金髪の男が、驚いて入口の方を振り返る。


「誰だ開けたのは? 今は実験中だから……」


 男は逆光で影になった、扉に立つ人の姿を、目を凝らして見つめた。


「ごめん、もう開けちゃった」


 男は扉を開けた人物の正体に気づくと、肩をすくめた。


「何だ、ドラグロワールのご令嬢か」


「ちょっと、その言い方良い加減やめてくれない、ジャック? 全然面白くない」


 ジャックは不格好なほどに大きいコンピュータに向き直ると、手早くキーボードを打った。黒い画面に白い文字列が洪水のように走った後、コンピュータは静かに止まった。パネルに浮かんでいたランプが、一つ消える。


「消さなくて良かったのに。見たかったなあ」マリアンヌは口を尖らせて、座ったジャックの肩に細い手を置いた。空色のワンピースの裾がジャックの背中に触れる。


「ダメだ。まだ実験段階だから、部外者に見せる訳にはいかねえんだ」


「ねえ、今日は一緒に行ける?」

懇願の目つきで上から見下ろされ、ジャックは思わず髪の毛をかきむしった。


「……ま、最近ずっと研究室詰めで、暫く会っていなかったからな。ちょっと待っていろ」


「本当?」マリアンヌは満面の笑みを浮かべた。


 ジャックは不審な顔をマリアンヌに向ける別の学生に向かって二言三言話して立ち上がった。行こうとマリアンヌに声をかけると、爽やかな風の流れる外に出た。


「ものの見事にバッサリ行ったなあ」マリアンヌのショートヘアを興味深そうに触る。


「短いほうが良いって、ジャックが言っていたから」


「ふうん」彼はマリアンヌの茶髪を手の中で解いた。「似合っているよ」


「本当に?」マリアンヌの小さな口が愛らしく笑う。


「今日は何が食べたい?」


 風になびく赤いネクタイを手で抑えながら、ジャックがマリアンヌに尋ねた。


「何でも」


「俺、そんなに金ねえんだけどさ」


「そう言う意味じゃなくて。ジャックが食べたいものが、私も食べたいの」


「んー」ジャックはコバルトブルーの目を凝らして青空を見つめながら答えた。


「……フライドポテトと、ハンバーガーと、オレンジジュース」


「また? マクジョゼフならこの前行ったところじゃない?」


「またって言っても、この前会ったの、先月じゃなかったか? 学生の財布は寂しいんだよ、仕方ねえじゃねえか」


「なら、私が払うから、どこか美味しいレストラン入ろう?」


「いや、良い」ジャックは即答した。「グロワール伯爵家の金に手を出すと、後々恐ろしいことになりそうだからな」


「ふざけないでよ!」マリアンヌはふくれっ面をした。「私だってちゃんとアルバイトして稼いでいるんだから、お小遣いは。大学生になったら我が家も小遣いなしなのよ」


「へえ。社会勉強の間違いじゃなくて?」茶化すジャックの横っ腹に、マリアンヌは思いっきり肘鉄砲を食らわせた。


 結局、二人は黄色いMが回転するアメリカ資本のファーストフード店に入った。マリアンヌは二人分のフライドポテトを紙の上に散らすと、不服そうな顔でポテトを口に詰め込み始めた。


「申し訳ないとは思うけれどさ、俺、アルコールもカフェインもダメだからさ」


「レストランにもオレンジジュースくらいあるわよ」マリアンヌは口を尖らせた。


「高いだろ」


「大して変わらないわよ。それか、美味しいワインでも飲んでみる? 全然しつこくないからアルコール苦手でも飲めるし、きっと気に入ると思うな」


「別に俺、ワインが飲めるようになりたい願望とか、ねえからな」


「全く」マリアンヌは呆れた。「安い物ばっかり食べていたら、歳取ってから医療費かさむわよ。 それなら、若いうちから少々高めでも健康なものを食べて、楽に老後を過ごしたいじゃない」


「ま、俺はマクジョゼフのハンバーガーを食べて死ねたら大満足だけどさ」


「それ本気?」マリアンヌは目を丸くした。ジャックはオレンジジュースを飲みながら、眉毛を上げて返事をした。


「……まあ、正直、悪いとは思っているよ。甲斐性なしだからデートもロクにできないしさ」


「合い鍵もらっているから、会いたくなったらいつでも会えるもの。気にしていないわよ」


「……何だか健気なご令嬢だな。余計に罪悪感が……」


「またそうやって茶化して……だったら、食事じゃなくて、今度一緒に旅行しない?」


「それ、食事より高くつかねえか?」


「大丈夫よ。うちの大学の学生証があったら、世界鉄道は割引で乗れるし。どこに行く?」


「行きたいところ、ねえ……」ジャックはオレンジジュースをすすって虚空に目をやる。


「ていうか、お前はどこに行きたいんだ? いつも俺にばっかり聞かないで、たまには自分でも考えれば……」


「おっす、ジャッキー。元気かよ?」いきなり、誰かがジャックの背中を強く叩き、机に顔を押し付けた。不意を打たれ、ジャックは思いっきりむせる。振り返り、相手の肩を殴る。


「お前……冗談にも程があるだろ!」


「ごめん、ごめん」男の顔には深い反省の色が浮かんだ。素直な性格らしいことが、マリアンヌはその表情からすぐに読み取った。


「……ていうか、大丈夫か、ジャッキー?」

隣にいたもう一人の学生がジャックの背中を撫でる。


「友達?」マリアンヌは、息を整えたジャックに尋ねた。ジャックは頷いて言った。


「俺のルームメイトのホセと、同じ研究室のハロルドだ。二人とも俺の悪友。ペペ、ハル、こっちが俺の彼女のマリアンヌ。マリアンヌ・ド・ラ・グロワール」


「宜しく」ホセは優しい笑みを浮かべてマリアンヌと握手をした。一方、ハロルドは目を丸くし、怯えたようにマリアンヌを見ながら、ジャックに囁いた。


「なあ、やばいって。俺、親父から、ドラグロワールの奴には会うなって言われていて……」


「そう言う割には、お前、親父の誕生日にも実家に帰らないほど薄情じゃなかったっけ?」


 ジャックはマリアンヌに向き直って説明した。「こいつ、スチーブンソン家の奴なんだ」


「良いじゃない、家のことなんて」マリアンヌは笑顔でハロルドに手を差し出し、英語で言った。「私たちは人と人とで付き合いましょう。宜しくね、ハロルド」


 マリアンヌから差し出された手を見て、ハロルドは困ったように頬を指で掻いた。助けを求めるようにジャックを見つめる。ジャックは溜息をつき、ハロルドの右手を引っぱると、マリアンヌの右手を握らせた。


「宜しくお願いします、っと」


「どうしてジャックが言うのよ」マリアンヌがおかしそうに笑うと、それを見てハロルドも、はにかむように小さく笑った。マリアンヌと目が合うと、ハロルドは小さく呟いた。「宜しく」


 ハロルドはジャックの方を見て言った。「俺の誕生日パーティ、すげえのを期待しているからな! じゃあな!」


 ハロルドはホセを急き立て、軽やかな足取りで階下へ降りていった。


「そうハードルを上げられてもなあ、豪勢なものは出せねえぜ」ジャックはひとりごちた。


「誕生日近いの、ハルって?」


「ん? ああ。兄弟仲悪いみたいでさ、ロンドンに帰らねえで、いつもストラスの野郎仲間で祝ってやっているんだ。と言っても、さっきのペペとあと二、三人くらいでだけどさ」


「ねぇ、私も行ってみてもいい?」


「そりゃ、来たければ」不思議そうにジャックがマリアンヌの顔を覗く。


「……それで、俺たち何の話していたんだっけ?」


「え? あぁ……旅行の話じゃなかったかしら?」


「そうだったな」ジャックはオレンジジュースを飲み干して言った。「あのさ、『聖ヤコブの道』って知っているか?」


「……あの、フランスからスペインに向かって続いている巡礼路のこと?」


「うん」ジャックは言った。「サン・ジャン・ピエ・ド・ポルからピレネーを通って、スペイン北部をサンティアゴ・デ・コンポステーラに向けて続く道だよ」


「それなら巡礼本線でパリから一本で行けるわね。値段もそんなに高くないと思うわ」


「電車に乗っちゃあ意味がねえんだよ」ジャックはやれやれと首を振った。「巡礼路

は歩いてこそ意味のあるものなんだからさ」


「……ジャックって、そんなに信仰に篤い教徒だったかしら?」


「別に。ただの観光気分と、ちょっとばかりの冒険心」ジャックは笑った。「俺さ、目的地に着くことに意味があるんじゃなくて、時間をかけて向かうことに意味があるんだと思う。一日三十キロ歩いても一ヶ月かかる行程を、毎日地道に歩いていく。その中で多くの巡礼者と出会う。夜空の星を見ながら休む。そうやって、日常の中で失った時間の悠大な流れを肌に感じて歩いていけば、俺たちが落としていった貴い何かも見つかるような気がしてさ」


 ジャックが話す姿を、マリアンヌは黙って見ていた。


「俺は、研究室で無人運転技術の研究をしている。いつか、世界鉄道の本線で、本当に実現するかもしれない技術だ。そんなこと言うと、よく友達にさ、それじゃあますます鉄道が、点と点を結ぶただの道具になっちまうじゃねえか、って言われるんだ。本当、その通りだよな。高速化して急いで目的地に着こうとして、運転士のいない列車を作って、目的地に着くまでの過程なんか無視して。それって何だかもったいねえよな」ジャックはふとマリアンヌに目を向けて言った。「マリアンヌもそう思わねえか?」


「…そうかもしれないわね」マリアンヌは微笑んで言った。


「まあ、なんだ……歩いて行けば、その分一緒に過ごす時間も増えるしな。マリアンヌ」不意に、ジャックは伏し目がちに言った。その時ジャックが口にした言葉を、マリアンヌはその後ことあるごとに思い出した。


「もしその気なら、いつか俺と一緒に、聖ヤコブの道を歩いてみねえか?」



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