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素晴ラシキ世界鉄道【本編:巡礼本線】-La Mirinda Mondo Fervojo-   作者: 葦原龍矢
第三章 想い人(ジャック・ロック)
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第一景 エトワール宮

「世界で一番美しい通り」という不敵な二つ名を持つ、パリのシャンゼリゼ通り。マロン並木に沿って続く洒落た建物の波の先に、エトワール凱旋門がそびえ立つ。シャンゼリゼ通りを歩いて来た観光客は、この凱旋門の手前に、大きな五芒星が刻まれた石造りのアーチに気づく。この星は、エスペラントの象徴である緑の星を表している。


 鉄格子に囲まれ、厳重な警備が敷かれているこの宮殿は、このマークに因み「星の宮殿」すなわち「エトワール宮」と呼ばれている。この豪邸はグロワール伯爵家の旧家であり、世界鉄道創立後は、ここに世界総本社と欧州支社が置かれている。「エトワール宮駅」と、総社長邸のある「モンマルトル駅」は、特急以下全ての列車が停車することになっている。

 

 派手好きだった先祖のグロワール伯の趣味に合わせた、豪華絢爛なロココ建築の一室を執務室として与えられたのが、社外取締役のフィリップ・スチーブンソンだった。彼は、世界鉄道の取締役会が開かれるたびに、ロンドンの彼のオフィスからパリへやってくる。


 ロールスロイスで出勤し、個人用に仕立てたエルメスのスーツで赤絨毯を大股で歩き、ロレックスの腕時計をこれ見よがしにチラつかせる。フィリップは、ガラス張りの殺風景な自社オフィスよりも、王族気分を味わえるエトワール宮の方が気に入っていた。

 

 きらびやかなシャンデリアの吊るされた待合室に通されてから四、五分。案内人に導かれて、フィリップは社長室に入ると、その内装を見て思わず立ち止まった。

 

 暗色のカーテンが、風で揺れている。ホコリ一つ落ちていない古びた本棚には、多くの書類が並んでいる。中央に置かれた、決して大きいとは言えない社長机。来客用の朱色のソファーだけは、新調したらしく、明るい色を放っている。それだけ。華美な宗教画も、豪奢なシャンデリアも、贅沢な調度品も、何もない。

 

 カーテンの横に立っていた、楚々たる風情の婦人が、窓を閉めて、ゆっくりと振り向いた。落ち着きのある紺色のワンピース。細い肩の上で、深い茶色の髪の毛が、緩やかにカールしている。取締役会で毎回会ってはいるが、改めて見てみると、老けたなという印象をフィリップは持たざるを得なかった。しかし、灰色の瞳に浮かぶ生き生きとした光や、とがった顎、小さな唇、薄らと桃色に染まった頬は、若かりし日の面影をはっきりと残していた。


「ロンドンから遠路はるばるようこそいらっしゃいました」マリアンヌは手を差し出した。


「何、貴社の超特急で随分と近くなりましたよ、パリとロンドンは」フィリップはマリアンヌの手を握り、その甲にキスをした。「心理的な距離は、また別の話ですが」


「今回は飛行機でいらっしゃったのではないのですね」マリアンヌはフィリップにソファーに座るよう促した。「電車は苦手ではありませんでしたか?」


「大揺れする鈍行停車などはダメでも、ゆったりくつろげる特急列車なら大丈夫なのですよ」フィリップは流暢なフランス語で答えた。「最近の列車は素晴らしい。レールの上にいることすら忘れてしまうくらいです」


 ソファーに腰掛けたフィリップが、ふと目の前のテーブルクロスに目を落とした。

赤い糸で聖ヤコブの十字架の刺繍がしてある。


「これは素敵な土産物だ。サンティアゴ・デ・コンポステーラで買ってきたのですか?」


「ええ。ついつい目に留まってしまって」


「総社長はあの鄙びた最果ての町にたいそうご執心のようですからなあ」


 フィリップはニヤニヤと笑ったが、マリアンヌは控えめな笑みを浮かべるだけだった。フィリップの前に腰をかけると、大きく円らな瞳で彼を見据えて言った。


「単刀直入で恐れ入りますが、今回いらしたご用件をお聞かせくださいませんか?」


「いつもながら、間合いの短いお方だ」フィリップは苦笑して、持ってきたヴィトンのビジネスバッグから封筒を取り出した。


「これは?」


「まだ貴社には届いていない情報です。弊社アンティペーター・ポストが独自に入手したものですから」


 マリアンヌはフィリップの目を確かめるように見つめた。封筒を受け取ると、細く長い手で丁寧に中の手紙を広げる。


「総社長はどう思われますか?」


「『クォー・ウァディース』」マリアンヌは手紙の最後の署名を見て言った。「『何処(いずく)にか行き給う』。有名な一節ですね。シモン・ペテロがイエスに投げかけた言葉」


「私がお伺いしたかったのは、『かがみぐさ』が先週のテロ事件の主犯であったということを、既に予想されていらっしゃったかどうか、ということです」


「『かがみぐさ』が主犯だったのではありません。テロ事件の主犯の出身が、『かがみぐさ』だったのです」


「何か違いがあるとでも?」フィリップは肩を縮め、両手のひらを上に向けてみせ

た。「私には同語反復にしか聞こえないのですが」


 マリアンヌは小さく息をついた。「もちろん、最悪な可能性として考慮に入れてはおりました。ただ、ここで彼らの出自を公表すると、内外に誤った印象を与えかねません」


 フィリップはソファーにもたれかかると、退屈そうに足を組み、徐ろに葉巻を取り出した。


義兄(おにい)様」


「……その呼び方で呼ばれるのは、久方ぶりですな」


「どうして、私にこれをお教えくださったのですか?」


「総社長の判断を仰ぐためですよ」フィリップは葉巻を吹かせながら答えた。「今現在、この情報を把握しているのは、世界広しといえどもアンティペーター・ポストのみ。総社長がご所望なら、この事実をもみ消すこともできる。僭越ながら私見を申し上げますと、こんな瑣末なことで世界鉄道を存亡の危機に晒すのは忍びないと思っているのですよ。我々の祖父や父たちたちの血と汗で築き上げられた五十年は、吹けば飛んでいくような軽く脆いものではなかったのではありませんか?」


 フィリップは葉巻を咥えながら、ニッと唇を横に引いて笑って見せた。口から出た煙が、マリアンヌの滑らかな髪に触れていく。


「……理由は、それだけですか?」マリアンヌはフィリップの緑色の瞳をじっと見つめた。


もちろん(ビアン・シュー)」フィリップは手を広げて、気前良く笑った。「私だって、協力するときは協力しますよ」


「対価なしに、ですか?」


「今回は例外です」フィリップは言った。「普段とは違い、これには父親たちの名誉がかかっていますからね。『クォー・ワディース』を摘発、厳重に処罰をし、けじめをつける。この点においては派閥を超えて誰もが一致することでしょう。テロリストの要求いかんによっては、『かがみぐさ』への対応に何らかの変化が必要となるやもしれませんが、ここは恐らく水掛け論になるでしょうな」


「父たちの名誉がかかっているだけに、方法も父たちのものに似せるおつもりなのですね」


 さりげなくマリアンヌが口にした言葉に、フィリップの余裕な顔が曇った。彼は腕時計を見て、立ち上がった。


「それでは、返事をお待ちしております」


「もう一つだけ、お伺いして宜しいでしょうか?」


「何でしょう?」


「義兄様は、テログループの要求は、何だと考えていらっしゃるんですか?」

 フィリップは首を傾げてマリアンヌを見下ろした。「さあ。その手紙には要求らしい要求もありませんし。何かお考えでも?」


 マリアンヌは手許の手紙に目を落とした。「憶測の域を出ないのですが……私には、『クォー・ワディース』は、テログループの名前ではなく、メッセージではないかと思うんです」


 マリアンヌの真面目な顔を見て、フィリップは思わず吹き出した。


「考えすぎですよ。学のない『かがみぐさ』がラテン語で箔をつけたがっているだけですよ」


 フィリップは社長室の扉を開けた。静かにマリアンヌが立ち上がる。


「そうだ、忘れそうだった」振り向いてフィリップは言った。「ハルに一言、ハッピー・バースデーと」


 フィリップは大仰な足取りで赤絨毯を踏みしめ、社長室を出て行った。


 マリアンヌは一人簡素な部屋に残された。手許の手紙にもう一度目を向けると、『Quo Vadis』の署名を、そっと白く細い指で撫でた。


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