北方戦争編 第九話 守城
「攻城弩だ!! 伏せろ!」
城壁の上からの叫びに、サバルトが反射的に顔を上げたとたん、城壁にいた二人の弩兵が、一本の巨大な矢に串刺しにされたまま頭上を飛んでいった。腕が一本、落ちてくる。血が雨のように面甲と肩甲に降りかかり、兜の中に血の臭いが一気になだれ込む。サバルトは二度、えずいた。
さらに数本、攻城弩の巨大な矢が、そびえる城壁を越えて飛び込んでくる。そのまま中庭に落ちるものもあれば、城壁の石塔に当たり、どすんと音を立てて落ちるものもある。中庭の兵たちも身をひるがえして避ける。城壁の上では、帝国の弩兵が二列に分かれ、城外のアイカド人へ交互に矢を浴びせていた。
「城門はもういい! 全員、城壁に上がれ!」
第二連隊の指揮官は怒鳴りながら、門を守っていたサバルトたち重歩兵を引っ張り、蹴りつけ、城壁に上がる階段へと追い立てた。
血に染まった雪を踏み、サバルトたちは二手に分かれて城門の左右から階段を駆け上がる。前の兵が足を滑らせ、転げ落ちかけたのを、サバルトがとっさにつかんだ。城壁では弩兵たちが箭塔へ走り出し、すでに配置されていた重歩兵の中には、大石や丸太を抱えている者もいた。
城壁から見下ろすと、黒々とひしめくアイカド兵が、こちらへ駆け寄せてくる。先頭の兵たちは攻城梯を担ぎ、矢に倒れる者が出ると、後ろの者がすぐに代わる。帝国の兵の目には、装備も粗末に映った。身につけているのは革鎧だけで、兜さえない者もいる。大斧や柄の長い戦槌を手に、何かに憑かれたように叫び、突進してくる。その最後方では、車台に据えた数基の攻城弩が城壁へ巨大な矢を放っていた。だが、破城槌はない。投石機の姿も見えない。
梯子が城壁に掛かった。重歩兵たちは、敵の頭めがけて石や丸太、タールの樽を次々に投げ落とす。長い棒を持ってきた兵が、その先を梯子の上端に当て、力いっぱい押し倒した。途中まで登っていたアイカド兵が、悲鳴を上げて落ちてゆく。箭塔の弩兵が火のついた矢を一斉に城壁の下へ射込む。タールの撒かれた地面に火が走り、幾筋もの炎が瞬く間に立ち上がった。アイカド兵の革鎧も木の攻城梯も燃え上がり、炎に呑まれてゆく。ほどなく、肉の焼け焦げる臭いがサバルトの鼻に届いた。
広い城壁の後列にいたサバルトたち二十六人の重歩兵には、前列で続く激しい攻防に加わる機会がなかった。敵は一人も城壁の上まで登ってこない。戦いが始まって間もなく、遠くのアイカド陣営から、甲高い、奇妙な角笛の音が響いた。さっきまで戦斧を振り回していた兵たちは梯子から飛び降り、城壁の下に数百の死体を残して、一斉に退いていった。
サバルトは隣のエドヴォンスに目をやった。二人とも、運がよかったと思っているのか、ただ気が楽になったのか。後列の自分たちは、手を出す機会すらなかった。前列の兵だけが、まだ荒い息をついている。数里先のストムセを望むと、あちらも楽に勝ったらしい。大勢のアイカド兵が、ソーン川の石橋を渡って退いてゆくのが見えた。
重歩兵たちは城壁を下り、第二連隊は死体を集める手伝いに回った。サバルトとエドヴォンスは弩兵の死体を一体、ふらつきながら城堡の南の塔の裏手にある空き地へ運んでいった。そこには、戦死した兵の骸が三十体あまり積み上げられている。二人で死体を左右に大きく二度振り、山のいちばん上へ放り上げる。二人は死体の山を一瞥すると、中庭の中央へ歩いていった。
「サバ、どう思う?」
エドヴォンスが尋ねた。
「アイカドの連中、探りを入れてきたんじゃないか?」
サバルトは歩きながら、腰甲に両手をこすりつけた。
「俺もそう思う。まあ、ずっとこのくらい弱いままでいてくれりゃ、ありがたいけどな」
エドヴォンスも言った。
油の樽を抱え、松明を掲げた兵が数人、二人とすれ違い、死体の山のほうへ歩いてゆく。サバルトは一度、振り返った。
戻ると、鉄籬堡の高い主楼の下、中庭の中央で、第二連隊の兵たちが地面に座り、焚き火を囲んで休んでいた。サバルトは人数を数えた。二十六人、全員いる。ほっと息をついた。日が暮れかけ、空にはまた、雪がちらちらと舞い落ちてくる。つらい夜が、すぐそこまで来ていた。
「急いで飯を食え! 食ったら第二連隊は第一連隊と交代して、西の城壁に上がれ!」
第二連隊の指揮官が怒鳴った。
ほかの隊では、百兵長たちが兵を並ばせ、城堡の主楼の大広間へ食事を受け取りに向かわせていた。サバルトたち二十六人は、自分たちで立ち上がり、前の列に続くしかない。巨石造りの、高く重厚な主楼へゆっくりと入ってゆく。
一人分は、傷んだ小さな木椀一つに、水のように薄い汁が二すくい、それに粗末なパンの小さな塊が二つ。サバルトもエドヴォンスも何も言わなかった。こんなものでも、毎日確実に食べられるのなら、それで満足だ。
木椀とパンを持って中庭に戻り、壁際に場所を見つけて腰を下ろした。汁を一口すすると、かすかな塩気と豆の味がする。サバルトは汁をすすりながら、乾いて硬いパンをかじった。ふと隣を見ると、エドヴォンスはパンを小さくちぎって木椀に浸している。サバルトに目を向け、にやりと笑った。
「おばさんとこのパンが恋しくなったか?」
「そりゃな。恋しくないわけないだろ」
サバルトはくっくっと笑った。
エドヴォンスは、少し柔らかくなったパンを木椀から指でつまみ上げる。
「サバ、見ろよ。これ! おばさんとこのバターパンだ」
そう言って口に押し込み、うっとりした顔をして、指までしゃぶってみせた。サバルトとそばにいた数人の兵がどっと笑い、さっそく真似を始める。
「じゃあこいつは、おばさんとこの鶏もも肉入りのパンだ。うめえ」
サバルトも、乾ききった硬いパンの塊に思いきりかじりついた。
「なら俺のは、ルキウス大通りにあるパン屋『カレンス』の、シナモンシュガーと小豆餡のパンだ」
別の兵も、そう言いながらパンを口に押し込んだ。
「ほざけ。貴族のお嬢様が食うもんだろうが。お前に買えるかよ」
エドヴォンスが笑いながら罵る。
「俺が食ったことないって、なんでわかるんだよ」
その兵も負けじと言い返した。エドヴォンスはパンをひとかけら取り、その兵めがけて投げつける。サバルトは笑いながら薄い汁をすすり、むせて、しばらく咳が止まらなかった。
夜になった。第一連隊の兵たちが城壁を下りて城堡内で休み、第二連隊の重歩兵たちが西の城壁に立った。サバルトは数里先のストムセを望む。明かりがぽつぽつと灯っている。
「なあ、エド。ストムセにいる連中、俺たちよりずっと楽してるんじゃないか?」
言葉とともに白い息がこぼれ、目の前を舞う雪片を一つ、吹き払った。精鋼の鎧から、絶えず冷たさが肌に伝わってくる。サバルトは左右の足を交互に踏み鳴らしつづけ、無意識に、そばの火鉢へ少し身を寄せた。
「だろうな。あの町なら、酒場もあるだろ?」
エドヴォンスは胸壁の陰にしゃがんで風を避け、ときおり頭を出して外をうかがっていた。
ストムセの真北、十里ほど先に、アイカド軍の大陣営がある。東西におよそ三里。舞う雪の向こうに、一面の松明の明かりがぼんやりと見える。
いつしかサバルトは火鉢のそばの城壁にもたれ、次第に眠くなっていた。
陽光の下、帝国の重歩兵たちが胸を張って凱旋門をくぐってゆく。ルキウス大通りの両側は花であふれ、ひしめく人々が歓声を上げて兵たちの凱旋を祝っている。美しい少女が一人、駆け寄ってきて、頬にそっと口づける。駐屯地の門に戻ると、おばさんが飛びつくように一人ひとりを抱きしめ、パンの詰まった大きな袋を二つ、サバルトの手に押しつけてくる。パンから漂う、ほのかに酸味を帯びた発酵の香りが鼻いっぱいに広がり、よだれがあふれてくる。訓練場に整列すると、五百人、全員いる。十人部屋にも、みんないる……。
「夜襲だ!!」
サバルトははっと目を覚まし、城壁の外へ目を走らせた。闇ばかりで、何も見えない。箭塔の弩兵はすでに、闇へ向けて一斉に矢を放っていた。幾つかの悲鳴が響くと、アイカド兵が体と攻城梯を覆っていた黒布や獣皮を跳ねのけ、鉄籬堡の城壁へ猛然と駆けてくる。サバルトの目にその姿が映ったときには、城壁まで数十歩のところにいた。たちまち鉄籬堡の四方に、アイカド兵の咆哮が轟いた。
サバルトは慌てて地面の兜を拾い、かぶった。隣のエドヴォンスも身構えている。その直後、サバルトの目の前に梯子が掛かった。長い棒を探す暇もない。石を一つ抱え上げ、下を見もせず梯子に沿って投げ落とす。
「ああっ!」
下から声が上がった。
「油! 熱い油はどこだ!」
サバルトは振り返り、城壁の下へ怒鳴った。守りが緩んでいたのか、アイカド軍の夜襲を予想していなかったのか。防御に使う熱い油は、城壁に補充されていなかった。足もとの石も残り少ない。城堡の中では、軽歩兵たちが石や熱い油の樽を抱え、まず北の城壁へと走っている。第一連隊の兵たちも、鎧姿で主楼から飛び出してきた。
「くそっ、白兵戦になるぞ! サバ!」
エドヴォンスが長剣を抜き、サバルトに目をやった。
サバルトは腰に差した短柄の戦槌を取り、右手で強く握りしめ、梯子の上端を見据える。
アイカド兵の頭が一つ、のぞく。サバルトは戦槌を振り上げ、力いっぱい叩き下ろす。頭蓋が陥没し、男は声も上げずに真下へ落ちてゆく。二人目が顔を出す。また叩く。また落ちる。三人目は剣で二度、槌を受け止める。剣を振り回して城壁に上がり、振り下ろそうとする。その膝に、サバルトは力いっぱい戦槌を叩き込む。ばきっ、と骨が砕け、男は前のめりに城壁の上へ倒れる。サバルトは振り向きざま、その顔面へ戦槌を振り下ろす。顔がたちまち目鼻もわからぬほど潰れ、槌の頭もサバルトの手甲も、飛び散る脳漿にまみれる。また一人、上半身をのぞかせる。サバルトは戦槌を捨てて剣を抜き、その胸めがけて突き出す。剣先が革鎧に一瞬つかえ、鈍い手応えとともに胸へ刺さってゆく。男は梯子をつかんだままずり落ち、下から登っていた数人の兵を巻き込みながら落ちてゆく。サバルトは下を一瞥し、誰もいなくなった梯子を力任せに押し倒す。剣を手に、左のエドヴォンスのもとへ駆け寄る。
エドヴォンスは、梯子の上端まで来たアイカド兵の戦槌を、剣を掲げて受け止めている。サバルトは一歩踏み込み、敵兵の左頬から右頬へ剣を突き通す。ぶすり、と音がして、男は転げ落ちる。
「いけるか!」
サバルトが怒鳴った。
「いける!」
エドヴォンスが、サバルトのいた場所を指さした。さっき押し倒した攻城梯が、もう掛け直されている。
サバルトは一足飛びに持ち場へ戻り、梯子の下へ、狂ったように剣を突き下ろす。城壁へ駆け上がる帝国兵は増えてゆく。サバルトはじわじわと背中を押されはじめた。すぐ脇では、新たに上がってきた兵たちが長槍をやみくもに突き下ろしている。攻城梯が次々に掛かり、また倒れる。弩兵たちは、登ってくるアイカド兵へ繰り返し矢の雨を浴びせる。雪を巻く風が、ますます強くなる。城壁の下の雪は残らず赤く染まり、ついにはどろりとした血となって流れ出す。
荒れ狂う突風の中、遠くからあの奇妙な角笛が響いてくる。まるで風の中に潜む魔物の咆哮だ。アイカド兵は、ようやく退いた。
サバルトは城壁の縁まで押しやられ、身動きが取れない。勝った兵たちと一緒に腕を振り上げ、何度か声を張り上げた。隣へ顔を向けると、エドヴォンスも城壁の縁まで押しやられたまま、まだ悪態をつきつづけている。
兵たちが次々と城壁を下り始めると、サバルトはその場にへたり込んだ。頭の中の興奮はもう消えていた。右腕がだるく痺れ、刺すように痛む。兜を脱ぎ、まだ火が燃えている火鉢のそばへ、少しずり寄った。エドヴォンスもへたり込んでいる。二人は頭を傾けてしばらく顔を見合わせ、へへっと笑った。
「さっき、おばさんがパンを二袋くれる夢を見てたんだよ。アイカドのくそ野郎どもが……へへへ、いてて」
「お前、夢まで見てたのかよ。俺は……くそ、俺はまだ寝てもいなかったってのに……はははは」
東の地平線が、次第に白んできた。風雪はやんでいた。城壁の石床には、どろりとした血と凍った血がたまっている。そこから冷気がじわじわと這い上がってくる。朝日が東の空にすっかり姿を現したころ、交代の命令が届いた。
第二連隊の重歩兵たちは互いに体を支え合い、滑りやすい城壁の階段を少しずつ下り、休息を取るために城堡の主楼へとゆっくり歩いてゆく。
「ジェイミーとウォードが死んだ」
誰かが言った。
二十四人は大広間の片隅に身を寄せ合い、横になったり、壁にもたれたりしている。その知らせを聞いても、誰もそれ以上は何も言わなかった。
「アイカドの連中、何考えてんだ。こんな攻め方じゃ、城は落ちねえだろ」
一人の兵が小声でぼやく。
「さっき、向こうに何人いたか、見えた奴はいるか?」
別の兵が尋ねると、皆、首を振った。
「あいつら、姿を隠して近づいてきたし、真っ暗で何も見えなかった。北の城壁のほうが、こっちより敵が多かったみたいだ」
「いいから、少しでも寝ようぜ。こんな戦い方じゃ、あいつらがすり減るだけだ。長くはもたねえよ」
サバルトもエドヴォンスも何も言わず、床の上で体を丸めて横になっていた。ほかの者も、もう口を開かない。日が高くなるにつれ、大広間の高いところにある丸窓から陽が差し込み、ようやく、ほのかな暖かさが感じられた……。
深く眠り込んで、どれほど経ったのだろう。大広間の外の騒ぎが、また第二連隊の歩兵たちを叩き起こした。
「敵襲! 城壁へ上がれ!」
サバルトはまだ寝ぼけたまま、血に汚れた手甲で顔を強くこすった。血の臭いに、一気に目が覚める。起き上がり、兜をつかんで剣を拾い、兵たちと一緒に大広間の外へ駆け出した。
「あの野蛮人ども、くそっ、寝かせる気もねえのかよ!」
背後で、エドヴォンスが歯を食いしばって悪態をついていた。




