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北方戦争編 第七話 進軍

 訓練場に、また角笛(つのぶえ)が鳴り響いた。サバルトたちは怒りを顔に浮かべ、兵舎(へいしゃ)の外へ駆け出した。今日もまた、過酷(かこく)な体力訓練が待っている。ここ数日の疲れも抜けきらず、全身の筋肉がこわばり、重く痛む。二十数人が訓練場にまばらな列を作った。冷たい風に運ばれた枯れ葉が一枚、サバルトの顔に当たり、そのまま落ちた。意外にも、すぐに走れという命令は出ない。ガソフは長いこと一同を見渡してから、ようやく口を開いた。

「明日、新しい鎧(よろい)と武器が届く。三日後の早朝、まず第一団へ出頭(しゅっとう)する。その後は全軍で出発し、北西のソーン川を目指して進軍する!」

「は? 何だって?」「どこへ行くって? また戦か?」「いったい、いつまで続くんだよ!」

 兵たちから、驚きと不満の声が一斉に上がった。サバルトも目を見開いたまま、何も言えずにいた。両の拳(こぶし)がかすかに震える。隣ではエドヴォンスが歯を食いしばり、目に怒りの火を宿している。

「黙れ! 全員黙れ! 帝国は貴様ら敗残兵(はいざんへい)に、手柄を立てて罪を償(つぐ)う機会を与えているのだ! 何が不満だ!」ガソフは手にした角笛を兵たちに突きつけ、怒鳴(どな)った。

「この野郎! 俺たちが何をしたっていうんだ!」とうとうこらえきれなくなった兵が叫び、ガソフにつかみかかろうとした。周りの者に必死に押しとどめられ、食い殺してやりたいほど憎い百兵長(ひゃくへいちょう)を、ただ睨(にら)みつけるしかない。

「帝国軍人でありながら、戦に負けて帰ってきたのだぞ! これが大罪でなくて何だ! 全員、まず五十周走れ! そのあとは二人一組で格闘(かくとう)訓練だ! 始めろ!」

 兵たちは重い足で訓練場を走りはじめた。疲れ果てて倒れてしまわぬよう、祈りながら。

 その晩、サバルトとエドヴォンスは、力尽きて木の寝台(しんだい)に倒れ込んでいた。もう、身じろぎひとつしたくない。そこへ、不意に部屋の扉を叩く音がした。

「鍵はかかってない……」エドヴォンスが力なく答えると、扉が開き、一人の兵が入ってきた。

「サバ、エド、ちょっと来てくれ」「どうした?」サバルトはそう尋ね、エドヴォンスとともに体を支えて身を起こした。

「二人も来てくれ。みんな集まってる。全員で話し合いたいんだ」

 二人は顔を見合わせ、何のことかわからないまま寝台から立ち上がった。兵は部屋を出て、二人がついてくるのを確かめると、先に立って別の部屋へ案内した。

 十人で使う部屋に、兵たちがぎっしりと詰まっている。サバルトは黙って一人ずつ数えた。自分たちも入れて二十六人。全員がこの部屋にいる。戸口に立っていた兵が扉を閉めた。サバルトとエドヴォンスは、どうにか壁際(かべぎわ)に場所を見つけ、もたれて立った。

「これで全員だな。じゃあ、話すぞ」寝台の板に腰を下ろした兵が、一同を見回して口を開いた。

「はっきり言う。また戦になる」

 兵は言葉を切ったが、誰もさほど反応を示さなかった。疲れきっているためか、もう察していたのか。みな死人のような顔をしているばかりで、大きな声を上げる者もない。兵は話を続けた。

「身内が軍の上層部にいるんだが、その話だと、アイカドはもう国境に兵を集めていて、じきに戦が始まるらしい。俺たちはソーン川沿いの守りにつくことになる。だが、言いたいのはそのことじゃない。俺はガソフの下で戦いたくないんだ」

 その最後のひと言に、誰もがうなずいた。あの百兵長の下で戦いたくない。ここにいる全員が、同じ思いだった。

「そのことで相談したくて、今日みんなを呼んだんだ。俺たち、どうする?」

「あいつ、殺しちまえばいいんじゃないか?」すかさずエドヴォンスが言った。

「エド? お前……」サバルトは驚いて声を漏らしたが、あとが続かなかった。

 エドヴォンスは意外なほど真剣で、落ち着いた顔をしている。冗談ではない。ほかの兵たちも一斉にエドヴォンスを見た。驚いた顔もある。だが、はっきりと拒む様子を見せる者は、一人もいない。殺すという選択肢そのものではなく、それがこれほど早く口にされたことにだけ、驚いているかのようだった。

 ひょっとすると、自分自身も心の底では、この考えに抵抗を感じていないのかもしれない。そう気づいたサバルトは、黙って爪(つめ)を噛みながら、ひそかに戦慄(せんりつ)した。

「ほかにどうしろっていうんだ? 脱走するのか?」エドヴォンスはそう言って、一同を見回す。

「殺すのに賛成だ。俺には家族がいる。脱走して捕まったら、家族まで巻き添えになる」

 先日の打ち合いでガソフに勝った兵が言った。「俺も賛成だ。脱走して捕まれば死ぬ。あいつの下で戦っても、まず死ぬだろう。俺たちは命からがらヤラから戻ってきたんだ。あんな奴についていって、次の馬鹿げた戦で死にたくない」

 皆を呼び集めた兵も、寝台に腰をかけたまま同意した。一人、また一人と、兵たちが賛成の声を上げる。ヤラ平原から帰った二十六人は、その場で生死をともにする盟約(めいやく)を結んだかのようだった。共に敵を迎え撃つためではなく、自分たちの指揮官(しきかん)を殺すために。

「サバ、お前は?」エドヴォンスとほかの兵たちの目が、壁にもたれて爪を噛んでいるサバルトに集まる。

「俺? 俺も、賛成だ……」その返事を聞くと、皆がサバルトを見て笑った。

 それから若者たちは、ガソフをいつ、どうやって殺すかを話し合い始めた。「死体の始末(しまつ)がいちばんしやすいのは行軍(こうぐん)中だ。だが、その間はたいてい、同じ連隊(れんたい)の百兵長(ひゃくへいちょう)たちが一つの天幕(てんまく)で寝る。手を出しにくいぞ」

「そうだな。着いてすぐ戦になれば、手は出しやすい。だが、あいつが俺たちに何をさせるかわからないんだ。危なすぎる」

「やっぱり、出発前にやるしかないか?」若者たちは熱を入れて話し合っていた。まるで、夕飯に何を食うかを言い争っているかのように。

「出発する日の朝がいちばんいいと思う。あいつを殺してから、俺たちだけで第一団へ出頭(しゅっとう)する。今朝は見かけなかったって言えば、あいつは脱走兵(だっそうへい)扱いになるんじゃないか?」

 一人がそう提案すると、皆がすぐに賛成した。「隠しておくだけじゃ、見つかりやすい。やっぱり埋めるのがいちばんだろ?」

「でも、どこに埋めるんだ?」「この兵舎(へいしゃ)の裏はどうだ? 駐屯地(ちゅうとんち)の塀(へい)との間だ。うちの小さな聖堂(せいどう)からも離れているし、神官(しんかん)にもそうそう見つからないだろう」

「よし、それでいこう」人殺しの計画は、こうして遊び事のように決まった。話し合いの間、サバルトは終始無言(しゅうしむごん)だったが、エドヴォンスは皆と積極的に意見を交わしていた。

 続いて役割が割り振られ、サバルトは十数人からなる穴掘りの組に入った。出発の前夜、道具を使って兵舎の裏と塀の間に、十分な深さの穴を掘る。エドヴォンスとほかの三人は、出発当日の朝に計画を実行し、残りの者は見張りを受け持つ。

 計画が固まると、皆はそれぞれの部屋へ戻った。サバルトは木の寝台(しんだい)に横になり、天井(てんじょう)を見つめたまま、長いこと黙っていた。エドヴォンスはもう眠ったのだろうか。窓の外で秋風(あきかぜ)が枝を鳴らす音だけが聞こえる。

「サバ、寝たか?」やはり、エドヴォンスもまだ起きていた。

「まだ。眠れない」

 サバルトは天井を見つめつづけている。エドヴォンスも身じろぎひとつしない。

「サバ、みんなを責めないでくれ。みんな、生き延びたいだけなんだ」エドヴォンスが小声で言う。

「責めてなんかいない。俺も生き延びたい。ただ、考えてたんだ……」

「何を?」「戦争に追い詰められたら、人はどこまで変わっちまうんだろうな……」月は空の真ん中まで昇り、木の窓板(まどいた)の割れ目から差し込む光が、二人の木の寝台に切れ切れ(きれぎれ)に落ちていた……。

 翌日、兵たちは全員、訓練の前に重歩兵(じゅうほへい)用の鎧(よろい)一式と、剣一本、短柄(みじかえ)の戦槌(せんつい)一本、丸盾(まるたて)一枚を受け取った。サバルトは鎧を体にあてがってみた。合いそうだ。真新しい鋼(はがね)の鎧には、自分の姿が映っている。剣もそれなりに鋭い。

 ふと、乗せてもらったあの馬車が頭に浮かんだ。この戦が終わったとき、この鎧は傷だらけになって自分と一緒に帰ってくるのだろうか。それとも、血にまみれて、あんな馬車に積まれているのだろうか。

 訓練が始まった。この日は鎧を着けて行うだけに、いつにもましてつらく、途中で吐く者さえ出た。

 出発の前夜、エドヴォンスは駐屯地(ちゅうとんち)の外へ出て、うまいものを少し買って戻り、サバルトに渡した。二人は部屋で、それを一緒に食べた。そのあとサバルトは立ち上がり、エドヴォンスを安心させるように微笑むと、兵舎(へいしゃ)の階段を下り、訓練場脇の道具庫(どうぐこ)の前へ出た。同じ組の十数人が、すでにそこに集まっている。誰かが戸を開け、鍬(くわ)や鋤(すき)を取り出して皆に配った。

 一行は夜陰(やいん)に紛(まぎ)れ、二本の蝋燭(ろうそく)の明かりだけを頼りに、兵舎の裏と塀(へい)の間へ回った。試しに二度、鋤を入れてみた。土はさほど硬くない。蝋燭をすぐそばに置き、急いで掘り始めた。屈強(くっきょう)な若者たちが代わる代わる掘り進める。ほどなく、長さ七、八尺、深さは五尺近い大穴ができた。何人かが穴から這(は)い上がり、もう一度念入りに確かめた。これでよさそうだ。道具は穴のそばに残し、十数人はそれぞれ部屋へ戻って眠りについた。

 サバルトはよく眠れなかった。気にかかるのは翌朝のことではない。明日また、未知の戦場へ赴(おもむ)くのだ……。

 うつらうつらしているところへ、角笛(つのぶえ)が鳴り響いた。サバルトとエドヴォンスはすばやく起き出し、顔を洗い、口をすすいで服を着た。昨夜まとめておいた行軍(こうぐん)用の背嚢(はいのう)を手に、互いに顔を見合わせてから、部屋を出る。エドヴォンスは訓練場へは向かわず、一人で武器庫へ行って身を隠した。

 二十二人が訓練場に整列した。ガソフは兜(かぶと)を脇に抱え、人数を数えている。そこへ、武器庫のほうから三人の兵が、大声で叫びながら駆けてくる。

「百兵長(ひゃくへいちょう)殿! ガソフ殿!」

「何だ! この役立たずども、遅刻とはいい度胸だな!」ガソフが怒鳴(どな)る。

「違います、百兵長殿! エドヴォンスが戦を怖がって、武器庫に隠れたまま出てこないんです! 早く見に来てください!」

 ガソフはたちまち激怒し、悪態(あくたい)をつきながら武器庫へ向かう。三人はそのあとに続き、背中に回した手で、それぞれすでに小刀(こがたな)を握りしめている。

 サバルトは、ガソフと三人の背中が遠ざかってゆくのを見ている。四人が武器庫に入る。ほんのわずかな間を置いて、二人がガソフを運び出し、兵舎の裏へ向かう。エドヴォンスともう一人も駆け出してきて、あらかじめ外に置いてあった水桶(みずおけ)と雑巾(ぞうきん)をひっつかむと、たちまち中へ駆け戻る。

 サバルトと、穴を掘った十数人が、兵舎の裏へ全力で駆け出す。穴のそばに着いたときには、ガソフはすでに中へ投げ込まれている。下顎(したあご)に一か所、心臓のあたりに一か所、その真裏の背中にも一か所、刃物の傷。目を見開いたまま、すでに息絶えている。

「急いで埋めろ。終わったらすぐ鎧を着けて装備を持ち、訓練場に集合だ。俺たちは着替えてくる」ガソフを運んだ二人はそう言い残し、兵舎へ駆けていく。

 穴はたちまち埋まり、十数人がその上で跳びはね、土を踏みつける。地面をすっかり踏み固めてから、一行は武器庫へ走る。鎧を着け、剣を吊(つ)り、盾を背負う。訓練場へ戻ると、エドヴォンスとほかの三人は、すでに武装を整えて待っていた。

 サバルトとエドヴォンスは顔を見合わせ、互いに微笑んだ。二十六人の帝国重歩兵(じゅうほへい)は、鎧(よろい)の鉄板が擦(こす)れ合う音を響かせながら、整然(せいぜん)と列をなして第一団の駐屯地(ちゅうとんち)へ歩き出した。

 門を出ると、パン屋のおばさんやほかの店主たちが、道端に立って見送っている。おばさんはパンの大きな包みを先頭の兵に押しつけ、サバルトとエドヴォンスの頬(ほお)を軽くぽんぽんと叩く。その目には名残惜しさと不安があふれているのに、口元には無理に作ったかすかな笑みが浮かぶ。ほかの店主たちの中には、祈りの仕草(しぐさ)をし、口の中で何事かを唱える者もいる。出征(しゅっせい)する兵一人ひとりのために祈るかのように。

 しばらくして、一行は第一団の駐屯地に着いた。「なぜ遅れた!」第一団第二連隊(れんたい)の指揮官が、完全武装の重歩兵たちに怒鳴(どな)りつける。

「隊長殿! 我々は早くから駐屯地で整列し、百兵長(ひゃくへいちょう)殿をお待ちしておりましたが、いつまでたってもお姿が見えませんでした。やむを得ず、自分たちで隊列を組み、こちらへ出頭(しゅっとう)した次第です。どうかお許しください!」

 最前列の兵が、よく通る声で報告する。指揮官は怪訝(けげん)な顔で列の中を見やり、さらに列の後ろへ目を向ける。ガソフを探しているらしい。

「戦場に出たこともない腰抜けに兵を任せるなと、前に言っただろうが! いざとなったら真っ先に逃げやがって、この根性なしが。何もかもめちゃくちゃだ! ぺっ!」指揮官は地面に勢いよく唾(つば)を吐き、両手を腰に当て、怒りと諦(あきら)めの入り交じった様子で首を振った。

 それからサバルトたちに向き直り、大声で告げた。「重歩兵二十六名、当面は俺が直接指揮を執(と)る! ただちに出発だ! 動け! 先に出た本隊に追いつくぞ!」

 そう言うと踵(きびす)を返し、大股で駐屯地の外へ歩き出した。二十六人の重歩兵が、すぐあとに続く。

 通りの両側に、見送りの群衆(ぐんしゅう)はない。花もない。歓声もない。ただ、不安げな眼差(まなざ)しと、ひそひそと交わされる言葉だけ。道行く人々も、兵たちを避けるかのように足早に通り過ぎる。

 帝都リンドヒルの西門を出ると、遠くに本隊の後尾(こうび)が見えた。そして、この若者たちの背後では、太陽が、いつもどおりに昇っていた。

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