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北方戦争編 第二十二話 囲猟

「閣下(かっか)、鉄籬堡(てつりほう)の死傷者(ししょうしゃ)は、重歩兵(じゅうほへい)七十八名、弓兵(きゅうへい)と弩兵(どへい)で二十三名、志願兵がおよそ三百八十名です」

 デクラスは、目の前のずぶ濡れの伝令兵(でんれいへい)を見つめ、うなずいて下がるよう合図した。

「ファスビンダー、少し眠る。何かあったら起こしてくれ」

「はい、閣下」

 デクラスは天幕(てんまく)の椅子の上で体を丸め、目を閉じた。また、星の見えない夜だった。細い月だけが空にかかっている。ときおり吹くそよ風に、入口の垂れ布がばたばたと鳴る。

 鉄籬堡の城壁では、第一団の団長がどうにか体を支え、アイカド軍の陣を見つめていた。澄んだ月明かりに、敵陣の動きがかなりよく見える。

「閣下、どうか少しお休みください」

 背後につき従う第一、第二連隊の指揮官二人が、もう何度目になるかもわからぬ言葉をかけた。

 団長は取り合わず、なおも敵陣を見つめている。投石機(とうせきき)と攻城弩(こうじょうど)のそばには、もう石も矢も積まれていない。敵兵たちは焚き火(たきび)を囲み、食べ物をかじっている。今朝、指揮官を斬り殺したあの男は、卓(たく)につき、周りの数人と鉄籬堡を指さしながら、何やら話し合っている。

「敵の投石機も攻城弩も、もう弾がないな……」

 そこでようやく、団長はゆっくりと振り返り、二人の指揮官に言った。

「兵を今のうちに少し休ませろ。しばらくは攻めてきそうにない。そうだ、まだ体力の残っている者を集めて、城内に射込(いこ)まれた攻城弩の矢を、すべて東の城壁の狭間(はざま)へ運ばせてくれ。使える木材が残っていないか、もう一度探せ。先を尖(とが)らせた杭(くい)を、できるだけ多く作っておけ。今は、城内の防備(ぼうび)を少しでも増やしておくに越したことはない」

 言い終えると、団長は重い足を少しずつ運び、城壁を下りてゆく。

「見張りは交代で続けさせろ。私も少し眠る」

 振り返って二人の指揮官に向けた顔に、かすかな笑みが浮かんだ。

 第二連隊の指揮官は城壁を歩き、配下(はいか)の兵たちを見て回った。重歩兵たちはみな、思い思いの姿勢で横たわり、あるいはうつ伏せに倒れ込んでいる。かすかに聞こえては途切れるいびきがなければ、死んでいるのか眠っているのか、見分けもつかない。深く眠り込んだ兵を踏まぬよう、足の置き場を一つずつ確かめて進む。

 サバルトは壁にもたれて座り、頭を横に傾けていた。手のそばには、食べかけの乾いたパンが半分足らず。口にはまだパンくずがつき、よだれが肩甲(けんこう)まで垂れている。エドヴォンスは兜(かぶと)を枕に横向きに寝転がり、手も脚も投げ出したまま。その頭のすぐそばの石床に、昼間の戦いでできた血だまりがある。深く眠っているというより、生きているのか死んでいるのかもわからぬ姿だった。

 一人ひとりの寝姿に、指揮官は思わず笑みを漏らした。それから自分も腰を下ろす場所を見つけ、とうに眠気でかすんでいた目を閉じた……。

 サバルトは烏(からす)の鳴き声にゆっくりと目を覚ました。午前の陽が、真正面から顔を焼いている。まぶしさに、思わず手をかざす。嗅覚(きゅうかく)が目覚めた途端、強烈な悪臭(あくしゅう)が鼻の奥へ飛び込んでくる。激しく何度かえずき、眠気が一気に吹き飛んだ。

 壁に手をついて立ち上がり、縁につかまって下をのぞく。昨日残された数千もの死体は、夏の陽と河原(かわら)の湿気(しっけ)にさらされ、早くもあちこちで腐り始めていた。群烏(むらがらす)が、とうに命の失せた体をついばんでいる。一羽が大きな肉片をくわえ、羽ばたきながら胸壁(きょうへき)へ舞い上がる。サバルトがとっさに追い払うと、烏はまた翼を打って飛び立ち、血のついた肉片が足元に落ちた。ぞっとして、また何度かえずく。

 エドヴォンスも目を覚まして身を起こすなり、激しく咳(せ)き込み、えずき始めた。胸壁の縁につかまり、下へ向かってえずいた拍子に、城下で群烏が肉を奪い合うさまが目に入る。胃が激しくうねり、ついにこらえきれず、吐いた。

 一夜を経て、第一団の団長にもいくらか体力が戻っていた。兵たちが目覚めたときには、すでに城壁に立っている。いつからそこにいたのかはわからない。

「なぜ、まだ攻めてこない……あの野郎ども、何を待っている……」

 歯を食いしばり、低くつぶやく。

「閣下、あそこを。何かするつもりではありませんか」

 第一連隊の指揮官が、敵陣の一角を指さした。

 団長がそちらを見ると、百人にも満たないアイカド兵の一隊が集まりつつあった。周りの兵が、その一隊の者たちに何かを手渡している。

「弓兵と弩兵を、全員起こせ」

 そばの兵たちに命じ、団長はまたその一隊へ目を戻した。

 ほどなく、周りのアイカド兵が声を上げて騒ぎ出す。百人足らずの一隊が、陣の中を少しずつ前へ抜けてくる。一人ひとりが木盾を体の前に掲げ、胴(どう)と手を隠している。城壁の上の団長には、何を持っているのか見えない。

 一隊は着実に北の城壁へ近づいてくる。あと百五十歩ほどというところで、突然、盾が頭上に上がった。兵たちが一斉に北門へ駆け出す。

「弓兵! 弩兵! 射(い)ろ! 早く!」

 団長は喉(のど)も裂けんばかりに叫んだ。敵が盾を頭上へ掲げた瞬間、見えたのだ。あの手にあるのは、松明(たいまつ)と、油を満たした桶(おけ)だった。

 弓兵(きゅうへい)と弩兵(どへい)の矢が、北門の両側の箭塔(せんとう)から雨のように降り注ぐ。頭上に掲げた木盾に、ばしばしと矢が突き立つ。どの盾も、たちまち針鼠(はりねずみ)のようになった。数人が矢を受けて倒れたが、大半は命がけで城門の下まで駆け抜けた。木桶の油を、攻城弩(こうじょうど)の矢があけた大きな裂け目や、昨日、戦斧(せんぷ)で削られ、ひび割れた箇所へ、手早く浴びせ、塗りつけてゆく。それから松明(たいまつ)に火をつけ、油を塗ったところへ差し出した。炎が、たちまち裂け目を走る。

「水を持ってこい! 早く!」

 すべてが、あまりにも速かった。城内の兵の大半は、まだ目を覚ましたばかりだった。門から上がる白い煙を、うろたえた顔で見つめている。巨大な弩矢(どし)が突き抜けた裂け目から、炎が次々と這い上がる。第一団の団長は声を張り上げ、人を率いて城壁を駆け下りた。城内の兵を急き立て、水を運ばせ、火を消させようとする。

 兵たちは大慌てで、門の内側を塞(ふさ)いでいた大量の石と砂袋をどかした。水桶を提げた志願兵が数人、門へ駆け寄り、分厚い板に水を浴びせる。じゅっ、と煙が立ち昇る。だが、染み込んだ油を伝い、裂け目の奥ではなおも火が広がってゆく。

「駄目です、閣下(かっか)! 門の木の中が燃えてるんです! こっちからじゃ消せません!」

 誰かが叫んだ。

 門の外では、アイカド兵がひしめき合い、炎も恐れず戦斧を叩きつけている。新たな裂け目ができ、広がる。焼けた木の割れる音が、ときおり厚い板の中から響いてくる。やがて、強烈な一撃が落ちた。門の表面から大きな木片が剝がれ落ち、その奥から炎と濃煙(のうえん)が噴き出す。内部の木材があちこちで黒く炭になっているのが見える。ぱちぱちと音を立て、亀裂(きれつ)が縦横に走ってゆく。

 門の内側へ、さらに水が浴びせられる。大きな裂け目の周りでは、炎が次第に弱まった。門に突き刺さった弩矢の鏃(やじり)を伝い、水が地面へ滴る。それでも濃煙は噴き出しつづけ、外からは斧で斬りつけ、打ち叩く音が絶えない。

 第一団の団長は歯を食いしばり、長剣(ちょうけん)を抜いた。

「第一連隊、大盾(おおたて)を前へ! 歩兵五十名、後ろで防御陣を組め! 残りは第二連隊と城壁を守れ!」

 第一連隊の大盾兵が盾を構え、門楼(もんろう)の下の門洞(もんどう)に素早く陣を敷く。十余人が横一列に並び、門から数歩のところで通路を塞いだ。第一連隊の指揮官も、五十人の重歩兵(じゅうほへい)を率いて城壁から駆け下り、大盾兵の後ろに列を組ませた。長槍(ちょうそう)を握る手にも、全身にも力がこもる。兵たちは、異様な音を立てつづける分厚い門板を食い入るように見つめている。

「敵が来るぞ!」

 箭塔の見張りが下へ向かって叫んだ。

「何人だ!」

 団長が剣を手に叫び返す。

「ぜ、全部です!」

 団長は驚いて顔を上げ、箭塔を見た。

 サバルトとエドヴォンスの目の前で、遠くのアイカド軍の陣形が崩れた。隊列を保つ者はもういない。全軍が、黒い潮のように押し寄せてくる。背後の志願兵たちは、すでに震えが止まらなくなっている。サバルトは兜(かぶと)をかぶるとき、危うく手から取り落としそうになった。そこで初めて、自分の両手も激しく震えていることに気づいた。

「サ、サバ……」

 エドヴォンスが小さな声で呼んだ。

「エド……女神のご加護を」

 かつては越えがたく立ちはだかった城門も、いまや焼けて炭となり、脆(もろ)くなっていた。炎と濃煙の中、打ち込まれつづける斧が、ついに大きな穴をあける。最初のアイカド兵が、その穴から潜(もぐ)り込んできた。足が地に着くより早く、大盾の後ろから突き出された長槍に突き殺される。さらに斧の刃が板を突き破り、穴を押し広げてゆく。木片が散らばる。二人、三人、五人……。アイカド兵が吠えながら、先を争って潜り込む。倒れる。また潜り込む。また倒れる。後続はその死体を踏み越え、戦斧を大盾へ叩きつける。金属音が激しく響き合う。

 北の城壁の縁は、ほとんど梯子(はしご)の先で埋まっていた。低い狭間(はざま)にも、その脇の高い壁にも、人がびっしりと取りついている。見渡す限り、石壁そのものはほとんど見えない。下へ槍を突き出した帝国兵が、登ってきた敵に柄(え)をつかまれた。強く引かれ、上半身が城壁の外へ出る。大きな手がその腕の鎧(よろい)をつかみ、そのまま城外へ引きずり落とす。別の兵は、跳び込んできたアイカド兵に組み伏せられた。後ろの志願兵たちが殺到し、敵めがけてやみくもに剣を振るう。敵は防ごうともしない。死ぬ間際まで、下に押さえつけた帝国兵の兜へ戦斧を叩きつける。兜がすっかりひしゃげて、ようやくその上に崩れ落ちた。

 サバルトは左手の戦槌(せんつい)と右手の剣を交互に振るい、叩き、斬りつけ、かろうじて敵に隙を与えずにいた。凄(すさ)まじい形相のアイカド兵が、目の前で一人、また一人と城壁から落ちてゆく。狭間の脇の高い壁に、突然、両手がかかった。その下の梯子から跳びついたアイカド兵が、縁をつかんで体を引き上げ、壁の上へよじ登る。サバルトの背後の志願兵が慌てて槍を突き出す。敵はサバルトに目もくれず、その背後の志願兵たちへ躍(おど)りかかった。サバルトは振り向く間もなく、正面から登ってくる敵に釘づけにされる。背後へ飛び込んだ男は、槍の一突きを受けても意に介さず、斧を振るった。悲鳴が上がり、二人の志願兵が倒れる。その一人がサバルトにぶつかった。サバルトは体勢を崩し、前へよろめく。その拍子に、左手の戦槌が、ちょうど頭を出した敵兵の顔にまともにぶつかった。顔が陥没(かんぼつ)し、男は後ろへ落ちてゆく。

 サバルトには、振り返る余裕がない。数人の志願兵が背後のアイカド兵を取り囲み、一斉に武器を突き出す。男はさらに二度、槍で突かれた。それでも痛みをこらえて斧を振るい、さらに二人の志願兵が死ぬ。第二連隊の指揮官が脇から駆け寄り、男の首筋へ剣を突き立てた。ようやく地に倒れ、二度、痙攣(けいれん)して動かなくなった。

 城門の下は、とうに混乱のただ中にあった。アイカド兵は仲間の死体を足場に、前列の大盾兵を次々と跳び越え、後ろの兵の列へ飛び込んでくる。薄暗い門洞には、武器を振るう腕がひしめいている。門楼の上では、弓兵と弩兵、それに歩兵たちが、門へなだれ込もうとする敵の群れへ、力の限り矢を射かけ、石を投げつけていた。第一団の団長は門洞内の重歩兵の陣の側翼(そくよく)に立ち、もはや号令を叫ぶこともできず、眼前に現れる敵を必死に斬り伏せる。

 血が門洞の壁に噴きかかる。

 血が、門洞の壁に噴きかかる……。

 ストムセの城壁の上。デクラスはとうに、指揮所をここへ移させていた。一同が遠く見やる鉄籬堡(てつりほう)は、蝗(いなご)にびっしりとたかられた稲穂(いなほ)さながら、今にも倒れそうだった。

 デクラスは視線を外し、空の太陽の位置を確かめた。ふいに何かを確信したかのように身を翻し、卓の上座の椅子へ腰を下ろす。

「軍議だ」

 口にしたのは、その一言だけ。

 指揮官たちはすぐさま両側の席につき、髪を乱し、やつれた顔をした総指揮官をじっと見つめた。デクラスは懐(ふところ)から、すでに書き上げてあった巻物を取り出し、傍らの伝令兵へ渡した。

「人を遣(や)って、これをアイカド軍の野営地(やえいち)へ届けろ。王太子(おうたいし)に渡すんだ」

「閣下(かっか)! これは何です!」

 サディスが厳しい声で問う。

「降伏の書状だ」

 デクラスの声は、異論を許さなかった。

「貴様!」

 サディスは跳ねるように立ち上がり、伝令兵の手から巻物をひったくって、一同の前で広げた。

 そこには、こうあった。

 至高なるアイカド王太子殿下。

 臣(しん)デクラスは本来、帝国の文官であり、戦場で指揮を執(と)った経験はございません。されど命に逆らえず、やむなくこの地へ赴(おもむ)いて指揮を執り、殿下の勇猛なる軍に抗(あらが)うこととなりました。臣は幾度(いくど)か殿下に降(くだ)ろうといたしましたが、そのたびに軍中の主戦派に脅され、願いを果たせずにおりました。折しも帝国が鉄籬堡に兵を増派し、いまや主戦派の者は残らず鉄籬堡へ移されております。ストムセの城内は手薄となり、臣の帰順(きじゅん)を阻む者は、もはや一人もおりません。ストムセの民を傷つけず、その私財を奪わぬとお約束くださるならば、臣デクラスは、城内の糧秣(りょうまつ)と資金をすべて謹(つつし)んで差し上げます。お受け入れくださるなら、日が沈む間際、臣はただ一人、橋のたもとでお待ちし、殿下の馬の手綱(たづな)を取って、酒宴の席までお供いたします。臣の帰順の志をお汲(く)み取りいただけぬならば、糧秣と財貨を焼き払い、城の者すべてを率いて南へ移るほかございません。英明なる殿下ならば、臣の真心を必ずやお察しくださることと存じます。

 臣 デクラス

「この裏切り者め!」

 サディスは怒号(どごう)とともに長剣(ちょうけん)を抜いた。

 ファスビンダーが一足でデクラスの前へ出る。剣を抜き、サディスと対峙(たいじ)する。

「サディス! 落ち着け! 閣下がどう書いておられるか、もう一度よく読め!」

 リュッペルが傍らで怒鳴った。第二団の団長も進み出て、サディスの腕を固くつかむ。

 サディスは怒りを押し殺し、剣をまっすぐデクラスに向けたまま、わずかに顔を巡らせて書状をにらんだ。

 それでもデクラスは、サディスに一瞥(いちべつ)もくれなかった。その目にも炎が燃えている。低く、厳しい声で告げた。

「リュッペル、命令だ」

 リュッペルがさっと振り向き、中央の椅子に座る総指揮官を見た。

「すべての軍馬をただちに城の南の林へ移し、隠せ。その後、聖騎士(せいきし)を四組に分け、東西南北の城門近くの地窖(ちこう)に潜ませろ。軽歩兵(けいほへい)が来たら、ともに打って出ろ。お前たち聖騎士を主力として、城門と城壁を速やかに奪え。続いて馬を連れ戻し、敵の野営地に火が上がったら、ただちに鉄籬堡を攻める敵軍の背後を襲え」

 リュッペルは一瞬、呆気(あっけ)に取られたが、すぐに我に返り、声を張った。

「はっ、閣下!」

 デクラスは表情ひとつ変えずに続ける。

「軽歩兵隊の指揮官、命令だ」

 軽歩兵の指揮官が、さっと背筋を伸ばした。

「自ら兵一千を率い、住民の服に着替えて、城内の民家に分散しろ。残りは各所の地窖に潜ませろ。市庁舎(しちょうしゃ)から楽(がく)の音(ね)が聞こえたら、住民に扮(ふん)した兵は、通りにいる敵兵に酒と肉を差し出せ。敵の気が緩んだところで、人を遣って聖騎士と弓兵(きゅうへい)、弩兵(どへい)に知らせ、城壁と城門を奪わせろ。お前は兵を率いて通りを制圧し、その後はサディスの指揮に従え」

「はっ、閣下!」

「弓兵と弩兵の指揮官、命令だ」

 指揮官は、興奮した面持ちでデクラスを見つめている。

「お前は弓兵と弩兵を全員率いて、城壁周辺の地窖に身を潜め、聖騎士とともに城壁を奪え。城内の制圧が済んだら、ただちにアイカド兵の軍装(ぐんそう)に着替えろ。火矢(ひや)を多く用意し、その後はサディスの命令に従って動け」

「はっ、閣下!」

「重歩兵(じゅうほへい)第二団の団長、命令だ」

 第二団の団長は、すでに両の拳(こぶし)を固く握っている。

「お前は重歩兵全員を率い、市庁舎の周囲の地窖に分散して身を潜めろ。さらに何人かを住民に扮させ、市庁舎の周りの民家に隠しておけ。騒ぎが聞こえたら、ただちに兵を出して市庁舎を包囲し、敵を残らず片づけろ。敵の野営地に火が上がったら、速やかに聖騎士とともに城を出て、アイカド軍の背後を襲え」

「はっ、閣下!」

 そこでデクラスはゆっくりと顔を上げ、剣を収めるのも忘れ、呆然(ぼうぜん)と立ち尽くすサディスへ横目を向けた。

「サディス、命令だ」

 サディスが剣を鞘(さや)へ収める。

「お前……酒は飲めるな?」

 唐突な問いに、サディスは面食らった。左右を見回すと、誰もが真顔で自分を見ている。そこで、まじめにうなずいた。

「鉄翎軍(てつれいぐん)は重歩兵とともに市庁舎の周囲へ潜ませろ。最も腕の立つ者を数人だけ選び、宴席の護衛にする。お前は私とともに宴席につけ。私が酔ったら、機を見て敵の衛兵を全員殺せ。アイカドの王太子は必ず生(い)け捕(ど)りにしろ。いいか、必ず生け捕りだ! その後、お前は鉄翎軍、軽歩兵、弓兵と弩兵を率い、アイカド兵の軍装に着替え、松明(たいまつ)はつけず、夜陰(やいん)に紛れてアイカド軍の野営地へ向かえ。覚えておけ、あちこちに火を放て。強攻(きょうこう)するな。『王太子が捕まったぞ』と叫べばいい。続いて兵を率い、ただちに鉄籬堡を攻める敵軍の側面を突け」

「はっ……閣下」

 デクラスは立ち上がり、指揮官たちに付け加えた。

「皆、忘れるな。アイカド兵を追うのはニフォルの森までだ。そこまで行ったら引き返せ。それまでは、殺せるだけ殺せ」

「はっ、閣下!」

 一同が背を向けかけたとき、第二団の団長が何かを思い出したように振り返った。

「閣下、やはりわかりません。敵の王太子が必ず来ると、なぜそこまで確信しておられるのですか?」

 ほかの指揮官たちも足を止め、答えを待っている。デクラスは少し考えてから言った。

「ああいう人間にとって、ここに座って酒を飲みながら鉄籬堡が落ちるのを眺めること以上に、輝かしい勝利にふさわしいものがあるか?」

 第二団の団長の顔に、一瞬、笑みが浮かんだ。すぐにまた、厳しく揺るぎない表情に戻り、一同とともに足早に去っていった。

 デクラスは城壁の縁(ふち)へ歩み寄り、絶えず喊声(かんせい)の響いてくる鉄籬堡(てつりほう)を見やった。城門のあたりには黒い影が幾重にも重なり、城壁も一面、黒く染まっている。

「閣下(かっか)、本当に、お一人で橋のたもとへ行くんですか?」

 ファスビンダーの声には不安がにじんでいた。主人がこれから、途方もなく危険なことをしようとしている。そのことはわかっていた。

「そうだ。私一人で行かねばならない」

「ですが、閣下。もし危険な目に遭ったら? 橋のたもとで捕らえられたり、斬り殺されたりしたら、どうするんですか?」

「ファスビンダー……見てくれ」

 デクラスは手を上げ、鉄籬堡を指した。

「あそこには、お前よりも若い者も大勢いる。私の命令で囮(おとり)となり、私に賭(か)けて、命を差し出している。ならば、私自身がこの勝負に身を投じ、自分を最大の賭け金にしない理由が、どこにある?」

 デクラスは振り向き、ファスビンダーを見た。

 主人の顔を見つめるファスビンダーの胸には、いくつもの思いが入り交じっていた。今は確信がある。目の前にいるのは、やはり自分のよく知る閣下だ。だから、この人が命を賭けるとき、自分にできるのは、ただ従うことだけだった。

「もし私が橋のたもとで死んだら、ファスビンダー、覚えておけ。敵は必ず城へ入って略奪(りゃくだつ)する。そのときは、敵を城内へ入れてから殲滅(せんめつ)し、その後ただちに鉄籬堡を救援するよう、すべての指揮官に伝えるんだ」

「はい、閣下。覚えました」

 ファスビンダーを見つめるデクラスの眼差(まなざ)しが、しだいに和らいだ。両手でその肩をつかんで強く揺すると、確かな足取りで城壁を下りてゆく。だが、途中でふいに足を止め、勢いよく振り返ってファスビンダーを見据える。

 その目に浮かんだ感情を、ファスビンダーは読み取る。それは、つい先ほど自分がデクラスへ向けた眼差しに宿っていたものと、あまりによく似ている。

「ファスビンダー、もう一つ、すぐにやってもらいたいことがある」


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