北方戦争編 第十八話 計略
「はあ?」
兵たちは一斉に、信じられないとばかりに声を上げた。そのあとは、際限のない不平不満。
「『はあ』じゃない! 命令に従え!」
第二連隊の指揮官が、目の前の兵たちに言い渡す。
「ですが、隊長殿。急に地窖を掘れって、何のためなんです?」
「俺に聞かれたって知るか。総指揮官のご命令だ、何かお考えがあるに決まってる! シャベルを受け取りに来い!」
兵たちは仕方なく列を作り、指揮官からシャベルとつるはしを受け取った。
「隊長殿、これじゃ道具が足りませんよ。どうやって掘れっていうんです?」
兵たちはなおも文句を言う。
第二連隊の指揮官は腹立たしげに首を振り、もう一度声を張り上げた。
「何人かで交代して使え! 兵舎や穀倉、厩の隅や、人目につかない場所を探して下へ掘れ! いいか、入口は小さく、中は十分に広くしろ! 女々しいことを言ってないで、働け!」
サバルトたち十五人は二組に分けられ、一棟の穀倉に回された。数人が道具を担いで中を一回りし、壁際の隅に場所を決める。そこに積まれた穀物をどけ、露わになった地面をつるはしの先で突いて、土の硬さを確かめる。
「ここでいいか?」
つるはしを持った兵が言うと、ほかの者たちもうなずいた。
「俺からやるよ」
サバルトはそう言って、片足でシャベルを土に深く押し込み、力を込めて、シャベルいっぱいの土をすくい上げる。もう一人がそれに合わせ、つるはしを何度も打ち込んで土をほぐす。エドヴォンスが土を入れる大きな籠をサバルトの足元に置く。それも、ほどなくいっぱいになった。
数人で代わる代わる掘り進めるうちに、さほど時もたたず、深さ数尺の縦穴ができた。兵が一人、試しに中へ飛び降りる。ちょうど一人が立っていられる広さだ。
「斜めに掘っていくか?」
穴の中の兵が尋ねた。
「そうしよう」
ほかの者たちもうなずく。
掘り出した土は穀倉の外に積まれている。軽歩兵や弓兵が荷車を押して城内を回り、各所で掘り出された土を集めては、ストムセの南門内の空き地へ運んでゆく。斧を担いだ兵たちも列を組んで南門を出て、数里先の森へと向かっていた。
市庁舎前の広場に張られた天幕で、軍議が開かれていた。中央の席にはデクラスが座り、その傍らにはファスビンダーが立っている。左右に並ぶ二列の椅子は、各部隊の指揮官たちで埋まっていた。
「デクラス閣下! 命令は伝えました。すでに実行に移しております。せめて、なぜこうするのか、お聞かせください」
重歩兵第一団の団長が、いくらか不満をにじませて尋ねた。
「そのとおりです、閣下。重歩兵には穴を掘って地窖を作らせ、我々には木を伐って角材を作れと。いったい、何をなさるおつもりなのです?」
徴集された軽歩兵たちを率いる指揮官も、隣から口を添えた。
デクラスはかすかに眉をひそめた。どう説明したものか。しばらく考えた末、口にしたのはひと言だけだった。
「皆様、打てる手を増やしておくため、とでも思ってください。よろしいでしょうか?」
「打てる手? どういう意味です? 今、ほかに新しい策があるのですか?」
軽歩兵の指揮官は、なおも食い下がる。
「そうですよ、閣下。海軍が敵の兵糧輸送路を叩いたのでしょう? それなら、このまま粘ればいいのではありませんか。近ごろは敵も攻めてくる様子がありませんし」
弓兵と弩兵を率いる指揮官も、こらえきれずに口を挟んだ。
左右それぞれの列の上座に座るサディスとリュッペルは、どちらも黙っていた。リュッペルは笑みを浮かべ、何か思案しているらしい。サディスは不満げな顔で、発言した指揮官たちをにらみつけている。
その表情をちらりと見たデクラスの頭に、不意に皇帝直筆の命令書の文面がよみがえった。慌てて、指揮官たちへ言葉を継ぐ。
「皆様、そう焦らないでください。備えを一つ増やしておくだけです。使わずに済むかもしれませんし、それなら何よりです。兵たちも暇だと気が緩みますから、少し仕事をさせておくだけだと思ってください」
デクラスは、へへ、と愛想よく笑ってみせた。
これ以上は何も聞き出せないと見て、指揮官たちはしぶしぶ口を閉ざした。椅子に座ったまま、不満げな表情を浮かべている。
「デクラス閣下、ほかに何かございますか。なければ、我々は兵営へ戻らせていただきます」
退屈な会議を早々に切り上げようというサディスの提案に、デクラスも内心でうなずく。今の段階では、指揮官たちにこれ以上話しても益はない。
「今のところはありません。皆様、地窖を掘っている場所を記録し、地図に書き入れておいてください。では、いったんお戻りください」
指揮官たちは次々に席を立って出ていった。デクラスは一同を天幕の外まで見送り、それから中へ戻った。
「ファスビンダー」
「はい、閣下。何でしょう?」
デクラスは頭をかきながら言う。
「城内の仕立屋へ行って、軍旗を何枚か急いで作らせてくれ」
ファスビンダーは、すぐには意味をつかめなかった。
「えっ、閣下。何を作らせるんですか?」
「軍旗だよ。いろいろな兵団の団旗だ」
ファスビンダーはようやく合点がいった。
「はい、閣下。それで、どの部隊の旗を?」
「何でもいい。遠目にそれらしく見えればいいんだ。仕立屋に好きにやらせてくれ。七、八枚ほどあるといいな」
「あ……ええ……わかりました、閣下。では、行ってきます」
デクラスは、出てゆくファスビンダーの背を見送った。ファスビンダーは天幕の入口まで行くと、まだ何か考えているらしく、少し首をかしげた。
半月余りが過ぎ、ストムセ城内の地窖はおおかた掘り上がった。兵たちは切り揃えた角材を穴へ差し入れ、四方の壁と天井をしっかりと補強し、重歩兵たちもようやく一日か二日の休みを得た。
サバルトたちはソーン川の岸へやってくると、服をすっかり脱ぎ捨て、夏の心地よく冷たい浅瀬へ飛び込む。体にこびりついた泥を洗い落としていると、ばしゃりと、水しぶきがサバルトに降りかかった。
「おい、エド。やる気か?」
サバルトはすかさず水をすくってかけ返す。たちまち十数人が加わり、素っ裸の重歩兵たちが、午後の陽射しの下、澄んだ川の中ではしゃぎ始めた。
第二連隊の指揮官も、ほかの兵を連れて体を洗いにやってきた。サバルトたちが大騒ぎしているのを見ても止めようとはせず、傍らで面白そうに眺めている。同行した兵たちも、指揮官が黙認しているのを見ると服を脱ぎ、次々に水へ飛び込んだ。
ひとしきり騒ぎ、全身の疲れまで洗い流したころ、一人の兵が不意にストムセの城壁を指さした。
「おい、見ろ! あれ、何だ?」
皆がその指の先を追って、城壁を振り返る。遠く、色とりどりの旗が何本か立っていた。
「あれ? 援軍か? 何も聞いてないぞ?」
「どこの兵団の旗だ? 見分けがつかねえな」
兵たちは口々に言い合う。指揮官も振り向き、見慣れぬ軍旗に意外そうな顔をした。川岸から立ち上がって軍服の上着を羽織り、ズボンで両手をぬぐう。
「遊びは終わりだ、お前たち! 戻るぞ!」
そう言って、真っ先に城門へ歩き出した。兵たちも服を着てズボンを引き上げ、指揮官の後について、名残惜しげにソーン川を離れる。
サバルトたちが城門の前へ戻ると、先を歩いていた第二連隊の指揮官も、ほかの兵たちも、城壁の下で立ち止まっていた。見たことのない軍旗を仰いだまま、呆然としている。サバルトたちも揃って顔を上げた。
「何なんだよ、こりゃ……」
エドヴォンスの口から、思わず声が漏れた。
新たに掲げられた軍旗のうち、中央付近のものはまだまともだった。一枚には竜の紋章、もう一枚には二本の大剣と盾が刺繍されている。だが、端へ行くほど妙なものになる。いかにも急ごしらえといった具合で、ただ白い糸で猪の輪郭だけを縫い取った旗まである。そしていちばん外側の一枚。白い布に黒い糸で縫い取ってあるのは、なんと小さなアヒルだった。
兵たちはもう、旗を見上げて声を上げて笑っている。第二連隊の指揮官だけが、むっつりとした顔で、何も言わずに城門をくぐっていった……。
「閣下! いったい何をなさるおつもりですか!」
重歩兵第一団の団長は、怒りもあらわに天幕へ入ってくるなり、一同の前で容赦なくデクラスに詰め寄った。指揮官たちの目が一斉にデクラスへ向く。当の本人も、いささか気まずそうな笑みを浮かべる。
「デクラス閣下。ここまで来ると、私も伺わずにはおれません。地窖を掘らせたかと思えば、今度はあのような軍の体面にかかわる旗です。どうか理由をお聞かせください。さもなくば、私も皇帝陛下にご報告申し上げるほかありません」
サディスまでが、不満げな顔でデクラスを問いただした。
「皆様、どうか落ち着いてください。確かに、城内の仕立屋に軍旗を急いで作らせたのは私です。初めのうちは丁寧に作っていたのですが、後になると時間が足りなくなって、作りが雑になってしまいまして……」
デクラスは慌てて弁解する。
ファスビンダーは傍らに立ち、一同が主人を問い詰める様子を見ていた。少し困った様子の主人にも目をやり、呆れたように目を上へ向ける。
「ですが閣下、その理由は? 何のために、あんなひどい旗を何枚も作らせたのです?」
第一団の団長は、なおも厳しく問い詰めた。
「いや、これからその話をするのですよ。そのために皆様に集まっていただいたのですから。まず伺いますが、城内すべての地窖の位置を記した図はできましたか?」
団長はそう聞くと、いまいましげに懐から図面を一枚取り出し、デクラスの前の低い卓へ放り出した。
「できております! どうぞご覧ください」
デクラスは気を悪くするでもなく、図面を手に取った。じっくりと目を通し、時折、満足そうにうなずく。わずか半月余りの間に、数千の兵が城内に掘った地窖は二百近く。大きいものなら二、三十人、小さいものでも七、八人は詰め込める。
デクラスは図面を置き、指揮官たちを見て、おもむろに口を開いた。
「皆様、地窖が完成したからには、明日からは兵を率いて、もう一つ仕事をしていただきます」
そこでいったん言葉を切る。誰も口を開かないのを見て、先を続けた。
「第一団の団長殿。以前、ソーン川を使って鉄籬堡へ補給を送っていたときの筏は、まだ残っていますか?」
団長は一瞬きょとんとしたが、すぐに答えた。
「一部は解体して城壁の補修に回しましたが、まだいくらか、鉄籬堡に保管してあります」
「結構です。鉄籬堡の兵に、南の城壁の背後を流れる川へ、下流に向かって斜めに縄を何本か渡すよう伝えてください。明日から、皆様には交代で兵を率い、新しく作った旗を掲げて、昼間にストムセから鉄籬堡へ向かっていただきます」
指揮官たちの顔から、次第に怒りが薄れてゆく。皆、デクラスの意図を読み取ろうとし始めていた。
「そして、昼間に鉄籬堡へ入った兵は、夜のうちに東門からひそかに城外へ出て、南の城壁の背後へ回ります。縄と筏を頼りに、南岸まで泳いで渡るのです。そこから南へ数里、大きく迂回して敵の目を避け、ストムセの南門から城内へ戻ってください」
デクラスは話しながら、目の前の卓を指で軽く叩いている。
「鉄籬堡に帝国の増援が来ているように見せかける、ということですか?」
最初に尋ねたのはリュッペルだった。
「そのとおりです! ですから、旗もさほど手の込んだものでなくていいのです。アイカド人が遠くから見て、それぞれ別の兵団の軍旗だと思えば、それで十分です。まあ、私も、ひどい出来だとは思いますが……」
そこまで言うと、デクラス自身も声を上げて笑った。
指揮官たちは顔を見合わせる。総指揮官の意図はわかったようで、まだ何かが足りない。全体まではつかめずにいるようだった。
「閣下、すでに策の全容が定まっておいでなら、一度にお聞かせいただけませんか。そのほうが、我々も閣下の作戦意図をよく理解できます」
第一団の団長が言うと、ほかの指揮官たちもうなずいた。
「皆様には申し訳ありません。いくつか策は考えてありますが、敵がどう動くか、まだ確かなことは言えません。ですから今は、すべてをお話しすることはできないのです。ただ、運がよければ、これ以上戦うことなく、この戦に勝てるとだけ申し上げておきます。ですが、運が悪ければ……」
「しかし閣下、なぜこれまでの持久策を捨て、新たな策を取る必要があるのですか? 今までどおりにしていれば、敵が退くまで持ちこたえられるのではありませんか?」
「半月余り前、捕らえた敵兵から聞き出したところでは、敵にはまだ二万の兵がおり、兵糧も三か月はもつそうです。そして、その軍を率いているのは王太子です。もし、この王太子が引き下がる気になれず、もう一度、死にものぐるいで攻めてきたら?」
デクラスは穏やかな目で一同を見渡した。
「前回は、教廷国の援軍があったからこそ守りきれたのです。ですが、今はもう援軍はありません。私は、ただ幸運だけに、この戦の行く末を賭けたくはない。ですから、備えておかなければならないのです」
第一団の団長はそれ以上何も言えず、顎をつまんで考え込んだ。ほかの指揮官たちも、それぞれ懸命に何かを考えている。最初に口を開いたのは、やはりリュッペルだった。
「承知しました。我ら聖騎兵と教廷国志願兵は、デクラス殿のご命令に従います」
リュッペルは相変わらず、あの微笑を浮かべてデクラスを見ていた。デクラスも、感謝の表情でうなずく。
「では、明朝は私が先に鉄翎軍を率いて鉄籬堡へ参りましょう。皆様は我々の後に続いてください」
サディスは立ち上がり、指揮官たちにそう提案した。彼らもうなずき、命令を受け入れるほかなかった。
会議が終わり、指揮官たちは散っていった。デクラスもいつものように席を立ち、一同を天幕の外まで見送った。中へ戻ると、大きく息を吐き、椅子にどさりと腰を下ろす。
「やれやれ。リュッペルとサディスがいてくれて助かった。あの連中の相手は、まったく骨が折れる」
デクラスは上体を後ろへ倒し、背もたれの縁に頭を預けた。
「閣下、一つ気になったんですが」
ファスビンダーが天幕の外を見つめたまま尋ねる。
「何だ? 言ってみろ」
「皇帝陛下が二か月という期限をお切りになったことを、なぜ皆さんにはお話しにならないんですか?」
デクラスは体を反らしたまま、しばらく黙っていた。やがて身を起こし、右手で額をこすった。
「皇帝に死ぬ日を決められたのは、私だ。あの者たちまで巻き添えになるとは限らない。そんなこと、どうして口に出せる……」
翌日の午前。陽が高くなり、遠くまでよく見渡せるようになったころ、ストムセの北門が開いた。
サバルトは、小さなアヒルを縫い取ったあの軍旗を担ぎ、指揮官に続いて城門をくぐる。背後には完全武装の重歩兵たち。一行は、先を行く聖騎士と鉄翎軍の後に続いた。
「はあ……何で俺たちが、この旗を掲げなきゃならねえんだ……」
エドヴォンスが小声でぼやく。
「エド、少し黙ってろよ。俺だって担ぎたくねえんだ。代わりにお前が持つか?」
サバルトも不機嫌に言い返した。
「いや、サバ、そうじゃなくてさ。前の聖騎士と鉄翎軍を見ろよ。あっちは竜だの剣と盾だのを掲げてるのに、何で俺たち重歩兵にはアヒルなんだよ……」
「黙れ!」
第二連隊の指揮官が、エドヴォンスの頭にごつんと拳骨を食らわせた。エドヴォンスはその勢いで前へよろめく。
「アヒルの何が悪い。後ろの部隊も見てみろ」
指揮官は歯を食いしばり、すごむように言った。
サバルトとエドヴォンスは後ろを振り返る。軽歩兵たちが掲げているのは猪の旗。さらに後ろの弓兵と弩兵の旗には、蛇ともミミズともつかぬものが刺繍されていた。どの旗手の顔にも、「恥ずかしい」と書いてある。
サバルトたちにも、もう言うことはなかった。一行は整然と列を組み、白昼堂々と、川岸沿いに鉄籬堡へ向かっていった……。




