北方戦争編 第十七話 着任
「聞いたか? 新しい指揮官、文官だってよ!」
「えっ? 戦場の経験もないのか?」
「別にいいだろ。このまま粘ってりゃ勝てるんだ」
「でもよ、今度の戦の計画は、全部そいつが立てたって話だぞ。教廷国の援軍を引っ張ってきたのもな」
「なら、教廷の志願兵連中もなだめられるんじゃねえか?」
「さあな。頼りになるといいけどな」
新たな指揮官が着任したという話は、たちまち前線に広まった。あちこちで兵たちが二人、三人と集まっては噂している。今は、サバルトたち第二連隊が鉄籬堡の守備に当たる番だった。暇を持て余していると、自然とその話になる。話が盛り上がっているところへ、第二連隊の指揮官が主楼の大扉から入ってきた。床に思い思いの格好で寝そべる兵たちを見回す。
「声を落とせ! 指揮官閣下がおいでだ」
そう言うと、第二連隊の指揮官は主楼の入口で、うやうやしく姿勢を正した。続いて先頭に立って入ってきたのは、三十代に見える、普段着姿の男だった。髪は乱れ、無精ひげが目立つ。その目には疲れがにじんでいるが、顔に緊張の色はない。すぐ後ろには、茶色の髪の、端正な顔立ちをした男。簡素な板金鎧をまとい、同じく主楼へ入ってくる。二人の後ろには、サディスと数人の鉄翎軍の兵が続いていた。
「へえ、鉄翎軍まで後ろについて歩くのかよ」
エドヴォンスがぼそりと言った。
「しっ!」
サバルトは慌てて振り返り、声を出すなと手で合図した。
男は主楼の内部を念入りに見回し、休んでいる兵たちにも目を向ける。それからサディスに手で合図し、一行を連れて上階へ続く階段を上がってゆく。
「あれが指揮官だって? ええ?」
大広間がざわついた。とはいえ、大声を出すわけにもいかない。兵たちはあちらを指さしながら、小声で口々に話している。
ほどなく、男は一行を連れて階段を下り、主楼を出ていった。サバルトたちも立ち上がり、様子を見ようと主楼の外へ出た。男は今度は一行を率いて、鉄籬堡の城壁へ上がっている。まず西の城壁に立ち、遠く、アイカド軍の大きな野営地の方角を見やる。それから南の城壁へと歩いてゆく。しばらくすると東の城壁へ回り、最後は北の城壁から下りて、一行とともに北の城門から城外へ出ていった。
「隊長殿」
エドヴォンスは主楼の入口の壁にもたれ、そばに立っていた第二連隊の指揮官を肘で小突いた。
「うちの新しい総指揮官、本当に頼りになるんですか?」
第二連隊の指揮官は拳を上げ、エドヴォンスの頭を、ごつんと強く叩いた。
「余計なことを言うな! あの人がいなけりゃ、俺たちはとっくに死んでたかもしれんぞ」
「ちぇっ……」
入口の外にひしめいていた兵たちは主楼へ引き返し、また一人、二人と床にだらりと寝転がってゆく。
デクラスは一行を連れてストムセの城内に戻ると、そのまま新たに設けられた指揮所へ向かった。市庁舎前の小さな広場に張られた、仮設の天幕だ。もとの指揮所は教廷国の志願兵に襲われた際、家具の多くが壊され、もう使える状態ではなかった。
「閣下、ほかにご命令はありますか」
サディスは硬い表情のまま尋ねた。その声からは、何の感情も読み取れない。
デクラスは苦笑して答えた。
「サディス殿、私は爵位も低い身ですから、そうかしこまらず、これからは名前で呼んでください」
「承知しました、閣下。では、ほかにご命令はありますか」
サディスは口調を変えず、同じ問いを重ねた。こちらの言葉を聞いていたのかどうかもわからない。
鉄翎軍は、こういう人間ばかり選んでいるのか? デクラスはひそかに思った。
「サディス殿、敵がどこで水を汲んでいるか、ご存じですか?」
「閣下、先の偵察兵の報告では、川を数里下ったところで取水しているとのことです」
「では、サディス殿、お手数ですが、今夜、兵を連れて、夜陰に紛れて敵兵を何人か捕らえてきてください。話を聞きたいので」
「はっ、閣下。では、失礼いたします」
サディスはそう言うと、厳しい顔つきのまま鉄翎軍の兵を連れて天幕を出ていった。デクラスはファスビンダーと顔を見合わせ、肩をすくめた。
「皇帝直筆の命令書は、やはりよく効くな……さて、次はいちばん厄介なのを片づけるか」
デクラスは天幕の上座まで歩いてゆき、椅子にどさりと腰を下ろした。何度か座り直す。
「なんだ、この椅子、尻が痛いぞ。ファスビンダー、すまないが、聖騎士の指揮官と、教廷国の志願兵の代表を呼んできてくれ」
「はい、閣下」
ファスビンダーはうなずいて踵を返し、天幕を出ていった。
デクラスは先ほど鉄籬堡で見てきたことを、一つひとつ丹念に思い返した。細部まで、すべての情報が頭の中で少しずつ組み直され、一枚の図面となって輪郭を現してゆく。二か月という期限を念頭に、敵を破る手立てを考える。前線へ向かう道中の数日間にも、すでにいくつもの策を練っていた。ただ、今日実際に現地を見たことで、すぐに捨てた案もあれば、さらに確かめる必要のある案もある。
振り向いて、背後の二本の支柱の間に掛けられた前線の地図を見据えた。もとは砂盤もあったが、教廷国の志願兵の騒乱でひっくり返され、壊されてしまっていた。
あといくつか。肝心な情報が、あといくつか。それさえ揃えば、どれか一つの策が形になり、この賭けに勝てるかもしれない。何としても、生き延びねばならない。デクラスは顎をつまみ、思案していた。
しばらくすると、天幕の外から騒がしい声が聞こえてきた。声は次第に近づき、やがて入口の垂れ布が持ち上げられ、数人が入ってくる。デクラスが顔を上げると、その向こうには、不満げな顔の教廷国の志願兵がすでにひしめいていた。
先頭に立つファスビンダーの後ろには、銀白の鎧をまとった金髪の若者がいた。白いマントとサーコートには、女神教の印があしらわれている。ほかに、普通の鎧を着た男が三人。年齢はまちまちだった。
「閣下、教廷国の皆様をお連れしました」
ファスビンダーが言うと、デクラスは急いで立ち上がり、笑顔で迎えた。
「皆様! このたび帝国の前線総指揮官に任じられました、デクラスと申します。皆様に女神のご加護がありますように」
そう言いながら、胸の前で女神教の祈りのしぐさをする。険しい顔で乗り込んできた教廷国の一行も、その柔らかな口調と穏やかな物腰に、いくらか表情を緩めた。
「デクラス殿。私は教廷国の二級神衛、騎兵隊指揮官のリュッペルと申します。こちらの三人は教廷国志願兵の分隊長です。あなたにも女神のご加護がありますように」
金髪の指揮官も挨拶を返した。
「皆様、どうぞお掛けください。座ってお話ししましょう」
デクラスがにこやかに促すと、一行は顔を見合わせ、天幕の両側にある椅子に腰を下ろした。
デクラスも上座へ戻って腰を下ろす。四人が揃って自分を見ている。そこで、あらかじめ考えておいた台詞を口にした。
「皆様、実を申しますと、教廷国に援軍を求めるよう進言したのは、私なのです」
四人の顔にかすかな驚きが浮かんだ。誰も口を挟まず、続きを待っている。
「皆様には教廷国からはるばるお越しいただき、窮地にあった我が帝国軍を救い、北方の異教徒の侵略にともに立ち向かっていただきました。帝国を挙げて、皆様に感謝しております。ところが、前線の戦況が緊迫する中、前任の指揮官ヘルグがあのような不祥事を引き起こしてしまいました。皇帝陛下も臣下一同も、まことに残念に思っております。私の出立前に、帝国から教皇に事情を説明する書簡をお送りしました。ヘルグが皆様の配下を数名斬ったのは事実ですが、皆様も彼に重傷を負わせておられます。皇帝陛下も、ヘルグの傷が癒え次第、改めて処罰すると仰せです」
志願兵の隊長の一人が口を挟みかけたところで、デクラスは不意に立ち上がり、背筋をまっすぐに伸ばした。
「我が皇帝陛下を代表するなどとは申せませんが、私個人として、またヘルグに代わり、教廷国の皆様に謹んでお詫び申し上げます」
デクラスは天幕の外にも聞こえるよう、ことさらに声を張った。言い終えると、深々と頭を下げた。
教廷国の四人は、かえってどう応じればよいかわからなくなった。外の志願兵たちまで、ぴたりと静まる。
傍らに立つファスビンダーは、主人のこんな姿を見ながら、思わず考える。閣下は、政務の場ではいつもこんなに芝居がうまいのか?
デクラスは身を起こし、笑みを浮かべて四人を見た。四人は、言おうとしていたことをすっかりのみ込んでしまったかのように、しばらく返す言葉を探していた。
しばらくして、志願兵の隊長の一人がようやく口を開いた。
「閣下が我々に親切にしてくださるのですから、こちらも無礼な真似はできません。そもそも、悪いのは閣下ではありません。ですが、我々は皆、神聖な信仰のために身を捧げ、敵を討つためにここへ来たのです。それなのに、そちらはいつまでも出撃しようとせず、我々に城の守りを手伝わせるばかり。その結果、あの仲間たちは戦場で命を捧げることもかなわず、味方である帝国軍の刃にかかって死んだ。せめて、ご説明いただけませんか。我々も戻って、仲間たちに説明しなければなりません」
話し終えると、ほかの二人の隊長も何度もうなずき、同意を示した。
「まず、このデクラスがお約束します。亡くなった方々のご遺族には、帝国が必ず補償いたします。その方々のお名前を、私の書記官にお伝えいただけますか。帝国の史書にその名を残し、リンドヒルの街角でも語り継がれるようにいたします。戦についても、お約束しましょう。敵を討つ機会は、必ずあります。皇帝陛下が私をここへお遣わしになったのは、敵を滅ぼすためです。どうか、もうしばらくご辛抱ください。必勝の策を立ててみせます!」
デクラスの言葉に、三人の隊長の表情もようやく和らいだ。三人は顔を寄せて短くささやき合うと、立ち上がり、デクラスと騎兵隊指揮官のリュッペルに向かって祈りのしぐさをした。
「そこまでおっしゃってくださるのなら、我々も安心です。志願兵の仲間たちには、我々から話しておきます。それでは、これで失礼します。閣下に女神のご加護がありますように」
三人は身を翻して天幕を出ていった。外から、大勢が立ち去る足音が聞こえてくる。その音がすっかり消えてから、リュッペルはようやく立ち上がった。顔にはもう笑みが浮かんでいる。
「デクラス殿、帝国はなぜ、もっと早くあなたを遣わしてくれなかったのでしょうね」
「リュッペル殿、買いかぶりです。私は身分も低く、本来なら軍の指揮など任される立場にはありません」
「ご謙遜を。我らを船で運び、鉄籬堡から見えない場所に密かに上陸させる。その後、鉄翎軍に戦場の様子を見させ、我らを迎えに来させて、ともに異教徒の側面を突く。あの策をお考えになったのも、あなたでしょう?」
「お恥ずかしい。確かに、私です」
リュッペルの笑みが、いっそう深くなる。
「もともと、帝国軍と協力して戦うようにとの教皇のご命令です。デクラス殿にお会いして、私もようやく安心しました。我ら聖騎兵は、あなたのご命令に従いましょう」
リュッペルは敬意を込めて、軽くうなずいた。
デクラスは内心、嬉しくてたまらなかった。だが、顔には出さず、平静を保つ。
「ありがとうございます、リュッペル殿! 聖騎士の皆様にも、感謝いたします!」
「では、デクラス殿。すでに戦の策はおありですか?」
「リュッペル殿には、率直に申し上げましょう。私は今日、ここへ着いたばかりです。道中、いくつか作戦を考えはしましたが、どれにするかを決めるには、もう少し詳しい情報が要ります。数日のうちには決められると思います」
リュッペルはその率直な答えに、いたく満足したようだった。祈りのしぐさをして言った。
「では、ご妙策をお待ちするとしましょうか。私はこれで失礼します。女神のご加護がありますように」
デクラスもすぐに同じしぐさで応じた。
リュッペルは背を向け、天幕の入口まで歩いたところで足を止める。しばらく思案してから振り返り、言葉を添えた。
「デクラス殿。志願兵の仲間たちは、戦う力こそ限られていますが、死を恐れる者たちではありません。信仰のためなら命を捧げられる、愛すべき者たちなのです。ですから、彼らが死ぬのなら、どうか、ふさわしい戦場で死なせてやってください」
「このデクラス、リュッペル殿のお言葉を肝に銘じます」
リュッペルはそれ以上何も言わず、微笑んで天幕を出ていった。
その遠ざかる背を見送ってから、ファスビンダーがゆっくりと天幕の中央へ歩み出る。
「閣下、本当にもう作戦を考えてあるんですか?」
「ああ、いくつかは考えてある。それは本当だ。彼に嘘はついていないよ」
ファスビンダーはデクラスを見つめ、さらに尋ねた。
「では……閣下は本当に、タイラル伯爵がおっしゃったように、慈悲も良心も、その一部を売り渡すんですか?」
デクラスは頭をかき、何も答えなかった……。
夜になり、第二連隊の兵たちは鉄籬堡の城壁で見張りに立っていた。初夏とはいえ、帝国北部の夜はまだ少し肌寒い。
「聞いてきたぞ」
隣で見張りに立つサバルトに、エドヴォンスが得意げに小声で言った。
「今度は何を聞いてきたんだ?」
サバルトは振り向かない。遠くに目を凝らしたままだ。
「あの新しい総指揮官のことだよ。聞き込んできたんだ」
エドヴォンスは得意満面だ。
サバルトはようやく笑みを浮かべ、少し呆れたように振り返ってエドヴォンスを見た。
「いったい、どこでそんなに話を仕入れてくるんだ?」
「そんなことはいいだろ。聞きたいのか、聞きたくないのか、どっちだよ」
サバルトはもう一度、横目でエドヴォンスを見た。夜中の見張りがこんなに退屈でなければ、こんな噂話につき合う気にもならない。
「じゃあ、聞かせてくれ」
エドヴォンスは軽く咳払いをすると、サバルトのほうへ二歩寄った。
「あの指揮官、参謀院の次席なんだと。デなんとかスっていう男爵でさ。今回のアイカドとの戦いじゃ、作戦は全部そいつが考えたらしいぜ」
サバルトは笑った。昼間、ほかの兵たちがあれこれ言っていたのと、何が違うんだ。
「俺が知らない話をしろよ」
「まあ待てって。今から話すところだろ。去年のヤラの会戦の前にな、皇帝に、正面から戦うのは絶対に駄目だって進言したらしい。兵を惑わせたって皇帝が怒って、そいつを地下牢に放り込んだんだと。戦に勝ったら処刑するつもりだったらしい。ところが、何もかもそいつの言ったとおりになっちまって、皇帝もまた使うしかなくなったってわけだ」
「へえ。じゃあ、そいつはなかなかやるんだな」
ヤラの会戦にまつわることは、何ひとつ思い出すまいと、サバルトは努めていた。
「だろ? だから、ヘルグよりはましなんじゃないかと思うんだ。去年、グラテンへ出征する前に、皇帝がそいつの話を聞いてりゃなあ……」
エドヴォンスはため息をつき、それ以上は言わなかった。
サバルトには、その先に続く言葉がわかっていた。だが、もしもの話に意味などない。動かしようのない事実は、ただ一つ。いま、彼ら十五人は鉄籬堡の城壁に立ち、遠くのアイカド軍の大きな野営地と、ソーン川の南岸で松明の灯るストムセを見つめている。
天幕の中で、ファスビンダーはどこからか調達してきた温かい麦粥の椀を、デクラスの前の卓に置いた。
「閣下、粥を食べたら、早めに休んでくださいよ」
目の下の隈がますます目立つ主人を、ファスビンダーは見ていた。
「もう少し待つよ。今夜はここで寝るさ」
デクラスはまだ地図を読み込んでいる。
「閣下、それは駄目ですよ! 指揮官用の宿舎が用意されているでしょう?」
「そう心配するな、ファスビンダー。サディスたちがまだ戻っていないんだ。私を捜して、ここへ来るかもしれないだろ」
言い終えた途端、天幕の外で物音がした。入口の垂れ布を片手で持ち上げ、鉄翎軍の兵が一人、顔をのぞかせる。
「デクラス閣下? サディス閣下たちがお戻りです。来ていただきたいとのことです」
「ん? どこへ?」
デクラスは一瞬、戸惑った。
「牢です。閣下、こちらへ」
そう言って、兵は入口で待つ。
デクラスはすぐに外套を羽織り、出口へ向かいかけた。ファスビンダーもついて来ようとしている。
「ファスビンダー、お前は来なくていい。ここを片づけてくれ。それが済んだら、先に宿舎へ戻って待っていてくれ。あとで私も、そっちで寝るよ」
「えっ、閣下、ちょっと……」
ファスビンダーは慌ただしく去ってゆく主人の背を見送り、首を振ってから向き直り、天幕の中を片づけ始めた。
ストムセの牢は暗く湿り、腐ったものと黴の臭いがこもっていた。足を踏み入れた途端、嫌な記憶がデクラスの胸に押し寄せ、思わず身震いした。
広めの尋問室に、サディスと数人の鉄翎軍の兵が立っている。その前には、アイカドの大男が三人。上半身の衣服を剥ぎ取られ、両手を天井から垂れた鉄の鎖につながれたまま、血まみれの顔で吊られている。すでに一通り殴られたらしい。
デクラスは鼻をつまんで尋問室に入った。サディスは相変わらず、硬い表情でこちらを見ている。
「閣下、何をお聞きになりますか。こいつら、なかなか口を割りません」
デクラスは目の前の三人をじっくりと見た。濃い髭。長く編まれた髪。顔には顔料が塗られている。
「この三人、西大陸の言葉は話せるんだな?」
「話せます。先ほどまで悪態をついていました。ご心配なく」
デクラスはもう一度、三人をよく見た。サディスの言うとおり、簡単には口を割らないらしい。一人は歯を何本も折られていた。
「お前たちの軍を率いているのは、王族の誰だ?」
……。
「野営地には、井戸がいくつある?」
……。
どうにもならず、デクラスはサディスと鉄翎軍の兵たちを振り返った。
「お前たち鉄翎軍のやり方で、何とかならないのか?」
兵たちは首を横に振った。
「へえ。去年、私を殴ったときには、ずいぶんいろんな手を使ってくれたのにな……」
デクラスは小声でぼやいた。
聞こえたのだろう。サディスは少し気まずそうにうつむいたが、すぐに顔を上げた。
「閣下、手足を切り落とすことならできます。ですが、死なせてしまっては、何も聞き出せません」
「ははははは! ぺっ!」
アイカド人の一人が突然笑い出し、デクラスめがけて勢いよく唾を吐いた。デクラスはさっと身をかわす。
「腰抜けども、屑どもめ。俺たちアイカドの男が、手足を切られるのを怖がるとでも思ってるのか? ははははは!」
男は不明瞭な声で言い、血の泡を吐き散らす。北の獣のような獰猛な目で、デクラスをにらみ据えている。
「お前らの土地を奪い、女どもを犯してやる。お前らの首を杭に刺して、都へ続く道の両側に並べてやる! 烏についばませてやる! おおおっ!」
男の表情は、デクラスには理解しがたいものだった。その咆哮に、吊られた残りの二人も恐ろしい笑い声を上げ、続いて吠え出す。
デクラスの眼差しも鋭くなった。表情を変えず、三人の獣じみた吠え声がやむまで、ただ見つめていた。
「そうか、男の気概というわけか。いいだろう。サディス殿、こいつらのあれを切り落として、血を止めてから野営地へ送り返してくれ」
三人のアイカド人は、目を見開いて固まった。サディスも一瞬、呆気に取られた。デクラスの眼差しは鋭いまま、冗談を言っているようには見えない。やむなく、背後の兵たちに目配せする。
兵たちは何とも答えず、誰も前に出ない。デクラスは振り返り、背後の鉄翎軍を見据えた。
「ん? どうした。切るのが怖いのか?」
兵の一人が口ごもる。
「いえ……閣下……この剣では……」
「そうか。なら、小刀を探してこい。刃の鈍いやつをな」
「はっ、閣下!」
兵はきっぱりと答え、踵を返して小走りに出ていった。
デクラスは再び、三人のアイカド人を見る。
「話すか?」
「お前ら……南の腰抜けども……」
「そうか、そうか。なら、待っていろ」
ほどなく、兵がどこからか小刀を見つけて戻ってきた。デクラスが受け取って刃を見ると、何か所か欠けている。小刀を持ち上げ、欠けた刃を三人に見せつけてから、その兵に返した。
「話すか?」
「お、お前に……そんなことができるものか……」
「まず、隣のこいつのズボンを脱がせろ」
デクラスが命じると、鉄翎軍の兵が二人進み出て、口を割らない男の隣にいるアイカド人のズボンを手早く脱がせた。二人の俘虜は何度か目を見合わせる。ズボンを脱がされた男の目には、すでに怯えの色が浮かんでいた。
「大丈夫だ。こいつらにできるものか」
口を割らない男は、なおも仲間を安心させようとしていた。
「切れ!」
デクラスはとうとう、怒気を帯びた声で怒鳴った。鉄翎軍の兵が一人、鈍い小刀で、ズボンを脱がされた男の股間を切り始める。たちまち、凄まじい絶叫が牢全体を満たした。口を割らなかった男は、隣の仲間の惨状を見つめていた。次第に顔を歪め、複雑な表情を浮かべてゆく。
ほどなく、ぼろぼろになった肉の塊が床に落ちた。切られた男は気を失っていた。
「教廷国の者に言って、聖職者を一人呼んでこい。こいつの血を止めさせろ」
デクラスが命じる。
「はっ!」
別の兵が牢を駆け出していった。
デクラスは進み出て、口を割らずにいる男に顔を寄せた。硬い表情のまま、歯の間から言葉を絞り出す。
「話すか?」
男の顎の筋肉が盛り上がっている。歯の欠けたところから血の泡がぶくぶくとあふれ、髭へ流れ落ちる。目は大きく見開いたまま、ひと言も発しない。
「切れ!」
二人の兵が男のズボンを脱がせ、鈍い刃がその股間に押し当てられた。
「話す! 話す! 話すから!」
デクラスは口の端をわずかに上げ、二歩下がった。
「よし。話すならそれでいい。野営地には、井戸が全部でいくつある?」
「三十」
「切れ!」
「三つ! 井戸は三つだ!」
「軍を率いている王族は誰だ?」
「それは……王太子殿下だ」
「軍糧は、あとどれくらいもつ?」
「三か月ほど」
「切れ!」
「本当に三か月だ! 本当に三か月なんだ! 嘘じゃない!」
「兵はあと何人いる?」
「二万もいない……」
男はとうとう、がっくりとうなだれた。獣が、従順な家畜に戻ったかのようだった。
欲しかった情報はすべて手に入った。デクラスはサディスを振り返る。
「サディス殿、聞きたいことはもうない。この三人の処置は任せる。私は先に休む」
「はっ、閣下。我々で処置いたします」
アイカドの言葉が交じる罵声と呪いの言葉が、背後から聞こえてくる。デクラスは振り返らず、落ち着いた足取りで一人、牢を出た。
宿舎へ向かって数十歩進み、振り返って背後を確かめる。誰もついてきていない。とたん、壁に手をつき、体を預けた。両脚が震える。口と鼻から、帝国北部の涼しい夜風を荒く吸い込んでいた。
その夜、ファスビンダーもよく眠れなかった。主人は一晩じゅう、悪夢を見ていたようだった……。




