北方戦争編 第十一話 消耗
二十六人が、いまは二十一人。
帝国の十二月も下旬に入り、厳冬が北の大地に猛威を振るっていた。
サバルトとエドヴォンスたちは、鉄籬堡の主楼の大広間で、焚き火のそばに身を縮めていた。誰もが目を血走らせ、まともに眠れなくなって何日になるのか、もう覚えていない。鎧には血が硬いかさぶたとなってこびりつき、悪臭を放っている。パンをつかむ手さえ、かすかに震える。
「食ったら、少しでも寝とこうぜ。夜になりゃ、また攻めてくるぞ」
一人の兵が疲れきった声で言った。誰も答えず、口の中の乾いたパンや糧食を、ただ機械的に噛みつづけている。
食べ終えて横になり、目を閉じてまだ間もない。大広間に、指揮官の声が響いた。
「第二連隊は今夜、川辺へ補給物資を取りに行け!」
命令を告げると、指揮官は踵を返して出ていった。サバルトはどうにか目を開け、大扉のほうをちらりと見た。また瞼を閉じ、浅い眠りに戻ってゆく。
夜に入ると、サバルトたち二十一人は、第二連隊の別の三十人と組まされた。重い鎧を脱ぎ、暗い色の獣皮を羽織る。サバルトたちは二、三人ずつで木の荷車を一台押し、もう一組は剣だけを手に護衛についた。鉄籬堡の東門の内側に集まり、城壁の上の弩兵と指揮官から合図が出るのを待った。
城壁の上で外を見張りつづけていた指揮官が、門番に素早く手で合図を送る。東門が、荷車一台の通れる幅だけ開いた。前の兵から順に、そっと外へ出てゆく。サバルトとエドヴォンスも、自分たちの番が来ると荷車を押して小走りに門を抜けた。外は闇だった。もう一組の兵に守られ、城壁の上の松明のわずかな明かりを頼りに、壁際を伝って堡の南側へ急ぐ。
鉄籬堡の南の城壁からソーン川までは、わずか数十歩しかない。こちらの城壁には門がなく、川に最も近いところに、人の背丈にも満たないアーチ形の暗渠が一つ口を開けていた。その底には、堡内で使った水を流すための細い排水溝が通り、城壁の内と外、それぞれに重い鉄格子の門が設けられている。
南側へ荷車を押してきたサバルトたちの目に、鉄格子の門に結ばれた太い綱が映った。綱はソーン川をまっすぐに横切り、対岸の太い木につながれている。川の上に渡したその綱には、大きな漁網が何枚も広げて掛けてあった。何日か前に来た部隊が仕掛けたのだろう。
五十人あまりが、幅数十歩の川岸で、深い雪を踏んで黙って立っていた。皆、両手で腕や体を絶えずこすっている。真冬の夜に、獣皮を一枚羽織っただけでは、ろくに暖まらない。
数十分が過ぎたころ、サバルトは上流に何かが漂っているのを見つけた。波に揺られながら、こちらへ流れてくる。近づいてようやく、箱や木の樽を綱で縛りつけた筏だとわかった。補給物資を積んだ筏が次々と流れ着き、張られた漁網にぶつかって、川の中ほどで止まる。
列の後ろから数人の兵が駆け出した。手には、先に鉄の鉤をつけた長い木の竿。その鉤を筏に引っ掛け、一つずつ岸へ引き寄せる。さらに数人が走り寄り、筏を岸へ引き上げた。兵たちが一斉に群がり、荷車に物資を移しはじめる。
積み終えた者から荷車を押し、剣を持つ兵に守られながら、壁際を東門へと駆けてゆく。まだ積み終わらない荷車は、あと三、四台。
「急げ! 早くしろ!」
エドヴォンスが荷を運ぶ兵をせき立てた。
物資が荷台にしっかり収まるや、サバルトとエドヴォンスは、一人が車を押し、もう一人が横で支え、剣を持つ兵とともに東門へ駆け出した。
南の城壁の角を回り、東側へ二歩走ったところで、北門と西門のほうから鬨の声が上がった。東の城壁の上で兵たちが身を乗り出し、必死に手を振っている。南へ戻れ、と。
「戻れ! 早く向きを変えろ!」
サバルトは荷車の取っ手を押して必死に向きを変え、エドヴォンスも荷台の縁をつかんで引く。護衛の兵は二人をかばうように前へ走り出て、東の城壁の北端をしきりにうかがっていた。後ろにいた二台の荷車も向きを変え、南の城壁の下へ引き返す。
南側へ曲がったところで、サバルトはちらりと振り返った。すでに数人のアイカド兵が、北側から東側へ回り込んできている。東の城壁の下で、叫び声がますます大きくなる。荷車三台、合わせて九人。暗渠のそばに荷車を寄せ集め、その陰の雪の中にしゃがみ込んだ。
「どうすりゃいいんだよ」
剣を持つ兵が、少しうろたえた声を出した。アイカド兵が南側まで攻めてきはしないかと、ときおり腰を浮かせて外をうかがう。
「どうするも何も、耐えるしかねえだろ。こっちへ来ねえように祈っとけ」
エドヴォンスが歯を食いしばって言った。
「祈ってどうにかなるのかよ。来ちまったらどうする?」
その兵はまた、東のほうを何度か見た。
「一か月以上、南の城壁には攻めてきてねえだろ。ここは狭すぎて、あいつらも動きが取れねえんだよ」
エドヴォンスの言葉に少し落ち着いたのか、その兵は荷車にもたれてしゃがみ込んだ。
サバルトは身を低くしたまま暗渠のそばへ近づき、鉄格子の門を引こうとした。触れたとたん、手が冷えきった鉄の棒に貼りついた。力任せに手を引くと、皮が剥けた。痛みに顔が歪む。
「サバ、その門はもういじるな。本当に壊しちまって、あとで敵に知られたら、俺たちみんなおしまいだぞ」
エドヴォンスは手を伸ばしてサバルトの獣皮をつかみ、引き戻した。
九人は、荷車のそばにしゃがみつづけていた。祈りの仕草をする者もいれば、全身を震わせはじめる者もいる。寒さのせいか、恐ろしさのせいか。
サバルトは夜空を仰いだ。よりによって今夜は、よく晴れている。空いっぱいに星がまたたき、あの銀の絹の帯が、空にかかっている。ときおり流れ星が一つ、二つ、すっと走っては消えてゆく。
この、天を揺るがすような鬨の声さえなければ。案外、悪くない冬の夜なのかもしれない。サバルトは、そんなことを思っていた。
星々がまた少し位置を移すころ、鬨の声は次第に小さくなり、やがて静まった。九人はゆっくりと立ち上がり、あたりをうかがう。脚はすっかり冷えきって、感覚もなく、こわばっていた。
「誰か、見に行くか?」
誰かが言った。
「みんなで行こう」
別の声が答えた。
九人は足を踏み鳴らし、なかには跳びはねる者もいた。こわばった脚に血を通わせる。それから一団となって、南と東の城壁が接する角まで、ゆっくり、慎重に近づいていった。顔を出し、外をうかがう。アイカド兵は引き揚げていた。また、いくつかの死体を残して。
九人は暗渠のそばへ戻り、荷車を押して、もう一度東門へ向かった。
東門の外には、百を超えるアイカド兵の死体が横たわっていた。その中に、帝国兵の服を着た死体もいくつか見える。城壁から落ちたのだ。死体は壁際に固まっていたため、荷車を押す九人は、やむなく少し壁から離れ、黙って歩いてゆく。
数体のアイカド兵のそばを通り過ぎたとき、不意に、誰かの手がサバルトの足首をつかんだ。まだ息のある男だった。豊かな髭は血にまみれ、体には矢が何本も刺さっている。うつろな目は星空へ向けられ、口からは聞き取れないアイカドの言葉がもれていた。護衛の兵が近づき、その胸に剣を突き立てた。男の頭が横に傾き、最後の息が、ため息のようにこぼれた。足首をつかむ手も、力を失う。
東門がわずかに開き、九人はようやく堡の中へ戻った。先に戻っていた兵たちが、無事な姿を見つけて喜び勇んで駆け寄り、背中や肩を叩いた。それでも、九人は少しも笑えなかった。ただ足早に焚き火へ向かい、濡れきった革靴と脚を、炎の熱にじっくりとさらす。
第二連隊の指揮官も歩み寄り、うなずいた。
「よくやった。今夜は第三、第四連隊が夜の守りにつく。お前たちはゆっくり休め」
そのまま立ち去ろうとする指揮官を、サバルトが呼び止めた。
「隊長殿」
サバルトは両腕をこすりつづけている。皮の剥けた手のひらが、まだ鈍く痛む。
「隊長殿、鍵があるなら、この次に物資を運ぶときは、南の城壁の暗渠の鉄格子の門を開けてもらえませんか」
「人ならどうにか通れるが、水路が狭すぎて、筏や物資は入れられん」
そこまで言って、指揮官は少し考えたようだった。それから、つけ加えた。
「また南側で取り残されることがあれば、何とか門を開けて、お前たちを助けよう」
「ありがとうございます」
サバルトは振り返りもせず、小さな声で言った。指揮官は九人にもう一度目をやり、立ち去った。
数日後、帝国から鉄籬堡への補給に気づいたのか、アイカド軍の日々の攻勢がようやくいくらか弱まった。数日間、兵が攻めてくることはなく、飛んでくるのは一日に数本の攻城弩の矢だけ。何も射かけず、深夜に獣皮や黒布をかぶった兵が鉄籬堡の近くまで忍び寄り、ひとしきり声を張り上げて引き揚げるだけの日もある。城壁ではなお、ときおり弓矢に当たって死傷する兵が出たが、その数は大きく減っていた。それでも、昼も夜も敵に悩まされ、サバルトたちは相変わらずろくに眠れない。
そうしてようやく、両拠点の守備隊が初めて交代する日を迎えた。
「第一、第二連隊から先に出ろ! 第三、第四連隊は夜になってから交代だ!」
第一団の団長は西門の前に立ち、すでに鉄籬堡の中庭に整列していた兵たちに命じた。第三、第四連隊の将兵は、不平をこぼしながら城壁の守りへ戻ってゆく。
「覚えておけ! 門を出たら全力でストムセへ走れ! 石橋さえ渡れば安全だ!」
第二連隊の指揮官が、サバルトたちに声を張り上げている。
サバルトは重い瞼を上げ、あたりを見回す。どの兵も同じ目をしている。皆、鎧に身を固め、兜を手に持つか、脇に抱えていた。視線をひと巡りさせ、隣のエドヴォンスに目をとめる。
「サバ、もうすぐ藁の上で寝られるぞ」
エドヴォンスも、疲れきった顔で言葉を絞り出した。サバルトはうなずく。
城壁の哨兵はずっとストムセの方を見張っていたが、不意に何かを見つけたらしく、門へ振り向いて叫んだ。
「門を開けろ! 交代だ!」
鉄籬堡の西門がゆっくりと開いてゆく。今度は、わずかに隙間を開けるだけではない。第一、第二連隊の指揮官が門の両側に立ち、手を振って兵たちを急き立てる。
先頭は、重傷兵を寝かせた大きな木の荷車。一台を数人の兵が押し、真っ先に門を駆け出してゆく。その後に、第一連隊の兵も走り出す。
「早くしろ!」
列の後ろにいる兵からも、焦れた声が飛ぶ。
ようやく第二連隊の番が来た。サバルトとエドヴォンスは前の兵に続いて門からあふれ出し、西のストムセ近くにある石橋へ向かってひた走る。鉄籬堡からストムセまでは十里近く。厳しい訓練をくぐり抜けた帝国の重歩兵にとって、本来ならさほど苦にならない距離だ。だが、二か月近く毎日戦い、眠ることもままならなかった身には、鎧がひどく重い。一歩ごとに、荒い息が漏れる。
「エド、エド、もっと速く」
サバルトは走りながら振り返り、声をかける。エドヴォンスの足取りはますます重く、返事すらできそうにない。サバルトは速度を落とし、追いついてきたエドヴォンスにさっと肩を貸した。二人はどうにか走りつづける。
鉄籬堡とストムセの中間に近づいたころ、向こうから大勢の重歩兵が走ってくるのが見えた。ストムセに駐屯していた第二団だ。足取りはサバルトたちより明らかに軽く、速い。すれ違いざまに見る鎧には、まだ光沢があり、血の跡もへこみもさほど目立たない。その第二団の兵たちが、驚きとわずかな怯えを浮かべた目で、サバルトたちを見ている。
さらにしばらく走ると、背後からまた急かす声がした。
「急げ! もっと速く! 敵が出てきたぞ!」
最後尾を走る第二連隊の指揮官が、声を限りに叫んでいる。
サバルトは西北へ目を向けた。数里先、アイカド軍の大きな野営地の前に、黒い点がいくつも現れている。兵が陣を出て、集まりつつあるのだ。間もなく黒い点は一団となり、石橋へ向かってまっすぐ動きはじめる。
「エド、エド! もっと速く! 夜には藁の上で寝られるぞ。酒も買ってきてやるから!」
サバルトはエドヴォンスの耳元で励ましつづける。もう返事はない。ただ、はあ、はあ、と喘ぐばかり。それでも、エドヴォンスの足取りがいくらか力強くなったのは、はっきりわかる。
石橋まで、もう百歩もない。北から駆けてくるアイカド兵は、服の色がわかり、一人ひとり数えられるほどに近い。
橋を渡るか、死ぬか。
誰もが限界のはずの体から、なおも力を絞り出す。ついに、追手より先に石橋の石畳を踏む。サバルトはエドヴォンスを支えて走りながら、何度も振り返る。アイカド兵の先頭が、隊列の末尾に迫ってくる。
追手が走りながら投槍を放ちはじめる。サバルトの背後で、石橋にかん、かんと音が響く。最後尾の兵の一人が投槍を受け、倒れる。幸い、分厚い鎧は貫かれていない。兵は四つ這いで前へ進み、どうにか立ち上がると、また逃げはじめる。
石橋を渡りきる。ストムセまで、もう一里もない。それでも追手は止まらず、もう橋の中央まで来ている。遠く、ストムセの城壁では、一列に並んだ弓兵が揃って弓を引き絞っている。アイカド兵が南岸へ足を踏み入れたそのとき、城壁から一斉に矢が放たれる。羽ばたく鳥の群れのように石橋へ飛び、兵たちの背後に降り注ぐ。悲鳴がいくつか上がる。サバルトはもう振り返らない。門はすぐ目の前だ。
城内に入った。
皆、その場に崩れ落ち、胸を激しく上下させ、力尽きたように喘いでいた。門の内側には、大勢の町の者が集まっている。門が閉まると、人々の間から歓声が上がった。兵に水を差し出す者もいれば、ゆっくりと抱き起こす者もいる。
「くそ……第二団の連中……こんな暮らしをしてたのかよ……?」
エドヴォンスは地面にうつ伏せになったまま、ぶつぶつと言う。起こそうと近づいた者の手も振り払った。座っていたサバルトも、やがて両腕を広げ、雪の積もった地面へ仰向けに倒れ込む。顔には笑みが浮かんでいた。
夜半過ぎ、柔らかな藁の山から起き出した兵たちは、大きな兵舎を出て、交代の見張りにつくためストムセの城壁へ上がった。サバルトは鎧の上にまとった獣皮の外套を掻き合わせ、隣の持ち場にいるエドヴォンスと目を合わせる。さっきは、ぐっすり眠れた。
川へ顔を向けると、東の鉄籬堡の方から、またかすかな鬨の声が聞こえてきた。




