第7話「最初の異変」
ガクッ――。
教師の身体が床へ崩れ落ちる。一瞬、教室全体の時間が止まったようだった。
「……先生?」
誰かが恐る恐る呼びかける。返事はない。教師は微動だにしなかった。教卓の近くにいた生徒が慌てて駆け寄る。
「せ、先生!?」
肩を揺する。しかし、やはり反応はない。室中がざわつき始めた。
「え、なに?」
「大丈夫なの?」
「保健室呼んだ方がよくない?」
不安げな声が飛び交う。レッドも席を立ち上がった。嫌な予感が胸を締め付ける。ただ倒れただけ。そう考えることもできた。
――だが。昨日から続く違和感が、そうではないと警告していた。
「先生!」
その時。後方の席から悲鳴が上がる。
「きゃあっ!?」
全員の視線がそちらへ向いた。1人の女子生徒が机に突っ伏している。それは眠っているようにも見えた。
「おい、大丈夫か?」
近くの生徒が肩を揺する。しかし、反応はない。確かに、眠っているように見える。だが普通ではない。まるで意識そのものが失われているようだった。
「な、なんだよこれ……」
教室の空気が変わる。ざわめきは動揺へ。動揺は恐怖へ。そして――異変は加速した。
ドサッ。ドサッ。
別の生徒が倒れればまた1人。さらにまた1人へと、共鳴したように生徒は倒れていく。
「え……?」
「なにこれ……」
「ちょ、ちょっと待って!」
悲鳴が響く。教室中で次々と生徒が倒れていく。まるで糸が切れた操り人形のように。何の前触れもなく、何の抵抗もなく、次々に。そう、次々にだった。
「おい!! しっかりしろ!!」
不穏な空気の中、レッドが叫ぶ。そして倒れた近くの男子生徒を支える。しかしその生徒は目を閉じたまま動かない。肩を揺する。返事はない。呼吸はしている。脈もある。だが起きない。
まるで深い眠りに落ちてしまったようだった。教室は混乱の渦に飲み込まれる。すると、数10秒後に静寂が訪れた。あまりにも突然に。あまりにも異様に。
理由はあたりを見ればすぐにわかった。――倒れていない者がいなくなったからだ。
教師も。生徒も。全員。床や机に倒れている。ただ、その教室に立っているのは――。
レッドと、レイラの2だけだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「レッド……」
レイラの声が震えていた。レッドはすぐ近くの生徒を確認する。息はある。脈もある。顔色も悪くない。だが、どれだけ呼びかけても目を覚まさない。
「大丈夫……なの?」
「……わからない」
苦しそうな様子はない。むしろ眠っているようにしか見えない。だから余計に不気味だった。
「先生は⋯⋯っ!」
そのまま1番最初に倒れた教師の元へ駆け寄る。そして、呼吸を確認する。大丈夫、問題ない。容体は落ち着いていた。だが、やはり起きない。
「くそっ……」
レッドは歯を食いしばった。こんな状況は初めてだ。何をすればいいのか分からない。何が起きているのかも分からない。ただ、1つだけ分かることがある。
――これは普通じゃない。絶対に。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「⋯⋯なら他のクラスだ! 確認しよう!」
「う、うん!」
レッドは立ち上がり、2人は教室を飛び出した。廊下を走っていくが、違和感はすぐに見つかった。静かすぎる。昼間の学校とは思えないほど。なによりも、授業をしているはずの生徒たちの声がない。
足音もない。笑い声もない。まるで世界から音だけが消えたようだった。
「おい!」
咄嗟に隣の教室へ飛び込む。そして、レッドは息を呑んだ。全員倒れている。教師も。生徒も。誰一人起きていない。
「そんな……」
異様な光景を前に、レイラの顔が青ざめる。なら次だ、とさらに別の教室へ向かう。結果は同じだった。また別の教室でも、さらに別の教室でも――どこも同じ。誰も起きていない。
それは音が消えたと同時に、学校全体が眠らされているような感覚だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
そして最後に、2人は職員室へと飛び込んだ。
「誰か! いませんか!」
レッドが叫ぶも、返事はない。職員室も同じだった。机に伏している教師。椅子からずり落ちている教師。電話を取ろうとした姿勢のまま止まっている教師。全員が眠っている。実に気味の悪い光景だった。
「なんで……」
レッドは拳を握る。どうすればいい。誰か助けを呼ばないと。だが誰を? どうやって? 何度考えても、状況が理解できない。頭が追いつかない。ただ、焦りだけが膨らんでいく。
「くそっ……!」
壁を軽く殴る。無力感が胸を締め付けた。誰も死なせたくない。誰も傷つけたくない。なのに何もできない。そんな自分が歯痒かった。
ただ、1つ収穫があるとすれば――なぜ、自分とレイラだけが無事なのだろうか。
「レ、レッド……」
その時だった。レイラの声が聞こえる。震えていた。今まで聞いたことがないほど、いつもの彼女からは想像もつかないほどに。
「どうしたの?」
「……あれ」
レイラは窓の外を指差していた。その方向にレッドは振り返る。そして、言葉を失った。
「……は?」
外は昼だった。ほんの数分前まで青空だった。だが今は違う。黒い。あまりにも黒い。空が見えない。太陽も見えない。雲でもない。夜でもない。
まるで巨大な闇そのものが学校を覆っているようだった。窓の外は薄暗い。いや、薄暗いどころではなかった。夜よりも暗く見えた。世界から光が奪われている、とレッドは本能的にそう感じた。
「なんだ……これ……」
レッド自身の喉も震える。理解できない。こんな現象はあり得ない。自然現象じゃない。絶対に違う。だが、この環境下で少しずつ答えが形になってきたように感じた。
昨日から続いていた違和感。神獣たちの言葉。そして、今の状況。全てが1本の線で繋がる。信じたくない。だが、もう否定できなかった。
これは事故じゃない。偶然でもない。だとすれば――誰かが起こした“何か”だ。そして、自分たちはその中心にいる。レッドは闇に覆われた空を見上げる。心臓が激しく鼓動していた。恐怖。不安。焦り。様々な感情が渦巻く。だがその中で、1つだけはっきりしていることがあった。
これは――
自分たちにとっての最初の――
〝異変〟
静まり返った校舎。眠り続ける人々。学校を覆う闇。いつもの平和な日常は終わってしまった。だが、2人にとってここから先に待つのは、まだ誰も知らない戦いだった。




