第8話「神獣たちの導き」
窓の外に広がっていたのは、見慣れた学校の景色ではなかった。校庭。フェンスの向こうに見える住宅街。遠くに見える山々。どれも確かに存在している。見覚えのある風景だった。毎日目にしてきた景色だ。
だが、その全てが何かおかしかった。世界から色が失われている。
そんな錯覚を覚えるほど、不気味な闇が空間を支配していた。昼間のはずだった。時計の針は午後を示している。
ほんの10分ほど前まで、教室の窓からは青空が見えていた。雲が流れ、太陽が輝き、生徒たちの笑い声が校庭から聞こえていた。
それなのに、今は違う。空は黒い。夜とも違う。夕暮れとも違う。星も月も存在しない。
レッドは窓の前に立ち尽くしていた。心臓の鼓動がうるさい。耳の奥でドクドクと鳴り続けている。そして、背中を嫌な汗が流れる。だが、それでも目を逸らすことができなかった。
「……なんだよ、これ……」
自分でも気づかないうちに呟いていた。隣ではレイラも窓の外を見つめている。いつも明るく笑っている彼女の顔からは血の気が失われていた。
職員室は静まり返っている。机に伏した教師。椅子にもたれたまま眠る教師。床に崩れ落ちている教師。
誰も動かない。誰も喋らない。呼吸だけはしている。生きている。それなのに、人の気配が感じられない。時間そのものが止まってしまっているかのようだった。
その光景は、異様だった。あまりにも異様だった。レッドは拳を握り締める。昨日までは普通だった。
いつも通り学校へ来て、いつも通り授業を受けて、いつも通りレイラと話して。そんな日常が続いていくはずだった。
それなのに、たった1日でその日常は姿を変えてしまった。
脳裏に昨日の出来事が蘇る。神獣たちとの出会い。エレメント。エレメンター。そして――異変。
あの時は現実味がなかった。突然現れた神獣に世界の危機を語られても、簡単に受け入れられるわけがない。どこか夢を見ているような気分だった。しかし、今は違う。
目の前に現実がある。否定のしようもない異常が存在している。レッドは唇を噛み締めた。
「俺たちにとって……」
声が震える。それでも、彼は言葉を続ける。
「最初の……“異変”なのか……?」
その言葉は誰かに向けたものではなかった。自分自身へ向けた確認だった。
認めたくない。認めてしまえば、もう後戻りはできない。それでも、目の前の現実は逃げ道を与えてくれなかった。
「……え?」
レイラがゆっくり振り向く。まだ状況を整理しきれていないようだった。
「異変? 何のこと……?」
レッドは小さく息を吐く。
「昨日の話だよ」
「昨日……?」
「神獣たちが言ってただろ」
数秒の沈黙。そして。
「あっ……!」
レイラの瞳が大きく開かれた。ようやく思い出したらしい。
「狐さんみたいな神獣!」
「そう」
「エレメンターとか……?」
「それだ」
レッドは再び窓の外を見るただただ深く、底の見えない闇だけが広がっている。
まるで空そのものが塗り潰されたかのようだった。いや、それ以上だ。その闇は空にあるだけではない。校庭にも。フェンスにも。校舎の壁にも。
世界そのものへ染み込むように広がっている。光が吸われている。そう表現するのが最も近かった
そして黒い空。眠る人々。静まり返った学校。その全てが1つの答えへ繋がっていた。
「エレメンターになったら異変を解決する、って神獣は言ってたな」
「うん……」
「なら今起きてるこれが――」
一度言葉を切る。認めたくない。だが、認めるしかない。
「きっと異変なんだ」
レイラの肩が小さく震えた。不安なのだろう。
それはレッドも同じだった。怖くないわけがない。むしろ怖い。何が起きているのか分からない。何と戦うのかも分からない。自分たちに何ができるのかも分からない。それでも、ここで立ち止まることはできなかった。
なぜなら、この学校には大勢の人がいるからだ。友達がいる。教師たちがいる。助けを待っている人たちがいる。もし自分たちしか動けないのだとしたら――。
そんなことを考えた時だった。
「……早速、異変の始まりか」
低く落ち着いた声が響く。その次の瞬間、この場の空気が揺らいだ。
赤い光が現れる。まるで炎が踊るように。しかし熱はない。神々しい輝きだけが空間を照らしていた。
「嫌な予感はしていたけれど……思ったより早かったわね」
今度は蒼い光が現れる。水面のように揺らめく幻想的な光。2つの光は徐々に形を成し――。炎を纏う化身。水を纏う化身。
神獣フレイとミズリーが姿を現した。その瞬間だった。
張り詰めていた空気が少しだけ変わる。不思議な安心感が胸に広がった。圧倒的な存在感。だが恐怖はない。頼もしさの方が強かった。
「し、神獣……!」
思わずレッドが声を上げる。するとフレイは呆れたように鼻を鳴らした。
「だから神獣ではなくフレイで構わんと言っただろう」
「いや……まだ慣れなくてさ」
「なるほど」
フレイは小さく頷いた。
「まぁ無理もない」
昨日出会ったばかりなのだから。そう言いたげだった。だが次の瞬間。
フレイの表情が鋭くなる。窓の外へ視線を向けたのだ。その瞳には昨日の穏やかさはない。神獣としての威厳が宿っていた。
「結論から言おう。これは異変だ」
低い声が響く。断言だった。迷いは一切ない。レイラが不安そうに尋ねる。
「本当に……?」
「間違いない」
即答だった。その言葉には絶対的な確信があった。きっと、長い年月を生きてきた神獣だからこそ分かるのだろう。
「君たちにとって最初の、いわば任務になる」
任務。その言葉が重く響く。レッドは無意識に息を呑んだ。昨日までは他人事だった。世界を守る。異変を解決する。
そんな話は物語の中だけのものだと思っていた。
しかし今は違う。目の前で大勢の人が倒れている。その現実が、責任という言葉の重みを突き付けてきた。逃げることはできない。逃げてはいけない。
――そんな気がした。そして、フレイは周囲を見渡す。
「まず、状況を確認しよう。他の生徒や教員は?」
「ああ、みんな息はしてる」
「でも、全然起きないの⋯⋯」
レッドが答えた。それにレイラも続ける。それを聞いたミズリーが静かに頷いた。
「やっぱりそうね」
「何かわかるのか?」
レッドが尋ねる。するとミズリーは答えた。
「実はさっき学校全体を見て回ったの」
「学校全体を?」
「ええ。どの教室も同じだったのよ。全員眠っている」
ミズリーは窓の外へ視線を向ける。その言葉にレイラが息を呑む。
やはり学校全体だったのだ。教室だけではない。職員室だけでもない。異変は学校そのものを飲み込んでいる。
「眠っている……?」
レイラが不安そうに尋ねる。するとフレイが説明した。
「正確には意識を封じられている状態だな」
「意識を……?」
「まぁ、強制的に眠らされていると思ってくれ」
レッドは倒れている教師を見る。苦しそうな様子はない。傷もない。ただ眠っているだけだ。だからこそ感じられる不気味さもあった。
「助かるん⋯⋯だよな?」
思わず口から出た言葉。そしてフレイは静かに頷いた。
「ああ、元凶を倒せばな」
その一言が。これから進むべき道を示していた。異変には原因がある。
そしてその原因を取り除けば終わる。ならばやることは1つだ。レッドは拳を握る。
「じゃあ……俺たちがやるべきことは」
フレイは真っ直ぐ見つめ返した。その瞳に、迷いはない。
「分かっているだろう。エレメンターとしての責務を果たすんだ」
静かな声だった。だがその言葉は重く、強く、レッドたちの胸に刻まれた。
そしてフレイは再び窓の外へ目を向ける。しばらく何かを見つめた後。低く呟いた。
「なるほど……」
すると、神獣の表情が険しくなる。
「どうしたの?」
その様子にレイラが尋ねる。フレイは険しい表情のまま答えた。
「この学校は閉ざされているみたいだ」
「閉ざされてる?」
「元凶の力によってな。何やら学校全体を覆う巨大な結界が張られているみたいだ」
フレイは静かにそう告げた。その言葉に、レッドとレイラは息を呑んだ。
この不可解な出来事は、思っていた以上に深刻だというのがすぐにわかった。
「どうやら、想像以上に厄介な相手らしい」
フレイの瞳が細められる。その一言によって、2人はようやく確信した。
これは偶然でも事故でもない。誰かの意志によって引き起こされた異変なのだと。




