第9話「閉ざされた学校」
学校全体を覆う巨大な結界。フレイの口から告げられたその事実は、レッドたちが想像していた以上に深刻なものだった。職員室の窓から見える景色は、もはや見慣れた学校の風景とは呼べない。
景色そのものは変わっていないはずだった。見慣れた校庭。毎日通る校門。遠くに見える住宅街の屋根。どれも昨日までと同じ場所にある。
それなのに、まるで別の世界へ迷い込んでしまったような違和感があった。
色が薄い。いや、正確には光が足りないのだ。
世界全体から温もりだけが抜き取られてしまったような感覚。空を見上げれば、そこには不自然な暗色が広がっている。厚い雲が覆っているわけではない。嵐が近づいているわけでもない。
ただ、空そのものが黒く塗り潰されていた。どこまでも続く暗黒。境界も奥行きも分からない。
見つめているだけで吸い込まれそうになる異様な空だった。
夜とも違う。夜には静かな美しさがある。だが、この闇にはそれがなかった。見ているだけで胸の奥がざわつく。理由の分からない不安が湧き上がり、本能そのものが警鐘を鳴らしている。
近づくな。触れるな。あれは正常なものではない――と。
レッドは無意識に窓から一歩離れる。その横ではレイラも不安そうに空を見上げていた。
「なんか……嫌だね……」
ぽつりと漏れた声は小さい。いつもの彼女なら、こんな空気を吹き飛ばすように笑っているだろう。
だが今は違う。顔から笑顔が消えていた。そうなるのは当然だ。教師たちは眠っている。生徒たちも眠っている。学校中の人間が目を覚まさない。
そして世界は闇に閉ざされている。恐怖を感じない方がおかしい。
レッドも同じだった。胸の鼓動は早い。手のひらには汗が滲んでいる。足元が不安定に感じる。
――怖い。
正直に言えば、今すぐ家へ帰りたかった。何も見なかったことにしたかった。
だが、それはできない。もし自分たちまで逃げたら、この学校の人たちは誰が助けるのだろう。その考えが、レッドを辛うじて支えていた。
「つまり、この学校ごと閉じ込められてるってことか……」
レッドがそう呟くと、フレイは静かに頷いた。
「あぁ。外界との接続は断たれている」
短い返答。しかしその一言は重い。
レッドは小さく息を呑む。完全な孤立。その言葉の意味は決して軽くない。
「じゃあ……助けは呼べないの?」
するとレイラが恐る恐る尋ねた。ミズリーは少しだけ目を伏せる。
「少なくとも、普通の方法では無理ね」
その答えにレイラの肩が落ちる。この場の空気がさらに重くなった。
誰もが理解していた。今、自分たちは外の世界から切り離されている。まるで巨大な檻の中へ閉じ込められたように。
しかし――。
「慌てる必要はない」
静かに言ったのはフレイだった。炎のような瞳が真っ直ぐ前を見据えている。
「結界には必ず核が存在する」
「核?」
レッドが聞き返す。
「結界を維持する中心だ」
フレイは窓の外を見ながら続けた。
「どれほど強固な結界でも、それを支える要が必要になるはずだ」
「じゃあ、それを壊せば?」
「結界は崩壊するだろう」
その言葉を聞いて、レッドは少しだけ安堵した。
終わらせる方法はある。絶対に破れない壁ではない。それだけでも十分だった。
「もっとも――」
すると、フレイの声が低くなる。
「結界を張った本人が大人しく待っていてくれるとは思わんがな」
その言葉によって、再び空気が引き締まった。当然だ。異変には原因がある。
そして原因を作った存在がいる。その相手が何もしないはずがない。
「元凶ってやつか……」
レッドが呟く。フレイは頷いた。
「そうだな。恐らくは組織の人間だろう」
組織。その言葉を聞いた瞬間、レッドは昨日の会話を思い出した。
神獣たちが語っていた存在。異変の裏で暗躍する謎の組織。世界各地で問題を引き起こしている危険な集団。
「⋯⋯前に言ってたやつか」
「あぁ。この世に起こる異変は、全て奴らの仕業だ」
フレイの表情がわずかに険しくなる。その声音には警戒が滲んでいた。長い時を生きてきた神獣だからこそ知る危険。
レッドは自然と拳を握る。許せなかった。眠らされた教師たち。友人たち。
何も知らない人々を巻き込むような真似をする相手を。
「なら……そいつを見つければいいんだな」
フレイは小さく頷いた。
「そういうことだ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
数分後。4人は職員室を後にしていた。だが、校舎を出る前にフレイが立ち止まる。
「ここからは分かれる」
突然の言葉だった。
「え?」
レイラが目を丸くする。
「別行動するのか?」
レッドも驚いた。異変が起きてから今まで、全員で行動するものだと思っていたからだ。
フレイは頷く。
「あぁ。元凶を探すなら手分けした方が早いからな」
確かにその通りだった。学校は広い。教室だけでも相当な数がある。体育館。特別棟。屋上。校庭。
1か所ずつ調べていては時間がかかりすぎる。
「レイラはミズリーと行動しろ」
「うん」
「レッドは俺と来い」
「⋯⋯分かった」
そう答えながらも、レッドは少しだけ不安を覚えていた。レイラも同じらしい。
そして、2人の視線が合う。双方とも緊張しているのが分かった。
「大丈夫よ」
すると、ミズリーが優しく言う。
「私たちも近くにいるから」
その言葉にレイラが少しだけ笑った。
「うん」
「それじゃあ、気をつけてね、レッド」
「あぁ。そっちもな」
短いやり取りだった。しかし不思議と勇気が湧いた。
自分だけではない。一緒に戦う仲間がいる。それだけで心強かった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
レッドとフレイは校庭へ出ていた。校舎を出た瞬間、空気が変わる。
重い。息苦しい。まるで空気そのものが淀んでいるかのようだった。レッドは思わず顔をしかめる。
「なんだこれ……」
「異変の影響だろうな」
フレイは周囲を見回した。校庭には誰もいない。いつもなら運動部の声が聞こえる時間。
ボールを蹴る音。笛の音。笑い声。そんな日常の音は1つも存在しない。――静かすぎる。その静けさが逆に不気味だった。
レッドはゆっくりと校門へ向かう。そして。
「……あった」
そこには空間が歪んでいた。何もないはずの場所。だが、確かにそこに何かが存在している。
透明な壁。巨大な膜。そんなものが学校全体を覆っているようだった。レッドは恐る恐る手を伸ばすと、次の瞬間。
バチィッ!!
「うわっ!?」
激しい衝撃。反射的に手を引っ込める。指先が痺れていた。青白い火花が散っている。
「これが……結界……」
「あぁ」
フレイが静かに答える。そして、ゆっくりと空を見上げた。
「相当な使い手だ」
その声には僅かな警戒が含まれていた。神獣ですらそう評価するほどの結界。
レッドは改めて敵の危険性を実感する。――その時だった。
風が止まる。空気が変わる。胸の奥がざわついた。嫌な予感。昨日から何度も感じている感覚。本能が叫ぶ。危険だ、と。
レッドはゆっくり振り返る。すると、校庭の中央。そこにあった空間が、まるで水面のように揺らぎ始めていた――。




