第6話「戦慄の兆し」
昼休みを告げる鐘の音が、校舎中へ響き渡った。その瞬間、静かだった教室が一気に騒がしくなる。椅子を引く音。友人を呼ぶ声。弁当箱を開く音。購買へ向かう生徒たちの足音。
いつも通りの昼休みだった。歴史の授業で語られた「コードゼロ」の話題も、今ではすっかり雑談の種になっている。
「あれ、絶対盛ってるだろ」
「でも先生、本気っぽかったよな」
「俺ちょっと怖かったんだけど」
「1000年前の話でしょ?」
教室のあちこちで笑い声が上がる。だがレッドは、その輪の中には入っていなかった。窓際の席に座ったまま、ぼんやりと外を見つめている。青空だった。風も穏やかだ。
校庭では運動部の生徒たちが元気に走り回っている。何も変わらない。何ひとつ変わらない。それなのに――。
(⋯⋯なんなんだろう)
胸の奥がざわつく。昨日からずっと続いている違和感。神獣たちの言葉。嫌な予感の存在。そして今日聞かされたコードゼロの話。どれも関係ないはずだ、偶然が重なっているだけ――。
そう考えるのが普通だろう。しかし、なぜか頭の中で全部が繋がっているような気がしてならない。
「はぁ⋯⋯」
深く息を吐く。考えても答えは出ない。神獣たちに聞こうにも、今すぐ会えるわけではない。結局、自分にできることは何もなかった。
「考えるだけ無駄⋯⋯か」
そう呟いて立ち上がる。とりあえず何か飲もう。今はとにかく、頭を切り替えたかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
校舎一階。昼休みの廊下は賑やかだった。教室から聞こえる笑い声。購買へ急ぐ生徒たち。部活動の話で盛り上がるグループ。どこを見ても平和な光景だ。レッドは自動販売機の前に立った。
「どれにするかな〜」
炭酸。ジュース。スポーツドリンク。様座な種類前にして少し悩んだ末、結局缶コーヒーを押す。ガコン、と商品が落ちてきた。
「これで目が覚めるだろ」
取り出してプルタブを開ける。プシュッ、と小気味良い音が響く。そして一口飲んだ。――こんなに苦かったっけ。
「⋯⋯砂糖欲しい」
思わず顔をしかめた。買うものを間違えた気がする。だが戻るのも面倒だ。近くのベンチへ腰掛け、もう一口飲む。やっぱり苦い。そしてレッドは空を見上げた。
雲がゆっくり流れている。平和だった。本当に平和だ。だからこそ違和感が消えない。まるで嵐の前の静けさのような。そんな空気を感じてしまう。
(いやいや考えすぎだ)
自分で自分にそう言い聞かせる。気付くとこんなことばっかり考えてしまう、と思っていたその頃。
「いたいた〜!」
遠くから聞き馴染みのある元気な声が飛んできた。レッドは反射的に顔をしかめる。この声の主は1人しかいない。
「やっほーレッド〜!」
レイラだった。両手を大きく振りながら全力で走ってくる。昼休みの廊下で走るな。そう注意しようと思ったが、本人は全く気にしていないらしい。
「⋯⋯どうした?」
「探したんだよ!」
「これまた急に」
「だっていなかったし」
「当たり前だろ」
「ぼっちだから?」
「違う」
「ぼっちだから?」
「違う」
「ぼっち――」
「しつこい⋯⋯!」
レッドは即答する。その横で、レイラは楽しそうに笑っていた。――全く予想通りの展開だ。
「だって反応面白いんだもん〜!」
「お前なぁ⋯⋯」
わかりきった会話の流れや何度も感じる既視感にレッドは頭を抱えた。するとレイラは隣へ腰掛ける。そして、じーっと缶コーヒーを見る。
「苦そう」
「苦いよ」
「なんで買ったの?」
「眠かったから」
「私なら絶対無理〜!」
「知ってる」
「⋯⋯子供舌じゃないもん!」
「いや子供舌だろ」
「違うもん!」
即否定だった。だが本人も少し自覚があるらしい。視線が泳いでいる。レッドは思わず笑ってしまった。
「今笑ったなぁぁ?!」
「わ、笑ってない」
「ねぇぇぇぇ!!!??」
「うるさい⋯⋯!」
2人のやり取りを見ていた近くの生徒たちが小さく笑う。だが2人は気にしない。これもまた、いつもの光景だった。ふと、レイラの表情が少しだけ真面目になる。
「ねぇねぇ」
「ん?」
「あの厄災の話でさ」
その言葉にレッドの動きが止まった。
「レッドは、どう思った?」
少し考える。あんなおとぎ話の一場面のような話、あまりにも現実離れしすぎている。
「⋯⋯正直、信じられない」
「だよねー」
「でも、先生は本気だった」
「うん」
レイラも頷く。そしてしばらくの沈黙が流れた。周囲は賑やかなのに。2人だけが別のことを考えているようだった。
「神獣の言葉――まだ気になってる?」
レイラがぽつりと呟いた。レッドは無意識に空を見る。青空だった。どこまでも続く、平和を象徴するような色。それなのに――。
「⋯⋯少しな」
自然とそう答えていた。だが、それはレイラも同じだったらしい。
「私も」
レイラは小さく笑う。だがその笑顔の奥には不安があった。そしてレッドは気づく。レイラも無理に明るくしているのだと。――少しだけ。本当に少しだけだが、胸の奥が締め付けられた。すると――。
グゥゥゥゥ。
大きな音が響く。レイラのお腹だった。そして次に来るは数秒の沈黙。
「⋯⋯」
「⋯⋯」
「聞いた?」
「聞いてない」
「優しいね」
「ごめん聞いた」
「最低だー」
そして、レイラは不意に立ち上がった。その後、開き直ったように快活な声を発する。
「ごはん!!」
「⋯⋯はいはい」
「ごはん!!」
「じゃあ、行こっか」
「ごはんごはん〜♪」
さっきまでの空気が嘘みたいだった。レッドは苦笑しながら後を追う。そして、その背中を見ながら思う。
本当に――。こいつは太陽みたいなやつだな、と。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
一方その頃。誰にも知られない場所で。異変は着実に進行していた。
学校の屋上。フェンスの向こうには青空が広がっている。だが、その一角だけ空気が違った。――重い。まるでそこだけ世界が歪んでいるかのようだった。鳥は近寄らない。風も避けるように流れていく。
その中心に立つ男は、愉快そうに笑っていた。
「いいねぇ。実に平和だ」
そして男の背後には、巨大な影が立っている。獄闇の狂戦士。その存在感だけで空気が震える。まるで災害そのものが人型になったようだった。
男は黒い魔導書のような1つ本を取り出す。それは実に禍々しい雰囲気が脈打っていた。
「もう少しだ。楽しませてくれよ」
不敵な笑みを浮かべながら、その視線は校舎へ向けられる。
「新しいエレメンターたち」
狂戦士の赤い瞳が静かに輝く。そして、まるで獲物を見つけた獣のように――低く唸った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
昼休みは終わった。午後の授業が始まる。教師が教室へ入り、生徒たちは席へ戻る。いつも通り。本当にいつも通りだった。だから誰も気づかなかった。その日常が終わろうとしていることに。
レッドはノートを開きながら、ふと窓の外を見る。青空。雲。校庭。何も変わらない景色。――だが。ほんの一瞬だけ、空が暗く見えた。
「⋯⋯?」
瞬きをする。それは元に戻っている。気のせいだろうか。いや、疲れているのかもしれない。そう思った。しかし、胸騒ぎだけは消えない。
「それでは次の問題を――」
教師が黒板へ向かう。チョークの音が響く。誰もが授業に集中していた。
――そんな中。
異変は、本当に何の前触れもなく訪れた。教師の手が止まり、チョークが落ちる。カラン、と乾いた音が響いた。そして、教師の身体が大きく揺れる。
「先生?」
前列の生徒が声を掛けた。返事はない。教師は黒板に手をついたまま動かない。――すると。
ドサッ。
鈍い音を立て、その身体が崩れ落ちたように倒れたのだ。
「先生!?」
教室中が騒然となる。しかし、誰もまだ知らない。この瞬間が――。
レッドとレイラにとって最初の異変の始まりだったことを。




