第57話「空の向こうにあるもの」
学年旅行2日目。午前中の観光祭も大きな混乱なく終わり、生徒たちはそれぞれ達成感に満ちた表情を浮かべていた。
空はどこまでも澄み渡り、雲ひとつない蒼穹が頭上いっぱいに広がっている。
燦々と降り注ぐ陽光は街並みを明るく照らし、遠くに見える海面では無数の光がきらめいていた。潮風は昨日よりも澄みきっていて、頬を撫でるたびに心まで軽くしてくれる。
そしてその午後。午前の出店営業を終えたレッドたちは、再び自由時間を迎えていた。
「ふぅ……ようやく一息つけるな」
レッドは大きく伸びをしながら空を見上げる。午前中は焼きそばの注文が途切れることなく続き、慌ただしく動き回っていたため、こうして何も考えず歩ける時間が妙に心地よかった。
そんな彼の隣で、レイラは相変わらず元気いっぱいに辺りを見回している。次は何をしようか。その答えを探すように、瞳をきらきらと輝かせていた。
「ねぇねぇ、次は観覧車乗らない? あそこ、めっちゃ景色いいらしいよ!」
するとレイラ勢いよく指差した先には、リゾート地のシンボルとも言える巨大な観覧車がそびえ立っていた。白く輝く支柱と色鮮やかなゴンドラは、ゆっくりと空へ向かって回転している。
その姿はまるで、青空へ架けられた巨大な輪のようだった。
「次は観覧車か……まぁ、悪くないな」
レッドが肩をすくめると、今日も観光祭に訪れたエルナたちも嬉しそうに両手を合わせる。
「わぁ、いいな〜。私も乗ってみたいっ!」
「……高いところ、ちょっと怖いけど……」
フランは観覧車を見上げ、小さく呟いた。普段から感情をあまり表に出さない彼女だったが、その声には僅かな不安が滲んでいる。
そんな様子に気付いたレイラは、満面の笑みを浮かべてフランの前へ回り込んだ。
「大丈夫だよ〜! みんなで乗れば怖くないって!」
「そうそう。4人ならきっと楽しいよ」
エルナも優しく微笑みながら続ける。2人の笑顔を見つめるフランは、一瞬だけ目を伏せた。人と一緒に過ごすこと。誰かに誘われること。そんな当たり前の出来事が、彼女にとってはまだ少しだけ慣れないものだった。
けれど、その温かな声に背中を押されるように、小さく頷く。
「……うん。行って、みたい」
その一言に、レイラはぱぁっと表情を明るくした。
「よぉーし! 決まりっ!」
そしてそう言うや否や、レッドの腕を掴んで歩き出す。
「ほらほら、急ぐよレッド!」
「お、おい! 引っ張るなって!」
「早い者勝ちなんだから〜!」
「観覧車に早い者勝ちなんてあるか!」
レッドの抗議もどこ吹く風。レイラは楽しそうに笑いながら先頭を走っていく。その後ろを、エルナがくすくすと笑いながら追いかけ、フランも少しだけ口元を緩めて歩き始めた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
リゾート地の最も高い場所に設けられた巨大観覧車。近くまで来ると、その大きさは遠くから見ていた以上だった。
ゆっくりと回転する巨大な輪。青空を背景にそびえ立つ姿は、まるで空そのものへ続く門のようにも見える。ゴンドラが頂上へ近づくたび、そこから歓声が聞こえてきた。
「わぁ……やっぱりすごいねぇ」
エルナは目を輝かせながら見上げる。フランも黙ったまま空高く回る観覧車を見つめていた。やがてチケットを受け取った4人は、係員に案内されながら乗り場へ向かっていく。
ゆっくりと近付いてきた1台のゴンドラ。扉が静かに開き、4人は並んでその中へ足を踏み入れた。ゆっくりと扉が閉まり、軽い振動とともにゴンドラが動き始める。足元から伝わる小さな揺れに合わせ、4人の体もわずかに傾いた。
「……思ってたより、狭いんだな……」
レッドは周囲を見回しながら苦笑する。外から見れば大きく見えていたゴンドラも、中へ入ってしまえば4人で座るには少し窮屈だった。
「それがいいんじゃん〜! ほら、早く座る!」
レイラは楽しそうに笑いながら、ぽんぽんと隣の席を叩く。
「はいはい……」
レッドは肩をすくめると窓際へ腰を下ろした。その隣へレイラがぴょんと飛び乗るように座り、向かい側にはエルナとフランが並ぶ。
扉のガラス越しに係員が合図を送り、ゴンドラはゆっくりと上昇を始めた。最初は地面すれすれだった景色が、少しずつ遠ざかっていく。人々の姿は徐々に小さくなり、屋台の賑わいも1つの音の波となって耳へ届いていた。
「ふふっ、なんか秘密基地みたいだね〜っ」
エルナは窓に顔を近づけながら嬉しそうに笑う。
「……ちょっと、ワクワクする」
フランも小さく呟き、その瞳にはわずかな期待が宿っていた。そんな彼女の表情を見て、レッドは内心ほっと胸を撫で下ろす。
(少しずつだけど……笑うようになってきたな)
最初に会った頃のフランは、今にも消えてしまいそうなほど儚い雰囲気を纏っていた。それが今では、エルナやレイラと並んで自然に笑っている。その変化が、どこか嬉しかった。
ゴンドラはさらに高く昇っていく。窓いっぱいに広がる景色は、刻一刻と姿を変えていった。
海は太陽の光を受けて無数の宝石を散りばめたように輝き、森は深い緑の絨毯となって地平線まで続いている。観光祭の会場は色鮮やかな屋根が並び、小さな人影が忙しなく行き交っていた。
「わぁ〜! すっごーい!」
レイラは思わず立ち上がりそうになり、窓へ顔を近付ける。
「海も森も、全部見える……!」
エルナも感嘆の声を漏らした。その瞳には、広大な景色がそのまま映り込んでいる。レッドは窓枠に肘をつき、静かに景色を眺めていた。
こうして何も考えず、美しい風景だけを見つめる時間も悪くない。そんな穏やかな時間が流れる中――。
「……なんか、上手く……できたかも」
不意に、フランがぽつりと呟いた。3人の視線が自然と彼女へ集まる。フランは景色を見つめたまま、小さく微笑んでいた。
その笑みはどこか懐かしさを帯びていて、まるで遠い昔の記憶を辿っているようだった。
「う、上手く?」
レッドが首を傾げる。フランは我に返ったように小さく瞬きをすると、少しだけ困ったような笑みを浮かべた。
「……あ、いや……えと⋯⋯昔、似たような景色を見たことがあるの」
「それって、どこ?」
エルナが興味深そうに尋ねる。フランは少しだけ考え込むように視線を落とした。
「……覚えてない。けど、たぶん……夢、みたいな」
「夢……?」
レッドの胸が小さくざわつく。その言葉には、ただの夢とは思えない何かが含まれているように感じられた。レイラも不思議そうに首を傾げる。
「夢って、どんなのだったの?」
しばらく沈黙が流れる。フランは膝の上で両手を重ね、言葉を慎重に探すように口を開いた。
「……ずっと、霧の中を歩いてた……」
「霧……?」
そうしてエルナが小さく復唱する。
「うん。白くて、冷たくて……でも、ちゃんとできた」
その最後の言葉だけが、どこか妙に引っ掛かった。――"ちゃんとできた"。
何を。どうして。誰に対して。その答えは語られない。
レッドは無意識に窓の外へ視線を向ける。空はどこまでも青く澄み渡っていた。それなのに――胸の奥では、理由の分からない違和感だけが静かに膨らみ始めていた。
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