第56話「雪と叫びと、笑顔の距離」
初心者コースを何度か滑るうちに、4人の動きにも少しずつ余裕が生まれ始めていた。最初こそ雪の感触に戸惑っていたエルナだったが、その飲み込みの早さは目を見張るものがあった。
「わっ…⋯」
最初は恐る恐るだった足取りも、1本、また1本と滑るたびに安定していく。バランスを崩しかけてもすぐに立て直し、転倒することなく緩やかな斜面を滑り切った。
「できた……!」
止まった瞬間、エルナの顔がぱっと明るくなる。
「すごい! ちゃんと滑れたよ!」
その声には、子どものような純粋な喜びが滲んでいた。それを見てレッドも思わず笑みを浮かべる。
「上手いよ。初めてとは思えないぐらい」
「ほんと?」
「うん。重心の取り方が自然によくできてる」
「やった!」
エルナは嬉しそうに小さくガッツポーズを作る。その姿を見ていたフランも、どこか勇気づけられたように板へ視線を落とした。
「……私も⋯⋯頑張ってみる」
するとエルナは迷いなく頷く。
「ゆっくりでいいから、一緒に滑ろ?」
「……うん」
2人は並んで斜面へ立つ。エルナが少しだけ前を滑り、フランがその後を追う。最初の一歩はぎこちない。身体が思うようについてこず、板がふらつく。
「……あっ。」
バランスを崩しかけたその時だった。
「大丈夫、大丈夫」
すぐ隣から伸びてきたエルナの手が、そっとフランの腕を支える。それだけで、不思議と恐怖が少し薄らいだ。
「ありがとう……」
フランは小さく微笑む。そのまま2人はゆっくりと斜面を滑り始めた。焦らず、1歩ずつ。少しずつ速度を乗せながら、白い雪原を進んでいく。
途中で何度かふらつきながらも、最後まで転ばずに滑りきった。
「……できた。」
止まった瞬間、フランは目を丸くする。
「私……滑れた」
「うん!」
するとエルナは自分のことのように喜んだ。
「すごいよ、フランちゃん!」
その笑顔につられるように、フランも少し照れくさそうにはにかむ。
「……えへへ」
ほんの小さな笑顔。けれど、それは朝よりもずっと自然な笑みだった。一方、その頃──。
「うおぉぉぉぉぉ!」
元気よく滑り出したレイラは、またしても派手に転倒していた。雪煙を巻き上げながら、ごろごろと斜面を転がっていく。レッドは呆れたように静かに目を閉じる。
「…⋯」
「ねね、今度は何秒滑れてた?」
「5秒くらい?」
エルナが首を傾げながら答える。
「いや、3秒だな」
レッドが即答すると、2人は思わず吹き出した。その直後。雪まみれになったレイラが、満面の笑みで立ち上がる。
「えっへへ〜! もう1回いくー!」
「転ぶの前提になってないか?」
「違うもん! これは魅せる転び!」
「魅せなくていい魅せなくていい」
レッドの冷静なツッコミに、その場の全員が笑い声を上げた。レイラは転んでは笑い、また滑っては転ぶ。それでも嫌そうな顔は1度もしない。
むしろ転ぶたびに楽しそうで、その姿は見ているこちらまで笑顔にしてしまう不思議な力があった。
「レイラちゃんって、本当に元気。見てるだけで楽しくなるね」
そうして、エルナがくすりと笑う。すると、フランも静かに頷いた。
「……うん。なんか……元気、もらえる」
その言葉を聞き、レッドは3人の後ろ姿へ目を向ける。白い雪の上を笑いながら駆け回るレイラ。その様子を楽しそうに眺めるエルナ。少しずつ笑顔を取り戻していくフラン。胸の奥が、じんわりと温かくなる。
(……こういう時間が、ずっと続けばいいのにな)
そんな願いが、ふと心の中へ浮かんだ。もちろん、それが簡単に叶う願いではないことくらい、自分でも分かっている。
それでも今だけは――エレメンターでもなく、戦いとも無縁な、ごく普通の高校生として笑っていたかった。
吹き抜ける冷たい風が、4人の笑い声を乗せて白銀のゲレンデへ運んでいく。穏やかな午後は、ゆっくりと夕暮れへ向かって流れ始めていた。
やがて気が付けば、時計の針は午後4時を回っていた。白銀のゲレンデは少しずつ橙色へ染まり始め、山の向こうへ傾きかけた太陽が雪面を黄金色に照らしている。
人工雪とは思えないほど美しい景色だった。冷たい風が頬を撫でるたび、火照った身体には心地よい。
「はぁ〜……」
レイラは大きく息を吐き、その場へ勢いよく座り込んだ。
「疲れたぁぁ〜!」
彼女ウェアには雪があちこち付いている。転んだ回数を物語るような姿だった。
「お前、それだけ転べば疲れるだろ」
そうしてレッドは苦笑しながらペットボトルを差し出す。
「はい、水」
「ありがと〜!」
レイラは受け取ると、ごくごくと喉を鳴らしながら一気に飲み干した。
「生き返る〜!」
その様子を見ていたエルナも、小さく笑みを浮かべる。
「今日は本当に楽しかったね」
「うん! エルナちゃんともフランちゃんとも遊べたし!」
レイラは満面の笑みで頷く。それに続けてエルナは嬉しそうに答えた。
「私も。最初は1人で来たから少し不安だったけど……みんなに会えて、本当によかった」
すると、少し間を置いて、フランが小さく口を開く。
「……私も。こんなに笑ったの……久しぶりかも」
その一言は静かだった。けれど、どこか温かく、心から零れた本音のように聞こえた。レイラはぱっと顔を輝かせる。
「じゃあさ! また4人で遊ぼうよ! 今度は遊園地とか、水族館とか! もっともっと色んなところ!」
「いいね。私も行きたい!」
エルナはすぐに頷く。フランも照れくさそうに微笑む。
「……うん。また、一緒に⋯⋯」
すると3人の視線が自然とレッドへ集まる。そしてレイラがにやりと笑いながらレッドに詰め寄った。
「レッドは? もちろん来るよね? もう逃げられないよ〜?」
「誰も逃げるなんて言ってないだろ」
レッドは少し困ったように笑った。
「そうだな。予定が合えば、その時はみんなで行こう」
「やったぁ!」
レイラは勢いよく両手を突き上げる。
「約束だからね!」
その声に合わせるように、夕風が四人の間を優しく吹き抜けた。雪面を撫でる風は冷たいはずなのに、不思議と胸の奥は温かかった。
笑い合う声。穏やかな時間。何気ない約束。そんな当たり前の日常が、今は何よりも尊く思えた。
やがて4人は雪山を後にし、観光祭の会場へ戻るためゆっくりと歩き始める。夕日に照らされた雪景色が、その背中を静かに見送っていた。
だが――その頃、カラミティアルランドのさらに奥深く。観光客の誰1人として立ち入らない深い森林では、謎の霧が静かに広がり続けていた。
木々の根元を這うように、白い霧がゆっくりと流れていく。昼間よりも濃く、昼間よりも深く。まるで生き物のように、森そのものを侵食していくかのようだった。
やがて、その白い霧は森を抜け、静かにリゾート地へと歩みを進め始める。誰にも気付かれることなく、誰にも知られることなく。
――楽しい思い出に満ちた1日の裏側で、静かな悪意だけが、ゆっくりとその牙を研いでいた。
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