第54話「芽生え近づく友情」
扉が閉まると同時に、外の喧騒は嘘のように消え去った。さっきまで耳にまとわりついていた笑い声や呼び込みの声は、厚い壁の向こうへ遠ざかり、代わりに耳へ届くのは、ひどく静かな空気の気配だけだった。
薄暗い通路を照らすのは、壁に取り付けられた古びたランプだけ。橙色の光は心細く揺れ、足元に落ちる影までも不気味に歪ませている。おまけにどこからともなく、水滴が落ちる音が響く。
耳を澄ませば、低いうめき声のようなものが微かに聞こえ、肌を撫でる風は冷たく湿っていた。わざとらしいと分かっていても、こうして閉ざされた空間に入ってしまうと、妙に背筋がざわつく。
「……うわ〜」
レッドは思わず辺りを見回した。暗がりの奥に何か潜んでいるような気がして、自然と視線が忙しく動く。
「思ったよりちゃんとしてるんだな〜」
文化祭のお化け屋敷程度だと思っていた予想は、いい意味で裏切られた。照明、音響、内装。どれも高校生が作ったとは思えないほど完成度が高い。
壁の古びた染みや、床板の軋みまで演出の一部に見えてしまうほどだ。
「ひぃっ……!」
すると隣から小さな悲鳴が聞こえる。次の瞬間、レッドの腕に何かがぎゅっと絡みついてきた。
「ちょ、ちょっと手……手貸して……」
そうして少し横を見ると、レイラが半泣きになりながらレッドの腕へしがみついていた。その力は思った以上に強い。
怖いのか、それとも意地なのか。どちらにせよ、もう少し余裕を持って入るつもりだったらしい本人の顔は、すでにかなり青ざめている。
「ほらね」
レッドは呆れたように笑う。とはいえ、完全にからかうというよりは、どこか面白がっているような声音だった。
「やっぱり怖がってるじゃん」
「こ、怖くないもん……!」
そう言い返すものの、その声は震えきっていた。しかも、言い終わった直後にまた周囲を見回してしまうあたり、説得力はほとんどない。
「ぶぅ……」
頬を膨らませる姿は、強がる子どものようである。レッドはそんなレイラを見て、小さく笑った。その後ろでは、フランも小さく肩をすくめている。
入口をくぐった時からずっと静かだった彼女は、暗い通路の雰囲気に少しずつ緊張を強めているようだった。
「……やっぱり、ちょっと怖いかも……」
袖を握る指先が小刻みに震えている。声もかすかに揺れていて、無理をしているのがすぐに分かった。それに気付いたエルナは、驚かせないようにそっと身を寄せる。そして、安心させるように優しく微笑みながら、フランの手を包み込んだ。
「大丈夫だよ。みんないるんだし」
その声は、暗い空間の中でも不思議とよく通った。その一言だけで、不思議と安心できる。エルナには、人の心を自然と落ち着かせる力があった。
怖がっている相手に無理に平気だと言わせるのではなく、ただ隣にいてくれるだけでいいと思わせてくれる。
「……うん」
フランは小さく頷く。まだ緊張は残っているものの、先ほどよりは少しだけ表情が和らいでいた。
4人はゆっくりと通路を進んでいく。古びた日本家屋を模した廊下。軋む床板。壁に掛けられた割れた鏡。風もないのに揺れる障子。
どれも細部まで徹底して作り込まれており、歩くたびに足元から不気味さがじわじわと染み込んでくる。レッドは思わず感心してしまった。
「これ、本当に高校生が作ったのか……」
思わず漏れた呟きには、驚きと感嘆が半々に混じっている。ただ怖がらせるだけではなく、空間そのものに物語を感じさせる作り込みだった。
「すごいね〜」
エルナも目を輝かせながら辺りを見回していた。暗いはずの場所なのに、その瞳だけは妙に明るい。恐怖よりも興味が勝っているらしい。
壁の模様や小道具の1つひとつにまで視線を向けては、感心したように小さく息を漏らしている。そんな空気が流れた、その瞬間だった。
ガタンッ!
突然、壁の一部が大きく開く。古びた木枠が勢いよく跳ね、乾いた音が通路に響いた。次の瞬間――真っ白な腕が勢いよく飛び出した。
「ぎいやゃあああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
お化け屋敷中に響き渡るほどの絶叫。犯人はもちろん――レイラだった。あまりの勢いに、レッドは一瞬何が起きたのか分からなかったほどだ。レッドは思わず両耳を押さえる。
「うるさい! 耳が死ぬ!!」
叫び声の余韻がまだ空気に残っている。それほどまでに、レイラの悲鳴は見事だった。
「ひぃぃぃぃ!」
レイラは反射的にレッドの背中へ飛びつき、そのまま完全に隠れてしまった。突然背中へ掛かった重みに、レッドは体勢を崩しかける。
「ちょ、お前! 重い重い!」
「だってぇぇぇぇ!!」
レイラは涙目のまま叫び返す。怖かったのか、驚いたのか、もはや本人にもよく分かっていない様子だった。一方その頃。
「おっと!」
エルナも驚いて肩を震わせる。だが、ほんの一瞬だけ目を見開いたあと、すぐに表情を緩めた。
「びっくりした〜!」
驚いたはずなのに、どこか楽しそうでもある。その隣ではフランが小さく息を呑み、思わずエルナの袖をぎゅっと掴む。
白い指先に力が入り、布が少しだけ寄った。
「……っ」
「大丈夫?」
エルナがすぐに顔を向け、優しく尋ねる。その声には、先ほどと同じような落ち着きがあった。
「……うん」
フランはこくりと頷く。けれど、まだ胸の鼓動は早いままだった。
「でも、急に出てくると心臓止まりそう……」
そう言って、フランは照れくさそうに笑った。その笑みは控えめで、けれど少しだけ安心したような柔らかさを含んでいる。その様子を見て、エルナもくすりと笑う。怖がりながらも、こうして少しずつ笑えるようになる。そんな空気が、暗い通路の中にほんのわずかな温かさを生んでいた。
恐怖の演出が続く中、不思議と4人の距離だけは少しずつ縮まっていくのだった。
その後も、お化け屋敷は容赦なく4人を襲い続けた。曲がり角では天井から血まみれの人形がゆっくりと吊り下がり、廊下を進めば突然床が軋みながら大きな音を立てる。
奥へ進むほどに演出は本格的になり、静けさと恐怖が交互に押し寄せてきた。
「うぅ……まだ終わらないのぉ……」
レイラはすっかりレッドの腕にしがみついたまま離れようとしない。その表情は今にも泣き出しそうで、最初の勢いは完全に消え失せていた。
「だから言ったでしょ」
レッドは苦笑しながら前を歩く。
「怖いなら来なきゃよかったのに」
「だ、だってぇ……!」
口を尖らせて反論しようとするものの、次の瞬間――ガタンッ! と足元の床板が大きく沈み込んだ。
「ひゃああああっ!!」
レイラは再び飛び上がり、そのまま勢いよくレッドの背中へ抱きつく。
「うおっ! だから重いって!」
「もうやだぁぁぁ……!」
その必死な様子に、エルナは思わず吹き出してしまった。
「ふふっ……レイラちゃん、本当に面白いね」
「笑わないでぇ……!」
レイラは涙目で訴えるが、その姿があまりにも必死だったため、エルナはますます笑みをこぼしてしまう。
一方のフランはというと、エルナのすぐ後ろを静かについて歩いていた。時折驚いて肩を震わせながらも、エルナが振り返って微笑むたび、小さく頷き返している。
その表情には、先ほどまであった強い緊張はもうほとんど残っていなかった。
「ほら、もう少しだよ」
「……うん」
そうして、エルナが優しく声を掛ける。フランは小さく返事をし、1歩ずつ前へ進んでいく。
そして最後の部屋。暗闇の中を抜けたその瞬間――目の前の棺桶が勢いよく開き、中から白装束の幽霊役が飛び出した。
「うらぁぁぁっ!!」
「きゃああああぁぁぁっ!!」
幽霊役の声にも負けないお化け屋敷中へ響くほどの絶叫。もちろん、その主はレイラだった。勢い余ってレッドを押し飛ばし、自分も転びそうになりながら出口へ向かって全力疾走する。
「ちょ、お前待て! 出口そっちじゃない!」
レッドは慌てて追い掛ける。エルナは笑いを堪えきれず、肩を震わせていた。
「も、もう無理……! レイラちゃん……!」
フランも口元へ手を当て、小さく笑う。さっきまで怖がっていたとは思えないほど自然な笑顔だった。
やがて係員に案内され、4人はようやく外へ出る。眩しい陽射しが身体を包み込み、ひんやりとしていた空気が一気に温かなものへ変わった。その安心感からか、レイラはその場へへたり込む。
「はぁぁぁ〜……叫びすぎて喉がぁ……」
膝に手をつき、大きく肩で息をする。その隣ではフランも胸へ手を当て、小さく息を整えていた。
「……こわかった……」
そんなフランの背中を、エルナは優しくさすりながら言う。
「でも、楽しかったね」
「……うん」
その一言に、フランは少し照れながら微笑んだ。一方、レッドは耳を押さえながら苦笑する。
「俺はまだ耳がキーンってしてる……レイラ、お前の悲鳴はお化けより破壊力あるよ」
「えぇ〜? でもさ〜、こういうのも旅行の醍醐味って感じだよね!」
「叫びすぎなければ、もっと楽しめたけどな〜」
「レッドだって途中でビクッてしてたじゃん!」
「してねぇよ」
「してたもん!」
2人はいつものように言い合いを始める。そんな様子を見て、エルナは穏やかに微笑んだ。
「ふふっ、仲良しだね」
「……そう?」
するとレイラは少し照れくさそうに頬を掻く。フランも2人を見つめ、小さく呟いた。
「……うん。なんか……いいな、こういうの」
その何気ない一言に、レッドとレイラは同時に顔を見合わせる。互いの視線が重なったのは一瞬だけ。すぐに2人とも気まずそうに目を逸らし、それぞれ違う方向を向いてしまった。
その様子を見たエルナは思わず吹き出し、フランもつられるように笑う。穏やかな笑い声が、お化け屋敷の出口に優しく響いていた。
こうして、ほんの偶然から始まった4人の時間は、少しずつ、しかし確かに“友達”と呼べる距離へ近づいていくのだった。
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