第53話「約束の1日」
午後の日差しがゆるやかに傾き始めた頃。観光祭は中盤へと差しかかり、その熱気はむしろ最高潮へ向かっていた。
色とりどりの装飾が施された屋台が通りを埋め尽くし、客を呼び込む元気な声があちこちから響く。甘い菓子の香りや子どもたちのはしゃぐ声――そのすべてが混ざり合い、巨大なリゾート地はまるで1つの祝祭そのものになっていた。
レッドたちの焼きそば店も例外ではない。休む間もなく飛び交う注文をさばきながら、班員たちは交代で休憩を取り、慌ただしく店を切り盛りしていた。
そして再び、レッドとレイラの休憩時間がやってくる。額の汗を手の甲で拭いながら、レッドは大きく息を吐いた。
「ふぅ〜……これでまた一息つけるな」
鉄板の熱気から離れるだけで、潮風がいつも以上に涼しく感じる。そんなレッドの隣で、レイラは休憩になった瞬間から目を輝かせていた。
「ねぇねぇ! どこ行く? せっかくだし、遊びたい〜!」
その声音には疲れなど微塵も感じられない。むしろ午前中より元気なのではないかと思えるほどだった。
「本当に元気だな、お前」
「当然! まだまだ遊び足りないもん!」
レイラは両腕を大きく広げ、くるりとその場で一回転する。長い髪がふわりと宙を舞い、午後の陽射しを受けて美しくきらめいた。
レッドはそんな幼なじみを見て、小さく苦笑する。
「ほんと体力お化けだな……」
そう呟きながら周囲へ視線を向ける。観光祭の会場には、お化け屋敷やライブステージ、ゲームコーナーに体験型アトラクションなど、数え切れないほどの出し物が並んでいる。
どこへ行っても歓声が聞こえ、人々の笑顔が絶えない。
「……あれ」
ふと、通りの奥に目を留めた。黒い幕で覆われた建物。入口には大きく赤い文字で『恐怖のお化け屋敷』と書かれた看板が掲げられている。
「……あそこって、お化け屋敷か?」
「おぉ〜!」
レイラは勢いよく振り返った。
「行こ行こ! こういうのって定番だよねっ!」
目を輝かせて飛び跳ねる姿に、レッドは思わず眉を上げる。
「そういえばお前、怖がりじゃなかったっけ?」
「こ、怖くないもん! たぶん!」
「最後の『たぶん』で全部台無しなんだけど」
そしてレッドは呆れたように肩を落としながら続けた。
「だってこの前の遊園地では子どもみたいに泣きわめ──」
「だぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
レイラは真っ赤になってレッドの口を慌てて塞いだ。
「それ以上言っちゃダメーー!! 黒歴史なんだからぁぁぁ!」
「いや、自分で黒歴史って認めてんのかい!」
「認めてないもん! 今のなし!」
「そんな都合よく消えないだろ」
「消えるの! レイラルールでは消えるのー!」
必死に否定する姿があまりにも面白くて、レッドはとうとう吹き出した。
「ははっ……!」
「笑ったなこらー!」
するとレイラは頬を膨らませながら抗議する。そんな他愛もない掛け合いを交わしながら、2人はお化け屋敷へ向かって歩き出した。
この時のレッドはまだ知らない。これから出会う新たな縁が、自分たちの日常を少しずつ変えていくことを。
そして、平和そのものに思えたこの観光祭の裏側で、誰にも気付かれることなく、静かな異変がゆっくりと広がり始めていることを――。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
お化け屋敷の前には、すでに長い列ができていた。黒い幕で覆われた建物の入口には、不気味な装飾がいくつも吊るされ、薄暗い照明が赤黒く辺りを照らしている。風が吹くたびに布がかすかに揺れ、どこか不穏な気配を漂わせていた。
どこからともなく聞こえる悲鳴と笑い声。中へ入った人たちが驚きながら飛び出してくる様子に、並んでいる者たちも期待と緊張を入り混じらせていた。
楽しそうに見える一方で、入口へ近づくほどに空気が少しずつ冷たく感じられるのが、また余計に不安を煽ってくる。
「うわ〜、結構並んでるね〜」
レイラは列の最後尾へ並びながら辺りを見回した。すでに何組もの客が前に続いており、思っていた以上の人気ぶりに少し驚いたようだった。
「まぁ、こういうのは人気あるよな」
レッドも苦笑しながら前方へ目を向ける。列はゆっくりとしか進まないが、そのぶん周囲のざわめきや、時折聞こえてくる悲鳴がいやでも耳に入ってくる。その時だった。
「……ん?」
レッドはふと、数人先に並ぶ2人組の後ろ姿に視線を留めた。肩のあたりで揺れる整えられた髪。その隣には、小柄でどこか控えめな少女。
昼間に見かけたばかりの姿が、記憶の中と重なる。
「……あの子、もしかしてエルナっていう……」
「あっ!」
レイラも気付いたらしく、ぱっと表情を明るくした。さっきまでの緊張が嘘のように、嬉しそうに身を乗り出す。
「ほんとだ! なんかもう1人も一緒にいる〜!」
その声が聞こえたのか、前に並んでいた少女がくるりと振り返る。
「あっ!」
エルナは2人の姿を見つけるなり、嬉しそうに手を振った。
「レイラちゃーん!」
屈託のない笑顔は、昼間と変わらず太陽のように明るい。お化け屋敷の前という少し不気味な場所にいるはずなのに、彼女の存在だけがそこだけをふわりと柔らかくしているようだった。
2人は列を少し詰め、自然と近くで話し始めた。周囲のざわめきの中でも、互いの声は不思議と聞き取りやすい。するとエルナはこちらを見ながら口を開いた。
「あと⋯⋯となりの人は……?」
エルナが首を傾げる。レイロ隣に立つレッドのことが気になったらしい。
「俺はレッド。さっきは焼きそば買ってくれてありがとな」
「あぁ〜!」
レッドは軽く手を挙げて笑った。エルナは嬉しそうに両手を合わせる。昼間の出来事を思い出したのか、目を輝かせながら頷いた。
「あの焼きそばのお兄さん! すごくおいしかったよ!」
「それはよかった」
その素直な感想に、レッドも少し照れくさそうに笑った。こういう反応をされると、作った側としてはやはり嬉しいものだ。
その隣では、小柄な少女が控えめに頭を下げる。
「……こ、こんにちは……」
小さな声。けれど一生懸命に言葉を紡いでいるのが伝わってくる。緊張しているのか、指先がわずかに落ち着かない様子で揺れていた。
「ふ、フランです……」
するとレイラはぱっと顔を輝かせた。初対面でもすぐに打ち解けようとするその明るさは、こういう場では特に頼もしい。
「フランちゃんか〜! よろしくね! 2人もお化け屋敷?」
「うん」
エルナは元気よく頷く。そして少し前までの楽しげな様子のまま、迷いなく答えた。
「フランちゃんが行ってみたいって言っててね」
その言葉にフランは少し恥ずかしそうに目を逸らした。自分から言い出したことではあるものの、こうして人前で話題にされると照れくさいのだろう。
「……ちょっとだけ、興味が……」
「おぉ〜」
レッドは感心したように笑う。見た目からして控えめな印象の少女が、怖いと分かっている場所に自分から来ようとしているのは、確かに勇気がいることだ。
「それは勇気あるね」
「じゃあさ!」
するとレイラは突然手を叩いた。ぱん、と軽い音が列の中に小さく響く。
「せっかくだし、一緒に入ろうよ! 4人なら絶対楽しいって!」
その提案にエルナの瞳がぱっと輝く。まるで思いがけない贈り物をもらったみたいに、嬉しそうに顔をほころばせた。
「いいの? やった〜」
「もちろん!」
レイラは満面の笑みで頷いた。こういう時の彼女は、少しも迷わない。その様子を見たフランも、小さく微笑む。最初の緊張が少しだけほどけたのか、肩の力がわずかに抜けていた。
「……うん。楽しそう……」
こうして偶然出会った4人は、一緒にお化け屋敷へ入ることになった。列はゆっくりと進み、やがて入口が目前まで迫る。
黒いカーテンの向こうからは、不気味な風の音と低いうめき声が漏れ聞こえてきた。中の様子は見えないはずなのに、そこに何かが潜んでいるような気配だけが、じわじわと伝わってくる。その空気に、レイラの笑顔が少しだけ引きつる。
「……な、なんか思ったより本格的じゃない?」
先ほどまでの勢いはどこへやら、声がわずかに上ずっている。
「今さら帰る?」
そうしてレッドが意地悪く笑う。わざとらしく肩をすくめてみせるその態度に、レイラはむっとしたように頬を膨らませた。
「か、帰らないもん! ここまで来たら行く!」
そう言いながらも、その手は無意識にレッドの制服の袖を掴んでいた。本人は気づいていないのか、それとも気づかないふりをしているのかは分からない。
レッドはそのことを指摘せず、小さく笑うだけだった。こういう時に余計なことを言えば、かえって面倒になるのは目に見えている。そして係員が静かに入口を開く。
「次の4名様、どうぞ」
4人は顔を見合わせ、小さく頷く。それぞれの表情には、期待と不安が入り混じっていた。けれど、ここまで来た以上はもう引き返せない。
――ゆっくりと、1歩ずつ。薄闇に包まれたお化け屋敷の中へ足を踏み入れた。
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