第51話「詠う少女は風の聲吹く夢を見る」
観光祭が始まって数時間。昼を迎えたカラミティアルランドは、朝以上の賑わいを見せていた。各地から集まった観光客が会場を埋め尽くし、どこを歩いても笑い声が絶えない。
潮風が屋台の香りを運び、色鮮やかな旗が風に揺れる。まるで街全体が1つの祝祭となったかのような光景だった。
そしてレッドたちの焼きそば屋台も、ようやく客足が落ち着き始めていた。レッドは額の汗を拭い、小さく息を吐く。
「ふぅ……さすがに疲れたな。」開始からずっと焼きっぱなしだったし」
鉄板の前では班員たちが次の担当へ引き継ぎを始めている。先生も各班を見回りながら頷いた。
「今のところ順調ですね〜。休憩に入る人は、時間まで自由に楽しんできてください!」
「はーい!」
その言葉を聞いた瞬間、レイラが勢いよく跳ねた。そしてそのまま腕を掴まれ、そのまま人混みへ連れて行かれる。レッドは苦笑しながらも抵抗はしなかった。
「やったぁーー!! 自由時間! レッド行くよ!」
「待て待て、急に引っ張るな。どこ行くんだよ」
「まだ決めてない!」
「じゃあ止まろ? 行き当たりばったりすぎる」
「えへへ」
そんな他愛もないやり取りを交わしながら、2人は観光祭の会場を歩き始めた。射的。輪投げ。大道芸。特設ステージ。
どこを見ても高校生たちが工夫を凝らした出し物で溢れている。
「本当に文化祭みたいだな。学校より規模大きいけど」
「ね! あっちも楽しそう! こっちも!」
レイラは目を輝かせながら次々と視線を移していく。その様子は、遊園地へ初めて来た子どものようだった。しかし、しばらくすると突然レイラが立ち止まる。
「そういえば! もうすぐライブ始まるらしいよ!」
「ライブ? あぁ、ステージ担当の班が準備してたやつか」
「そうそう! 一般参加もあるんだって! 歌とか演奏とか!」
「へぇ、それは面白そうだな」
「行こ行こ! ほら早く!」
「分かった分かった」
そしてレッドは笑いながら後を追う。2人が向かった先には、特設ライブステージが設けられていた。屋外とは思えないほど本格的な設備。大型スピーカー。照明。観客席――開始前にもかかわらず、すでに多くの人が集まり始めている。
「結構人気なんだな。ここまでくると高校生のイベントとは思えないよ」
「だって無料だもん!」
「それ理由か?」
「重要だよ!」
そして2人は笑いながら後方の観客席へ腰を下ろした。やがて照明が少し落とされ、司会役の生徒がステージ中央へ姿を現す。
「皆さん、お待たせしました! これよりライブステージを開始します!」
大きな拍手が会場を包む。数組の演奏やダンスが披露されるたびに歓声が上がり、観客たちの熱気も徐々に高まっていく。
そして一通りパフォーマンスが進むと、司会者が1枚の紙へ目を落とした。
「続いては——私たちと同じく観光で訪れている一般参加の高校生による歌唱です! どうぞ、大きな拍手でお迎えください!」
その頃、ステージ裏。1人の少女が静かに深呼吸をしていた。――エルナ・エヴァレット。
ほんの少しだけ緊張した表情で、自分の胸元へそっと手を当てる。
「……よしよし、落ち着いて」
そう言い聞かせるように小さく呟く。その隣では、フランが不安そうに周囲を見回していた。
「ほ、本当に歌うの……? すごい人だよ……?」
客席から聞こえてくる拍手だけで、足がすくみそうになる。しかしエルナは優しく笑った。
「うん、一回だけでも挑戦してみたかったんだ〜。せっかくここまで来たんだから、思い切って歌ってみるよ!」
その笑顔には、不思議と人を安心させる力があった。するとやがてスタッフが声を掛ける。
「エルナさん。準備できました。いつでも大丈夫です」
「はい!」
返事をしたエルナは、もう一度だけ深く息を吸う。胸の鼓動は速い。けれど、不思議と恐怖はなかった。歌いたい。ただ、その想いだけが心の中で静かに灯っていた。
やがてステージへ続く扉がゆっくりと開く。眩しい光が差し込み、無数の観客の姿がその先に広がっていた。エルナは小さく微笑む。
「……行ってきます!」
「⋯⋯うん」
そしてフランは彼女なりの精一杯の笑顔で手を振った。その応援を背に受けながら、エルナは静かにステージへと歩き出す。
やがてステージへ姿を現した少女に、会場の視線が一斉に集まる。柔らかな陽光が降り注ぐ昼下がり。天窓から差し込む光は一本の道のようにステージを照らし、その中心に立つエルナの姿を淡く包み込んでいた。
透き通るような肌。風に揺れる髪。静かに息を整えるその横顔は、どこか儚く、それでいて不思議な存在感を放っている。
「……あ」
すると、客席でレイラが目を丸くした。
「あの子……エルナちゃん!」
「うん? あぁ、さっき焼きそばを買いに来た子だ。まさか歌うなんてね」
「びっくりだよ!」
そうしてレッドも視線を向ける。レイラは嬉しそうに身を乗り出した。
「頑張れぇーー!」
その声は届かなかったかもしれない。それでもエルナは、小さく微笑んだように見えた。客席のざわめきが、ゆっくりと静まっていく。
誰もが彼女を見つめていた。そして、司会者が1歩下がる。
「それでは——お願いします!」
エルナは静かに目を閉じる。胸いっぱいに息を吸い込み、ゆっくりと吐く。そして――唇が、そっと開いた。
『 眠れぬ星が 空をさまよう
名前もないまま 朝を待ってる
誰かの夢を そっと照らして
消えそうな声で 呼びかけていた
触れた光が すぐに消えても
まだ探してる あなたの影を
胸の奥で 揺れる願いが
風にほどけて 空へ舞い上がる
わたしの声が 届くのなら
どうか あなたに 光を
迷う心に 寄り添うように
そっと そっと 触れたい
たとえ遠く離れていても
想いは空を渡っていく
あなたの明日が 曇らぬように
どうか どうか 光を
眠れぬ星が 空をさまよう
その隣には わたしがいるよ
声が届くと 信じられたら
きっと あなたに 光を 』
透明だった。それは歌声というより、澄み切った泉へ1滴の雫が落ちたような音色。優しく、温かく、それでいてどこか切ない。空気そのものが歌に耳を澄ませているようだった。
観客の誰もが言葉を失う。子どもたちは遊ぶことを忘れ、大人たちは自然と歩みを止める。潮風さえ穏やかになり、木々の葉擦れすら伴奏になったかのようだった。レイラは思わず胸の前で手を握る。
「……すごい⋯⋯なんか……胸がぽかぽかする」
その隣では、レッドも静かに聴き入っていた。歌の技術だけではない。そこには、誰かを想う気持ちそのものが乗っていた。だからこそ、自然と心へ届くのだろう。
(この子……歌で、人の心を動かしてる)
気づけば会場全体が静寂に包まれていた。誰1人として物音を立てない。ただ1人の少女の歌だけが、この広い会場を満たしている。
そして最後の一節が、空へ溶けるように消えていく。
そして、歌が終わっているはずなのに、誰も拍手を忘れていた。それほどまでに、歌の余韻が会場を支配していたのである。やがて――。
パンッ——。
1人の観客が手を叩く。その音をきっかけに、次々と拍手が重なっていく。小さな波紋は瞬く間に大きなうねりとなり、割れんばかりの拍手と歓声がライブ会場を包み込んだ。
「すごーい!」
「感動した!」
「鳥肌立った……!」
惜しみない称賛を浴びながら、エルナは少し照れたように微笑む。そして胸の前で両手を重ねると、深く一礼した。
その姿は最後まで凛としていて、美しかった。司会者も呆然としたままマイクを握り直す。
「……あ、ありがとうございました! えっと、それでは……次のパフォーマンスまで、しばらくお待ちください!」
そしてようやく我に返った会場から笑いが起こる。レイラは興奮したままレッドの肩を何度も叩いた。
「レッド! レッド! すごかった! びっっっくりした!」
レッドは苦笑しながら肩をさする。
「痛い痛い。もっと他に感想あるだろ」
「えーっと……すごくて……ピカピカしてた!」
「……語彙力よ」
そう言いながらも、レッドの視線はステージ袖へと消えていくエルナの背中を追っていた。その歌声は、確かに多くの人の心へ、小さな光を灯していた。
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