第49話「観光祭、開幕」
カラミティアルランド――その中心街から離れた森林地帯。観光客で賑わう華やかな景色とは対照的に、その奥深くは異様なまでの静寂に支配されていた。
空高く伸びる木々が陽光を遮り、地面へ落ちる光はわずかな木漏れ日だけ。
鳥のさえずりは聞こえない。風も吹かない。葉1枚揺れることなく、森そのものが息を潜めているかのようだった。
静かすぎる――その違和感は、生物が本能で危険を察知したときに覚える感覚によく似ていた。そんな沈黙の中心に、1人の少女が立っている。短く整えられた髪を揺らし、冷たい眼差しで森を見渡すその姿は、この静寂さえ支配しているようだった。
その正体は、ゼノカディア幹部――[No.2]であるウィザーから前の会議で任務を命じられた少女だ。そして、彼女はゆっくりと口元を緩めた。
「……それじゃ。始めましょうかね――」
その声とともに、両腕が静かに左右へ広げられる。すると――足元から白い霧がふわりと立ち上った。最初は細い煙のようだったそれは、瞬く間に濃さを増し、木々の根元を這うように広がっていく。
霧は生き物のようだった。枝を避け、岩肌を這い、森の隅々まで染み込むように侵食していく。
やがて地表だけでは収まらず、空へ向かってゆっくりと舞い上がった。白かった霧は次第に灰色へ。灰色はさらに濃くなり、まるで曇天そのものが地上へ降りてきたかのように森全体を覆い尽くしていく。
陽射しが消えた。昼間であるにもかかわらず、辺りは夕暮れよりも暗く染まっていく。現実の輪郭が少しずつ曖昧になる。木々は歪み、道は霞み、距離感さえ狂っていく。
まるで世界そのものが別の景色へ塗り替えられていくようだった。少女はその光景を満足そうに眺め、小さく呟く。
「……いい感じ。やっぱり、さすがは私」
霧はなおも広がる。しかし不思議なことに、その異変に気付く者はいない。観光エリアでは、いつもと変わらず笑い声が響き、人々は祭りを楽しんでいた。
まるでこの森だけが、世界から切り離された異空間になったかのように。そして少女はゆっくりと踵を返す。
「さて……舞台は整った。ここへ迷い込むのは、どんな人間かしら」
その瞳に宿るのは期待ではない。獲物を待つ捕食者のような愉悦だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
一方その頃――観光祭会場では、準備開始から約2時間が経過していた。朝から慌ただしく動き続けていた生徒たちも、ようやく最後の確認へ入っている。
屋台には商品が並び、ステージでは音響チェックが進む。会場全体が始まりの空気に包まれていた。レッドは額の汗を拭いながら、大きく伸びをする。
「よーし! やっと終わったぁ……!」
その声に班員たちも笑顔で振り返る。そしてそのままレッドは続ける。
「本格的に始まる前に、焼きそばどんどん仕込むぞ!」
「おーっ!!」
力強い返事が響く。すると1人だけ、誰よりも元気な声が会場中へ突き抜けた。
「うぉぉぉぉーーーっ!!!」
レイラだった。両手を突き上げ、今にも祭りへ飛び込んでいきそうな勢いで飛び跳ねている。
「……元気だな、お前は」
レッドが苦笑すると、レイラは満面の笑みを浮かべて親指を立てた。
「今日はお祭りだからね! 全力で楽しまなきゃ損だよっ!」
その無邪気な笑顔に、班員たちも自然と笑みをこぼす。誰もが、この1日が最高の思い出になると信じていた。
しかしまだ誰1人として――森で静かに始まった異変を知る者はいなかった。
その中で、先生の開会宣言と同時に、観光祭の幕が華やかに上がった。
「それでは皆さん! 観光祭、開幕です! 思いっきり盛り上がっていきましょう!」
会場中から大きな拍手と歓声が湧き起こる。その声は青空へと突き抜け、広大なカラミティアルランド全域へ響き渡った。
ほどなくして、園内放送が流れ始める。
『ただいまより、高校生による観光祭を開催いたします。焼きそばやスイーツなどの飲食ブースをはじめ、ステージイベント、お化け屋敷、体験型アトラクションなど、多数の催しをご用意しております。ぜひお楽しみください』
各所に設置された大型モニターにも観光祭の広告映像が映し出される。色鮮やかな映像と軽快な音楽が人々の興味を引き、観光客たちは次々と足を止めた。
「高校生のイベントだって!」
「へぇ、なんか面白そう!」
「行ってみようよ!」
「焼きそばあるじゃん!」
「ライブもやるらしいよ!」
家族連れも、友人同士も、恋人同士も。まるで大きな波が押し寄せるように、人々は観光祭会場へ集まり始める。
10分もしないうちに、広場は大勢の来場者で埋め尽くされた。どの屋台にも長い列ができ、あちらこちらから呼び込みの声が飛び交う。
「いらっしゃいませー!」
「こちら出来立てでーす!」
「体験無料ですよー!」
笑顔。笑い声。子どもたちのはしゃぐ声。そのすべてが重なり合い、会場全体が1つの大きな祭りとして息づいていた。
海から吹き抜ける爽やかな風が色とりどりの旗を揺らし、その先にはどこまでも澄み渡る青空が広がっている。誰もが今日という1日を楽しみに訪れていた。
そして、その期待に応えるように、生徒たちも全力で声を張り上げる。
「ありがとうございましたー!」
「またお越しくださーい!」
「次のお客様どうぞー!」
その活気は、まるでこの場所全体が生きているかのようだった。もちろん、レッドたちの焼きそば屋台も例外ではない。
「あの、焼きそば2つお願いします!」
「はい! 少々お待ちくださーい!」
注文票を受け取った班員がすぐさまレッドたちへ声を飛ばす。それを受けたレッドは調理をしているレイラに注文内容を伝える。
「レイラー、焼きそば3つ追加だってー!」
「うんっ! 一気に仕上げちゃうから任せて〜!」
レイラは満面の笑みで返事をすると、鉄板の前へ立つ。熱せられた鉄板の上で麺が軽快な音を立てる。
ジュウゥッ――。
ソースが絡む香ばしい匂いが辺りへ一気に広がった。レイラは両手に持ったヘラを器用に動かし、リズムよく麺を返していく。
湯気が立ち上り、その髪がふわりと揺れた。慣れた手つき。迷いのない動き。楽しそうな笑顔。
その姿は料理というより、1つのパフォーマンスのようですらあった。班員が思わず目を丸くする。
「すごい……」
「あの勢いなのに全然疲れてるように見えない……」
「料理が得意ってだけある⋯⋯」
「どんどん作ってくよ〜! レッド取ってって〜!」
「了解!」
レッドは出来上がった焼きそばを次々と受け取り、素早く容器へ盛り付けていく。そして接客担当の班員へ渡す。
「焼きそば3つです! お待たせしました!」
「ありがとうございます!」
すると観光客たちは嬉しそうに商品を受け取り、その場で笑顔を浮かべる。すると列に並んでいた女性客が、小さく呟いた。
「ねぇ。あの女の子が作ってる焼きそば、すごく美味しそうじゃない?」
「あー分かる。なんか見てるだけで食べたくなるね」
「絶対あの子が作ったやつ選びたい!」
その言葉が耳へ届いたレイラは、少し照れくさそうに笑いながら、小さく胸の前でピースを作る。
「えへへっ♪」
無邪気な笑顔に、客たちもつられて笑顔になる。観光祭は最高のスタートを切っていた。
――しかしこのあと訪れる運命の出会いなど、まだ誰も知る由もなかった。
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