第48話「鼓動する心情と風の歌」
観光祭の準備は、なおも順調に進んでいた。鉄板には火が入り始め、じわじわと熱を帯びた金属の表面から、食欲をそそる香ばしい匂いが会場のあちこちへ広がっていく。
木槌で看板を固定する音、楽しそうに笑い合う生徒たちの声、潮風に揺れる色鮮やかな旗。それらが重なり合い、祭りの始まりを告げるような活気となって、この広場全体を包み込んでいた。
レッドたちの焼きそば班も、最後の確認へ入っている。段ボールの中身を整理し、鉄板の周囲に必要な道具を並べ、誰が何を担当するのかを改めて確認する。
「麺、こっち置いとくぞ」
「ありがとー!」
「ソースあと3本ある?」
「ここだよー!」
班員同士が声を掛け合いながら、手際よく準備を進めていく。そのやり取りは慌ただしいはずなのに、どこか楽しげで、見ているだけでも自然と気持ちが明るくなるようだった。
そんな中、レイラはキャベツを切り終え、ふぅ、と小さく息をついた。包丁を置き、まな板の上に残った細かな葉を軽く払う。
「これで、終わりかなぁ……」
そのときだった。近くを歩いていた別のクラスの男子生徒2人の会話が、ふと耳へ飛び込んでくる。
「そういえばさ。この辺に有名な恋愛神社があるらしいぜ」
「恋愛神社? なんだそれ」
「知らないのか? ここじゃ結構有名なんだって。カップルで参拝すると末永く結ばれるって言われてるらしい」
「へぇ~。そういうの本当にあるんだ」
「しかもさ。恋人がいない人でも、恋愛成就のご利益があるとか。」
「おぉ、それは気になるな」
「俺、今日終わったら彼女と行く約束してるんだ」
「はいはい、ごちそうさま」
「なんだよその反応!」
そして2人は笑いながら、そのまま人混みの中へ消えていった。何気ない、ほんの短い会話だった。けれどレイラは、置いた手を止めたまま、その背中をぼんやりと見送る。
(……そんな場所、あるんだ)
胸の奥に、ふわりと小さな波紋が広がる。ほんの些細な話のはずなのに、その言葉だけが妙に耳に残って離れない。
無意識に、視線がレッドの方へ向く。レッドは班員たちと話しながら鉄板の位置を調整していた。真剣な表情。時折見せる笑顔。幼い頃から何度も見てきた、変わらない横顔だった。
その姿を見ているだけで、なぜか胸の奥がそわそわと落ち着かなくなる。
(……もし、一緒に行ったら……)
そこまで考えた瞬間。
「――っ!」
レイラは勢いよく首を横へ振る。自分でも驚くほど大きな動きだった。
(ち、違う違う! それは⋯⋯自分の力で⋯⋯!)
頬がほんのり熱くなる。理由は自分でも分からない。ただ、2人の男子生徒の言葉を聞いてから、心臓だけが少し落ち着かなかった。
胸の鼓動が、いつもよりほんの少しだけ速い。その違和感に気づいてしまったせいで、余計に意識してしまう。
「レイラ〜! ぼーっとしてないで手伝って〜!」
すると、班員の声でレイラは我に返る。
「ふぇっ!?」
肩をびくりと震わせ、慌てて振り返る。完全に意識が別の場所へ飛んでいたことを自覚し、レイラはあたふたと手を振った。
「ご、ごめん! 今行く〜!」
急いで駆け寄るものの、どこか動きがぎこちない。まるで足元が少しふわふわしているみたいに、落ち着きがない。
その様子を見たレッドが、不思議そうに首を傾げた。
「……あ、やっと戻ってきた。何してたの?」
「えっ、えっとね……!」
レイラは口を開く。しかし、何から話せばいいのか分からない。さっき耳にした会話も、胸の奥でざわついている気持ちも、うまく言葉にできないまま、焦りだけが先に立ってしまう。
「あのね……! そのね……! えっと……!」
言葉だけが空回りしていく。するとレッドは苦笑しながら肩をすくめた。
「そんな焦ってどうした。何かあったのか?」
「ち、違うの!」
レイラはぶんぶんと首を振る。そして、思わず勢いのままに口を開いた。
「なんか……すごい神社があるんだって!」
「神社?」
「うん! れんあ……じゃなくて! えっと! と、とにかく有名なんだって!」
危うく本当の名前を言いかけ、慌てて飲み込む。自分でも何を隠そうとしているのか分からなくなり、余計に顔が熱くなる。
そんなレイラの様子には気付かず、レッドは素直に頷いた。
「へぇ、面白そうだね。時間があったら見てみたいかも」
「……!」
その一言だけで、レイラの表情がぱっと明るくなる。さっきまでのそわそわした空気が嘘みたいに、目の奥に小さな光が灯った。
「だ、だよね! すごいよね!」
思わず前のめりになるレイラに、レッドは少しだけ後ずさる。
「いや……その前に⋯⋯今日はやけにテンション違うな。なんか逆に怖い」
「えっ!? そ、そんなことないもん!」
慌てていつもの笑顔を作るレイラ。けれど胸の奥では、小さな鼓動だけが、さっきより少しだけ速くなっていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――その頃。観光祭の準備で賑わうメインエリアから少し離れた場所。人通りの少ない湖畔には、朝の静けさが今もなお残されていた。
澄み渡る青空を映した湖面は、まるで1枚の鏡のように穏やかに輝いている。風は優しく木々の葉を揺らし、そのざわめきに合わせるように、小鳥たちが枝から枝へと飛び移っていた。
街の喧騒が遠く霞むこの場所だけは、時間の流れさえゆっくりになったかのようだった。その湖畔を、1人の少女がゆっくりと歩いている。
昨日、駅で観光パンフレットを眺めていた少女。そして今日、期待を胸にこのリゾート地を訪れた少女だった。肩の上辺りまで伸びた髪を風になびかせながら、彼女は景色を眺めて小さく微笑む。
「……きれい」
ただその一言だけで、この景色への感動が十分に伝わる。少女は湖のほとりで立ち止まり、深く息を吸い込んだ。
潮風とは違う、水辺特有の涼やかな空気。花々のほのかな香り。自然が奏でる音色。そのすべてを胸いっぱいに吸い込みながら、彼女はどこか嬉しそうに目を細める。
そして、彼女は小さく鼻歌を歌い始めた。
「ラ、ララ〜♪ ラララ〜♪」
柔らかな旋律が、静かな湖畔へと溶け込んでいく。歩幅に合わせて自然と口ずさまれるその音色は、どこか子守唄のようにも聞こえた。
少女はくるりと一回転し、太陽へ向かって両手を広げる。眩しい陽射しに目を細めながら、小さく笑った。
「今日は、いっぱい思い出作ろう――!」
その言葉は、まるで自分自身へ言い聞かせるようだった。もう1度湖を見つめる。穏やかな水面に映る自分の姿。
その景色に導かれるように、少女は静かに歌い始める。それは鼻歌ではなく、1つの“歌”だった。
――眠れぬ星が 空をさまよう
――誰かの夢を 探しながら
――わたしの声が 届くのなら
――どうか あなたに 光を
澄み切った歌声が、風に乗って湖の向こうまで響いていく。どこまでも優しく、どこまでも透き通るように。まるで、この世界そのものを包み込むような温かさを宿していた。
その歌声に応えるように、小鳥たちはさえずりを止める。木々を揺らしていた風も、ほんの一瞬だけ静まり返った。湖面には、小さな波紋がゆっくりと広がっていく。
自然さえ耳を澄ませているような、不思議な時間だった。歌い終えた少女は、少し照れくさそうにはにかむ。
「……てへへ。やっぱり歌うと気持ちいいな〜」
誰に聴かせるでもなく、ただ景色に溶け込むように紡がれた歌。しかし、その歌声は偶然にも、風に乗って遠くまで運ばれていた。
まだ少女は知らない。その優しい歌声が、この広大なカラミティアルランドのどこかで、誰かの耳へ届こうとしていることを。
そして、その小さな偶然が、やがて運命の歯車を静かに動かし始めることを――。
面白いと思ったら、ページ下の【☆☆☆☆☆】やブックマーク等でぜひ応援をお願いします!




