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エレメントクロニクル-Element Chronicle  作者: 水城ゆら
1章【新命の始まり編】
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第3話「エレメンターとは」

 レッドは、不意にその手を止めた。キーボードの上に置かれた指先は微動だにせず、視線はパソコンの画面へと釘付けになっている。先ほどまで次々と検索結果を開いていた動きが嘘のように止まり、まるで時間そのものが静止したかのようだった。



「まさかとは思ったが……」



 掠れた声が漏れる。その表情には驚きと困惑、そしてわずかな確信が入り混じっていた。



「本当に、そのまさかだったとは……」



 胸の奥がざわつく。昨日から抱いていた予感はあった。左手に刻まれた紋章。炎を纏った狐。そして今朝、自分の身に起きた不可解な現象。

 それらが一つの線で繋がる可能性は考えていた。だが、予想していたことと、それを現実として突きつけられることはまったく別の話だ。頭では理解できる。しかし感情が追いつかない。



「ねぇ、本当にどうしたの? 大丈夫⋯?」



 向かい側に座っていたレイラが、不安そうに顔を覗き込んだ。



「顔色悪いよ⋯?」


「……ああ」



 レッドはゆっくりと息を吐く。慌てても仕方がない。まずは落ち着かなければならなかった。



「そうだな。とりあえず落ち着こう」



 そう口にしたものの、それはレイラへ向けた言葉というより、自分自身へ言い聞かせるためのものだった。レイラはまだ何も知らない。

 自分が幼い頃から興味本位で調べていた都市伝説や未確認現象が、まさか自分たち自身と関係しているなど想像もしていないだろう。


 それが普通だ。むしろ、その反応こそ正常と言える。だがレッドには確信があった。これは偶然ではない。昨日の出来事も、左手の紋章も、すべて繋がっている。そして、その答えが今まさに画面の向こうに表示されていた。



「レイラ」


「ん?」


「お前、本当にエレメンターって知らないのか?」



 レイラは数回瞬きをした後、不思議そうに首を傾げた。



「知らないけど?」



 予想通りの返答だった。レッドは苦笑する。



「だよな」



 ――エレメンター。その言葉は一般社会ではほとんど知られていない。学校で習うこともなければ、ニュースで取り上げられることもない。存在そのものが都市伝説に近いものだった。



「じゃあ、その左手を見てみろ」


「左手?」



 レイラは首を傾げながら、自分の手の甲へ視線を落とした。そこには、水と氷を思わせる淡い蒼色の紋章が刻まれている。昼間に見た時と変わらず、消える気配はまったくなかった。



「そのマークと、これを見比べてみろ」



 レッドはパソコンの画面を彼女へ向ける。表示されていたのは古い資料を撮影したと思われる画像だった。そこには、レイラの手の甲に刻まれたものと酷似した紋章が描かれている。



「ほら」


「うーん……」



 レイラはしばらく見比べた後、あっけらかんと言った。



「何かのアザじゃない?」


「こんな整ったアザがあるか」


「ないとは限らない!」


「限ると思う」



 即答だった。昔からレイラはこういう性格だ。大抵のことは深刻に考えない。だからこそ救われることもあるのだが、今だけはもう少し危機感を持ってほしいとも思う。

 レッドは肩を落とした。まるで子供に宿題を説明しているような気分だった。



「過去のエレメンターにも、この紋章があったらしい」


「へぇ〜」



 レイラは感心したように頷く。しかし次の瞬間には鞄からクッキーの入った袋を取り出していた。



「それよりおやつ食べる?」


「聞いてたか?」


「聞いてたよ」



 そう言いながら、すでにクッキーを口へ運んでいる。緊張感という言葉を知らないのだろうか。レッドは深いため息を吐いた。――だが、その時だった。部屋の空気がわずかに揺らいだ気がした。


 窓は閉まっている。風が入り込むはずもない。それなのに空気そのものが震えた。まるで何かが近付いてくるような、不思議な感覚だった。肌を撫でる見えない気配に、レッドは思わず背筋を伸ばす。

 そして次の瞬間――。



「本当に、そう感じているのか? そこの少年よ――」



 聞いたことのない声が、部屋の中へ響いた。男とも女とも判別しにくい、不思議な声だった。決して大きな声ではない。むしろ穏やかですらある。しかし、その一言には妙な重みがあった。

 レッドとレイラは同時に顔を上げる。



「えっ?」



 レッドは反射的に立ち上がった。声の主を探して部屋を見回すが、それらしい人物の姿はない。玄関から誰かが入ってきた気配もなかった。



「今の声……」



 レイラもクッキーを持ったまま辺りを見回している。その時だった。 視界を埋め尽くすほどの光が突如として溢れ出した。



「なっ――!」



 レッドは思わず腕で目を庇う。見覚えがあった。忘れるはずがない。昨日、自分を包み込んだあの光だ。



「ま、眩しい!」


「えっ!? えっ!? なになになに!?」


「俺に聞くな!」



 部屋全体が白く染まる。光は数秒ほど続き、やがてゆっくりと収まっていった。そして視界が戻った時――。そこには二つの影が浮かんでいた。宙に浮いている。まるで重力など存在しないかのように。その姿を認識した瞬間、レッドは息を呑んだ。



「……あ」



 炎を纏う狐。水と氷を纏う狐。昨日見た存在が、そのまま目の前に現れていた。

 炎の狐は赤金色の毛並みを揺らし、その周囲には揺らめく炎が漂っている。しかし不思議なことに熱は感じない。燃え盛る炎であるはずなのに、どこか神聖な灯火のような静けさを纏っていた。


 一方、水と氷の狐は透き通るような蒼い毛並みを持ち、その周囲には小さな氷晶が舞っていた。部屋の空気がわずかに冷たくなったような気さえする。氷の粒は光を受けて淡く輝き、その姿に幻想的な美しさを添えていた。


 どちらも現実離れした存在感を放っていた。ただそこにいるだけで、人ならざるものだと理解できる。理屈ではない。本能が告げていた。目の前にいるのは、人間の常識では測れない存在なのだと。



「……ふっ。どちらも不思議そうな顔をしているな」



 炎の狐が口を開いた。その声は低く落ち着いていたが、どこか豪放さを感じさせる響きを持っていた。



「無理もないわね」



 続いて水と氷の狐が微笑むように言った。その声音は澄んだ水面のように穏やかで、聞いているだけで不思議と心が落ち着く。



「私たちが授けたうちの二人は、この子たちで間違いないようだもの」


「そうだな。それでは改めて――ごきげんよう。レッド、レイラ」



 自分たちの名前が呼ばれた瞬間、レッドの肩が跳ねた。



「なっ……なんで俺たちの名前を知ってるんだ!?」


「えっ」



 レイラも目を丸くする。しかし次の瞬間、レイラは狐たちを指差した。



「あっ!!」


「ん?」


「あの時のピカピカ野郎!」



 一瞬、部屋の空気が固まった。炎の狐の耳がぴくりと動く。水と氷の狐は苦笑していた。



「……ピカピカ野郎とは失礼ね」


「まぁまぁ」



 炎の狐が肩をすくめるような仕草をする。



「まずは自己紹介だろ」


「それもそうね」



 水と氷の狐が頷いた。そして炎の狐がゆっくりと一歩前へ出る。揺らめく炎がその動きに合わせて尾を引き、赤金色の瞳が真っ直ぐ二人を見据えた。その瞳には、人間とは異なる長い年月を生きてきた者だけが持つ深みが宿っていた。


 まるで遥か昔から世界の行く末を見守り続けてきたかのような、静かな威厳がそこにはあった。神話や伝承の中でしか語られない存在。誰もが空想の産物だと思うような存在。


 その神獣が今、確かに目の前にいる。レッドは無意識のうちに息を呑んだ。胸の鼓動が早まる。今朝から続く不可解な出来事。その答えが、ようやく目の前に現れようとしていた。そして炎の狐はゆっくりと二人を見渡した後、静かに口を開いた。



「俺は『フレイ』。炎を司る神獣だ」



 その声には確かな力強さがありながら、不思議と人の心を落ち着かせる響きがあった。続いて、水と氷を纏った狐が優雅な所作で一礼する。



「私は『ミズリー』。水と氷を司る神獣よ。よろしくね、レッド、レイラ」



 神獣――。その言葉が改めて部屋の中に響く。レッドは思わず額に手を当てた。昨日まで都市伝説や伝承の類だと思っていた存在が、今こうして目の前で自己紹介をしている。到底現実とは思えない光景だった。



「神獣って……本当に、あの神獣なのか?」


「どの神獣を想像しているのかは分からないが、おそらくその神獣だ」



 フレイはあっさりと答えた。



「伝承や古い記録の中で語られている存在。今はそのような認識で大丈夫よ」



 ミズリーも穏やかに補足する。レッドは言葉を失った。一方でレイラは感心したように何度も頷いている。



「へぇ~、本当にいたんだ〜」


「お前、順応が早すぎないか?」


「だって目の前にいるし〜?」


「それで納得できるのがすごいんだよ」



 レッドの呆れたようなツッコミに、フレイは小さく笑みを漏らした。



「面白いな、お前たちは」


「選んだ甲斐があったかもしれないわね」



 ミズリーも楽しそうに目を細める。しかし次の瞬間、2匹の表情がわずかに引き締まった。その変化を察したレッドも、自然と姿勢を正す。



「さて、本題に入ろう」



 先ほどまでの柔らかな空気とは異なり、フレイの声には重みがあった。



「お前たちは今朝、俺たちから力を授かった」


「その力こそがエレメント。そして、その力を授かった者をエレメンターと呼ぶの」



 ミズリーの言葉に、レッドは静かに左手へ視線を落とした。昨日から消えることのない紋章。やはり、この刻印こそがその証なのだろう。



「つまり……俺たちはエレメンターになったってことか」


「その通りだ」



 フレイは力強く頷いた。



「レッド、お前は炎のエレメントを授かった」


「レイラ、あなたは水と氷のエレメントを授かったのよ」



 レイラは自分の左手を見つめる。その表情には、ようやく事の重大さを理解し始めた戸惑いが浮かんでいた。



「私、本当にそんなすごい力を持っちゃったの……?」


「持ったわ」



 ミズリーは迷いなく答える。



「しかも、かなり特別な力よ」


「特別どころじゃない」



 フレイが言葉を継いだ。



「現在、この世界でエレメンターとして選ばれている人間は4人しかいない」


「4人?」



 レッドが眉をひそめる。



「そうだ」



 フレイは静かに頷いた。



「炎、水氷、風、雷。それぞれのエレメントを授かった者が一人ずつ存在する」


「つまり、あと2人いるってこと?」



 レイラの問いに、ミズリーが頷く。



「ええ。風と雷のエレメンターがいるわ。ただし、まだあなたたちは出会っていないけれど」


 その言葉を聞きながら、レッドは考え込んだ。――世界中に4人しかいない。その事実を改めて突きつけられると、自分たちが選ばれたという現実の重みが一気に増したように感じられた。



「でも、なんで俺たちなんだ? もっと強い人とか、頭のいい人とかいたり⋯」



 するとフレイとミズリーは顔を見合わせる。どちらもどこか意味深な笑みを浮かべていた。



「神獣には神獣なりの基準がある」


「それ以上は秘密よ」


「答えになってないぞ」


「今はそれで勘弁してくれ」



 フレイは悪びれる様子もなく言った。レッドは深く息を吐く。これ以上追及しても答えは返ってこないだろう。それよりも、今はもっと重要な話がある。



「さっき言ってた『本題』って何なんだ?」



 その瞬間だった。2匹の纏う空気が変わる。先ほどまでの穏やかな雰囲気は消え、部屋の空気がわずかに張り詰めた。気のせいか、温度まで下がったように感じられる。



「この世界では今、異変が起きている」



 フレイが静かに告げた。



「異変……?」


「突然建物が崩壊する。何の前触れもなく街の一角が凍りつく。原因不明の爆発が起きたり、ね」



 ミズリーの説明を聞いた瞬間、レッドは目を見開いた。最近ニュースで見た出来事と一致していたからだ。



「それって……」


「ああ」



 フレイは静かに頷く。



「お前たちが知っている事件の多くは、その異変によるものだ」


「でもニュースでは事故とか自然災害って……」


「表向きはな」



 フレイの声が低くなる。



「だが実際は違う」


「異変は自然現象ではないの」



 ミズリーが静かに続けた。



「誰かが意図的に引き起こしているものよ」



 部屋が静まり返る。レッドもレイラも言葉を失った。



「誰かって……」


「ある組織よ」



 ミズリーは静かに答えた。



「ただし、その正体は今も分かっていない」


「俺たちは長い間、その組織を追い続けてきた」



 フレイの瞳がわずかに細められる。



「だが、完全な特定にも壊滅にも成功していない」



 その言葉には、長い年月を費やしても届かなかった悔しさが滲んでいた。神獣ですら止められなかった存在。その事実に、レッドは背筋が冷たくなるのを感じた。



「じゃあ俺たちは……」


「異変を解決する」



 フレイは迷いなく答えた。



「それがエレメンターの役目だ」


「もちろん、最初から全てを背負えなんて言わないわ」



 ミズリーの声は優しかった。



「私たちもサポートするし、少しずつ覚えていけばいいの」


 レイラは膝の上で手を握りしめる。さすがに今は冗談を言う余裕もないらしい。



「先代のエレメンターもいたの?」



 その問いに、フレイは静かに頷いた。



「ああ」


「彼らは長い間、この世界を守り続けてきた」



 ミズリーの声にはどこか懐かしさが滲んでいた。



「だから異変が表に出ることはほとんどなかったの」


「でも……」


「先代はもういない」



 フレイが言葉を継ぐ。



「それからは俺たちだけで異変を抑えてきた」


「だけど、もう限界が近付いているの」



 ミズリーの表情が曇った。



「だから再びエレメンターが必要になったのよ。」



 レッドは黙って話を聞いていた。頭の中はまだ整理しきれていない。だが、一つだけ確かなことがある。これは冗談でも夢でもない。自分たちは本当に、とてつもない出来事の渦中へ足を踏み入れてしまったのだ。レイラも同じことを感じているのだろう。いつもの明るい表情は消え、真剣な眼差しで神獣たちを見つめていた。



「……なるほどな」



 しばらくして、レッドが口を開く。



「改めて言うけど、本当にそのまさかだったってわけか」


「ようやく受け入れたか」



 フレイが笑う。



「少しはな」



 レッドも苦笑した。



「正直、まだ信じ切れてない」


「それで十分よ」



 ミズリーは穏やかに微笑む。



「最初から全てを理解できる人なんていないもの」


「じゃあ俺たちは、これからどうすればいい?」



 レッドの問いに、フレイはゆっくりと答えた。



「まずは普段通り生活しろ」


「学校も?」


「もちろんだ」



 意外な答えだった。



「異変が起きた時は俺たちが知らせる」


「どうやって?」



 するとフレイはレッドの左手へ視線を向けた。



「その刻印だ」


「刻印?」


「それで念話ができるんだ」



 レッドは目を瞬かせた。



「念話?」


「俺たちが直接お前たちへ話しかけられる」


「脳に?」


「脳にだ」


「怖くないか、それ」


「便利なんだぞ」



 フレイは真顔だった。レッドは何とも言えない表情になる。その様子を見て、レイラが小さく吹き出した。張り詰めていた空気が少しだけ和らぐ。



「今日はもう遅い」



 フレイが言った。



「続きはまた今度だ」


「近いうちに必ず連絡するわ」



 ミズリーも頷く。そして二匹の身体がゆっくりと光に包まれ始めた。



「待って⋯!」



 すると、レッドが呼び止める。



「ん?」


「……ありがとう」



 一瞬だけ、フレイとミズリーは目を見開いた。だが次の瞬間には、柔らかな笑みを浮かべていた。



「礼なら世界を守ってから聞こう」


「実際、早速近頃で嫌な予感もするし⋯⋯期待しているわよ、エレメンターさん」



 眩い光が部屋を包み込む。そして光が消えた時には、二匹の姿は跡形もなく消えていた。静寂が戻る。だが、それは昨日までと同じ静寂ではなかった。

 レッドは左手の紋章を見つめる。レイラもまた、自らの刻印へ視線を落としていた。自分たちはエレメンターになった。世界の裏側を触れてしまった。


 そして――これから始まるのだ。炎と水氷の力を授かった二人の、新たな物語が。


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