第43話「旅立ちの日」
――学年旅行。それは、1年間の学校生活の中でも、生徒たちが最も心待ちにしている一大イベント。教科書を閉じ、教室を飛び出し、仲間たちと笑い合いながら数日間を過ごす特別な時間。
誰もがその日を指折り数え、胸を躍らせていた。そして、ついにその朝が訪れる。窓の外には、雲ひとつない青空が広がっていた。
澄み切った空気を包むように朝日が降り注ぎ、柔らかな光が街並みを優しく照らしている。
どこまでも続く青空は、まるで誰かが淡い絵の具を空いっぱいに溶かしたように透き通っていた。頬を撫でる風は心地よく、夏の訪れを感じさせる爽やかな香りを運んでくる。
絶好の旅行日和。そう言うほかない朝だった。しかし――。
「……重い」
住宅街の坂道を歩きながら、レッドは肩に掛けた旅行バッグを持ち直した。肩の荷物に、背中には大きなリュック。
決して持てない重さではない。それでも、朝特有の眠気が身体を鈍らせ、普段より何倍も重く感じさせていた。
「ふぁ……」
小さな欠伸が漏れる。昨日は旅行が楽しみでなかなか寝付けず、気付けば夜更かしをしてしまっていた。そのせいか、まだ頭は半分眠ったままだ。
眠気を振り払うように首を回しながら歩いていると――。
「……おぉぉぉぉぉっ!!」
どこからともなく聞き慣れた大声が響いた。――嫌な予感しかしない。レッドはゆっくりと振り返る。
「わっしょぉぉぉーーい!!」
案の定だった。朝日に照らされながら全力で駆け寄ってくる少女。その姿を見たレッドは、一瞬言葉を失う。
「……え」
レイラは背中に巨大なリュックを背負い、右手にも左手にも旅行バッグ。首からはカメラ。肩には小さなポーチ。
さらには土産用なのか折り畳み式のエコバッグまでぶら下げている。どう考えても4泊5日の旅行とは思えない荷物の量だった。
「おっはよーー!」
満面の笑みで手を振るレイラ。その勢いで荷物が左右へ揺れ、今にも転びそうになっている。レッドは額へ手を当てた。
「……お前、本気か?」
「ん? 何が?」
「いや、その荷物、絶対そんなにいらないだろ」
「えぇ〜?」
レイラは首を傾げ、レイラは不思議そうに自分の荷物を見下ろした。
「これ普通だよ?」
「普通じゃない」
「みんなが少ないだけだもん!」
「そんなわけあるか。服だけで何日分持ってきた?」
「えっとね!」
レッドは呆れたようにため息をつき、そしてレイラは指を折り始める。
「朝用、お昼用、夜用、おしゃれ用、お土産屋さん巡り用、写真映え用――」
「あぁ、もういい!」
途中で遮る。聞けば聞くほど頭が痛くなりそうだった。
「それ全部使う気なの?」
「もちろん! 旅行って思い出作りでしょ? 毎日違う服着たいじゃん! それにぬいぐるみもいるし、お菓子もいるし、ゲームもいるし……」
「荷物増える要素しかないな」
「にゃっ!?」
するとレイラは両頬を膨らませる。
「レッドひどーい!」
「現実を言っただけじゃん」
「なぁぁぁにぃぃぃっ!」
朝の住宅街へ、2人のいつものやり取りが響き渡る。そんな何気ない光景を見て、近所の人が思わず笑みをこぼしていた。
レッドは苦笑しながら歩き出す。その隣へ、レイラも慌てて駆け寄った。今日から始まる4泊5日の学年旅行。この時の2人はまだ知らない。
胸いっぱいの期待を抱いて向かうその旅が、自分たちの運命を大きく変える出来事の始まりになることを。
そして――その旅路を、闇の中から静かに見つめる者たちがいることも。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
同じ頃――レッドたちの住む街から数駅離れた場所。朝の駅前には、通勤や通学の人々が行き交い、穏やかな喧騒が広がっていた。
改札を抜ける電車の音。ホームへ流れる発車メロディ。どこか慌ただしく、それでいて日常そのものの景色。
その人混みの中を、1人の少女が小さなキャリーケースを引きながら歩いていた。昨夜、駅で観光パンフレットを手に取り、目を輝かせていたあの少女である。
彼女はスマートフォンの画面と路線図を何度も見比べながら、小さく頷いた。
「えっと……カラミティアルランドまでは、ここから電車で30分くらい……」
そして画面を指でなぞりながら、乗り換え案内を確認する。
「この路線に乗って……途中で一回乗り換えて……よしっ!」
目的地までの道順を頭の中で整理すると、ほっとしたように胸を撫で下ろした。その表情には、不安よりも期待の方がずっと大きい。
初めて訪れる巨大リゾート地。テレビや雑誌で何度も特集され、「1度は行ってみたい観光地」として紹介される場所。
そんな憧れの地へ、自分も足を運べる。それだけで胸が高鳴っていた。少女は改札を抜け、ホームへ向かう。
朝日を浴びながら停車中の電車を眺め、その瞳を輝かせた。
「楽しみだなぁ……」
自然と笑みが零れる。胸の前で小さく拳を握り、誰にも聞こえないほどの声で呟いた。
「いっぱい写真撮って……いっぱい遊んで……いっぱい思い出作ろう!」
ホームへ吹き抜ける風が、少女の髪を優しく揺らした。やがて到着を知らせるアナウンスが流れ、電車がゆっくりとホームへ滑り込んでくる。
ドアが開き、少女は軽やかな足取りで乗車した。車窓から見える街並みが、少しずつ後ろへ流れていく。その横顔には、未来への期待しか映っていない。
――そう、この時までは。彼女はまだ知らない。旅先で待ち受ける運命を。その場所に、自分と同じように特別な力を宿す者たちが集まりつつあることを。
そして、そこで巻き起こる出来事が、自分自身の人生を大きく変えてしまうことを。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
一方、その頃。学校の正門前には、すでに多くの生徒たちが集まっていた。大型観光バスが何台も整列し、その周囲では先生たちが慌ただしく点呼や荷物確認を行っている。
「こっち並んでくださーい! クラスごとに集合してくださいね!」
先生たちの声が飛び交う中、生徒たちは友人同士で楽しそうに笑い合っていた。
「やっと今日だ!」
「4泊5日とか最高じゃん!」
「お土産いっぱい買おうね!」
期待と興奮が入り混じった笑い声が、朝の正門へ響き渡る。約300人もの生徒が集まるその光景は、それだけで1つの祭りのような賑わいを見せていた。
レッドもその人波へ加わる。荷物を降ろし、小さく肩を回していると、隣から聞き慣れた声が飛んできた。
「レッドー!」
振り向けば、相変わらず大量の荷物を抱えたレイラが、嬉しそうに駆け寄ってくる。
「見て見て! まだお菓子入るスペースあるよ!」
「それ自慢することじゃないぞ」
レッドは呆れながら苦笑した。旅行が始まる前から、2人のやり取りはいつも通りだった。しかし、この何気ない日常もまた、まもなく大きく動き始めようとしていた。
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