第26話「意志が交わるその先へ」
狂戦士が大剣を静かに掲げる。漆黒の刀身から、底知れない闇が滲み出した。それは空気でも、瘴気でもない。
世界そのものから色彩だけを奪っていくような、不気味な静寂そのものだった。やがて屋上を吹き抜けていた風が止み、音が消える。
レイラは無意識に息を呑んだ。
(また……)
あの技だ。レッドを一撃で戦闘不能に追い込んだ、理解を超えた一太刀。傷1つ残さず、生きるという概念だけを断ち切る異質の剣。
あれをもう1度受ければ――今度こそ、本当に終わる。
狂戦士は深紅の双眸を細め、静かに告げた。
「……『BURST』 」
その一言だけで、空間が震えた。大剣を包む闇はさらに濃くなり、まるで夜そのものを凝縮したような色へ変わっていく。
レイラの心臓が大きく脈打った。
(止めなきゃ……!)
頭では分かっている。だが足が動かない。あまりにも濃密な殺気。目の前の存在が放つ圧倒的な格の違いが、本能へ直接語りかけてくる。
――勝てない。そんな弱気な声が胸の奥から何度も響く。
「……いや」
レイラは小さく首を振った。
「そんなこと、考えてる場合じゃない⋯⋯」
神斧を強く握る。柄へ伝わる冷たい感触が、少しだけ思考を落ち着かせてくれた。
本当は怖い。逃げ出したい。泣きたい。それでも、レッドは、自分を守るために前へ出た。あの背中を思い出す。迷いなく飛び込み、自分を庇った姿。
その想いを無駄にすることだけは、絶対にしたくなかった。
「私は……!」
そして彼女は1歩を踏み出す。己が恐怖ごと踏み潰すように。
「もう、逃げない!」
すると、クロウの詠唱が終盤へ差しかかる。
「 【死斬―― 」
あと一言。その一言が紡がれれば、再びあの一撃が放たれる。
レイラは神斧を構え、水氷のエレメントが一気に解放される。周囲の空気が凍りつき、足元から幾重もの氷華が咲き始めた。
(間に合え……!)
そして、床を蹴る。一直線にクロウへ飛び込んだ――その瞬間だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――暗い。何もない。上下も左右も分からない、白とも黒ともつかない空間。
そこへ、ぽつりと水滴が落ちる音が響いた。レッドはゆっくりと目を開く。
「……ここは」
見渡しても何もない。果ての見えない静寂だけが続いている。身体は軽い。痛みもない。
さっきまで狂戦士と戦っていたはずなのに、その記憶だけが妙に遠く感じられた。
「俺は……」
思い出す。黒い一閃。静かな剣。そして、自分へ振り下ろされた『BURST』。
「……負け、たのか」
レッドはそうぽつりと呟く。その声は不思議なくらい静かに響いた。すると――
「いや」
どこからともなく、男の声が聞こえた。
「君はまだ負けていない」
レッドは反射的に振り返る。
「――誰だ!」
そこには、1人の男が立っていた。年齢は20代前半ほどだろうか。
穏やかな笑みを浮かべ、どこか懐かしさを感じさせる雰囲気を纏っている。白く、美しい赤みがかった外套が、風もない空間で静かに揺れていた。
すると、その男は優しく笑う。
「やっと起きたか。思ったより早かったな」
レッドは警戒したまま距離を取る。
「……お前」
見覚えはない。それなのに。どこかで会ったことがあるような、不思議な感覚だけが胸に残る。
「ここはどこだ」
「君の意識だよ」
男はあっさり答えた。
「もっと正確に言えば、生と死の狭間」
「……生と死」
「そう。あと1歩踏み込めば、本当に戻れなくなる場所」
男は静かに頷く。その中でレッドは眉をひそめた。
「つまり、俺は死んだってことか」
男は少し困ったように笑う。
「ふっ、半分だけ正解」
「半分?」
「君はエレメンターだからね。普通の人間なら、あの一撃で終わっていた」
その言葉にレッドは首を傾げる。男はゆっくり歩きながら続けた。
「でも君は違う。世界の理へ触れている存在だ。だから、完全には断ち切られていない」
レッドは自分の胸へ手を当てる。鼓動は感じない。それでも、不思議と恐怖はなかった。
「じゃあ、俺はまだ戻れるのか」
「もちろん。そのために、俺はここで待っていたんだよ」
男は優しく微笑む。すると、レッドはじっと彼を見つめながら言った。
「……お前は、何者なんだ」
男は少しだけ空を見上げた。それはどこか、懐かしいものを見るような目だった。
「――今はまだ、名前を教える時じゃない」
そして静かな笑みを浮かべる。その言葉には、どこか確信があった。まるで、また必ず会うことを知っているかのように。
しかし、その1つひとつがレッドの胸へ深く沈んでいく。まるで、忘れていた何かを思い出させるように。
「それでなんだけどね。君は今、“生きる“という概念を断たれている」
その言葉を聞いて、レッドはゆっくりと男を見つめ返した。
「……概念」
だが、それが何を意味するのかまでは理解できなかった。男は指先で何もない空間を軽くなぞる。すると、静かな水面のような光景が広がった。
そこには、廊下で倒れたままの自分。涙を流しながら戦うレイラ。そして、大剣を構える狂戦士の姿が映し出されていた。
「これは……」
「現実だよ。君の肉体は向こうにある。ただし、そこへ戻るための"資格"だけを失っている。」
男は淡々と答える。レッドは映像から目を離さない。レイラが必死に戦っている。その姿を見るだけで、胸が締めつけられた。
「俺のせいだ……」
「それは違うよ」
すると、男は即座に否定した。
「君は守った。その結果、今ここにいる。それを後悔する必要はない」
「でも……このままじゃ、レイラが」
レッドは静かに拳を握る。狂戦士の大剣がゆっくりと持ち上がっていた。――『BURST』。あの技が再び放たれれば、今度は、レイラが。
そう考えているうちに、男はレッドに1つ質問をした。
「――助けたいか」
男の問いに、レッドは迷わなかった。
「ああ。絶対に」
「なら、1つ覚えておけ。」
そして男は穏やかに微笑む。
「戦いにおいて最も恐ろしいのは、強い敵じゃない。相手の土俵へ立ってしまうことだ」
レッドは眉をひそめる。
「相手の……土俵」
「あの敵は“生ある者”を断つことで完成する戦士だ。だから、生きていた君は負けた」
その言葉に、レッドは息を呑む。
「じゃあ……」
すると男は静かに頷いた。
「そう。生を失った今の君は、逆に奴の理の外側へ立っている。奴が断つべき“生”は、もう君には存在しない。だから、まだ終わっていないんだよ」
レッドの瞳が大きく開かれる。
「終わらせるかどうかは、君自身が決めることだ」
そして、男はレッドに1歩近づいた。
「――立て。君には、まだ繋ぐべきものがある。」
レッドは静かに目を閉じた。思い浮かぶのは、これまで出会ってきた人たちだった。
フレイ。ミズリー。そして、 泣き虫で、少し抜けていて、それでも誰よりも明るく優しい少女――レイラ。彼女が笑っている姿だけは、失いたくなかった。レッドはゆっくりと拳を握る。
「……俺は、まだ終わらない」
そして、レッドは顔を上げる。それを見て男は満足そうに笑った。
「その答えを待っていたよ。なら、行ってこい。君の物語は、まだ始まったばかりなんだから」
白い空間が眩しく輝き始める。やがて、今レッドがいる世界が光に包まれた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――その頃。屋上では、狂戦士の『BURST』が、今まさに完成しようとしていた。
「――【死斬滅告】 」
そして、漆黒の刃が静かに振り下ろされる。レイラは歯を食いしばった。
(間に合わない……!)
避けられない。そう悟った、その瞬間。聞き覚えのある声が響いた。
「……なるほど。う〜ん今は⋯⋯よく寝たって言っておくか」
レイラの瞳が大きく見開かれる。
「……え?」
風が吹く。廊下の端で、1人の少年がゆっくり立ち上がっていた。俯いていた顔を上げる。その瞳には、再び生気が宿っていた。
「レッド……!」
レイラは思わず口を抑えながらレッド見つめる。そして彼は神剣を拾い上げる。その姿には、先ほどまでの虚ろさはどこにもない。レッドは静かに剣を構えた。
「スキル――」
神器が眩い炎を纏う。赤金色の光が闇を押し返し、屋上全体を照らした。
「 【灼刃乱閃】 」
爆発するように地面を蹴る。一瞬、ほんの一瞬で狂戦士の懐へ踏み込んだ。
六条の炎が夜空へ走り、斬る、斬る、さらに斬る。炎の軌跡だけが幾重にも交差し、狂戦士の鎧へ深い傷を刻み込んでいく。
「……っ!」
初めてクロウが大きく後退した。その深紅の瞳が驚愕に染まる。
「何故だ……何故、貴様が立っている……!」
レッドは神剣を肩へ担ぎ、小さく笑った。
「さあな。俺にも詳しくは分からない。」
レイラは堪えていた涙をこぼしながら駆け寄る。そして、勢いよく胸へ飛び込んだ。
「レッドぉ……! よかった……ほんとによかったぁ……」
レッドは苦笑しながら彼女の頭へそっと手を置いた。
「心配かけた。ここからは、もう1人じゃない」
レイラは何度も頷く。その瞳には、再び希望の光が戻っていた。
狂戦士は2人を見つめ、低く呟く。
「……有り得ぬ。貴様には“生”がないはずだ」
レッドは静かに剣先を向けて答えた。
「そうかもな。でも――」
そして、1歩踏み出す。その足取りに迷いはない。
「お前が斬ったのは、生きるっていう概念だけだ。俺の意思までは、斬れなかった」
狂戦士の瞳がわずかに揺れた。レッドは神剣を構え、炎が再び大きく燃え上がる。
その隣ではレイラも神斧を握り直していた。そして2人は並び立つ。もう背中を預けるだけではない。互いの想いを支え合うように。
レッドは狂戦士を真っ直ぐ見据え、静かに告げた。
「行くぞ。“生”断つ戦士――」
その声には、恐れも迷いもなかった。
「――“意”を斬る覚悟は、十分か」
その宣言とともに、紅蓮の炎と蒼氷の輝きが夜空を染め上げる。
決戦は、いよいよ最終局面へと突入しようとしていた。




